これには、水晶、新象牙(?)などの実印や認印の価格が記載されており、その当時の
物価と比較してみると、現在の価値に置き直す事ができると考えた。
さらに、このカタログには、「水晶」を歌いこんだ甲州音頭の一節とその替え歌や戦後の
世相を髣髴とさせる一コマ漫画があるなど、販売促進にあの手この手と智慧を絞った
”甲州商人”の姿を垣間見ることができる貴重な資料で、大切にしたいと考えています。
(2005年10月入手)
裏面の下1/3は、注文書になっており、金額欄には、”円”の欄の下に”銭”の欄もあり
古い版を手直しして、急遽こしらえた印象です。
3.2 認印
『天然水晶認印(一級品 小判型)』のカタログ部分を示します。認印は、長径10mm
短径8mmの小判型(楕円形)で、長さによって価格が違っている。
長さ1寸3分(約4cm)で95円、長さ2寸(約6cm)で130円と、長さが55%長くなっても
価格は40%弱のアップで、細長い水晶の入手は、さほど困難でなかったと思われる。
同じ長さ、1寸3分(約4cm)の実印は認印に比べ60%弱高くなっており、単に文字数が
多くなっただけでなく、別な理由もありそうです。
3.3 水晶印の価格分析
(1)価格分析のアプローチ
いくつかの水晶印の価格を眺めていると、水晶の印鑑の価格はどうなっているのかを
分析してみたくなります。
水晶印鑑の価格=材料費+加工費+一般管理費+利益・・・・・・・・・(1)式
=@水晶の原材料費+A(研磨費+名前の篆刻費)
+管理費+利益・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(2)式
となるはずです。
印鑑の長さと価格の関係を実印と認印について、グラフに書くと下図のようになり
長さと価格はほぼ比例している。当然ながら、実印の方が認印より高くなっている。
実印と認印の価格差は、@文字数の違いで篆刻費が違う A印面寸法が違い水晶
材料費が違う B利益率の違い などが考えられる。
文字数の差・・・・・・・カタログには、篆刻文字数が1文字増えるごとに10円増しと
なっており、認印は苗字だけなので平均2文字、実印は氏と名を
彫るので平均4文字。その差は2文字となり、20円実印の方が
高くなります。
水晶使用量の差・・・印材をつくるには、印面に外接する断面をもつ四角柱を水晶から
切り出し(材料取り)、これを荒削りして所定の断面形状にし
最後に磨きをかける。
材料使用量は、 丸印>角印>小判(認印) の順となる。
角印は、角を僅かに落とすだけなのでロスが最も少なく、丸印は
材料ロスが最も大きい。
ロスの多少は、加工に要する時間の長短、最終的に加工費の
高安につながる。材料の水晶をたくさん使い、加工費も高い丸印が
角印と同じ価格になっているのは理解に苦しむが、角、丸合わせて
損をしない価格設定にしたと推測する。
水晶の原材料費や加工費は、使う水晶の量(重さ あるいは 体積)に
比例すると考えられる。
利益率の差・・・・・・・利益率は、実印と認印で違っていた可能性が高い。認印は”薄利多売”を
目的とし、利益率を低く抑え、実印を購入する層は、比較的裕福と
考えられ、利益率を高めに設定したと考えられる。
また、一般管理費と利益は、製造原価に比例すると考えるのが原価
計算では妥当な考え方とされるが、ここでは1本あたりいくらで算出してみる。
上の図で、認印より実印の方が傾きが急になっており、その分、約10%
実印の方が利益率が高目に設定されている。
以上のようなことを頭に置きながら、水晶の原材料費を計算してみる。
<印鑑の長さ> | 体積(cm3) | 単価(円) | 備 考 | 実印 | 認印 | 差 | 実印 | 認印 | 差 | 篆刻代除き差 | 1寸3分 (約4cm) | 5.7 | 3.1 | 2.6 | 150 | 95 | 55 | 35 | 実印4文字 認印2文字 |
1寸5分 (約4.5cm) | 6.5 | 3.6 | 2.9 | 180 | 110 | 70 | 50 | 同上 | 1寸8分 (約5.5cm) | 7.8 | − | − | 200 | − | − | − | 2寸 (約6cm) | − | 4.8 | − | − | 130 | − | − |
---|
篆刻代除き実印と認印の価格差=水晶材料体積の差×水晶単価
+(一般監理費・利益の差)
1寸3分の場合 35×0.9=2.6×M → M=12円/cm3
1寸5分の場合 50×0.9=2.9×M → M=16円/cm3
水晶の価格は、1cm3(約2.3g)当り、約14円となります。
以上のことから、(2)式は、次のように変形することができる。
水晶印鑑の価格=V×M+P+C×10円/ケ+α・・・・・・・・・・・・・(3)式
ここで
V:水晶の体積 (cm3)
M:材料単価=14 (円/cm3)
P:篆刻代除く加工単価 (円/cm3)
C:文字数(実印=4、認印=2) (ケ)
α:般管理費+利益 (円)
(2)実印の価格分析
実印について、次の2つの式が成り立ち、未知数が2つですから、この連立方程式を
解けばそれぞれの値が求められます。
1寸3分の場合 150円=80円+P+40円+α
1寸5分の場合 180円=91円+1.14P+40円+α
P= 136円 α= ‐106円
(3)認印の価格分析
認印についても、同様に求めることができます。
1寸3分の場合 95円=43円+P+20円+α
1寸5分の場合 110円=50円+1.16P+20円+α
P= 50円 α= ‐18円
(4)印鑑の価格分析のまとめ
実印も認印ともに、利益(α)は、マイナス、つまり ”赤字”になっています。このままでこの
会社がやっていけたのか、他人事ながら心配になります。
しかし、その秘密はカタログの中に隠されていました。
昭和23年(1948年)ごろは、敗戦から3年、ものすごいインフレーション(物価騰貴)で
カタログには、次のようなゴム印が押されている。
『 新価格体系により値上りとなりますが、弊社は在庫豊富のため・・・・今号に限り
従前の価格にてサービス・・・・・・・・・・・・』
この当時のインフレの凄まじさを、郵便料金の推移で追いかけてみよう。公共料金は
ほかの物価の騰貴を追いかける形で改正されるのが常ですから、一般の物品の物価は
このグラフよりも先行して値上がりしていたと考えられる。
このカタログが配布された昭和23年(1948年)6、7月ごろには、1年前に比べて4倍強
2年前に比べると20倍近くにアップしています。
戦争中は、奢侈品禁止令で、水晶印材などは加工できなかったはずですので、戦後
1年後、つまり2年前に加工したものを在庫として持っていれば、原価数円のものに
20円〜40円の篆刻費をかけるだけで100円〜200円で売れるのですから、充分採算が
とれたと思われる。
(2)以前、私が骨董市で購入した水晶印材に付いていた”正価 2、20”は、2円20銭を
表示していると考えられます。
ラベルが”左書き”であることから、第二次世界大戦以前に作られたものであることは
間違いなく、昭和初期の雰囲気です。
この当時の、2円20銭がどの位の価値があったのか、米の値段で比較してみますと
昭和初期の米1俵(60kg)が、15円だったそうですから、米が10kg弱買える計算に
なります。現在の値段で、5,000円と言ったところでしょうか。
(3)これらから、水晶印鑑は時代が変わっても現在の価格で3,000〜5,000円くらいであった
と思われます。
(2)敗戦によりアメリカ軍が進駐し、日本の民主化に着手し、数々の施策が施行された
当時の世相を彷彿とさせる1コマ漫画がカタログの片隅に載っていますので、ご紹介
いたします。
”男女同権””NHK"などの言葉とともに全文漢字・カタカナ表記で、”外人”が話して
いるような錯覚にとらわれます。
(3)このカタログには、水晶を歌いこんだ「甲州音頭」の歌詞とこれを印鑑にちなんで書き
換えた[替え歌」も掲載されていますので、併せてご紹介いたします。
地元、甲府に住む私でさえ、「甲州音頭」を知らないくらいですから、まして「替え歌」は
その存在すら知りませんでした。
「甲州音頭」(正調)
透(すん)で明るい水晶の光よ
同じ甲州のひとごころ
山ぢゃ かっこかっこ かんこ鳥
観光山梨
はんでめた めた
来てお呉れ
来ておくれ
「甲州音頭」(変へ歌)
技術すぐれた 甲斐のはんこよ
押して綺麗な出来のはえ
日本(くに)は はんこはんこ はんこ島
はんこ山梨
はんでめた めた
買っと呉れ
買っとくれ
このカタログは、敗戦後の混沌とした中、販売促進にあの手この手と智慧を絞った”甲州商人”の
バイタリティ溢れる姿を垣間見ることができる貴重な資料であり、大切にしたいと考えています。