『命のビザ』 杉原(すぎはら)千畝(ちうね) ( Visas for Life , CHIUNE SUGIHARA )







          『命のビザ』 杉原(すぎはら)千畝(ちうね)

               ( Visas for Life , CHIUNE SUGIHARA )

1. はじめに

    2018年9月下旬、郵趣会の山名さんにお会いしたら、「甲斐市の教会で『杉原千畝展』を開催していて、
   今日が最終日だからこれから観に行く」、というので、畑に行くのを後回しにして、ついて行った。

    この夏、病気見舞いや葬儀で名古屋に行った帰りに杉原の故郷・岐阜県八百津町近くの中津川市に
   宿泊した時や夏休みの孫を連れて「ニホンオオカミのはく製」を見学に岐阜県立博物館を訪れた際、近くの
   展示施設で「杉原千畝展」を開催していたので見る機会はあったのだが、見逃していた。

    1940年夏、杉原千畝がバルト3国の1つリトアニアの日本領事館で発行した日本通過ビザは、行き先を
   失い、大量虐殺(ぎゃくさつ)(ホロコースト)の危機に直面していた約6,000人のユダヤ難民の命を救い、
   『命のビザ』と呼ばれている。

    2016年6月24日〜25日、「地球一周の旅」でカリブ海のキュラソー島を訪れた。キュラソーがどこにあるのか
   どころか、そんな国があることをこの旅に出る直前になって知ったくらいだった。
   郵便局を訪れ、カラフルな熱帯魚を描く切手を貼った実逓便を妻、家族、友人宛に送った。

    この島の訪問記をインターネットに公開しようと調べていると、「ユダヤ人の命を救ったリトアニアの日本国
   領事(代理)杉原千畝が発行した日本国通過ビザの目的地はキュラソー島になっていた。この逃亡のための
   ビザは、『キュラソー・ビザ』とも呼ばれる、と最近知った。」、と書いた。

   それ以来、杉原千畝についてまとめてみたいと思いつつ延び延びになっていた。地元の山梨県甲斐市で
  開催された展示会を訪れ、永年の念願を叶えることができた。誘っていただいた山名さんに感謝している。
   ( 2018年9月 体験 )



    ・ 『命のビザ』 杉原(すぎはら)千畝(ちうね)




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