2003年秋 四国・中国の観光・鉱物採集旅行【ダイジェスト版】

2003年秋 四国・中国の観光・鉱物採集旅行【ダイジェスト版】

1.初めに

 11月は我々夫婦の結婚記念の月で、今年は、結婚30周年の「真珠婚」の年である。
 千葉県の石友・Oさんの娘のHさんが、我々夫婦にと「真珠」とビーズを使った
アクセサリーを作って送っていただいた。

   真珠のアクセサリー【Hさん手作り】

 「真珠婚」の記念に、妻が行ったことがない、四国・中国へ鉱物採集と観光の旅を
以前から考えていた。
 しかし、この方面には仕事では行ったことがあるものの、鉱物採集では行ったことが
なく、どうしたものかと思いあぐねていた。
 そんな折、この方面の産地に詳しい兵庫県に住む石友・Nさんご夫妻が、案内して
いただけるとの事で、そのご好意に甘えることになった。
 11月22日(いい夫婦)の前後、Nさんの自宅に泊めていただいたのを含め、5泊6日で
産地を案内していただき、四国・中国の主な産地を訪問でき、高越のルチル、五良津の
透緑閃石、藍晶石、久万町のピンク色のダトー石、夏梅鉱山の紅砒ニッケル鉱などなど
代表的な標本を採集でき(していただい)た。
 これも、Nさんご夫妻のお陰と、厚く御礼申し上げます。
 帰りに、妻の要望で京都に立ち寄り、東西の本願寺を見て、私の希望の「地学会館」にも
立ち寄るという、付録までつき、無事甲府に帰りました。
 総走行距離は、2,005kmでした。
 Nさんご夫妻には、『お”2”人に お礼(”00”)、御(”5”)苦労様でした。』
(2003年11月採集)

2.【いざ、出発!!】

 退庁のチャイムが鳴ると同時に出ようと思っていたら、何かとゴタゴタし、急いで自宅に帰り
18:00ジャストに出発する。
 甲府は小雨で、韮崎ICから中央高速に乗り、中央高速最高地点(1,050m)を過ぎる頃には
濃い霧で、巡航速度を90km/hに落として驀進する。
 東名、山陽道に入り、23時過ぎに、翌日の集合場所「淡河(おごう)SA」に到着する。
ここまで、460km。ワインを飲んで、車中泊。

2.【いざ、四国路へ】

(1)四国入り
 翌朝、約束の時間よりやや早く、Nさんご夫妻がきた。挨拶もそこそこに、出発。
 四国に車で行ったのは、独身時代の寮生活最後の年に、同室のメンバーと
フェリーで渡ったのが最後で、30年ぶり。
 霧雨にかすむ明石海峡大橋を渡り、淡路島で給油休憩。鳴門の渦潮を見ながら、四国入り。

           
     明石海峡大橋        淡路島で記念写真          鳴門の渦潮

(2)高越(こおつ)のルチル
 四国に入ると、そこは徳島県。徳島県の鉱物といえば、古い鉱物図鑑には(最新の松原博士の
「日本の鉱物」にも)必ずと言って良いほど、「眉山の金紅石(ルチル)」が掲載してあります。
 「眉山」での採集は難しいとのことで、同じ徳島県の高越(こおつ)でルチルが採集できるとの
貴重な情報をいただき、産地を案内していただいた。

   高越(こおつ)のルチル産地

 ここは、変成岩地帯で、今まで余り訪れたことがない産状で、最初の30分は、どこを探せば
良いのか、皆目見当がつかず、産地をウロウロしていた。
 多分図鑑にある「眉山」と同じ産状だろうと思い、山勘で探すと、”赤褐色、半透明、特有の
条線がある柱状結晶”が見つかった。
 後は、同じようなポイントを探し、直径8mm、長さ10mmの頭付き結晶を筆頭に
何点かの標本を採集した。
 この頃には、天気はすっかり回復し、晴れ間も見えるほどであった。(イョ! ”晴れ男”)
このあと、徳島県で最大とい言われた「高越鉱山」跡を見学し、産地を後にした。
 お昼は、四国に来たらと、”手打ちうどん”を堪能した。
(3)ラピス大歩危
 以前から、Nさんご夫妻から、「ラピス大歩危・石の博物館」という、素晴らしい施設があり
是非案内したい、と聞かされていた。
 Nさんのご主人曰く、『昔・社会科で習った大歩危・小歩危』に、同年代の私は同感。
私と妻は、車の中で、「あんたは、”大ボケ”、私は ”トボケ”」などと言っているうちに
「ラピス大歩危・石の博物館」に到着した。

       
      建物の外観         館長の岩崎博士と記念写真
               ラピス大歩危

 今回、「小川山の水晶・群晶」、「乙女鉱山の水晶」「黒平の長石」などをこの施設に
寄贈するため持参し、関 学芸委員(ものすごく、チャーミングな人です)にお渡しした。
 運良く、館長で、徳島大名誉教授の岩崎 博士もおられ、四国の地質や鉱物についての
お話を伺った後、自ら館内をくまなく案内していただいた。
 展示は、ドイツ・ミュヘン大学の付属鉱物博物館を参考にしたというだけあり
洗練されたもので、好感が持てます。鉱物ファンといわず、子ども達にも、是非一度は訪れて
欲しいと思います。
 ここには、Nさんご夫妻はじめ、私が主催する採集会に参加する愛知県のKさんが寄贈された
標本も何点か展示してあります。

(4)新居浜の夜はふけて
 ラピス大歩危を後にして、今夜の宿のある新居浜に向かう。流石、「別子銅山の町」だけあり
ホテルの一角には、「銅滴(どうてき)」が展示してあります。

       
      ホテルでのひととき     「銅滴(どうてき)」
            リーガロイヤルホテルにて

 部屋に戻って、Nさんご夫妻と、山梨の酒「谷桜」を飲みながら、歓談。
長距離運転の疲れもあり、いつの間にか、Z z z・・・・・。

3.【愛媛県・新居浜周辺の産地】

(1)五良津
 翌朝、7時に朝食の後、土居町「五良津」の産地を案内していただく。
 権現谷を目指し、悪路を、車の底を擦らない様、注意深く走り、入口から約15分で産地に到着。

   五良津

 ここでは、各種の変成鉱物が採集できる。眼が慣れているNさんの奥さんは、いとも簡単に
 「金紅石(ルチル)」「透緑閃石」の良品を次々と発見する。
  こちらは、母岩がどのようなものか分からず苦戦。それでも、「ルチル」「菫泥石」
 「透緑閃石」「チタン鉄鉱」など、代表的な標本は一通り採集できた。
  車に戻ると、妻が「こんなのが、あった。」と差し出したのは、立派な母岩付きの
 「鉄礬ザクロ石」であった。道路の脇で、ダンプに踏み割られて、結晶面が無傷で
 出たものらしい。
(2)別子銅山記念館
  新居浜市に戻り、別子銅山記念館を訪れた。別子銅山は、元禄3年(1690年)人跡未踏の
 銅山峰(海抜1,291m)の南側で露頭が発見され、翌年から住友によって採掘が開始された。
  キースラガー(含銅硫化鉄鉱)鉱床として、世界にも稀に見る大鉱床で、開坑以来
 昭和48年(1973年)まで、282年の永い間、営々と掘り続けられた。
  館内には、別子銅山の歴史を辿る開坑以来の歴史資料やその間の主な出来事および
 生活風俗、技術等に関する資料を展示している。
  入場料は無料だが、照明が暗くて、展示してある「鉱物」がよく見えないのが難点です。
 (係りの人は、「坑道をイメージした」とか「省エネルギー」とか言ってました。)

   別子銅山記念館

(4)「マイントピア別子」
  別子銅山の鉱石を集めた「端出場」のあとに、観光坑道施設として「マイントピア別子」が
 ある。全国各地にある旧鉱山を使った観光施設の1つである。

   「マイントピア別子」

  Nさんご夫妻によれば、坑道内は兵庫県の「生野鉱山」の方が充実しており、そちらを見学する
 ことにし、お土産ブースを覗いた。
  ここでは、「五良津のルチル・クサビ石」「久万町のボトリオ(ダトー石)」などを
 誰かが持ち込んで販売している。
  これから、訪れる予定の「久万町のボトリオ(ダトー石)」は採集できるかどうか
 分からないため、保険として購入。(300円)
(4)藍晶石を求めて
  藍晶石は「珪線石」「紅柱石」と3兄弟で、同質異像の関係にある。「紅柱石」は関東
 東北、中部でも比較的多産するのに、「藍晶石」の産出は稀である。「マイントピア別子」の
 近くで「藍晶石」が採集できる場所を案内していただいた。

   藍晶石産地

  Nさんが、”青色”、”緑色”の藍晶石を次々と採集するのに、こちらは”スズメバチの巣”を
 採集するありさま。
  悔いの残る産地でした。
(5)道後温泉の夜はふけて
  この日は、松山にある名湯「道後温泉」に宿をとっていただいた。瀬戸内の美味しい魚を
 食べ、明日への活力を注入する。

   道後の宿

  部屋に戻って、Nさんご夫妻と、山梨の酒「富嶽」を飲みながら、ひと時の歓談を楽しむ。
 明朝は、道後温泉の一番風呂に入るべく、9時過ぎには、Z z z・・・・・。
   

4.【愛媛県・松山周辺の産地】

(1)道後温泉一番風呂!!
  翌朝は、5時に起床。荷造りを済ませ、「道後温泉」に6時前に到着。回りは真っ暗なのに
 既に、観光客が20名近く開館を待っている。「振鷺閣」からの太鼓を合図に、ドッと入場する。
  我々は、「霊(たま)の湯」に入り、男性陣は1階の湯を浴び、席に戻り、お茶とお菓子の
 接待を受ける。女性陣は、「霊(たま)の湯」と「神の湯」を梯子して、戻って来る。
  夏目漱石ゆかりの「坊ちゃんの間」、皇族専用の「又親殿(ゆうしんでん)」などを見学する。

   道後温泉

(2)浮穴(うけな)郡久万町採石場
  浮穴(うけな)郡久万町にはいくつか採石場があり、それらでは、「ピンク色のダトー石」や
「魚眼石」が産出するので有名で「日本の鉱物」はじめ、各種の図鑑に紹介されている。

   久万町採石場

  幸運にも、「ピンク色のダトー石」、「魚眼石」「中沸石(蛇骨石)」などを採集できた。
(3)千本峠の高温石英
   千本峠の高温石英は、奈良県の石友・Aさんが「標本玉手箱」に提供してくれたことがリ
  是非訪れたい産地の1つであった。キャンプ場といわれる広場の路面に、散らばっており
  ピンセットを使っての”地味”な採集であるが、八面体をした典型的な「高温石英」を
  短時間で採集した。

   千本峠

(3)砥部焼伝統産業会館
  焼き物が趣味の妻のために、Nさん夫妻が、砥部焼伝統産業開館に寄る時間を作ってくれた。
 砥部焼のはじまりは、約300年ほど前の陶器の製作に遡り、安永6年(1777年)には、磁器の
 創業をみた。白磁染付け製品は、気品にあふれ、現代感覚のものも、多数展示即売してある。
  よい物は、値段も良くて、今回はパス。

   砥部焼伝統産業会館

(4)岡山へ
  松山ICから、松山道にのり、東へ進み、坂出から瀬戸中央道で瀬戸内海を一跨ぎ。

   瀬戸大橋

  山陽道に入り、岡山城の見える宿に着いたのは、5時少し前であった。お城と聞くと
 見なければ気がすまない妻のために、小走りでお城に到着。
  岡山城は、別名”烏城(うじょう)”とも呼ばれ、東の姫路城”白鷺城”と好対照を
 なし、文字通り、真っ黒い外観である。30分弱なら見学できるとの事で、天守閣の最上階から
 下って見てくる。外に出た頃には、夜間照明が点灯されていた。

       
           外観         天守閣から見るホテル
                  岡山城

5.【兵庫県・生野周辺の産地】

(1)夏梅(なつめ)鉱山の紅砒ニッケル鉱
  今回、一番訪れたかったのが、「紅砒ニッケル鉱」で有名な夏梅鉱山であった。
 山陽道から播但道に入り、終点の和田山でおり、大屋町に入ると、夏梅鉱山がある。
  ズリには、あちこちに真新しい穴が掘られ、訪れる人の多さを物語っている。
 非力の我々は、既に掘られた穴に入り、採集する。やがて、青緑色の”ニッケル華”に
 覆われた塊がでて、それを割ると球顆状の”紅砒ニッケル鉱”と思しき標本が採集できた。
  似たような産状で”磁硫鉄鉱”もあるらしいが、”糸付き磁石”に反応しないので
 本物か!!  1ケ月後に、表面が錆びてくれば、磁硫鉄鉱とのこと。(怖い!!)

   夏梅鉱山ズリ
(2)加保坂のヒスイ
  夏梅鉱山から更に奥に進むと、加保坂日城谷のヒスイ露頭がある。ヒスイの大きな塊は
 誰かに、カチ割られた傷跡も生々しく、今では鉄格子に囲まれて保護されています。
  この周辺では、「ソーダ雲母」が採集できました。

   加保坂のヒスイ

  これで今回の鉱物の部は、終わりとなった。途端に、雨が”ポツ、ポツ”降り出してきた。
  自称”晴れ男”の面目を何とか保てました。
(3)生野銀山
  再び、和田山から播但道にのり、生野銀山を目指す。生野銀山は、室町時代に開抗し、
 昭和48年に採鉱をやめるまで、500年にわたり稼行した。
  生野銀山の採掘跡は、広い範囲に分布しており、その中心部に、「生野鉱物館」や
 「観光坑道」などがある。
  400年にわたって連綿と掘り続けられた「慶寿ひ」の堀跡が昔日の栄華を偲ばせ、明治初期に
 仏人・コワニェが作った石造の金香瀬坑口は観光坑道の入口になっている。

       
       「慶寿ひ」            金香瀬坑口
                生野銀山遺跡

  鉱物ファンにとって見逃せないのが、和田 維四郎標本を収める「生野鉱物館」である。
 日本には、まとまった形で和田標本を収納する場所として、@宮城県細倉鉱山A新潟県佐渡金山
 B東京大学C埼玉県三菱マテリアル総合研究所D兵庫県生野鉱物館が知られている。
  「生野鉱物館」には、三菱鉱業(現マテリアル)が、所有する鉱山はじめ、日本の
 鉱山が稼動していた時期に収集した国内産鉱物の逸品6000点が、所狭しと展示してあります。

       
       建物外観           和田標本【写真と略歴】
                 生野鉱物館

   私の住む山梨県関係の標本では
  @乙女鉱山産日本式双晶(両翼40cm)
  A向山鉱山と八幡鉱山産の燐灰石(両錐15cm)
  B黒平産トパーズ(頭付き15cm)
   などなど、垂涎ものが、これでもか、これどもかとばかりに、並んでいます。

   この近くには、蒼鉛で有名な明延鉱山、自然金の中瀬鉱山、山を越えれば鳥取県若桜のヒスイと
  有名な産地が、密集しています。
   後ろ髪を引かれる思いで、この地を後にした。
(4)Nさん宅で旅の最後の夜
   採集を終え、Nさん宅に向かう。娘さんのNさんが、出迎えてくれる。家の中に整理・展示
  した採集品を見せていただく。奥さんが、採集したという20cmを超えるヒスイを
  はじめ、見事な標本に感嘆のため息。
   料理とお酒で、良い気分になり、採集の疲れもあり、翌朝までグッスリ。

6.【いざ、帰りなん】

  翌朝、7時過ぎにNさん宅を辞して、中国道、東名道にのる。このまま帰るのも何だ、となり
 京都南ICで下り、妻の希望で西本願寺、東本願寺を見学する。まだ、昼前なので、「益富地学会館」に
 立ち寄り、標本や文献を購入する。
  再び東名にのり、中央道経由で甲府の自宅に帰りついたのは、17時であった。

7.おわりに

(1)四国や兵庫県での鉱物採集は初めてでしたが、Nさんご夫妻の案内の御蔭で、訪れた産地の
   代表的な標本は余すことなく採集でき、予想以上の成果に大満足です。
   案内していただいたNさんご夫妻と娘さんのNさんに改めて感謝申し上げます。
    鉱物採集だけでなく、観光も十分堪能できた妻にとって、記念となる「真珠婚」だった
   ようです。
(2)千葉県の石友・Oさんからは、35周年の「ヒスイ婚」、40周年の「サファイア婚」を
   目指すようにと、励ましのお言葉をいただいたた。
    これなら、国内で採集可能ですので、これらを採集する記念旅行を目標に、健康に留意し
   頑張ってみようと、考えています。
(3)今回は、ダイジェスト版を作成しましたが、それぞれの産地の産状・産出鉱物の詳報を
   逐次掲載する予定です。
(4)兵庫県や岡山県はじめ中国地方には、まだ訪れたことがない有名産地が目白押しです。
   是非、訪れたいと、考えています。
   その前に、Nさんご夫妻を山梨はじめ関東・東北の産地に案内するのを計画しています。

8.参考文献

1)徳島県地学のガイド編集委員会編:徳島県地学のガイド,コロナ社,2001年
2)永井 浩三編・著:愛媛県地学のガイド,コロナ社,1995年
3)鹿島 愛彦編・著:愛媛の自然をたずねて,築地書館,1997年
4)新居浜市編:歓喜の鉱山(やま),新居浜市,平成8年
5)シルバー生野編:生野銀山史の概説,シルバー生野,平成13年
6)松原 聰:日本の鉱物,学研,2003年
7)益富地学会館監修:日本の鉱物,星美堂,1994年
8)柴山 元彦・宍戸 千春編:関西地学の旅 宝石探し,東方出版,1998年
9)岡本 真琴・工藤 智巳共著:白いヒスイ谷への招待,青山社,2003年
10)砥部町教育委員会編:砥部焼きのしおり,戸部町,平成10年
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