・ 甲斐国 『 甲州金 』
( Gold Coins of Kai Province , Yamanashi Pref. )
このページの”結”の部分で、『・・・幕末になると幕府の許可を得ないで「地方貨」と呼ばれる
多種・多様な貨幣が領内通用を目的に発行され、為政者のおそれは現実のものとなった。
「地方貨」の中には、領内の鉱山で豊富に産する銀・銅・鉛・鉄などで造ったものがあり、今後
調べてみたいテーマの一つだ。』、と書いた。
趣味の一つ、『郵(便)趣(味)』で加入している会から定期的に雑誌などが届くが、最近は切手
だけでは売り上げが減る一方なのか、「古銭」や外国の貨幣なども扱っているらしく、送られてき
たダイレクト・メールに『仙台小槌銀(こづちぎん)』の案内があった。『銀山』と浮き出したルッ
クスに惚れ、欲しいと思ったが価格を見ると諦めざるを得なかった。
それ以来、地方の骨董市などを巡ると気にかけているのだが、領内通用に限定したため発行量
が少ない上に、幕末の一時期だけ発行したため絶対数が少なく、なかなかお目にかかれなかっ
た。
2014年秋、地方の骨董市をのぞくと、『仙台小槌銀(こづちぎん)』が置いてあった。しかも、2枚
もあり、どちらにも「鑑定書」が付いていて、”贋物(がんぶつ)”の恐れはない。
散々迷った挙句、1枚を購入することに決めた。ただ、普段持ち歩いている財布の中身では、
「手付金」にもならず、”ゆうちょ銀行”に走る始末だった。
表の面には、『銀山』の陽刻(盛り上がり)がしてあり、鉱山に関係があるので欲しかった古銭の
一枚だ。裏には”打出の小槌”の図が打刻してありこれが『小槌銀』の名前の由来だ。さらに、
小槌に重ねて「文久」の文字の印刻(凹み)があり、幕末の文久年間(1861年―1864年)に仙台
藩で造られたものだ。
当時の仙台藩領は、現在の岩手県や福島県の一部も含んでいたが、この『小槌銀』がどこで
採掘した銀を使って造られたのかなど興味は尽きない。
これからも、金銀・銅鉛そして鉄山など鉱山にちなむ「地方貨」の現物をできるだけ入手し、調べ
ておきたい。
( 2014年9月入手、10月調査 )
この銀貨は明治維新を6年後に控えた文久2年(1862年)に仙台藩の銀山で鋳造・発行された
と考えられている。
表には、造られたのが銀山であることを示す「銀山」が陽刻してあり、その右に仙台藩を示す
「仙」の文字が印刻されている。
裏には、「文久」が印刻され文久年間(1861年―1864年)に造られたことを示している。「打出の
小槌」の柄(持つところ)の左右に漢字の「ニ」がの文字を陽刻してあり、文久2年に造られたことを
示すと考えられている。
しかし、この「二」は量目(重さ)が2匁(約7.5グラム)を示していて造られたのは、文久3年という
説もある。
この貨幣は、二朱*として通用との説もあるが、一分銀**の量目に近く、豆板銀と異なり重さ
がほぼ一定であることから、一分通用とも言われる。
* 当時造られていた「一朱銀」は、嘉永6年(1853年)から慶応元年(1865年)まで造られた
「嘉永(別称:安政)一朱銀」で、銀の品位は96.8%、一枚の量目は1.89グラム、2朱だと4グ
ラム弱になる。
これに比べ『仙台小槌銀』は2倍以上の重さがあり、半分の価値しかない二朱通用はあり
えないだろう。
** 当時造られていた「一分銀」は、安政6年(1859年)から明治元年(1868年)まで造られた
「安政一分銀」で、銀の品位は87.3%、一枚の量目は8.63グラムだ。
さて上記の案内には、『人気の高い幕末期の逸品で、いぶし銀の輝きを保っているものが多く、
かなりの高品位と想定されている』、なるキャッチ・コピーがある。”かなりの高品位”とはどの程度
なのか、『比重』を測定してみた。
比重の測定による「鉱物鑑定法」を次のページにまとめてあるので参考にされたい。
・鉱物の鑑定法 比重の測定
( Classification of Minerals , Mesurement of Specific Gravity , Ibaraki Pref. )
比重測定だけの目的ではないのだが、以前、0.01グラムまで測定できるデジタル式の電子バカ
リを購入しておいたので、その使い初めを兼ねて、重さと体積を測定し、比重を計算する方法を試
してみた。
重さの測定は説明不要だと思うが、体積の測定は、液体の中に糸で吊るした物体を沈めたとき
液面の上昇分が物体の体積になることを利用する。液体の重さの増えた分を液体の比重で割れ
ば体積が計算できる原理だ。液体として身近にあり、しかも比重が1.0の”水”を使えば計算も簡
単だ。
測定の様子を下の写真に示す。電子バカリには、容器の重さなど「風袋(ふうたい)」を測定値か
ら差し引く、「TARE」ボタンが付いているので水を入れた容器をハカリに載せたときに「TARE」ボタ
ンをおして”ゼロクリア”しておけば、液面の上昇分(=体積×液体の比重)だけ測定できる。
測定の結果、次のような値を得た。
仙台小槌銀の重さ:8.66グラム
液(水)面の上昇分の重さ:0.84グラム
∴ 体積=0.84立方センチ
∴ 比重=8.66/0.84=10.31
こうして『比重』がわかると『品位(銀の純度)』が知りたくなる。”かなりの高品位”では済ませら
れない困った性分だ。
『仙台小槌銀』が造られてからおよそ10年後の明治初期の金貨や銀貨には10%、あるいは20
%の銅(Cu)が含まれていた。『仙台小槌銀』も銀と銅の合金だと仮定して銀の純度を計算してみ
る。
銀の比重:10.49
銅の比重: 8.82
銀の純度を x とすると、次の(式1)が成り立つ。
10.31=10.51x+8.82(1−x) ・・・・・・・・・(式1)
x = (10.31−8.82)/(10.49−8.82) = 1.49 / 1.67 = 0.892
つまり、銀の純度は 89.2 % となる。当時、安政6年(1859年)から慶応元年(1865年)に造ら
れていた秤量貨幣の「安政丁銀・豆板銀」は銀の純度が13.5%と劣悪で、銀貨と呼ぶのが疑問
視される代物だった。
これらに比べれば、”かなりの高品位”と言えるが、「嘉永一朱銀」の銀品位は96.8%には及ば
ず、「安政一分銀」の銀品位の87.3%と同等と見るべきだろう。
量目(重さ)や品位などからみて、『仙台小槌銀』は、「安政一分銀」と同等の価値を意識して造
られたのでないだろうか。
『仙台小槌銀』は幕府が同じ時期に造っていた通貨に比べて非常に手が込んでいて、一つひと
つ丁寧に造られている。さらに、私が入手したものも含め、現存するものは磨耗の少ないものが
ほとんどだ。
このようなことから、『仙台小槌銀』は市中で庶民が使った「流通貨」ではなく、何らかの祝い事
を記念して造った「祝鋳貨」だと考えられている。ただ、その目的は不明だ。
・ 鉱山札の研究 「文久山鉄山札」
( Study on Mine Note "Bunkyuyama Iron Works Note " , Iwate Pref. )
仙台藩とその周辺にあった銀山を地図上にプロットしてみた。これらのどこかの銀山で採掘した
銀が『仙台小槌銀』に加工されたはずだ。
仙台領内にあった銀山で当時稼動していたのは「細倉鉱山」と「半田銀山」だった。半田銀山は
生野(いくの)、相川(佐渡)と並らび三大銀山と称されたが、元治年間(1864年)まで幕府直轄で
除外する。
可能性として高いのは、栗駒山地の麓にあった「細倉鉱山」だろう。文化・天保(1807年−1843
年)に盛んに鉛と銀を採掘し、坑道の数33と言われた鉱山だった。
もうひとつ、羽後(秋田県)にあった「院内銀山」だろう。当時の鉱山の様子は院内銀山に住んだ
医者であり宿屋の亭主であり、さらに手代(鉱山経営の役員)でもあった門井養安の眼を通して
次のページで紹介した。
・ 鉱山札の研究 院内銀山久保田会所札
( Study on Mine Note , Innai Silver Mine Note , Akita )
最近では、貨幣に含まれる不純物の砒素(As)、硫黄(S)、リン(P)、カドミウム(Cd)などの量や
それらの同位体(原子番号は同じだが、中性子数[質量数 A - 原子番号 Z]が異なる核種)の比
率などから原料の産地を推定する技術が進んでいるが、甘茶の私はあれやこれや考え合わせて
みると「細倉鉱山」に落ち着く。
マッサンとエリーの馴れ初めのエピソードが放映された。スコットランドに留学していたマッサ
ンはエリーの家のクリスマスパーティに招待され、ケーキの中に忍ばせた「6ペンス銀貨」を、
エリーは「指貫」を引き当てた。
イギリスでは古くから結婚式で「6ペンスコイン」が”幸せのコイン”として使われてきた。 結婚
式の時に、「花嫁は左の靴の中に」、「新郎は胸ポケットに」入れて使うらしい。
スコットランドでは、『銀貨を引き当てた男と指貫を引き当てた女は結婚する運命にある』、と
いうことでマッサンとエリーは結婚することになる。
日本では、真田のように6枚の文銭を『六文銭』として旗印にした武将もいたし、現在でも葬
儀の棺おけの中に6枚の文銭を入れる風習が残っているところもあるようだ。
このように、洋の東西を問わず、貨幣(コイン)はわれわれの喜怒哀楽と密接に繋がっている
ようだ。幕末、日本各地で『地方貨』が発行されている。それらを少しずつ紹介したいと考えて
いる。
(2) 『秋のミネラル・ウオッチング』
春と秋に開催している恒例のミネラル・ウオッチングが近づいてきた。私のHPを見て頂き、
産地の情報を提供したり、案内して差し上げた人たちと春と秋にミネラル・ウオッチングを開催
するようになって16年目を迎えた。
今回は、『水晶に始まり・・・・・・』をテーマに参加を呼びかけたところ、早々と予定の人数に
達した。数年ぶりに参加する石友や初めて参加する家族もいて、おおぜいの石友とお会いす
るのを楽しみにしている。
先週は、定宿の「湯沼鉱泉」社長と下見も済ませた。社長、お姐さん、川上犬、そして「○茸」
が待っている。