それらの中で、特に私の眼を引いたのは、”長脚鏃(ちょうきゃくぞく)”、と呼ぶ石の鏃(やじり)
だった。五無斎が「長野県地学標本」120種の中に加えようと思った気持もわかるし、数多くの石
器を見ていた藤森 栄一をして、『こんなに美しい色と線をもった標本は、なかなか見られるもの
ではない』、と言わしめてほどだ。
”Mineralhunters”の性(さが)で、このような美しいものを見ると、”採集してみたい”という気が
起きた。しかし、曽根(ソネ)遺跡は諏訪市史跡と長野県の重要遺跡にも指定されているので、
私のような”甘茶”に採集を許されるはずがない。
仮に許されたとしても、遺跡は水深2m以上の水の中で、悪いことに、昭和50年代の豪雨で土砂
が流れ込み遺跡の上に厚く堆積してしまい、昔のようには採集できないとも聞く。
こうなると、”自分で作るしかない”、との結論に達するのに時間はかからなかった。以前、いろ
いろな石材を使って石鏃作りに挑戦し、さほど難しくないことをHPに載せた。
・ 石器作りに挑戦
( Challenge Making Stone Implement , Yamanashi Pref. )
”長脚族”の鏃(やじり)を見ると、細長い脚が折れないように、”抉り(えぐり)”と呼ぶ、矢を固定
する凹(へこ)みをつけるのがポイントだと直感した。
前回使った、『石割りペンシル』だけでは難しそうで、適当な工具がないか探していた。ある日、
骨董市を訪れ、雑多な品の入った箱の中から、柄の短い”錐(きり)”のようなものを探しあて、
”これだ!”と思い、買ってきた。
こうして、道具が揃ったところで、石器づくりだ。諏訪市博物館の図録の写真にあったうちの1つ
を手本にして、作り始めた。正直なところは、手持ちの剥片で作れる一番大きなものがこれだった。
30分ほどでそれらしい形になった。考古学に携わっている妻に見せると、「良いんじゃない」、と
誰かの口吻(こうふん)に似てきた感想だ。
最近の発掘調査の結果、『長脚鏃』は、滋賀県から群馬県と広い範囲で発見されている。どこ
からどのように技術が伝播したのか、など興味は尽きない。
( 2013年11月 体験 )
まず、茎(なかご)の有無で2分類する。茎(なかご)とは、植物の茎(くき)のように葉っぱを支える
”機能”からきた名称のようだ。日本刀で柄(つか)と呼ぶ握り部分に隠れていて銘などが切って
ある刀身部分を茎(なかご)と呼ぶのと同じ意味だろう。
茎の有るものを「有茎(ゆうけい)」、無いものを「無茎」と呼ぶのは、学者間でも共通しているよ
うだ。
「無茎」のものは、尖った先端を上にして三角形に見立てたとき、底辺に相当する「基部(きぶ)」
に「抉(えぐ)り」と呼ぶ凹みの有無とその深さによって、「三角」、「無茎」そして「長脚」と3分類す
る。
三角形の左右の斜辺を「側縁部(そくえんぶ)」と呼び、「側縁部」と「基部」がなす尖った部分は
獲物に刺さった鏃が抜けないように「返(かえ)し」の”機能”を持っている部分で、「翼(よく)」ある
いは「脚(きゃく)」と呼ぶ。「有茎鏃」でも、この部分は「翼」、と呼ぶらしい。
「翼」あるいは「脚」の長いものを『長脚鏃(ちょうきゃくぞく』、と呼ぶのだが、何ミリ以上、とかは
決まっていないようだ。
便宜的だが、ここでは”三角形の高さの40%以上まで、抉りが入っているものを『長脚鏃』”、と
しておく。
( 上の写真の諏訪市博物館蔵・長脚鏃は、高さの約41%まで抉ってあり、図録 3) でみると
35%くらいから55%くらいまでありそうだ )
話はそれるが、尖頭器(石槍)の場合、「茎」に相当する部分を「舌(ぜつ)」、とも呼ぶようだ。
(1) 卦書(けが)き
最初に剥片の上に最終仕上がり形状を書いておく。諏訪市博物館の図録 3) の「長脚鏃」
の図上に黒曜石の剥片を置き、なぞって写す。この作業を「卦書き」と呼ぶ。愚考するに、
”毛”のような細い筆で下書きした、ところから来たのではないだろうか。
4.2 完成した『長脚鏃』
下の写真に完成した『長脚鏃』を示す。所要時間は、30分弱だった。
石鏃の長さ19m弱で「抉り」の深さが8mmあるので、8/19≒42% > 40% で、『長脚鏃』の
定義をなんとかクリアした。
過去に観察した石鏃の記事を読みなおしてみると、2010年3月、はじめての石器観察で、
八ヶ岳の麓・川上村の旧石器遺跡を訪れたときに、案内役のYさんが恵与してくれた石鏃は
『長脚鏃』に近いものだ。
時代的には、旧石器時代の人が作ったものではなく、縄文時代の人が放つた矢に付いて
いたものだろうが、諏訪湖から「曽根(ソネ)人」が狩りに来たのか、『長脚鏃』作りの技術が
この地にも伝播(でんぱ)してきていたのか、など興味は尽きない。
(2) 次なる挑戦
今回、『長脚鏃』の手作りに挑戦した。何とか、それらしい形にはなったが、次のような課題
(問題点の政治家的言い回し)を抱えていると自覚しており、これらの改善が今後の目標だ。
・ 洗練された形
諏訪市博物館の図録 3) にある『長脚鏃』は、「脚」が細いのだ。それに反して、自作し
たものは”ズングリ”して、まるで私の体形そのものだ。
もっと洗練された形にせねば、と考える。
・ 使用工具
今回、狭い箇所を抉るため、鋼鉄製の”錐”を使った。石器→青銅器→鉄器の順に文明
が発達したのは周知のとおりで、銅線すらなかった石器時代のものを”鋼”で作って”でき
た!”、と言うのは聊(いささ)か気が引ける。
今後は、”鹿の角”など、当時の人々が使ったもので作らねば。
・ 違う種類の石材
冒頭に、藤森 栄一が曽根(ソネ)遺跡の『長脚鏃』の美しさを誉めたたえた言葉を引用
したが、単に形(線)が独特なだけでなく、赤、蒼緑、灰そして黒とバラエティに富んだ色彩
の豊かさが曽根(ソネ)の石鏃の特徴だろう。
色は石材の種類で決まってしまうので、次回は石材を変えて挑戦してみたいものだ。