「山家鳥虫歌」にみる石と鉱物

1. 初めに

    産地情報を差し上げたり、フィールドを案内した私のHPの読者とミネラル・ウオッチングを
   開催するようになって13年目を迎えた。
    開催を楽しみにしてくれている、北は北海道から西は兵庫県の常連さんも多い。参加者の
   行動や発言を観察していると、何となく地域性・県民性が感じられる。それを自覚しているのか
   兵庫のNさんの口から『 関西のオバハンは、・・・・・ 』、なる発言を聞いたことがある。

    そんなこともあって、それぞれの県民性研究書の嚆矢(こうし)ともいえる『人国記』をもとに
   『水晶・石英名考』を次のページに載せた。

   ・「人国記・新人国記」にみる「水晶・石英」名考
    ( Study on Naming of Rock Crystal and QUARTZ
         based on "Jinkokuki & Shinjinkokuki ", Yamanashi Pref. )

    2012年12月、ミネラル・ウオッチングのストーブ・リーグがスタートした。以前「人国記」のペー
   ジを編む時に読んだ、江戸時代に全国の民謡を編纂した「山家鳥虫歌」を読みなおしてみると
   「人国記」からの引用と思われる国別(都府県別)の人情・風俗のほかに、石や鉱物に関する
   記述があるのに気付き、改めてまとめてみることにした。

    それぞれの国の人情・風俗の記述と石友の顔を重ねながら読んでいると、ついつい時が経つ
   のを忘れてしまう。
   ( 2012年12月 情報 )

2. 「山家鳥虫歌(さんかちょうちゅうか)」とは

    私が入手した岩波文庫本は、「山家鳥虫歌 - 近世諸国民謡集 - 」、と副題が付いている。
   愛読書を一覧にしたリストをみると、価格は郵送料を含め580円だった。

    この本は、天中原(あめのなかはら)長常南山が明和八辛卯(かのとう)冬に書いた、と「山家
   鳥虫歌序」にある。この本が出版されたのは、明和9年(1772年)だったらしい。
    明和8年(1771年)は、田沼意次が権勢をふるった別名・田沼時代とも呼ばれる時期で、徳川
   幕府の屋台骨に歪(ゆがみ)が出始めた時でもあった。
    著者・天中原長常南山の本名は中野得信で、河州大井村(現大阪府)に居住したことは知ら
   れているが、生没年を含めその事跡は伝えられていない。

    しかし、南山自身が書いた文章を子細に調べてみると、彼は近世に良く見られる随筆家・考
   証家型の博覧・物知りとやや違った、理学者あるいは科学者タイプの人物ではなかったかと推
   測される。

    この本の題名(タイトル)の由来については、自序にある次のような文から来ているのだろう。

    『 ・・・・山々里々に稲刈り麦搗(つ)くことわざ、声面白く諷(うた)ひなす賤(しず)の女の一節
     如何なる故の心にやあらんと耳を傾(かたぶけ)ても、その心分(わ)かち難く、故に尋ねて
     筆に記し、その風俗を見れば・・・・・・・・・・・・・あわれに思はるゝ其の言の葉、誰(た)れが
     云(い)ひなしたたらんとも知らず、世の風俗として、花に啼く鶯、水に住む蛙の声いづれか
     歌を詠(よ)まざらんと古事に有るよしして、山家鳥虫歌と名付けて、其のところどころの国風
     (くにぶり)も知られべきやと集むるもの也。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・            』

    この本は、各国の歌謡を集めた中にその国々の人情・風俗を短評しているのが特徴だ。南山
   自身が各国を旅して得られた感想を書き記したものではなく、伝聞にもとづくもので、「人国記」
   に拠(よ)る点が大きい。

3. 「山家鳥虫歌」

    この書の最初にでてくる歌謡は、畿内五国の内の山城国風(くにぶり)にある、
   『 めでためでたの 若松様よ 枝も栄える葉も茂る 』 、である。
    この詞は、今でも代表的な民謡の1つ、山形県の花笠音頭の歌いだしとしてご存知の方も多
   いはずだ。

    この本に記載された民謡は、「諸国盆踊歌」などをはじめ、伝えられた写本を抜き書きした、と
   考えられ、面白みも少ないので省略させていただく。
    ここでは、各国の人情と石・鉱物についての部分を抜き書きしてみた。皆さま、何となく、
   ”心当たり”はありませんか。

  地  域  国 現在の都道府県      人情・風俗・伝説
畿内五国 山城 京都府   
大和 奈良県  銅(あかがね)は山の子にして
山は銅の母とうけ給はる。
 陰陽の気類をいへば、子と母とは
相感ずべし
河内 大阪府  大和・河内の境に
二上山(ふたかみやま)と
云うあり。
 麓に雲母(きらら)多くあり
雲母は水気にて、この山に霧立ちのぼり
雲合へば雨降る故に、
二上山に雲集まれば雨降ると
所の者云ふは、
陰陽相和し同気求むる故なり。
雲母と書くはこの故なり。相感ずる事は
前に出づる。
和泉 大阪府  
摂津 大阪府・兵庫県  この国東成郡林寺(はやしじ)村と
いふ所に、鳥虫の類石の上にとまれば
頂2つに割れて口を開き、落とし入れて
また元の如し
蛙の物を呑むに似たり
よって蛙石と云ふとなり。

 又河条国金遼山の廟に亀石あり。
 人食に尽きぬれば、此の石に向い礼をなせば
飲食悉(ことごと)く出づと、
三才図会に出(いで)たり。
 蛙石は物を呑む、亀石は穀を吐く
一気なるによりさもありなん。
訝(いぶかし)とて或る人
林寺村に行き尋ねしに、人家の藪中に蛙石あり
 古(いにしえ)は口を開けし由、今は
その事なしと云えり。

東海道十五国 伊賀 奈良県 伊賀の国風伊勢と同じ
伊勢 三重県 婦人のかたち山城と伊勢を第一と
すなり。
 
志摩 三重県 志摩国、古は伊勢と同国なり。
尾張 愛知県 国風実義あり。爽やかにして良き
風なり。
参河 愛知県 三河遠江とも虚談少なく、女も健気に
恥を知る風といふ。
遠江 静岡県
駿河 静岡県  遠州と同じきうち取締りなき風といふ。
甲斐 山梨県  甲斐の国、南に富士を覆うて気籠り
鋭なり。
伊豆 静岡県  伊豆の国は、気強くして清き心あり。
相模 神奈川県  相模の国は、淫風多き所といふ。
武蔵 東京都
神奈川県
埼玉県
 武蔵の国、心広く奢りの気ありと
いふ。
安房 千葉県  安房の国は心鋭なり。
上総 千葉県  上総の国、安房と同じ
下総 千葉県  下総の国、上総と同じ
常陸 茨城県  常陸の国風気よろしからず。病を
もって死せざるを誉とする
風なり。
東山道八国 近江 滋賀県  近江の国風、言葉柔らかにして
善を選ぶ心あり。
美濃 岐阜県  美濃の国、心柔らかにして良き
風なり。
 此の国月吉村と云ふ所に
長さ1、2寸ばかりある、薄白き
法螺貝の如き月糞(げっぷん)という石あり。
 同所岩村田の辺に星糞(せいふん)と云うものあり。
 上天の星は末代変わらず、流星は
地中より出づる陽気にて空へ上がり
冷際(れいさい)と云ふ大寒の所あるにあたり、
擦れて光を発し、落つるものを流星と
名づけいふなり。
 土中の陽なるゆゑ、土気を含み上る。
大なる流星は地まで火光届く
 燈火(ともしび)の芯あるが如く、陽は
発し土気は固まりて、黒き焼石の
如きもの地へ落つる。
 これを星糞といふなれば、岩村(田)に
限りてあるとはいぶかし。
飛騨 岐阜県  飛騨の国の人の心狭し。他に
漏るる気なき故なり。
信濃 長野県  信濃の国心健やかなる風なり。
上野 群馬県 上野の国は物に臆する事なき風なり。
軒端(のきば)の雀と云いし
により・・・・・・・・・・・
下野 栃木県  下野・陸奥は言葉訛り多しという
訛ると云う事、五音四声の分ちを
知る時は無き筈なるを、四声の
考へなくして妄りに言葉を
使う故なり。
陸奥 東北各県  陸奥・出羽の風俗、民家に子を
ぶっかへすというて、三才の
比(ころ)父母これを溢(くびり)
殺す。
 人これを怪しまず。
 夷狄の如くありしに、
仁風及び、今其事なしといふ。
出羽 山形県  
北陸道七国 若狭 京都府  若狭の国利発にして弁舌よしといふ。
越前 福井県  越前の国邪知あれども淫風なき
国と云ふ。
 淫風を行はるると物の怪(け)を
なす事さまざまあり。
加賀 石川県  加賀の国身を密かに持ち、他へ
出づる事を好まず。宜しき風なり
能登 石川県  能登の国、主人つれなく使ふと
いへども、外へ行く心なき風なり。
越中 富山県  越中の国智ありて、侫(ねい)の
ある所なり。
越後 新潟県  越後の国勇気を励ます気性あり。
佐渡 新潟県  佐渡の国越後に等し。
山陰道八国 丹波 兵庫県  此の国都に近く其風を倣(なら)い
とりわけ婦人の風締りなし。
丹後 京都府  丹後の国悪しき風なれども、今は
善に化すと云ふ。
但馬 兵庫県  但馬は丹後に同じ。府中には
淫風ありと云ふ。
因幡 鳥取県  因幡・伯耆は善心あれど荒き心
にて変じ易き所と云ふ。
伯耆 鳥取県
出雲 島根県  出雲は仏神に祈りて加護を頼みと
する風なり。
石見 島根県  石見の国丹後の国と同じ。銀山の
風うつりて淫風あり。
隠岐 島根県  隠岐の国実義にして頼みある風なり。
山陽道八国 播磨 兵庫県  播磨智ありて事を図る心あり。
美作 岡山県  美作邪智恵あり。しかれども
化(くわ)しやすき風なり。
備前 岡山県  備前男女とも人を蔑(さげし)む心
あり。
 今は風義宜しとなり。
備中 岡山県  備中偽善と同じ。
備後 広島県  備後実義なれども愚痴にして事
届き難しといふ。
安芸 広島県  安芸一分を守る風なり。
周防 山口県  周防気性速やかにそて義の薄き
所と云ふ。
長門 山口県  長門人の音声下音にて、応対する
に答鈍き風といふ。
南海道六国 紀伊 三重県  紀伊実義薄き所と云ふ。
淡路 兵庫県  淡路気健やかにして偽(いつわ)りなしといふ。
阿波 徳島県  阿波鋭(するど)にして智あり。意地
強き所といふ。
讃岐 香川県  讃岐気質弱く、邪智の人多しといふ。
伊予 愛媛県  伊予気柔らかにして実義ありといふ。
土佐 高知県  土佐の国気質素直なり。鳥獣にも
風の移るものにや、此の国の
猿は素直にして芸を躾(しつ)
くるによきといふ。
西海道九国
並二島
筑前 福岡県  筑前酒色を好む人多しといふ。
筑後 福岡県  筑後の国筑前と同じ。言語(ことば)
に飾る事なき風なり。
豊前 大分県  豊前義を捨てて利を取る心あり。
豊後 大分県  豊後偏屈なる所といふ。
肥前 長崎県  肥前勇気にして温和の心なし。
肥後 佐賀県  肥後不義を憎む風
日向 宮崎県  日向鋭にして死を恐れず危うき風
大隅 鹿児島県  大隅義なく死を致すはずと心得、
おとなしからざる風なり
薩摩 鹿児島県  薩摩大隅と同じ
 この国に限らず諸国とも淫祀を祀る。
壱岐 長崎県  壱岐遠島なれども華奢なる事、
大隅・薩摩にまさる。
対馬 福岡県  対馬壱岐と同じ。

4. 「山家鳥虫歌」の石と鉱物

    この本には、いくつかの石と鉱物が登場する。これらについて、少し調べてみた。

 4.1 雲母(きらら)
      二上山の麓に産する雲母の条を読むと、木内石亭の「雲根志」を連想する。石亭は全国か
     ら集めた石・鉱物・化石などの標本をその形態や由来などによって分類し、それぞれに挿絵
     を加えて解説している。
      石亭が『雲根志』前編を発行したのは安永2年(1773)年で、「山家鳥虫歌」が出版された
     1年後だったところから、石亭に影響を与えた可能性もある。

      「雲根志」の書名の由来ともなったのは、『雲根』とは、中国の古語で、「雲は石間より生ず
     る」、つまり 空気中の水蒸気が冷たい石に触れることで水滴となることから雲の基(根)であ
     ると考えられた「石」を意味した。

      「山家鳥虫歌」には、『雲母(きらら)』は、「雲母は水気にて、この山に霧立ちのぼり、雲合
     へば雨降る故に、・・・・・・・」、とあるように、雲(霧)の生みの親(母)、という考えだったよう
     だ。

      草下先生の「鉱物採集フィールド・ガイド」には、『この山(二上山)を一帯を形造っている
     黒雲母安山岩の中には、・・・・・・・青色の鋼玉が多少含まれている・・・・・』、とあるように
     黒雲母がある。

      二上山近くの川の「サファイア」を求めて、奈良の石友・Aさんに案内していただき行ったこ
     とがあった。
      持ち帰った土砂をパンニングしたが、「サファイア」しか眼中にない私にとって、「黒雲母」は
     目に入らなかった。採集方法を誤り、1粒もサファイアは採集できなかった。結局、奈良の石
     友・Yさんがあらかじめ選鉱した土砂を送っていただき、念願の「サファイア」を手にすることが
     できた。

     ・奈良県穴虫のサファイア(鋼玉) その1
     ( Sapphire (CORUNDUM) from Anamushi - Part 1-, Nara Pref. )

 4.2 「月糞」と「星糞」
      石亭は明和4年(1767年)2月に、岐阜県瑞浪市月吉を訪れ、この地で「月珠(つきのたま)
     俗に「月のお下がり」、と呼ばれる『玉髄化した巻貝(ビカリヤ・カローサ)の化石』を「雲根志」
     に載せている。

      「山家鳥虫歌」には、「月糞(げっぷん)」と記されているが同じものだろう。

        
          「月のお下がり」
         【「鉱物」から引用】

      しからば、『星糞』とは何だろう。「山家鳥虫歌」には、『 同所岩村田の辺・・・』に産する、と
     ある。『同所』は、前文を受け、美濃の国(現岐阜県)を指すはずだが、岐阜県には岩村田と
     いう地名を見いだせない。
      逆に、『星糞』、という地名を探すと、長野県の長和町に「星糞峠」なる地名があり、佐久市
     岩村田のすぐ近くだ。

        
                    「星糞峠遺跡」地図

      星糞峠近くにある、「黒耀石体験ミュージアム」のHPを閲覧すると、「星糞という言葉」の記
     事が載っている。「人の手が加わって割れた黒耀石のかけらは、光をあびてキラキラと輝く。
     この黒く半透明の輝く石を、いつの頃からか、人は『星糞』という素朴な名前で呼び親しんで
     きた」、とある。
      同時に、「江戸時代の会津藩の古文書の中に、黒耀石を方言で『星糞』とも呼んでいると
     いう情報が寄せられた」、ともある。

      つまり、『星糞』とは、古代人が石器の材料として黒曜石を掘り出したり、加工したときに生
     まれた剥片を指しているようだ。

        
                「星糞」【黒曜石剥片】

5. おわりに

 (1) 『星石』
      2012年の冬は例年になく厳しく、雪国では記録的な大雪のようだ。暖かいはずの房総半
     島だと思っていたが、今朝、半島南端の館山でマイナス1.5℃を記録したというニュースには
     驚いている。

      寒くなると、フィールドに出るわけにもいかず、石友・Mさんに言わせると『ストーブ・リーグ』
     の開幕だ。
      今まで買い集めた古書が室内、枕元にうず高く積んである。片っぱしから、寝る間も惜しん
     で(単なる言葉の綾)読んでいるのだが、なかなか山は低くならない。

      山梨県甲府市に『酒折宮(さかおりのみや)』があり、ここが『連歌(れんが)発祥の地』、と
     知っておられる読者には日本の文学・歴史のマイスターの称号が贈られるかもしれない。

      今、犬飼和雄氏の「赤烏鳴考 -古代甲斐国論考-」を読み進めている。折りしも、2012年は
     「古事記」が編纂されて1300年にあたっている。
      「古事記」の中に、倭建命(やまとたけるのみこと)と御火焼之老人(みひたきのおきな)が
     酒折宮でつぎのような問答を交わした、と漢字で表記されている。

      倭建命 『邇比婆里 都久波袁須疑弖 伊久用加泥都流』
      老人   『迦賀那倍弖 用邇波許佳能用 比邇波登袁加袁』

      現在の表記では、つぎのようにされている。

      命   「 新治 筑波をすぎて いく夜か寝つる 」
      老人 「 かがなべて 夜には九夜 日には十日を 」

      倭建命は、常陸国(現茨城県)の新治、筑波から足柄(現神奈川県)の坂本を経て甲斐国に
     入ったとされ、従来、命の問いに老人が答える問答歌(連歌)として、次のように解釈されて
     いた、ようだ。

      命  「 新治 筑波を過ぎて幾夜寝ただろうか 」 、と問うたのに対して、
      老人 「 数えてみれば 九夜と十日 になります 」 、と答えた。

      犬飼氏は、これは単なる『日数当てクイズ』、ではなく、老人(古代甲斐国の支配者)が倭
     建命が代表する大和朝廷に降伏した一場面を記録している、と述べている。

      古代中国王・尭(ぎょう)のとき、『十日(10個の太陽)並び出て、草木焦枯す 尭、げい[羽
     の下に廾]に命じて、仰いで射しむ その九日(9つの太陽)に中(あた)る 日中の九烏皆死
     し、その羽翼を堕(おと)す 』 、とある。

      われわれが月に「餅をつく兎」を連想するように、尭・げい神話では、太陽を象徴しているの
     は3本足の赤い烏(からす)とされている。
      日本サッカー協会のシンボルマークも神武東征の折、道案内をしたとされる3本足の烏・
     『八咫烏(やたがらす)』だ。

      酒折宮の問答歌は、甲斐国を含め、10個もあった太陽を崇拝する古代国家のうち、9ケ国
     が大和朝廷に滅ぼされたという事実を伝えるものだと犬飼氏は解釈している。

      赤い烏に関連する遺物が甲斐国・山梨県に残っていると「赤烏鳴考」にある。赤烏(せきう)
     元年の銘がある銅鏡が山梨県から出土し、そのレプリカが三珠町(現市川三郷町)に保存
     されている。本物は東京上野の国立博物館に収蔵されているらしい。

      明治27年(1894年)、山梨県旧三珠町の鳥居原の狐塚古墳から「赤烏元年5月25日」の
     銘がある銅鏡を塩島某が掘り出した。その後、塩島家には不幸が訪れ、銅鏡の祟り(たたり)
     と考え、地元・市川大門町の一宮神社に奉納した。

      「赤烏元年」は、三国志の主役の一人・孫権が建てた呉の国の年号で、西暦238年である。
     覇権を競った魏の年号では景初2年にあたる。翌年、景初3年(239年)、倭の女王・卑弥呼
     が魏に朝貢したことが「魏志倭人伝」にある。
      つまり、卑弥呼が魏と同盟関係にあったとき、魏に敵対する呉の銅鏡が甲斐国(山梨県)に
     もたらされるルートがあったとも考えられる。
      ( もちろん、鏡が日本で作られた可能性や、後世、山梨県に運ばれ埋められた可能性も
        否定できない )

      2012年12月、山梨に戻ったとき、旧三珠町の歌舞伎文化公園にあるお城を模した「ふるさ
     と会館」2階の「考古資料室」を妻と訪れた。市川団十郎家発祥の地であることを記念して建
     てられた「文化資料館」との共通入場券が500円だ。
      遠くに雪に覆われた八ヶ岳や南アルプスを望む冬枯れのこの季節も味わいがあるが、園
     内に植えられた2,500本の牡丹(ぼたん)【市川家の裏家紋】の花が咲き誇る4月下旬には
     大勢の観光客が訪れるようだ。

      『呉赤烏元年銘神獣鏡』、というのが正式な名称で、昭和8年7月25日に国の重要文化財
     の認定を受けた。直径は12.55センチの小さなものだ。

           
                   全体                         銘文
                             『呉赤烏元年銘神獣鏡』

      鏡の周りには次のような文字がある。

      『 赤烏元年五月廿五日丙午造作明竟百凍清銅・服者君候宣子孫・寿万年』

      この文は、次のように解釈できる。

      『 せきうがんねん ごがつにじゅうごにち ひのえうま の日に ひゃくたびきたえた
        じゅんどのたかい銅で くもりのない鏡を作った
        これをもつものは くんこうとなり しそんは よろしく ことぶきまねん におよぶ 』

      犬飼氏の「赤烏鳴考」には、旧八代町に長さ1.5m、幅5、60センチの角柱状で、表面に
     20個あまりの星が刻まれているところから『星石』、と呼ばれる石がある、との記述がある。
      訪れてみたいと思ったのだが、場所がわからず、またの機会になりそうだ。

 (2) 県民性
      私は、中国(旧満州)で生を享(う)け、九州(肥前国)で生まれ、東北地方(陸奥国)で
    幼少期を過ごし、北関東(常陸国)で育ち、首都圏(武蔵国)で勉学・仕事に励み一家を構え、
    平成になると同時に山梨県(甲斐国)に転勤し、その後も転々と動いた挙句、現在は千葉県
    (下総国)に単身赴任している。
      私の県民性がどこで形成されたのかは定かではない。ただ言えることは1つだ。

     『人間いたるところ青山あり』 

6.参考文献

 1) 益富 寿之助:石 1 昭和雲根志,六月社,昭和42年
 2) 浅野 建二校注:山家鳥虫歌 −近世諸国民謡集−,岩波書店,1984年
 3) 益富 寿之助:鉱物 −やさしい鉱物学−,保育社,昭和60年
 4) 浅野 建二校注:人国記・新人国記,岩波書店,1987年
 5) 岩中 祥史:出身県でわかる人の性格 県民性の研究,草思社,2003年
 6) 犬飼 和雄:赤烏鳴考 −古代甲斐国論−,創文社,2004年
 7) 市川三郷町編:歌舞伎文化公園パンフレット,同町,2012年


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