埼玉県立自然史博物館 特別展「石の用と美」

             埼玉県立自然史博物館
             特別展 「石の用と美」

1. 初めに

   埼玉県長瀞は、東京から近いこともあり、昔から、地質学の研究フィールドに
  なっていた。
   その結果、長瀞式変成岩などに代表されるように地質を研究する基準がつくられた
  場所でもあり、日本の地質学発祥の地と言われる所以である。それを記念して
  建てられた埼玉県立自然史博物館が荒川のほとりにある。

    「日本地質学発祥の地」記念碑【博物館の前】

   博物館の常設展示として、秩父鉱山のコーナがあり、「ひも状自然金」はじめ、「車骨鉱」
  「ブーランジェ鉱」など秩父鉱山ならではの標本が展示してある。
   2005年10月、約3年ぶりに訪れると、「石の用と美」という特別展を開催していたので
  入館し、11月にも確認したいことがあり再訪した。今回は、展示図録も販売していたので
  購入した。
   特別展は、12月4日(日曜日)まで開催しています。
   開館時間:9:00〜16:30(入館は、16:00まで)
   入館料  :大人100円、学生・高校生50円、65歳以上・中学生以下無料
   休館日  :月曜日(祝日・振替休日の場合開館)
          祝日・振替休日の翌日(土曜、日曜の場合開館)

  ( 2005年10月訪問、2005年11月再訪 )

2. 場所

   秩父鉄道「上長瀞駅」から約200m熊谷寄りに博物館がある。国道140号線沿いに
  大きな表示が出ているので迷うこともないと思う。
    埼玉県立自然史博物館

3. 展示内容

   常設展示と特別展示があり、特別展示は限られた期間のみ開催されるので、博物館の
  HPなどを時々ウオッチしていないと、見逃すことになります。

 3.1 常設展示
    入口正面には、「秩父ヒスイ」の大きな塊が展示してあり、このところ”ひすい”づいている
   私たち夫婦の眼を否が応でも惹きつけます。

    秩父ヒスイ

    常設展示には、生物展示と地学展示があり、地学関係は、鉱物、岩石、地層、化石が
   年代の古いほうから新しい方へと順に並べられ、埼玉県の3億年の地質年代を概観できる
   仕組みになっている。
    特に、鉱物関係では、坑道を模した秩父鉱山の展示コーナがあり、ここで産出した
   代表的な鉱物標本を見ることができる。

       
           全体            鉱物標本
                秩父鉱山展示コーナ

秩 父 鉱 山 産 の 鉱 物

 鉱物名  化学式    説       明   観 察 品  備  考
自然金
(Native Gold)
  Au紐(ひも)状で閃亜鉛鉱の
上に伸びる
   
糸状で長いものは
10cmに及ぶ
   
ブーランジェ鉱
(Boulangerite)
Pb5Sb4S11真っ黒い毛状毛鉱との区別?
車骨鉱
(Bournonite)
CuPbSbS3方鉛鉱の結晶が
反復双晶をなし
車骨(歯車)状に見える
  
藍銅鉱
(Azurite)
Cu3[(OH)2|CO3群青色の粒状  
鉄斧石
(Ferroxinite)
Ca2(Fe'',Mn'')
Al2B[OH|O|
(Si2O7)2]
結晶の形が
”斧”の刃に似る
  

    このほか、「硫砒鉄鉱」をはじめとする硫化鉱物、「クリントン石(古いザンソフィル石の名前で
   出ている)」「ベスブ石」などのスカルン鉱物、そして「白鉛鉱」などの2次鉱物も展示されており
   秩父鉱山産の立派な標本を見ることができる。

 3.2 随時展示
     入口正面には、” 大地の華 ”と題して、某氏の収集鉱物がシリーズで展示されています。
    前回2005年10月に訪れた時には「魚眼石」、そして今回は、「秩父鉱山産方解石」が展示して
    あり、このシリーズは続くようです。

    @ 水晶
    A 魚眼石
    B 方解石 (〜2005年12月)
    C 結晶形 (〜2006年年3月)

    大地の華

       
          菱面体群晶           犬牙状集合
                  秩父鉱山産方解石

4. 特別展 「 石の用と美 」

   2階の一角を使い、「 石の用と美 」展示が開催されていた。

    「石の用と美」展示

    用(よう)・・・・・・・・・石という素材が、どのような”用途”に使われたのか
    美(び)・・・・・・・・・・「ひすい」をはじめ装飾品として使われた石や「水石」のように山水風物詩の
                世界に遊ぶ天然石など美的鑑賞の対象としての”石”

    これら2つの面から埼玉県の大地を形作る岩石を中心に紹介しています。

 4.1 石材利用の歴史
  (1) 石と人間
      人間が ”石” という素材を使い生活を便利なものにし、厳しい生活環境の中に潤いを
     求めた足跡を概括してみよう。

  時 期              イ ベ ン ト  備  考
約200万年前最古の石器
礫の一端を打ち欠いた
打製石器の始まり
"ハンドアックス(手斧)”出現
  
約1万年前石の加工技術進歩
磨製石器出現
土器も出現
石や貝で身を飾る
  
AD5000年金属器出現
石の採掘・加工が容易になる
以降、欧米などでは石材が建築や道路の主役となる
  

  (2) 埼玉県(日本)の石利用
      日本の家屋を見た外国人が『 木と紙で出来ている 』 と言ったとの逸話が残されて
     いますが、日本での石材の利用は、欧米と同じように石器、墓石などの石造物、建物の礎石
     そして装身具として使われたが、建物そのものに使われたのは明治になって文明開化が
     叫ばれた一時期だけだったようです。

  時 期             イ ベ ン ト  備  考
縄文時代和田峠産黒曜石などを使った打製石器
糸魚川産ヒスイを使った装飾品
  
弥生時代磨製石器出現  
古墳時代古墳の石室材料として需要増
副葬品から装身具として石の利用がうかがわれる
  
中世寺院などの礎石や板碑・五輪塔など石造物  
鎌倉末期〜南北朝時代特定の石材が広範囲に流通
結晶片岩製の板碑が関東一円に広まる
  
戦国〜江戸時代城の石垣などに大量に使われる
庶民の間にも墓標を建てる風習広まる
  
明治〜大正時代西洋式近代建築の模倣で石造建築広まる
コンクリート建築の普及に伴い
大規模に石灰岩、川砂、川砂利の採掘
  
昭和時代コンクリートの利用に伴い、山砂利採掘
輸入石材急増
  
平成時代自然保護の高まりと
採石コスト上昇に伴い
採石場の閉鎖相次ぐ
  

 4.2 埼玉県の地質と石材
  (1) 埼玉県の地質図と地質年代
      埼玉県の地質図をみると、県の東と西で際立った対照をなしている事に気づきます。
     西部は、秩父中・古生層、四万十帯と呼ばれる1億年〜3億5千万年前の堆積岩や
     それらが約1億年前に変成作用を受けたと考えられる三波川帯、そして1億3千万年〜
     6500万年前の白亜紀の堆積岩からなる山中地溝帯など、古生代〜中生代の岩石で
     構成されており、”鉱物の宝庫”である。
      一方、東部は、新生代の礫(れき)、泥、砂などが堆積した地層で、地学の対象は
     化石がメインとなる。
      もう1つの特徴は、「火成岩」が極めて少ないことで、群馬県、長野県そして山梨県との境
     奥秩父地域の極めて狭い範囲に見られるだけです。

   
       埼玉県地質図【埼玉県立自然史博物館図録を編集】

  (2) 中・古生界
       
地質図
説 明  この当時の日本列島は大陸の東端で、海の深海底には放散虫などの遺骸が
降り積もり(チャート)、地球内部からマグマが噴出してくるホット・スポットでは
火山が成長し(緑色岩=玄武岩質火山岩類)、その周りには、珊瑚礁(石灰岩)が
発達していた。
 これら海洋起源の物質が海洋プレートの移動に伴って大陸縁辺まで運ばれると
海溝に堆積した砂・泥などの陸源物質(砂岩、泥岩)と混じりあい、大陸側に押し付け
られる。このようにして出来た地層が「付加体」で埼玉県にはジュラ紀に付加した
秩父帯と白亜紀〜新第三紀にかけて付加した四万十帯がある。
 秩父帯の北側に分布する三波川帯は、白亜紀(約1億年前)に秩父帯の岩石が
地下深くまで押し込まれ、高い圧力と温度で新しい岩石に生まれ変わった広域
変成岩となった。

    この時代を代表する岩石と用途を見てみよう。

  岩 石      成   因   主 な 用 途
チャート  チャートは二酸化珪素(SiO2)を主成分とする微粒子からなる
堆積岩の総称です。日本でみられるもののほとんどは「層状」で
放散虫などの微生物の遺骸が深い海の底に1mm積もるのに
1,000年という非常に長い年月をかけて堆積した。
 純粋なチャートは石英と同じ様に透明〜白色だが、赤鉄鉱が
入ると赤色、火山灰などが混じり緑泥石ができると緑色、二酸化
マンガンや炭質物が混じると黒色になる。
 非常に緻密で硬く、一点に圧力を
加えると貝殻状に割れる性質を
利用して、縄文時代には石鏃など
鋭利な刃をもつ石器に使われた。

  
    石鏃(埼玉県戸田市出土)

石灰岩  石灰岩はの主成分は炭酸カルシューム(CaCO3)で、珊瑚や
ウミユリなどの生物の遺骸が堆積してできた。
 ほとんどの資源を輸入に頼る中
石灰岩は国内で自給できる数少ない
資源で、生石灰(きせっかい、CaO)や
消石灰(Ca(OH)2)に生成されて
使われている。
 古墳時代後期には、古墳の石室の
内部を白壁に塗るのに使われた。
 セメント原料として、秩父市の
武甲山では、大正4年(1915年)から
現在でも採掘が続けられている。
砂岩
・泥岩
 文字通り、砂や泥が堆積してできた岩石で、構成する
粒子の径で区分している。
 砂岩・・・・・2〜0.63mmが主体
 泥岩・・・・・0.63mm以下
 砂岩は、石英、長石、雲母、磁鉄鉱などの鉱物や岩片が多く
概して二酸化珪素に富み、白っぽい。
 ( ”白砂”といわれる所以 )
 泥岩は粘土鉱物が多くなり、アルミニウム、マグネシウム
カルシウムなどの割合が増加し、黒っぽい。
 泥岩で、薄く剥がれる性質があるものを「頁岩(けつがん)」
これが弱い変成作用を受けたものを「粘板岩(スレート)」と 呼ぶ。
 砂岩は、大きな塊で採掘するのが難しく
河原の礫を砥石、石皿、打製石器として
利用していた。
 泥岩でも珪質頁岩は、硬質なため石器
として使われた。
 昭和30年代から、コンクリートの骨材用に
「山砂、山砂利」として採掘された。
 粘板岩は、劈開に沿って薄く割れる
性質を生かし、石剣に多用されたほか
地方によっては屋根材として、最近まで
使われていた。
 那智黒石や雨畑石のように碁石や
硯石として使われているものもある。
結晶片岩
・緑色岩
 広域変成岩のうち三波川結晶片岩は、砂・泥・火山灰
などの堆積岩が地下20〜30kmで、200〜300℃の温度と
数千気圧の圧力で、結晶の並びが変わると共に
鉱物が再結晶し、薄く剥がれやすい性質(片理)に変化した。
 一方、御荷鉾(みかぶ)緑色岩類は、玄武岩質の火山
噴出物(溶岩・凝灰岩)や貫入岩が弱い変成作用を
受けたもので、片理は発達していない。
 結晶片岩は、板状に割れる性質があり
採掘しやすく、石皿や石棒として使われた。
古墳時代には、石室材料として、中世には
「武蔵型板碑」として関東一円に広まった。
 緑色岩は、片理が発達せず割れると
塊状になり、細粒・緻密なので磨くと表面が
滑らかになり、磨製石斧として使われた。
蛇紋岩
・蛇灰石
 橄欖岩などのマグネシウムに富む岩石が、比較的低い
温度・圧力の条件で水と反応してできたもので、マグネ
シウムを2価の鉄が置換しているため、緑色をしている。
しばしば暗緑色と淡黄〜黄緑色の部分が入り乱れて
”斑状”のなり、これが蛇の皮膚を連想させるので
蛇紋岩と呼ばれるようになった。
 蛇灰石は、蛇紋岩に方解石などの脈が不規則に
入ったものを呼ぶ。
 蛇紋岩は、地殻変動の大きな地域に
産出することが多く、破砕作用を受け
割れ目が多いが、割れ目のないものは
粘りがあって強靭で、脂肪光沢があり
磨くと美しい。
 縄文時代には、磨製石斧や勾玉などに
利用された。
 文様の美しいものは、「貴蛇紋岩」と
呼ばれ、建築内装材や置物などに
加工されている。
滑石  滑石は、橄欖石、輝石、角閃石などのマグネシウムに
富む珪酸塩鉱物が、二酸化炭素(炭酸ガス)を含む
水と反応してできた鉱物である。
 その触感から俗に”蝋石”と呼ばれ
長瀞土産として、細工物に加工されて
いる。
石綿
(アスベスト)
 石綿は、『綿のようになる石』の総称で、石綿になる
鉱物には、蛇紋岩系と角閃石系がある。

 蛇紋岩系
 @白石綿(クリソタイル)

 角閃石系
 @青石綿(リーベック閃石)
 A茶石綿(カミントン閃石)

 白石綿は、平賀源内が明和2年(1765年)
秩父山中で見出し、「火浣布」として売出しを
試みたことは有名です。
 このように、石綿類は、耐火性、防音性や
耐磨耗性に優れ、しかも繊維と同じように
加工できるので建築材料や自動車用ブレ-キ
ライニング等に使われていたが、発がん性が
社会的問題となっているのは周知の通りである。
 特に、青石綿と茶石綿が毒性が強いとされる。

 
   白石綿(皆野町金崎産)

 
    青石綿(南アフリカ産)

 
      茶石綿(中国産)

  (3) 第三系

    「第三紀」展示

       
地質図
説 明  第三紀中新世の約2000万年前の日本列島は、大部分が海の底にあった。地殻
変動や火山活動で、海底にレキ、砂、泥(れき岩、砂岩、泥岩)や火山灰(凝灰岩)
が堆積した。
 750〜500万年前には、マグマが上昇し中・古生代の岩石に貫入した。周囲の
岩石はその熱を受け、砂岩や泥岩はフォルンフェルスに、石灰岩は結晶質石灰岩
(大理石)に変化し、マグマ自体は冷却して石英閃緑岩になった。
 マグマが冷却するとともに、金属元素を溶かしていた熱水と周囲の岩石の間で
大規模な反応が起り、接触交代鉱床(スカルン鉱床)が誕生した。特に、母岩が
石灰岩の場合、多種多様な鉱物が生まれ、わが国を代表する鉱山の1つである
秩父鉱山は、このような位置にある。

    この時代を代表する岩石と用途を見てみよう。

  岩 石      成   因   主 な 用 途
凝灰岩  火山噴火に伴う火山灰が海底に堆積し、固まった岩石で
多孔質で、適度に軟らかく加工がしやすい。
 縄文時代には、石版や石偶(せきぐう)などの
線刻用として、古墳時代には横穴式石室用に
盛んに使われた。
 細かい気泡があり、断熱性、とりわけ耐火性に
優れ、重量も軽いことから、土蔵などや建築物の
土台石としても盛んに使われた。
 砥石としての用途が最も多かった。
石英閃緑岩  石材名では「みかげ石」の一種で、黒雲母、石英、斜長石
普通角閃石などからなり、等粒組織を示す。黒雲母は
変質して緑泥石化している結晶も多い。
 閃緑岩のような深成岩は、採掘が困難で
加工しにくく、大規模に採掘されるようになった
のは近世以降である。
 縄文時代には、河原の転石をそのまま磨石
(すりいし)などに利用していた。
 埼玉県では、石英閃緑岩のような火成岩は
小規模にしかなく、しかも山奥で、商業ベースに
のるような産出はなかった。
フォルンフェルス  粘板岩や砂岩がマグマの熱で、完全に再結晶した塊状で
緻密な岩石である。再結晶化に伴って、”○○桜石”と
呼ばれる菫青石などが生成することも稀ではない。
 硬い性質を利用して、分銅型あるいは
バチ型と呼ばれる打製石斧に使われた。
結晶質石灰岩
(大理石)
 石灰岩が熱を受けて再結晶すると、ほとんど方解石の
結晶のみからなる結晶質石灰岩(大理石)に変化する。
 均質で美しく、加工しやすいため
西洋では建築、工芸、彫刻などに
使われてきた。
 秩父鉱山で産するが、石材となる
大塊が得難く、炭酸カルシウムなどの
原材料として採掘が続けられている。

  (3) 第四系

    「第四紀」展示

       
地質図
説 明  第四紀は、人類が誕生し現在に至るまでの時代で、200〜100万年前に
関東平野側の大地が沈降し始め、多くの土砂が堆積した。山と平野の境
には、大規模な扇状地ができ、現在の丘陵や台地をつくる地層(更新統
=洪積層)が生れた。
 第四紀は、”氷河時代”とも呼ばれ、氷期(寒い時代)と間氷期(暖かい
時代)が数回にわたって繰り返され、それに伴って、海面水位が変動した。
 約12万年前の間氷期には、関東平野一帯が大きな湾になり、海底に
土砂が堆積した。一方、3〜2万年前の氷期には、平均気温が今よりも
7℃も低い大寒冷期となり、海面も現在より最大140mも下がった。
 12〜2万年前は火山活動が盛んな時期でもあり、台地や丘陵の上には
八ヶ岳、富士山、浅間山などから噴出した火山灰が降り積もり、ローム層
と呼ばれる地層をつくった。
 1万年前になると、急激に温暖化が進み、海面が上昇し、現在の低地に
あたる部分の地層(完新統=沖積層)が堆積した。

    この時代を代表する岩石と用途を見てみよう。

  岩 石      成   因   主 な 用 途
火山岩  マグマが地表に噴出して急に冷えたため、
完全な結晶が成長せず固まった岩石である。
 火山岩の中で、石材として最も利用されるのは
安山岩で、日本の火山を構成する岩石の中で
最も分布が広く、古生代〜新生代まですべての
時期のものが存在する。しかし、古い時代のものは
変質して石材に適しないため、現在採掘されている
のは、ほとんどが新生代の岩石で、霧ケ峰火山から
産する長野県諏訪市の「鉄平石」がその代表である。
 埼玉県には、第四紀の火山が存在せず、県内で
見られる火山岩は、利根川や思川によって群馬県や
栃木県の火山から運ばれたものである。
 火山岩は、成分が同じでも、噴出・冷却のしかたに
よって、全く性質が異なる。

 急冷・・・・・・・ガラス(黒曜石)
 徐冷・・・・・・・斑晶と石基からなる岩石
 溶岩の表層部
    ・・・・・・・ガスが抜けた穴が残り多孔質
 多量にガスを含んだマグマが爆発的に噴出
    ・・・・・・・軽石やスコリア

 ガラス質の黒曜石は、石鏃など石器としての
利用価値が高く、八ヶ岳、霧ケ峰のほか遠く
神津島からも運ばれた。
 斑晶が比較的大きな安山岩は、打撃に
対して強靭なので、敲石(たたきいし)、石斧
などに使われた。
 多孔質のものは、加工がしやすいことから
石棒などに、ザラザラした性質を利用し石皿や
磨石に使われた。
 軽石は、魚網の浮子(ウキ)としても使われた。
粘土
・ローム
 粘土は、粘着性をもった珪素(Si)、アルミニュム(Al)
マグネシウム(Mg)などからなる、微細(50nm以下)の
鉱物粒子の集合である。
 岩石の風化や熱水による粘土化作用などで生じた
これらの微粒子が堆積したり鉱床として残存したもの
 日本では今から1万数千年まえに、縄文土器が
使われはじめ、その後朝鮮半島から須恵器が
伝えられた。
 埼玉県内には、これを焼く「登り窯」跡が寄居町
鳩山町、入間市などで発見されている。

 4.3 装飾品として使われた石
     石でつくられた装飾品の石材として、緑色のものは一般にヒスイ輝石(硬玉)
    ネフライト(軟玉)、緑色の碧玉、蛇紋岩、緑色岩などが使われた。赤色のものは
    チャートや赤色の碧玉が多く使われた。その他、メノウや琥珀、ガラスなども
    使われた。

     装飾品として使われた石を見てみよう。

 石   説       明   装 飾 品 の 例
ヒスイ輝石
  (硬玉)
 ひすい輝石(硬玉)は、「東洋の宝石」として
中国や日本で古来から珍重されてきた。
ヒスイ輝石を主成分とし、結晶が複雑に集合し
硬度は6.5〜7しかなくても、丈夫で
壊れにくい性質を持っている。
 日本における装飾品としてのひすい産地は
新潟県糸魚川市周辺で、全国の縄文〜古墳
時代の遺跡から出土するひすいのほとんどが
この地域のものである。
 埼玉県寄居町でもヒスイ輝石の結晶が発見されて
いるが、宝石としての価値はない。

 ひすい装飾品(埼玉県日高市出土)
ネフライト
  (軟玉)
 ネフライトは、アクチノ閃石の緻密な集合体で
ひすい輝石ににているため、装飾品として使われた。
ひすい輝石より軟らかく、彫刻用として利用された。

 ネフライト(埼玉県皆野町産)
碧玉  碧玉の主成分は石英と同じニ酸化珪素(SiO2)で
主に酸化鉄からなる不純物を20%程度まで含み
赤、褐、黄褐、黄、緑、黒などの色を示す。
 (メノウより不純物を多量に含む)
 島根県玉造産のような青色のものを”青玉石”
佐渡産のような赤色のものを”赤玉石”と呼ぶ。>BR>

 管玉(埼玉県行田市出土)
メノウ  碧玉より、不純物が少なく、部分により色、濃淡
透明度に差がある。主成分は石英と同じニ酸化珪素
(SiO2)で微細な石英からなり、不純物と量によって
乳白、灰、青白、灰緑、黄褐、褐、赤褐、緑、青
紫など変化に富む。

 勾玉(埼玉県蓮田市出土)

 4.4 水石の世界
     天然石を鑑賞し、心を山水風物詩の世界に遊ばせる趣味は、南北朝時代から
    始まった、と伝えられています。ことに、東山文化において、書院などの室内で
    盆に自然石を配して鑑賞する趣味が花開いた。その技法は、江戸中期に確立したと
    伝えられる。
     「水石」は、緻密で硬く、水に磨きだされて美しい形を示すものが良いとされ
    火成岩では輝緑岩、橄欖岩、蛇紋岩のような塩基性〜超塩基性岩が、堆積岩では
    チャート、泥灰岩(石灰分を含んだ泥岩)、細粒砂岩、そして変成岩ではホルンフェルス
    などが適している。緑色岩(いわゆる輝緑凝灰岩)は、緑黒、赤褐、紫灰色などの
    暗色を帯び、緻密で硬く光沢もあるため、水石として格好である。
     埼玉県内で「水石」に適する石が産する地域は限られ、秩父帯の中・古生層中心に
    梅花石、菊花石などが産出し、「秩父石」と総称され、珍重される。また、三波川帯の
    岩石は「三波石」と総称される。
     これらの中で、「亀甲石(きっこういし)」は、泥質の岩石に割れ目や方解石脈があり
    その部分が溶融し亀甲模様が浮き出ている。

    亀甲石

 4.5 街でみかける石材の生い立ち
     ビルの壁面の化粧材などに使われる石材は「みかげ石」と「大理石」が大部分を
    占め、「砂岩」も一部に使われ、それぞれの色や模様には、それぞれの岩石の
    生い立ちが大きく関係している。

    街で見かける石材

5. おわりに 

 (1)現在、シリコン(Si)を使ったマイコンをはじめとする電子機器がわれわれの社会を
   支えると共に便利なものにしている。このような時代は”新石器時代”と呼ばれることも
   あり、”石”とわれわれの生活は、切っても切れない関係にあるようです。
    今になって思い返すと、機械式時計に代わって、水晶発振子を使って正確さを
   売り物にした”クオーツ時計”が売り出されたときが、新石器の幕開けだった
   かも知れません。

 (2)埼玉県立自然史博物館では、展示図録のほか、各種の文献も販売しており
   今回次のような資料を購入できた。
    それらは、入場料同様非常に安く、社会教育にかける埼玉県の姿勢が感じられ
   ます。
   @ 研究報告「埼玉県内に産出する鉱物」
   A 長瀞の自然

     「長瀞の自然」には、埼玉県立自然史博物館の前身であった「秩父鉱物陳列所」の
    創立に関わった長島乙吉氏の足跡も記されており、購入することにした。
    ( ただし、在庫がなく、送ってもらう段取りをした )

 (3)私のHPの掲示板に「茶石綿」について書き込んだところ、千葉県の石友・Mさんから
   メールでご教示いただいた。今回、再訪した大きな理由は、これを確認することでした。
   厚く、御礼申し上げます。

6. 参考文献 

 1)(財)益富地学会館監修:日本の鉱物,成美堂出版,1994年
 2)埼玉県立自然史博物館:平成17年度特別展 石の用と美 図録,同館,2005年
 3)林 政彦:埼玉県内に産出する鉱物 埼玉県立自然史博物館研究報告 第19号
         埼玉県立自然史博物館,2001年
 4)地団研地学事典編集委員会編:地学事典,平凡社,昭和45年
 5)益富 壽之助:鉱物,保育社,昭和60年
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