「秩父鉱物陳列所」の90年







                「秩父鉱物陳列所」の90年

1. 初めに

    千葉県に2度目の単身赴任をして1年余りが経った。2011年3月11日の『東日本大震災』以来、
   仕事も忙しさを増し、本格的なミネラル・ウオッチングに出かける余裕もなく、たまの休日は古書店
   や骨董市などを巡ることが多い。

    2011年3月、某オークションに長島 乙吉氏が主催した「礦物同好会」の名前が入った、「秩父地
   方の岩石・鉱物組標本」が出品され、入札・落札した。
    「日本希元素鉱物」によれば、長島乙吉氏は、秩父鉄道株式会社の委嘱をうけ、神保小虎教授
   の指導のもと、大正8年(1918年)に埼玉県長瀞町に「秩父鉱物陳列所」を創設したとある。
    「鉱物陳列所」の伝統や標本を継承した「埼玉県立自然の博物館」のHPでは、陳列所の開設は、
   大正10年(1921年)となっており、2011年で90周年を迎えた、とある。人間でいえば、『卆寿』(”九”
   の下に”十”で、卒(そつ)の略字の”卆”)の記念の年になる。

    創立90周年を記念して、『秩父 すばらしき大地の魅力 −秩父の地質と博物館のあゆみ−』、と
   題する企画展が開催されると知って、4月末に妻と2人で訪れた。

    開催期間:2011年2月19日(土)〜5月8日(日)
    場所   :埼玉県立自然の博物館
           埼玉県秩父郡長瀞町長瀞1417-1

    最初、GWの終わりに、山梨から千葉に帰るときに立ち寄ろうかと考えていたのだが、4月末に農
   作業のために山梨に戻ったところ、作業も一段落し、昼前から雨が降り出したので、急遽訪れるこ
   とにした。
    自宅から長瀞まで100kmあまり、雁坂トンネルを抜けて、約2時間半のドライブだ。途中、大滝村
   にある「秩父市立大滝歴史民俗資料館」で『秩父鉱山の鉱物』を見学し、隣接する「道の駅・大滝
   温泉」で名物の「蕎麦(そば)御膳」を昼食に摂る。
    2時ごろ、「埼玉県立自然の博物館」に到着した。館の名前は変わっているが、建物は以前の自
   然史博物館そのものだ。うれしい(?)ことに、65歳以上の高齢者は、”入館料が無料”なのだ。
   2階の「企画展」をのぞくと、秩父の大地の魅力と博物館のあゆみがコンパクトにまとめられていた。

    展示を見た後、せっかく長瀞を訪れたので、いくつかのポイントでミネラル・ウオッチングを楽しん
   だ。
    ・ 長瀞町金石(かないし)の銅採掘坑跡
    ・ 皆野町金崎(かなさき)の石綿産地

    往時のような標本が採集できる訳でもなく、『地質学発祥の地』の雰囲気を楽しんだだけだった。
   長瀞駅周辺のお土産屋さんで、かつて長瀞名物だった『滑石製の人形』を探したのだが、全く見
   当たらなかった。この地域で、全国的に有名な石材を産出したことすら、忘れ去られようとしている。
    ( 2011年4月訪問 )

2. 『秩父 すばらしき大地の魅力 −秩父の地質と博物館のあゆみ−』展

    この展示は2つのテーマを中心にまとめてある。
     (1) 秩父の大地の魅力
     (2) 博物館の歴史

       
                             特別展

    訪れることができなかった皆様のため、展示内容を御紹介する。

 2.1 秩父の大地の魅力
      秩父の自然は、約3億年におよぶ大地の営みによってかたち造られた。この地域で産出する
     鉱物・岩石・化石そして地殻変動や河川の浸食などを受けた地形から壮大なドラマを読み解く
     ことができる。

  (1) 秩父の大地の生い立ち
       秩父の大地が生まれたのは、次のようなメカニズムだったと考えられている。

       
                         「秩父中・古生層の誕生」

       秩父中・古生層は、古生代石炭紀(約3億年前)から中生代三畳紀(約2億年前)にかけて
      太平洋の南方で形作られ、海洋プレートに乗って北方に運ばれ、ジュラ紀(約1億5000万年前)
      に日本列島附近に到達した。
       ・ 石灰岩(サンゴ礁起源)
       ・ 玄武岩質凝灰岩や溶岩(海底火山の噴出物)
       ・ チャート(遠洋性放散虫軟泥)
       ・ 珪質(多色)頁岩(放散虫を含む半遠洋性泥岩や酸性凝灰岩)
       などの、海洋起源の岩石が、日本列島から海に流れ込んだ泥や砂などの陸源砕屑物(海溝
      タービダイト)中にブロック状に取り込まれた。

       これらの岩石は、白亜紀(約1億3000万年〜6500万年前)に地下深くに沈み込み、高圧を
      受け、「三波川結晶片岩」になったり、高温の花崗岩の活動に伴って「領家変成岩」に変わっ
      たと考えられる。

  (2) 秩父湾の時代
       秩父山地では、白亜紀(6500万年前)から古第3系(2330万年前)、新第3系(2330万年〜
      2000万年前)の地層が見つかっていない。このことは、地層が堆積しなかったか削り取られて
      しまったかのどちらかで、いずれにしても秩父地域は陸にあったことになる。

      

 1700万年〜1400万年になると
海が広がり、秩父盆地は東に
開いた湾【秩父湾】になった。
 海辺では、珍獣「パレオパラドキシア」
が生息し、沖合には、博物館の入り口に
展示してあるような巨大なあごを持った
サメやクジラなども回遊してきていた。



  (3) 河岸段丘の形成期
       第四紀(約160万年前)になると、海が退いて湾の入り口が隆起し、秩父湾は、周囲を山地
      に取り囲まれた盆地になった。
       盆地内では、「荒川」の氾濫(はんらん)により礫層の堆積と下刻作用が繰り返された。「荒
      川」は高い場所から徐々に低い場所に流れを変え、この過程で河岸段丘が形成された。長瀞
      名物の『岩畳(いわだたみ)』の地形や随所に見られるポットホール(甌穴:おうけつ)は、古い
      荒川の下刻作用の名残だ。

          
                  岩畳                         甌穴
                           「荒川」の浸食の跡

 (4) 秩父の地質みどころ
      特別展の一角に秩父地域で見られる地質現象や自然景観、天然記念物などを写真で紹介し
     た「秩父の地質のみどころ −秩父の地質名所50選−」のコーナーがある。
      写真には番号が付いていて、『人気投票』する”県民参加型の企画展”になっているようだ。

       
               「秩父の地質のみどころ −秩父の地質名所50選−」

 (5) 秩父の鉱物
       やはり、私の興味の中心は、秩父や長瀞から産出した「鉱物」ということになる。秩父地域を
      代表するいくつかの標本が展示してあったので、紹介する。
       これらの標本は、今回初めて展示されたものではなく、以前の「特別展」でも見たことがある
      ものがほとんどだった。
       ( 後から述べるように、現在では採集が難しくなっているエリアなのだから仕方のないこと
         かもしれない )

     ・埼玉県立自然史博物館 特別展「石の用と美」
      ( Special Exhibition " Usage and Beauty of Stone "
      at Saitama Museum of Natural History , Nagatoro Town , SaitamaPref. )

          
                 「自然金」                       「自然銅」
                           秩父地方を代表する鉱物

       @ 自然金【GOLD:Au】
          秩父鉱山大黒坑の自然金は、(鉄)閃亜鉛鉱の中に、糸〜紐(ひも)状で産出するとこ
         ろから、『糸金』あるいは『紐金』、と呼ばれている。

       A 自然銅【COPPER:Cu】
           緑色の孔雀石などの銅の2次鉱物に覆われて、産出する。南米の古代文明で
          孔雀石【MALACHITE:Cu2(CO3)(OH)2】を熱して銅を精錬していたことを追体験する
          ビデオを見たことがあるが、黄銅鉱などよりも簡単に銅が得られていた。
           『和銅』も銅の2次鉱物を還元するような形で精錬し銅を採っていたのではないだろう
          か。

 2.2 博物館の歴史
      「埼玉県立自然の博物館」は、大正10年(1921年)「秩父鉱物陳列所」として産声をあげてか
     ら、2011年で90年を迎えている。
     この間、「秩父自然科学博物館」、「埼玉県立自然史博物館」そして「埼玉県立自然の博物館」
     と名を変え、現在に至っている。

      今回の特別展では、各時代の写真や出版物などを展示している。

      表 「秩父鉱物陳列所」の変遷

   名     称 存続期間    外    観   写   真 トピックス
「秩父鉱物陳列所」 大正10年(1921年)
〜昭和23年(1948年)
 長島 乙吉氏が
展示標本を採集
「秩父科学博物館」 昭和24年(1949年)
〜昭和55年(1980年)
 藤本治義氏が
館長に就任
11月 開館
8月 閉館
「埼玉県立
 自然史博物館」
昭和56年(1981年)
〜平成18年(2006年)
11月 開館
3月 閉館
「埼玉県立
 自然の博物館」
平成18年(2006年)〜 4月 改称

  (1) それぞれの時代
   @ 「秩父鉱物陳列所」
      大正10年(1921年)、民間の秩父鉄道株式会社によって地質資料を中心とする展示施設が
     開設された。秩父地方で最初の博物館で、「養浩亭(ようこうてい)」の敷地内にあった。
      秩父鉄道が整備する”遊園地”の中の施設として、神保小虎(東京帝国大学教授)の指導の
     もとに開設し、秩父地方に産地を絞った点に特色がある。
      地質資料の収集には、長島乙吉(東京鉱物同好会長)や秩父鉄道の要職にあった松崎銀平
     があたり、神保小虎に続き本田静六(林学博士)と「大鉱物学」の著者としても知られる佐藤伝
     蔵(東京高等師範学校教授)も指導に当たった。
      しかし、昭和の不況や大戦により、秩父鉱物陳列所は荒廃し、藤本治義(東京文理科大学教
     授が秩父鉄道に申し出て、博物館としての形態を復旧させた。

      この時代のできごととして、大正15年(1926年)に開催された「汎太平洋学術会議」では、長
     瀞の荒川沿いの変成岩が地質巡検のコースに選ばれた。秩父鉄道株式会社から、参加者に
     結晶片岩標本が送られている。

        結晶片岩標本

      大正時代、岩手県の盛岡高等農林学校(現岩手大学)では、毎年のように秩父へ地質巡検
     を実施していた。大正5年(1916年)、同校の2年生だった宮沢賢治が長瀞をはじめ秩父地域
     を訪れた。
      結晶片岩の色と模様の美しさに感動した賢治の歌の碑が館の前に建てられている。

       つくづくと『粋(いき)な模様の博多帯』
                  荒川ぎしの片岩のいろ

   A 「秩父自然科学博物館」
        昭和24年(1959年)、秩父鉄道株式会社によって設立された。建物正面玄関に向かって、右
     側に「生物」、左側に「地学」の展示室、中央には奥秩父に多い哺乳類・鳥類のはく製によるジ
     オラマがあった。
      「秩父鉱物陳列所」から引き継いだ標本に加え、昭和23年(1948年)に秩父鉄道が実施した
     「奥秩父学術総合調査」で得られた事実や資料をもとに展示された。
      昭和35年(1960年)、「宝登山(ほどさん)分室」も開説した。学術的な指導には、地質の藤本
     治義などがあたり、荒井重三(博物館主任)はじめ、専任の学芸職員が配置され、資料収集、
     展示、教育普及の各事業が活発に行われるようになり、日本の自然系博物館の先駆的役割
     を果たした。

      昭和初期から関東山地を調査した藤本治義は、昭和13年【1938年)、長瀞町長瀞金石(かな
     いし)の結晶片岩中から中生代ジュラ紀のものと考えられる放散虫(プランクトンのなかま)の
     化石を発見した。
      これによって、結晶片岩の原岩(変成する前の岩)の一部は、中生代ジュラ紀のものと考えた。

        放散虫化石

      昭和55年【1980年)8月31日をもって閉館し、多くの資料は埼玉県に移され、翌昭和56年11月
     「埼玉県立自然史博物館」として開館した。

   B 「埼玉県立自然史博物館」
      昭和50年代はじめ、全国的に県立の人文系博物館が次々と建設される中で、県立の自然系
     博物館の建設を求める声が埼玉県民の間や県議会で強まった。
      埼玉県と秩父鉄道との協議が行われ、昭和56年(1981年)11月10日、全国初の県立自然史
     博物館として、「秩父自然科学博物館」の跡地に建設され開館した。秩父地域だけを対象として
     いたそれまでの博物館から、「埼玉の自然とその生いたち」をテーマに、埼玉県全域を対象に
     活動する博物館に生まれ変わった。

      3億年に及ぶ埼玉の大地の生いたちと、埼玉を代表する森林とそこで生息する動物の様子を
     立体的に展示している、また、野外観察会や科学教室などにも力を入れ、県民や児童・生徒・学
     生の自然学習の拠点として活用されてきた。

   C 「埼玉県立自然の博物館」
      その後、県立博物館施設の再編・整備に伴い、平成18年(2006年)4月に、「埼玉県立自然の
     博物館」と改称して現在に至っている。

3. ミネラル・ウオッチング in 長瀞

    博物館で貰った資料に、長瀞でのミネラル・ウオッチングのポイントがあったの で、いくつか訪れ
   てみた。( 妻は、車の中で待機 )

 (1) 長瀞町金石(かないし)の銅採掘坑跡
      博物館から下流側の金石に、銅を採掘したとされる坑道がいくつか残されている。藤本治義
     氏が中生代ジュラ紀の放散虫の化石を発見したのもこの辺りだ。
      坑道とその近くの露頭には、「孔雀石」と思われる「鮮緑色」の銅の2次鉱物が観察できた。
      学芸員のお話では、「和銅のころのものではなく、明治、古くても江戸末期のもの」らしい。

          
                坑道跡                       「孔雀石」
                        金石(かないし)採掘跡

 (2) 皆野町金崎(かなさき)の石綿産地
      長瀞町から荒川の上流側、皆野町金崎で産出した「石綿」が特別展に展示されていたので
     訪れてみた。産地は既にコンクリートで埋められていた。一部に蛇紋岩の露頭や転石があった
     が、「繊維状の石綿」は観察できなかった。

        「石綿」【自然の博物館展示品】

5. おわりに

 5.1 地質の日 5月10日
     今では、1年365日、毎日が「○○の日」になっているが、5月10日が「地質の日」だと初めて知
    った。
     なじみが薄いの当たり前で、2008年に制定され、2011年が4回目になる、”出来立て、ホヤホ
    ヤ”の記念日なのだ。
     明治9年(1876年)、ライマンらによって日本で初めて広域的な地質図、200万分の1「日本蝦
    夷地質要略之図」が作成され、また、明治11年(1878年)のこの日は、地質の調査を扱う組織
    (内務省地理局地質課)が定められた日でもあるところから決められたらしい。

     私たちが住んでいる大地は、地層、岩石、土壌などできていて、これらの性質のことを「地質」
    と呼ぶ。地質はエネルギーやさまざまな素材の基となる鉱産資源、温泉や美しい景観など私たち
    に豊かな恵みを与えてくれる一方で、地層のズレが大震災を引き起こす恐ろしい存在でもある。

 5.2 「秩父鉱物陳列所」の名前
      「埼玉県立自然の博物館」を訪れると、設立されたときの名称は「秩父植物鉱物陳列所」だっ
     た、とある。
      このページをまとめるにあたり、事実関係を整理しておきたくて、学芸員の方に話を伺った。

     (1) 設立当時の絵葉書(上の写真)の入り口の看板を見ると、「植物」、「鉱物」と2行に分か
        ち書きしてあるので、当時は「秩父植物鉱物陳列所」と称していた、と考えられる。
     (2) 「秩父鉱物陳列所」のほか、「秩父鉱石陳列所」、と称した時期もあった。

      大正末期に秩父鉄道という民間会社が設立し、昭和初期の大恐慌、昭和12年の日中戦争を
     皮切りに物資が少なく、人心も荒廃した戦中戦後、この施設を維持・管理するのは大変なこと
     で、名称も何回か変わったようだ。

 5.2 『卆』で思い出すこと
      神保小虎博士や長島乙吉氏が関わって、「秩父鉱物陳列所」が生まれ、2011年は90年目を
     迎えた。人間でいえば、『卆寿』の記念すべき年になる。

      2011年は、五無斎こと保科百助が亡くなって100年忌になる。『卆』で思い出すのは、酒が好
     きだった五無斎の日記に、『天口酉卆』なる造語が幾たびか登場する。
      『呑(のむ)』を分解し、「天口」、『酔(よう)』を分解すると「酉卆」、つまり「天口酉卆」となる。

      さて、この四字熟語を何と読むのか。千葉の石友・Mさんが調べてくれたので引用させていた
     だく。

      『 県立長野図書館 資料情報課による【「天口酉卒」は何と読むか】のレファレンス結果が
       出ました。
        やはり、「てんこうゆうそつ」の様でした。

        ---回答内容---
        『にぎりぎん式教育論 [上]』 銀河書房 須藤實/著 1987年』 のp115に「天口酉卒」の
       記載があり、「てんこうゆうそつ」と読み仮名がふってありました。

        その他以下の資料を調査しましたが、読み仮名がふってあるものは他には発見できませ
       んでした。
        『信濃教育[第507号](1929)』
        『五無斎保科百助全集 (1964)』
        『五無斎保科百助評伝 (1969)』
        『保科五無斎−石の狩人(1988)』
        『五無斎先生探偵帳 (2000)』
        『五無斎と信州教育 (2001)』
                                                               』

      2011年の「月遅れGWミネラル・ウオッチング」では、五無斎が亡くなった6月に、「五無斎の
     足跡」をたどってみたいと考えている。
      大勢の石友と湯沼鉱泉でお会いできるのを楽しみにしている。

6. 参考文献

 1) 長島 乙吉、弘三:日本気元素鉱物,日本礦物趣味の会,昭和35年
 2) 埼玉県立自然史博物館編:埼玉・大地のふしぎ,埼玉新聞社,2004年
 3) 埼玉県立自然の博物館監修:やさしいみんなの秩父学,さきたま出版会,2009年
 4) 埼玉県立自然の博物館編:地球の窓・長瀞の自然 埼玉県立自然の博物館展示案内
                     同館,平成23年
 5) 埼玉県立自然の博物館編:企画展 秩父 すばらしき大地の魅力
                      −秩父の地質と博物館のあゆみ−,同館,2011年
 6) 埼玉県立自然の博物館編:【展示解説リーフレット】 企画展 秩父 すばらしき大地の魅力
                      −秩父の地質と博物館のあゆみ−,同館,2011年
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