皆さんも続々と集まってくる。7時に全員そろって朝食だ。味噌汁の具は、O弟こだわりの「アサ
リ」がここのところ続いている。
皆さんが食事している間に、PCに宿泊料金を入力すると、個人・グループ別の参加費が一発
で出る。会計・Tさん夫妻が集金してくれ、1円の違いもなく、”御名算”だ。次回への繰越金、
500円は私が預かる。
(2) 出発前のセレモニー
お姐さんが作ってくれた昼食を持って出発準備だ。午前8時に前庭に集合する。このとき、なで
しこジャパンがワールドカップの準々決勝でオーストラリアに1-0で勝ったというニュースが飛び込み、
皆さん大喜びだ。「決勝は、再びアメリカとか」
出発前湯沼鉱泉の前で、社長・お姐さん・Kさんも入って記念写真を撮る。朝の陽ざしが駐車
してある車に反射してまぶしい。
「オークション」の売上金全額を兵庫・Nさんの奥さんから社長に贈呈していただく。お姐さんは、
「早く壁や天井のペンキも塗らないと・・・・」と気にしている。追い打ちをかけるように、私が「給湯
器も入れないと」というと、それを聞いていたO兄が苦笑いしていた。
車を連ねて出発だ。いつものように台数を少なくするため、国道沿いにある駐車場で車を乗り
合わせることにした。2日目のミネラル・ウオッチングの後、遠距離運転して帰宅する人の負担を
できるだけ少なくしようという考えだ。私の車には、奈良・Yさん、大阪・Tさん、京都・Tさん、そして
滋賀・Yさんに乗っていただく。兵庫・N夫妻の車には、窮屈そうだったが愛知・KさんとMTさんを乗
せていただく。
【後日談】
兵庫・Nさん夫妻から帰宅後次のようなメールをいただいたことからもわかるように、車の乗り合
わせは、意外と好評だったようだ。
『・・・・・・・・・
車を少しでも少なくするMHの作戦は大成功だったと思います。・・・・・・・・また効率的
(確かに10台以上で連なっていく必要はないですものね)です。
おかげで、同乗したKさんやMTさんと会話が弾んで、車中も面白く楽しめました。
(採集時は、夢中で、ほかの話をする暇はあまりないですから)・・・・・ 』
集合場所だけ決めて、途中コンビニ等で適宜休憩して運転者や同乗者のペースで走ってもら
う。私の車の後ろをG親子の車が追ってくる。
(3) 古い鉄山跡を訪ねて
集合場所に行くと東京・Mさん一家が待っていた。奥さんと1歳になったK君も一緒だ。ここでも
自己紹介してもらう。
訪れたのは、皆さんを初めて案内する古い鉄山跡だ。この地域はスカルン鉱床で、寛政12年
(1800年)に石灰を採掘したのが始まりとされ、幕末から明治10年代中ごろにかけて掘り出した
磁鉄鉱を原料に、たたら製鉄で「和鋼」を製造していた歴史ある鉄山だ。
ここの目玉は、「天然磁石の磁鉄鉱」だ。産地につくと、一人ひとりに『ホチキスの針』を渡し、
これが吸い付くかどうかで判定する要領を説明し、採集開始だ。
【道草】
最近、「ホチキス」と言わずに「ステープラ」という語が定着しつつあるようだ。これは、ホチキスを
発明したイギリスのホチキス社が機関銃も製造していたので、ホチキスからは殺人兵器の印象を
与えるので使われなくなった、という説を聞いたことがあるが真偽のほどは定かではない。
40年も前の30歳の頃、1ケ月間の英語研修のとき、講師の英米人に「ホチキス」と言っても通
じず、「ステープラ」と直された記憶がある。
私が「ホチキス」を初めて見たのは中学1年生の新学期で、名前も用途もわからなかった。中
学校は、市内のいくつかの小学校を卒業した生徒が寄せ集まってきていた。当然、同級生でも
お互いの性格などもわからない。
ある日、確か小学校が違うS君だったと思うが、「ここに親指をあてて握ってみろ」と言うのでその
通りにしたら、ホチキスの針が親指に打ち込まれた。驚いて針を引き抜くと薄ら血が滲んできた。
怒った私がS君を殴ろうとしたら、よけた拍子に窓ガラスに頭を突っ込んで窓ガラスを割ってしま
った。S君にはケガはなかったが、喧嘩はこれでおしまいになった。担任の西川先生からは、「割れ
たガラス代70円を二人で弁償しろ」と言われ半分ずつ払ったことを覚えている。
奈良のYさん、「昨日何を食べたかは覚えていないのに、こんなしょーもないことは思い出す。
歳ですかね」。(これには、江戸時代の小話が続くのだが、公共のメディアでは公開をはばかる)
N夫妻、私たちの車も、こんな調子で楽しい旅でした。
どのような石を探せばよいかがわからず皆さん苦戦していたようだが、目でみた外観と手で持っ
た時の重さがわかると次々に「あった!!」の声が上がる。京都・Tさんが採集したのは、5mm
離れたホチキスの針を勢いよく吸い付く優れものだ。
塊全体が磁石になっているケースはまれで、一部だけ磁化しているものが圧倒的に多い。した
がって、全周くまなくチェックする粘り強さも成否の分かれ目になる。
【後日談】
帰宅した東京・Mさんから、次のようなメールをいただいた。実は、このような問題が起こるから
「磁鉄鉱」採集で常とう手段の磁石は使わないようにと、宿で説明しておいたのだが、Mさんに伝
えるのをスッカリ失念していた。
『・・・・・・・・・
△△△の磁鉄鉱ですが、磁性の無い磁鉄鉱を一瞬だけ磁石にひっつけたところ
そこからずっと磁性を持ちました。・・・・・・・・ 』
このように、最初から天然磁石だったのか、磁石を近づけたことで磁化して磁石になったのか
判らなくなってしまうので、磁石、とりわけネオジム磁石のように強烈な磁石は近づけないようにと
説明しておいたのだった。
この理由は、次のように説明できる。磁鉄鉱は割れ口(破面)を見ると小さな結晶が集合して
いるのに気付くはずだ。一つひとつの結晶粒が磁石になっているのだ。
ふつうは、一つひとつの磁極(N極/S極)の向きがテンでの方向を向いているので打ち消しあって
全体として磁石になっていないようにみえるのだ。磁石を近づけることによって、一つひとつの結晶
粒の磁極の向きがそろうので磁石を取り去っても全体(部分)として、天然磁石になっているのだ。
より皆様の理解を助けるため、これを”絵解(と)き”にしてみた。
これを知った諸賢は次のような疑問と不安を抱くはずだ。「天然磁石として販売されている磁
鉄鉱の中には、磁石を近づけて作った人造磁石が混じってものがあるのではないか」。
鉱物の世界でも贋造品が出回っていて、有名なところでは「黄鉄鉱化したアンモナイト」は何
のことはない、アンモナイトの化石を真鍮ブラシでこすってこしらえたものがあるらしい。
その虞(おそれ)を100%払拭するためには、上のようなことを頭に入れて、自分で採集するのが
一番だろう。
【後日談】
長野・MTさんから参加のお礼とミネラル・ウオッチングの写真集が送られてきた。その中に、八木
貞助著の「信濃鉱物誌」に掲載されているこの産地の磁鉄鉱の写真があったのでご紹介する。
持っている原書(コピー)の写真で調べると釘の長さが2cmあり、縮尺が1/3だから、実際の
釘の長さは約6cmで、二寸釘だ。これだけ大きな釘をたくさん吸い付けつる強力な天然磁石も
あるのだ。
(3) 古い金属鉱山跡を訪ねて
2番目に訪れた産地も皆さんを初めて案内する産地で、古い金属鉱山跡だ。荷物を少なく
するため、早目の昼食を済ませてから産地に向かう。
しばらく歩いて産地に着いて、坑道に入ると、ヒンヤリして外の暑さを忘れ心地よい。坑道の
壁を白・青・緑・赤茶に染める二次鉱物や「灰鉄輝石」などのスカル鉱物そして「閃亜鉛鉱」
などの硫化鉱物もふんだんにある。
皆さん、「胆バン」、「硫カドミウム鉱」、「石膏」そして「硫酸鉛鉱」などの二次鉱物を採集し
たようだ。O弟が採集したのは、「霰石(方解石?」なのだろうか、結果が待たれる。
運搬に気を遣う二次鉱物を運搬するのに「タッパー」などの容器を準備してもらっておいたのは
正解だった。
(4) 古いクロム鉱山跡を訪ねて
最後に訪れたのは古いクロム鉱山跡だ。蛇紋岩に伴うクロムを採掘していた鉱山で、ここの目
玉は、「灰クロムざくろ石(ウバロバイト)」だ。
この会の1週間前の下見で、『宝石級 灰クロムざくろ石が採れた!!』とプレアナウンスして
おいたのだが、ミネラル・ウオッチングが終わるまで産地を保護するため、HPは無論写真など一切
公開していなかったので、皆さん「MHの法螺(ほら)だろう」くらいに聞き流していたのではないだろ
うか。それを今、公開しておこう。
埼玉県越生町(既に絶産)など国内で産出するこのような緑色のざくろ石は「含クロム灰バ
ンざくろ石」という、申し訳程度に「クロム」が入った名前がつけられていた。
この産地のものは、堀先生の分析で「灰クロムざくろ石【UVAROVITE:Ca3Cr2(SiO4)3】」の折り紙が
付いているので、自信を持ってラベルに記入できる。
なお、共生する(母岩をなす)クロムの鉱石は、「クロム鉄鉱【CHROMITE:FeCr2O4】」ではなく、
「クロム苦土鉱【MAGNESIOCHROMITE:MgCr2O4】」だとの分析結果が同時に出されている。
( もっとも、かなり強い磁性があるところから、鉄も含まれているが マグネシウム(Mg)>鉄(Fe)
なので「苦土鉱」という名前になっているのだろう。
この出典を探しているのだが、まだ探しあぐねている。歳はとりたくないものだ・・・・・・・MH )
【後日談】
出典が気になって4日目になった。積んであった本の間に鉱物同志会の会誌・「水晶」のバッ
クナンバーがあった。堀先生が出てくる確率が一番高いので、ページをめくると、荻原(おぎわら)
会員の「大日鉱山サンプル分析体験記2/2」があり、その中に上記の記事があった。
このことで、「古希を迎えたが、まだ少しは大丈夫かな(?)」と気を取り直したMHだった。
ズリの表面を舐(な)めるように探すグループとズリ石を水辺まで運んでフルイかけしたりパンニン
グするグループもある。「灰クロムざくろ石」は”鮮緑色”で一度見れば忘れられないのだが、蛇紋
岩が「滑石」になったものや「貴蛇紋岩」なども”緑色”をしていて判別が難しい人もいるようで、
鑑定依頼が舞い込む。急いで何個かサンプルを探し出し、まだ採っていない人に配る。
ぼちぼち、あちこちから「あった!!」の声があがるようになってくる。愛知・Kさんが採集したのは、
握りこぶし大で全周に鮮やかな結晶が付いた素晴らしい逸品だ。
やがて、滋賀・Yさんが「宝石級がでました!!」と興奮気味に駆け寄ってきた。見せてもらうと
鮮緑色で結晶の粒が見える。
皆さんが集まってきて覗き込み、その美しさに、がぜんファイトを燃やして持ち場に散って行く。
やがて、京都・Tさんが見せてくれたのは、大きな母岩にきれいな結晶がついた渋い標本だった。
この日も、川に浸しておいたスイカを15時ごろに切り分けて食べる。
カリウムや塩分を補給してラスト・スパートをかけ、15時30分に中締めの「解散式」を駐車場
に戻って開催した。
(5) また会う日まで
2日間、目まぐるしく主役が入れ替わり、参加者が次々と良品を採集できた。おまけに100%
雨の天気予報を覆し、2日とも快晴に恵まれたのは、参加者の日頃の精進の賜物だとしておこ
う。
またお会いできるのを楽しみに、名残惜しいがお別れした。この後、近くにある別なズリで採集
して帰宅したグループもあったようだ。
最後になるが、小学生などの年少者と女性、そして気だけ若く、動くのは口だけで、ミネラル・
ウオッチングで肝心な目・手・足腰の3拍子揃ってダメな高齢者が中心のわれわれグループを助け
てくれた、某大学の学生さんたち、とりわけリーダーのDさんに深く感謝している。
今回のミネラル・ウオッチングに参加できなかった奈良・Aさんと長野・Mさんが貴重な標本をオーク
ション用にと多数送ってくれた。神奈川・Hさんはたくさんの標本と差し入れをもって忙しい時間をや
りくりして駆けつけてくれた。
このような人々が大勢いることからもこの集まりの性格と参加者の人柄も察していただけるだろう。
この夏も小中高一貫校や某大学などからフィールドを案内して欲しいという要望が寄せられている。
多くの人にとって鉱物には心を惹きつけるものがある。
私の気力・体力の続く限り(「死ぬまでとちゃうか」・・・外野の声)案内させていただくつもりだ。