2016年の新年を迎えて20日近くがたった。暦の関係で年始の休みが短く、仕事が忙しい3男一家は
珍しく帰省せず、横浜の孫娘一家が30日にきて元旦には帰っていった。いつもの年より、慌ただしさは
なかったが、チョッピリ寂しいお正月だった。もっとも、高齢者のじーじ、ばぁばが体力の有り余っている孫
娘たちと付き合うには程よい日数だった。
三が日が過ぎると暇を持て余すようになり、4日には 『 2016年 ミネラルウオッチング初め 』 に行って
見ようという気になった。「 初詣は氏神様から 」、と言われるように、今までも納めや初めで何回か訪れ
ている山梨県の産地を訪れてみた。
そこは、古い水晶鉱山で、ここを本格的に調べ始めたのはH製作所を退職し、技術士試験の最難関・
総合技術監理部門の受験勉強をしていた2002年の冬だった。降り積もった雪の中、いくつかある尾根
から谷までを虱(しらみ)潰しに歩き回り、坑道とその前に広がるズリを丹念にマップに落としておいた。
・山梨県黒平向山鉱山の水晶
(Rock Crystal of Mukouyama Mine , Kurobera , Yamanashi Pref.)
その後、”YYコンビ”で訪れ、素晴らしい水晶を発見したのが知れ渡り、大勢の人が訪れる産地に変貌
した。
ここでは、「硫砒鉄鉱」起因と思われる「スコロド石」が採集できるのには気づき、HPにも載せて置い
た。
その後、訪れた人たちが 『 毒鉄鉱 』 をはじめとする、砒酸塩鉱物を採集、「ペグマタイト」誌に発
表し、一躍脚光を浴びた。
( 2016年1月 観察 )
【後日談】
1月18日に日付が変わったころから、雨が雪になって甲府盆地が真っ白になった。暖冬のせいか、昨
年より45日も遅い初雪だった。甲府市内では積雪12センチと発表されたが、妻の車の上には20センチ
ほど積もっていた。2年前の豪雪ほどではなかったが、JRがストップ、中央高速が通行止めで、妻も仕
事を休んだ。
今日あたりの産地は、下の写真のようになっているだろう。
見覚えのある踏みわけ道を辿(たど)ると、坑口が見える。坑道に入るのは、ほぼ3年ぶりだ。日当た
りの悪い坑口付近は2、3℃だが、坑内は15℃前後あって暖かく感じられ、ハンマーを振っていると汗ばん
でくるほどなので、真冬のミネラル・ウオッチングにはピッタリの場所だ。
冬眠中の蝙蝠(コウモリ)たちが、突然の闖(ちん)入者に驚き、飛び交う。
水晶、とりわけ砒酸塩鉱物は坑道内の特定の場所でのみ採集できる。石英脈には、褐鉄鉱などで
茶褐色に染まった部分が見られ、砒酸塩鉱物はこのような場所から産出するようだ。
砒酸塩鉱物は、砒素(As)、鉄(Fe)を含む「硫砒鉄鉱」などや鉛(Pb)、ビスマス(Bi)を含む鉱物が
分解し、成長が終わった後の石英(水晶)の表面に2次鉱物として生成したようだ。
採集方法は、石英脈をハンマとタガネで掻き取るのだが、堅いのでそれなりの装備と腕力が必要だろ
う。
空腹に気付いて時計を見ると13時だった。外に出ると少し寒いが防寒具がいるほどではなかった。コ
ンロでお湯を沸かし、カップ麺をいただくのは冬のミネラル・ウオッチングの定番になりそうだ。
(2) 毒鉄鉱【PHARMACOSIDERITE:KFe3+4(AsO4)3(OH)4・6-7H2O】
青緑色透明、四角い薄板状〜サイコロ状の六面体の結晶で”三角穴”と呼ぶ、多形水晶(石
英)が作る空間(晶洞)に産出する。ここでは、一辺が最大1cmクラスの結晶も観察でき、『日本一』
と呼んでも過言ではないだろう。
(3) スコロド石【SCORODITE:Fe3+AsO4・2H2O】
紫色を帯びる褐色、半透明、斜方複錐面で産出するのが一般的だ。柱面が発達し、放射状に
なった『菊花状』で産するケースもある。鉱物学的には、”輪座双晶”だろう。
(4) 鉄明礬石【JAROSITE:KFe3+(SO4)2(OH)2】
黄褐色の皮膜状〜土状で石英の晶洞壁を覆うように産出する。硫砒鉄鉱や黄鉄鉱などの硫
化鉱物が酸化し、花崗岩質ペグマタイト中に最末期産物として生成したもののようだ。
その日は茨城に単身赴任していたときに懇意にさせてもらっていた古書店のOさんが、家を新築し
たのでお祝いと遅くなったが南極探検のお土産を持参して訪れ、夕方定刻に会場のホテルに着い
た。
たしか、卒業して2年くらい経ったときに同級会が開かれ、何人かには会ったはずだが、それでも
50年ぶりだし、その時会えなかった人とは52年ぶりの再会となった。
Iさんが、「あの頃君は若かった! 君は何人の名前を覚えていますか」、とキャプションのついた
入学式の写真を引き伸ばして準備してくれていた。
18人の一人一人に挨拶をするたびに、「え〜と、〇〇さんでしたっけ」と確認するのだが、1/3くら
いは人違いで、中には名前すら思い出せない人もいた。半世紀(50年)の年月の長さを思い知ら
された。
皆さんが私を見ると名前はすぐ思い出してくれるのだが、「太ったな」、と異口同音におっしゃる。そ
れもそのはずだ。、卒業するとき身長167センチ、体重50キロくらいしかなかったが、卒業後、身長が
7センチ伸び、体重に至っては20キロ近く増えているのだから別人と思われても仕方がない。
42名のクラスだったが、すでに6名が亡くなっていて、病気療養中で出席できないという人もいた。
黙とうの後、乾杯をして懇親会が始まった。50年間の文字通り”半生を語る”一人一人のスピーチ
が長くて半分ほどの人が終わったところで懇親会はお開きとなり、私の番まで回って来なかった。
続きは最上階のラウンジを貸し切って行われ、夜更けまで懐かしく語り合った。
Iさんからの年賀状に、「今回参加できなかった連中から、次回早くやれと催促されている」とあっ
たので、会えなかった人たちにも次回は会えるのを楽しみにしている。
【後日談】
Iさんが「一番遠くから来たMHがこの写真を持って帰れ」と渡してくれた。正月に帰省した孫娘に
写真を見せて「おじいちゃん、どこにいる」、と探させたのだが、わからないのだ。もっとも、妻や嫁さん
すらわからないのだから無理はない。
孫娘が指さすのは、”おじいさん顔”の人ばかりで、私が高校生の時から今の顔だったと思っている
ようだ。
(2) 『 前倒しGWミネラル・ウオッチング 』
2015年も子どもたちから老若男女まで、大勢の石友とミネラル・ウオッチングを楽しませていただい
た。いただいた年賀状には、昨年ご一緒した産地でのスナップ写真や採集品を載せた石友も多か
った。
子どもたちや教育関係者からの年賀状には、楽しかった思い出と今年もよろしくと綴られていた。
石友からは、「遠出がシンドくなって・・・・」という声と、「ミネラル・ウオッチングを楽しみにしている」
という両方が寄せられた。毎回は無理にしても、気力・体力が充実した時に参加していただければ
と、再会を楽しみにしている。
恒例の春のミネラル・ウオッチングは、例年より2か月早い 『 前倒しGWミネラル・ウオッチング 』 として
3月下旬か4月上旬に開催する予定だ。
2016年も、皆さんとご一緒できるのを楽しみにしている。