北関東の骨董市で鉱物資料探し

1. はじめに

    2014年3月、同期会幹事のI氏から、5月に北関東のT市で同期会を開催するとのメールがあっ
   た。T市周辺に住む同期生は人数も多いことから、年に数回集まってゴルフや飲み会を楽しんで
   いるのだが東京、甲府などのメーンバーは、2、3年に一度の参加とならざるを得ない。

    せっかく北関東まで行くのだから、骨董市や鉱山跡、そして世界遺産に内定した「富岡製糸場」
   などを4日間かけて巡るノンビリ旅を計画した。

    旅の初日、朝3時に起き、高速を乗り継いで、北関東の骨董市に着いたのは7時だった。すでに
   ほとんどの店が荷を並べ終え、”掘り出しもの”を探す客も多かった。日記帳をみると、ここの骨董
   市を最後に訪れたのは2013年1月だから、ほぼ1年半ぶりだ。

    この日は、ここだけの予定なので、ジックリ時間をかけ、隅から隅まで見て回る。私が探している
   物を欲しがる人が少ない(いない?)のか、面白い品をいくつか手に入れることができた。

    ・ 「クリノメーター」
    ・ 「佐渡金山絵巻物」
    ・ 「寛永通宝 背久二 (常陸太田鋳)」 母銭と通用銭
    ・ 「半銭銅貨 明治10年 角ウロコ

    だれも見向きもしない(気付かない)品は骨董商のストックとして溜まっていき、自然に鉱物界で
   いうところの”漂砂鉱床”が形成され、私にとっては”富鉱帯”になっているようだ。
    この後巡った古い鉱山跡も同じように、しばらくぶりに訪れると自然に再生していて、その産地の
   目玉標本をいくつか入手できた。
    ( 2014年5月 訪問 )

2. 骨董市

    「なんでも鑑定団」などの影響か、昔は老人の趣味だった骨董品の人気が女性や若い人にも
   広まり、ほとんど毎週土曜、日曜、そして決まった日に関東、甲信越はじめ全国のどこかで、骨董
   市が開かれている。
    フィールドでのミネラル・ウオッチングが難しい11月から4月までは、毎月、曜日を決め、山梨県
   内外の骨董市を回って、古銭、鉱物そして郵趣関係の掘り出し物を探している。
    この日訪れた骨董市には赤ちゃんを連れた若いカップルの姿がみられ、このような光景もめず
   らしくなくなってきている。

     
                骨董市光景

3. 骨董市とミネラル・ウオッチング

    骨董市の楽しみはミネラル・ウオッチングと似ている点が少なくない。” Mineralhunters ” が足
   繁く通うのもそのようなわけだ。

     1) 宝さがし
         どちらも、探して手に入れるのは、「骨董品」、「鉱物標本」というお宝だ。「鉱物標本」だ
        と、ある産地でしか採れない鉱物もあるが、「骨董品」はどこで何が獲れるか予想もつか
        ないことが多い。
         店主に箱の隅から探し出した一枚の古銭の値段を聞くと、「そんなのがあったのか」、と
        言うくらいで、店主すら何があるか判らないことも多い。

     2) 発見の喜び
         「骨董品」のうち、古銭(コイン)や切手などの「郵趣品」は専門カタログが発行されてい
        て、今までに発行された種類とそれぞれの市場での価値(=市場価格)も明らかなので
        ”掘り出した”お宝の価値が金額換算できるのはストレートに楽しい。
         「ジュース代(100円)でいいや」、と言われて購入した古銭や古い封筒が、カタログでは
        数千円から○十万円のこともある。骨董市は店主と客の『鑑定眼対決の場』でもある。
         貴重なものほど売る気がない私にとって、カタログの表示価格は経済的な意味はない
        のだが、”誰も気づかなかった”標本を”掘り出した”喜びは、ミネラル・ウオッチングの喜び
        に通じるものがある。

     3) 鑑定眼=知識の量×本物を見た回数
         「骨董品」に『贋物(にせもの)』はつきものだ。特に市場価値が高いものほど贋物が多
        い道理で、”掘り出しもの”と喜んだのもつかの間、帰宅してよくよく調べてみると贋物で
        ”ヌカ喜び”に終わることもないわけではない。
         「骨董」の世界では、”だまされる方が馬鹿”、と言われるほどだ。鑑定眼を養うために、
        カタログ類を暗記して知識を増やし、買わ(買え)なくても、本物を手に取って見せてもらい
        特徴を脳裏に画像として焼き付けておく。
         ルーペと磁石(マグネット)を必ず携行するのもミネラル・ウオッチングと同じだ。
         鉱物の場合、産地が違えば、「産状」や「結晶の形」が違うものもあり、難しい点があるが
        「骨董品」の場合、”本物と違うのは贋物”だから鑑定は比較的簡単だ。

4. 入手した鉱山・鉱物資料

 (1) クリノメーター
      クリノメーター(clinometer)とは、「傾斜儀」とも呼ばれ、地質調査(地表踏査)に用いる、地
     層面・断層面などの走向・傾斜を測る道具で、ルーペ・ハンマーと共に、地質調査の三種の神
     器とされる。
      ミネラル・ウオッチングでは、露頭やズリ石からハンマーとタガネで掻き取ったり、ズリから
     熊手で掘り出したり、あるいはパンニング皿で揺り分けた標本をルーペで観察するのは毎度の
     ことだが、鉱脈が伸びている方向やその傾斜を測定する必要は全くない、と言えるだろう。
      したがって、クリノメーターを使ったことがある(当然、使い方がわかる)、という人は100人中
     何人いるだろうか。
      下図に、クリノメーターの外観と機能を示す。

      
                クリノメーターと機能

      「走向」とは、傾いた地層面、岩脈壁、節理面、断層面、片理面、鉱床などが水平面と交わる
     直線の方向である。英語ではStrikeだが、フランス語のDirectionのほうがピンとくる読者も多い
     のではないだろうか。
      使い方は、クリノメーターの長辺を層理面にあて、水準器の気泡が真中にきて水平になった
     時の磁針の方位を読む。北を基準に読むルールなので、北磁針(色のついている方)が東(E)
     西(W)を結ぶ線より北側にないときは、クリノメーターを180度回転する。

         
                    測定方法                     読み方
                               「走向」の測定

      上のクリノメーターの読みだと、北磁針が北(N)より30度東(E)寄りを指しているので、走向は
     『N30°E』となる。クリノメーターの東西は普通の方位磁針と逆になっているので注意が必要
     だ。

      「傾斜」は、走向に直角な方向が水平面となす角だ。

         
                    測定方法                     読み方
                               「傾斜」の測定

      「傾斜」の方向は、走向の読み方の図にも示したように、走向と直角方向で、普通の方位磁
     針でSE(南西)だ。上のクリノメーターの読みで、錘は40を指しているので、傾斜は『40°SE』
     となる。

 (2) 「佐渡金山絵巻物」
      着物などを吊るしてある店先のワゴンの中を見ると、くたびれた箱の表書に「佐渡金山絵
     巻物」とあった。店主に断って箱を開けてみると、”巻物”が入っている。佐渡金山の観光土産
     に作られた摺りもの(印刷物)だ。

         
          箱            巻物

      解(ほど)いて見ると、坑口から入ると坑道内での採掘・水替作業の様子が描かれ、鉱石を
     背負って坑口を出ると、揺り分けによる選鉱・精錬・そして計量の様子が描かれていて、あた
     かも佐渡金山での金の製造工程を順に見て回っているようだ。長さは、私の2尋(ひろ:両手を
     広げた長さ≒身長)を超えるので、3.5mはありそうだ。

         
               釜之口(坑道入口)                    穿子(採掘)

         
                水替え(排水)                     背負子(運搬)

      
             揺り分け・吹き(選鉱・溶解)

                               金山の作業

      巻頭には絵巻物の正式な名前 『金銀山敷内稼方之図』とある。巻末には、原本者の名前
     書き写した年号・人などの情報がある。

       『 原本者
         佐州雑田郡相川住
         御絵師               山尾 次七 蔵書
         文久三年癸亥二月    任望 山田氏 写之
                             佐藤 六郎 愚書    』

      佐藤六郎が書き残した来歴によれば、佐渡島雑太郡相川に住んでいた絵師・山尾次七が
     書いた原本を幕末文久3年(1863年)山田氏が写したようだ。

 (3) 「寛永通宝 背久二 (常陸太田鋳)」 母銭と通用銭
      寛永通宝は、寛永3年(1626年)から幕末(ひょっとすると明治初期?)まで、250年間近く造
     られた庶民に馴染み深い銭(ぜに)だった。西欧の通貨が金属の板を型で押す圧印(あついん
     :Press)で造られるのに対して、日本では江戸時代まで、溶かした金属を砂を固めた鋳型(い
     がた)に流しこむ鋳造(ちゅうぞう:Cast)で「通用銭(つうようせん)」が多量に造られた。
      鋳型を造るには、もとになる見本の銭が必要で、これを「母銭(ぼせん)」、あるいは「種銭(た
     ねせん)」と呼んでいる。いずれも、母から子がうまれ、種は一粒万倍(いちりゅうまんばい)か
     ら名付けられたものだろう。「母銭」は加工しやすいように、材質は錫や銅で造られているのと
     流通時の摩耗がないため文字や縁(縁)の角が鋭いのが特徴だ。
      「母銭」は「通用銭」を造るための型で、鋳銭所から出て市中に流通することは希だったため
     現存数が少ないうえに美しいため、カタログでの価格は数百円の「通用銭」にくらべ、数万円と
     高い。

      とある店先の埃(ほこり)にまみれた木箱の中にコインがあるのを見つけ、店主に断って中の
     古銭を1枚、1枚チェックさせてもらい、面白そうなものを抜き出すことにした。ある一枚を手に
     取って見ると、四角い孔(こう)の上下に 久 ニ とある。材質は赤銅色だ。この銭の通用銭は
     鉄だったから、『母銭だ!!』。このほか、「永楽通宝」、明治時代の銅貨やおなじころの外国
     貨など、切り良く10枚まとめて1,000円で購入した。

      入手した「母銭」は、背面に久ニと鋳こまれているところから、略称が『背久二(はいきゅうに)』
     で、安永3年(1774年)から常陸太田(茨城県)で鋳造されたものだ。

      こうなると鉄でできた「通用銭」が欲しくなり、別な店で探し出す事ができたので、並べて紹介
     する。

         
               母銭                      通用銭
                            表

         
               母銭                      通用銭
                            裏

      溶けた金属は冷える時に体積が小さくなる”鋳縮み(いちじみ)”、という現象がおこる。それ
     を見込んで、「母銭」は一回り大きくなっているのも特徴で、外形をノギスで計ってみると、「通
     用銭」の23.5mmに対して、「母銭」は23.7mmで、約1%大きくなっている。

 (4) 「半銭銅貨 明治10年 角ウロコ
      母銭を掘り出したのに気をよくしてアチコチ見て回っていると、コインを中心に商っている店が
     あった。箱に入った古銭には値札がベッタリ貼られている。店主がカタログを見ながら値付けし
     貼ったものらしい。
      1000枚ほどの古銭の中に、明治10年発行の半銭銅貨が何枚かあった。この年の早い時期
     に竜の鱗(うろこ)のデザインが変更され、以前と同じ「角ウロコ」のものは少なく、それ以降の
     「波ウロコ」のものが数百円なのに数万円するカタログ評価になっている。

      値札は肝心な竜の模様のついた面(年号がある面なので表)に貼ってあり、「ウロコ」を簡単
     に見られない。普通の人は、値札が貼ってあるのは店主が確認済と思うらしく、値札をはがし
     てまで確認しようとするのは私ぐらいらしい。

      
         値札のついた半銭銅貨

      とある一枚の値札を苦労してウロコが見える部分だけはがしてルーペで見ると「波ウロコ」で
     はなさそうだ。明治11年以降に発行された確実な「波ウロコ」品と、見くらべてみると明らかに
     違う。100円の値札を元のように貼り直し、購入品の皿に入れた。このほか、国内外の銀貨、
     銅貨など20枚あまりを850円で購入した。
      帰宅後値札をはがし、糊を落してルーペで観察すると間違いなく「角ウロコ」だった。

         
          「角ウロコ」【明治10年発行】      「波ウロコ」【明治21年発行】
                          半銭銅貨全体

         
          「角ウロコ」【明治10年発行】      「波ウロコ」【明治21年発行】
                          ウロコ部分

5. おわりに

 (1) 骨董市では午後になると店じまいする人が出始め、3時過ぎにはほとんどの店が閉まってしまう。
     まだ陽は高かったが、近くに温泉施設が隣接する「道の駅」があることを思い出し、訪れてみた。
     ユッタリとお風呂を浴びていると夕食の時間だ。ここでは、枝豆など定番のビールのつまみに
     加えて、塩を添えた丸ごとトマトという野趣あふれる品があったので注文した。

      
           塩を添えた丸ごとトマト

     夕食をとり、仮眠して、次の日に訪れる「西沢金山」に向かって車を走らせた。
 

6. 参考文献

 1) 小川 浩著:古銭の収集<新版>,徳間書店,昭和41年
 2) 日本貨幣商協同組合編:日本貨幣カタログ 2014,同組合,2013年
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