2015年 ミネラル・ウオッチング納め 『大身谷鉱山の鉱物』











         2015年 ミネラル・ウオッチング納め
              『大身谷鉱山の鉱物』

1. はじめに

    後ろ髪を引かれる思いで新井鉱山を後にして、国道429号線に戻り、紫水晶で有名な「佐嚢」を
   横目に見て、この日のメインの目的地である明延鉱山に向かった。
    途中、神子畑鉱山と生野鉱山を結ぶ鉱石運搬道路『鉱石の道』の一部として造られた「神子畑
   鋳鉄橋」の見学だ。
    更に神子川に沿って進むと分水嶺のトンネルを抜ける。ここまでの川は日本海に注ぐが、ここから先
   の川は瀬戸内海につながる。「上岸田」で右折、県道9号線に入り北上、4キロも走ると「銅山」の
   標識が見えた。走り過ぎてからすぐに、「大身谷鉱山に寄ってみましょう」、と嬉しい予定変更だ。

    
                「銅山」入り口の標識

    こうして、大身谷鉱山を案内していただいた。

     ( 2015年12月 訪問 )

2. 産地

    「銅山」の標識から川に沿って下ると鉱山集落と思われる無人や廃屋の集落がある。それらを過ぎて
   私の持っている古い道路地図に「どう父」とあるポイントを目指す。
    林道の行き止まりに、大きなズリが姿を見せた。

    
                大身谷鉱山のズリ

3. 産状と採集方法

    大身谷鉱山について一番頼りになる「日本鉱産誌」で調べてみたが、手掛りが得られなかった。と
   言うことは、この本が執筆された1950年代には稼行していなかったことになる。

    いつごろ発見されたかハッキリしないが江戸時代には採掘・製錬していたようだ。明治初年に生野
   の何某が開坑し、明治12年「あさがが来た」に登場する五代友厚の手に渡り、明治40年志波定次
   郎が経営する。
  大正3年には藤田組に引き継がれ、「富盛(ふせい)脈」を採掘したが、大正9年に閉山。鉱山が
   再び息を吹き返すのは、昭和32年になってからで、同和鉱業(株)と金平鉱業(株)により開坑し

       昭和32年には、出鉱を開始した。
    昭和43年になって、「大立脈」を開発したが、1980年(昭和55年)ごろには閉山したようだ。

    昭和52年の生産量は、粗鉱量 13トン余、品位は Au 1.5g/t , Ag 310g/t で、鉱山の規
   模としては、先にみた樺阪や新井よりも小さく、銀の品位は樺阪に近かった。

    こうして歴史と鉱石の品位をみると、金銀山として稼行してきたようで、地元では「大身谷銀山」と
   呼ばれていたようだ。

    今回訪れたズリがどの脈の捨石なのか判然としないが、石英脈を伴う石を叩いて、破面をルーペで
   確認する作業を繰り返した。

4. 採集鉱物

 (1) 水晶/石英【QUARTZ:SiO2
      普通の透明水晶と紫水晶が観察できた。透明水晶は最大でも1センチ、紫水晶は結晶面が
     1、2面見える程度で、「紫石英」と呼ぶべきかもしれない。

        
                    透明                             紫
                                 「水晶」

 (2) 方解石【CALCITE:CaCO3
      叩くと純白のへき開面が現れ方解石だとわかる。なぜここで方解石が産出するのか、考えてみ
     ようと思って持ち帰った。

     
                  方解石

5. おわりに

 (1) 【後日談】
      帰宅して、遅ればせながら「大身谷鉱山の採集記事」を探してみた。昔所属していた団体の
     会誌に、O氏が4半世紀前の1991年(ふるー!!)に訪れたときのレポートがあった。それによれば

      ・ 訪れたのは大立坑のズリ
        ズリの上には、塞がれてしまっているが、坑口がある。

      ・ 訪れた場所では、確実に自然銀が採れる。
        自然銀は、箔状や苔状、まれにヒゲ状で、大きさは最大でも5ミリ。
        自然銀の出る石の特徴は・・・・・・・・・・・・・・・、とある。

      ・ ここ以外にもズリはある。
        そちらでも採れた。

      ・ 肉眼サイズの自然銀を採ったことのない人は、ぜひ一度。

      ズリは広いし、量もたくさんあるので、ジックリ探せば、採れそうな気がしてきた。

      『 人が採れるものは採れる 』 

6. 参考文献

 1) 益富地学会館監修:日本の鉱物,成美堂出版,1995年








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