奥飛騨の赤い○○○を訪ねて −Part2−







        奥飛騨の赤い○○○を訪ねて −Part2−

1. 初めに

    2012年7月中旬、石友・N夫妻と2泊3日のミネラル・ウオッチングで、奥飛騨の赤い○○○
   産地の探索に行ったのは、既報の通りだ。

   ・奥飛騨の赤い○○○を訪ねて
    ( Visiting Red ○○○ in Okuhida , Gifu Pref. )

    実は、ミネラル・ウオッチングを始めて間もない平成4年(1993年)ごろ、この産地を某氏
   に案内してもらい、必要な標本は採集済だった。しかし、あれから20年、現在の産地の様
   子を知りたくて、訪れてみる気になったのだった。

    結果は、既報の通り、”赤い○○○”を食べて帰ってきただけだった。7月、8月、9月と猛
   烈な暑さに見舞われ、ミネラル・ウオッチングに行こうという気力も萎(な)えていたが、
   9月の3連休のころには、秋風も吹き、赤とんぼも舞うようになり、リベンジせねば、という
   思いが強まった。
    初日、ミネラル・ウオッチングのフォローアップと秋のミネラル・ウオッチングの下見で長野
   県の産地をいくつか回り、帰宅して思い立ったように妻に「奥飛騨に行こう」と宣言した。
    かろうじて翌日の宿は、岐阜県恵那市に確保できたが、その日の宿はどこも満杯で車
   中泊と決めた。

    「松本IC」で下り、遅めの夕食に信州そばを食べ、安房トンネルを抜けると気温は17℃と
   肌寒いほどだった。古川市の「道の駅」で車中泊したが、外気温は20℃と、暑くも寒くもな
   く快適だった。

    翌朝、小雨がパラついていたが、朝食を済ませ、奥飛騨の集落に着くころには、雨も上
   がっていた。気乗り薄の妻を車に残し、7時前に登山開始だ。
    林道を進むと、”ケモノ臭”がして、イノシシとも違う唸り声が藪から聞こえてきた。その
   方角を見ると、立木の上の真っ黒い動物が私の方を興味深そうに見ている。「小熊だ!!」
    と言うことは、あの唸り声は「母親熊!!」

       小熊

    向こうは私の存在に気づいているようだから、私の行動を知らせてやれば、”出会いが
   しら”の不幸な遭遇は避けられると考え、口笛を吹いたり、歌を口ずさみながら林道を進む
   ことにした。

    1時間15分ほどで、N夫妻と”赤い○○○”を食べた場所に着いた。ここからが、正念場
   だ。錆ついた記憶をたどりながら進むと、記憶にある目印がある。この先にあることは間違
   いない。さらに進むが、もう一つのハッキリした目印が見つからない。この辺りに間違いな
   いのだから、行きつ戻りつしながら、虱(しらみ)潰しに探査する。
    9時50分、見覚えのある露頭にたどり着いた。出発してから3時間が経っていた。小さな
   露頭の前には赤さびた空き缶があり、最近訪れる人はほとんどいないようだ。

    しかし、露頭には目指す鉱物の影も形も見えない。20年前に訪れたときも”絶産”間近な
   様子だったのだから、無理もない。
    周辺を探すと、小さいながら目的の鉱物の転石があった。熊のことが頭にあり、長居は
   無用と、写真を撮って下山した。

    下山し、車近くまで来ると、岐阜県警のパトカーが停まっている。妻の話では、余りの暑
   さで車のスライドドアを開けたまま車を離れ、戻ってみたらパトカーが来ていたらしい。
    警察官の話では、「ドアが開きっぱなしの(不審な?)県外車が停まっている」、との通
   報で駈けつけてくれたらしい。
    妻が事情聴取を受け、パトカーが引き揚げようとした時に私が戻ってきたタイミングだっ
   た。

       パトカー

    こんなことがあり、一秒でも早くこの場を去りたい妻の気持ちを考え、「天生峠」を抜け、
   白川郷で昼食を食べ、東海北陸道で土岐を経由し恵那のホテルに着いたのは、15時過
   ぎだった。

    翌日、この旅の締めくくりは「コランダム」と、われわれの○秘ポイントを訪れた。相変わ
   らず、期待を裏切らず、いくつかの標本を採集でき、早めに切り上げ、その日の内に千葉
   の単身赴任先に戻った。
    歳を取ってからでは行けない奥飛騨の赤い○○○産地の現状を確認でき、有意義な
   3連休だった。
    ( 2012年9月 観察 )

2. 第1日目【今夜の宿を求めて】

 (1) ミネラル・ウオッチングのフォローアップ
      2011年6月、恒例になっている「月遅れGWミネラル・ウオッチング」を開催し、長野県
     のいくつかの産地を巡検した。

     ・2011年月遅れGWミネラルウオッチング
     ( Mineral Watching , Jun. 2011 , Nagano Pref. )

     この時訪れた、”綺麗な柘榴石”や”焼餅石(緑簾石)”の産地がその後どのように変
    化しているか、知りたくて、妻と2人で訪れた。(ただ、妻は、ほとんど車の中で待機)

     きれいな柘榴石の産地の露頭と沢は健在で、母岩付きと分離結晶が採集できることを
    確認した。

         
                 露頭                          観察品
                        きれいな柘榴石産地

     上田市(旧武石村)に入って、以前も立ち寄った「山麓」という、食堂風の店で昼食を
    摂る事にした。

       「山麓」

     私は、「ヒレかつ定食」、妻は「親子丼」を注文。だいぶ待ってから、岩魚の刺身がつい
    た料理が運ばれてきた。店構えに似合わず、料理の味は良く、値段もリーズナブルで
    2人とも満足して店を後にした。

         
             ヒレカツ               親子丼

      腹ごしらえもできて、次は「焼餅石」が採集できる沢に向かった。この近くにあるいくつ
     かの沢で採集したことがあった。最初の沢では、妻が大きな抜け殻に緑簾石を思わせ
     る鮮緑色のコケが生えたオブジェ風の『焼餅石』を拾って幸先が良い。
      次の沢は、私ひとりで入ってみると、先行者が2人いた。問わず語りで話していると
     「MHさんですか!?」、と聞いてきた。一人は、長野県のHさんだった。私のHPの愛読
     者の一人で、いくつかの産地情報を差し上げたことがあったが、お会いするのは初め
     てだ。
      2人とも、産地を荒らしまわるようなタイプには見えず、産地情報を差し上げたのが間
     違いでなかったことを確信した。

      大きな転石の一部に球顆が見えたので、叩いてみると内部の構造は焼餅石そのも
     のだった。

         
               妻の採集品                   私の採集品
                            『焼餅石』2題

      ここでの最大の収穫は、『マタタビ』だった。沢の岸辺に大きなマタタビの木があって
     落ちた実が沢の中に点々と散らばっていた。それを拾い集め、買い物袋に入れて持ち
     帰った。きれいに洗って、重さを計ると、800グラムもあり、妻が買ってきた氷砂糖と一
     緒にホワイトリカーに漬け、「マタタビ酒」となり、静かに熟成を待っている。

       「マタタビ」

      このフォローアップを通して、非力なメンバーが多い私たちのミネラル・ウオッチングの
     後でも、産地は健在なことを確認した。
      「われもこう」の先にとまった赤とんぼや真っ白に花咲く蕎麦畑に、一足早い信州の
     秋を感じた。

         
             赤とんぼとわれもこう                    蕎麦畑
                             『信州の秋』2題

 (2) 秋のミネラル・ウオッチングの下見
      2012年10月に開催する秋のミネラル・ウオッチングで皆さんを案内したいポイントが
     ある。そこには地権者がおられるという情報があったので、挨拶に伺った。
      名刺を差出し、趣旨を説明したところ、私の人相・風体をしげしげと観察した揚句に
     「わかりました」、と了承していただいた。
      急いで車に戻り、単身赴任先で買った、お土産をお渡しし、丁寧にお礼を述べ、地権
     者のお宅を後にした。

 (3) 奥飛騨を目指して
      自宅に帰っても未だ明るい。秋のミネラル・ウオッチングで最大の課題の”どこを訪れ
     るか”も目途(めど)がついたので、”ホッ”とした。
      残り2日の休みをどう過ごすかが問題だ。9月後半は、某大学の巡検案内、その翌週
     は、某私立一貫校の小学生の野外授業講師、10月に入れば妻のお茶会、・・・・と夫婦
     揃って出かけられるの当分なさそうだ。

       「奥飛騨に行ってみよう!!」、と宣言した。月曜日には、単身赴任先の千葉まで
      戻りたいので、今夜出発し月曜の昼過ぎには山梨に戻りたい。問題は宿だ。インター
      ネットで、いつも利用するホテルチェーンの予約状況をみると土曜日はどこも満杯で、
      かろうじて、日曜の夜、岐阜県恵那市のホテルを予約できた。今夜は、久々に車中泊、
      ベッド用の板や布団を車に積み込んで出発だ。

       自宅近くのSAから高速にのり、1時間で松本ICで下り、郊外の古い店構えの蕎麦
      屋で「信州ソバ」を食べ、一路奥飛騨を目指す。真っ暗な道を疾走すると、ところどこ
      ろに人家の明かりが見える。車外の気温はどんどん下がり、もうエアコンは止めてあ
      る。「安房トンネル」を抜けると気温は17℃で、肌寒さを覚える。
       ここから、高山に向かって下って行くと、気温は徐々に上昇するが、それでも20℃
      を超えることはなかった。
       古川市の「道の駅」で車中泊したが、外気温は20℃と、暑くも寒くもなく快適だった。

3. 第2日目【赤い○○○を求めて】

 (1) 「熊(困)った!!」
      翌朝、小雨がパラついていたが、買っておいたパンと自動販売機の”ホットコーヒー”
     そして持参した果物で軽い朝食を済ませ、2日目のスタートだ。奥飛騨の集落に着くこ
     ろには、雨も上がっていた。気乗り薄の妻を車に残し、7時前に登山開始だ。

      林道を進むと、道端には萩の花が咲きこぼれ、奥飛騨は既に秋の気配が濃い。突然
     ”ケモノ臭”がして、イノシシとも違う唸り声が藪から聞こえてきた。その方角を見ると、
     立木の上の真っ黒い動物が私の方を興味深そうに見ている。「小熊だ!!」。と言う
     ことは、あの唸り声は「母親熊!!」

      向こうは私の存在に気づいているようだから、私の行動を知らせてやれば、”出会い
     がしら”の不幸な遭遇は避けられると考え、口笛を吹いたり、歌を口ずさみながら林道
     を進むことにした。

 (2) 「赤い○○○」を探せ!!
      1時間15分ほどで、N夫妻と”赤い○○○”を食べた場所に着いた。ここからが、正念
     場だ。錆ついた古い記憶と目の前の風景のギャップが大きすぎるのだ。
      20年前の5月ごろにここを訪れた時、この辺りには湿原があって、「水芭蕉」が咲いて
     いた記憶があるのだが、灌木が生い茂る急な流れの沢になっている。それでも、記憶
     にある目印がある。この先にあることは間違いない。さらに進むが、もう一つのハッキ
     リした目印が見つからない。
      この辺りに間違いないのだから、行きつ戻りつしながら、虱(しらみ)潰しに探査する。
     9時50分、見覚えのある露頭にたどり着いた。出発してから3時間が経っていた。小さ
     な露頭の前には赤さびた空き缶があり、最近訪れる人はほとんどいないようだ。

       「露頭」

      しかし、露頭には目指す鉱物の影も形も見えない。20年前に訪れたときも”絶産”間
     近な様子だったのだから、無理もない。
      執念深く周辺を探すと、小さいながら目的の鉱物の転石があった。熊のことが頭にあ
     り、長居は無用と、写真を撮って下山した。

       「赤い○○○」

 (3) 一難去って
      下山を開始して1時間ほど経って、携帯が鳴った。妻からのメールだった。だが、携帯
     は「圏外」の表示のままだ。5分ほど歩いて、眼下に集落の一部が見えるようになると、
     携帯が使えそうなので、妻に電話すると電波の状態が悪く、すぐに切れてしまった。何
     回か掛け直すと、ようやくつながり、あと20分くらいで着くと伝える。(この時点では、
     何事もなかった)
      Nさんにも、「赤い○○○」発見の速報を入れると、折り返し、奥さんからも祝福の電
     話をいただいた。

      車近くまで来ると、岐阜県警のパトカーが停まっている。妻の話では、余りの暑さで
     車のスライドドアを開けたまま車を離れ、戻ってみたらパトカーが来ていたらしい。
      警察官の話では、「ドアが開きっぱなしの(不審な?)県外車が停まっている」、との
     通報で駈けつけてくれたらしい。
      妻が事情聴取を受け、パトカーが引き揚げようとした時に私が戻ってきたタイミング
     だった。
      待たされている妻を「奥さんも大変ですね」、と警察官が労(ねぎら)ってくれた後で
     妻から聞いた。

      この近くには、「大隅石」などの産地もあるのだが、こんなことがあっては、一秒でも
     早くこの場を去りたい妻の気持ちを考え、「天生峠」を抜け、白川郷に抜けた。
      合掌造りの集落も秋の実りの季節を迎えていた。

       「合掌造り」の里

 (4) 今夜の宿を目指して
      白川郷で昼食を食べ、東海北陸道に乗る。まだ12時を少し回ったばかりなので、渋
     滞の気配もない。順調に土岐JCTから中央道に入り、恵那のホテルに着いたのは、
     15時過ぎだった。
      ホテルの売りの「大浴場」で髭を剃り、汗を流し、PCを借りて、インターネットでメール
     をチェックする。

 (5) 秋の味覚を味わう
      夕食は、チェックイン前に眼を付けておいたホテル近くのレストランにした。蕎麦や松
     茸などの季節の料理が味わえそうだからだ。店に入って、メニューを見ると、この季節
     限定の『敬老御膳』なるものがあったので、夫婦で注文した。次の日は、「敬老の日」
     だった。

       『敬老御膳』

      ホテルに戻ると、昨日からの疲れが出て、”バタンQ”

4. 第3日目【旅の締めは「コランダム」】

 (1) 苗木の「コランダム」を求めて
      翌日、この旅の締めくくりは「コランダム」と、われわれの○秘ポイントを訪れた。相変
     わらず、期待を裏切らず、いくつかの標本を採集でき、早めに切り上げた。

       苗木の『コランダム』

      こうして、その日の内に千葉の単身赴任先に戻った。
      歳を取ってからでは行けない奥飛騨の「赤い○○○」産地と苗木の「コランダム」産
     地の現状を確認でき、有意義な3連休だった。

5. おわりに

 (1) 10年ひと昔
      草下先生の「鉱物採集フィールド・ガイド」に、「コランダム(鋼玉)を求めて」の章があ
     り、次のような一節が記憶に残っていた。

      『・・・・10年ほど昔(1970年ごろ)だが、岐阜県の飛騨山地の奥の奥、小鳥(おどり)
       川という沢の上流で片麻岩の中から、これこそルビーといえる真紅の鋼玉が発見
       され、ひそかな話題となったことがある。かなり大きなものも出たらしいが、なにぶ
       ん量が少なく、不便な山奥で、よほどファイトのある人でないと、たどりつけないだ
       ろうという話だ                                         』

      奥飛騨の「赤い○○○」産地を某氏に案内していただいたのは、20年ほど昔だった。
      ( ふた昔前になる )

      5月連休に、福井ICで待ち合わせて、「福井県赤谷鉱山の金平糖」→「仙翁鉱山の
     モリブデン鉛鉱」を採集し、その夜は富山県大沢野町の宿に泊った。
      翌朝、宿から神岡に向かって走り、途中から奥飛騨に入った。集合場所には、すで
     に数人が待っていて、確かKさんの奥さんが紅一点だったと思う。
      林道を登り詰めると、目印があったのは、今回も記憶通りだった。その先が、判らな
     くなっていた。その季節、湿原のような場所には、(残雪があり?)、「水芭蕉」が真っ
     白い花をつけ、別世界の感をいだいた。
      そこから、いくつかの目印を頼りに、何の苦労もなく産地にたどりついた印象だった。

      綾小路きみまろではないが、『あ〜、あれから20年』、水芭蕉」など影も形も見られな
     い。それどころか、湿原のような場所には、沢が出現し、灌木が生い茂っていた。
      多分、山の手入れがされなくなって山の保水力が落ち、集中豪雨で、濁流が流れ下
     り、風景が一変したようだ。これでは、判らなくなるのも道理だ。
     (多分に、老化で記憶があやふやになったことに対する、自己弁護が入っています。)

 (2) 気になる産地
      こうして、気になっている産地の1つの現状を把握する事ができた。以前、湯沼鉱泉
     社長や石友・小Yさんと川端下に登ったとき、当時73、4の方とご一緒したが、足腰が
     達者なのには、驚ろかされた。

      私も、こうありたいと思ったが、今になるとその方の歳まで数年しかない。限られた
     時間の中で、気になっている産地の現状を1つでも、2つでも記録に残して置きたいと
     思う昨今だ。

6. 参考文献

 1) 草下 英明:鉱物採集 フィールド・ガイド,草思社,1988年
 2) 益富地学会館監修:日本の鉱物,成美堂出版,1994年
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