石川県小松市尾小屋鉱山(金平金山)の紫水晶と緑鉛鉱

石川県小松市尾小屋鉱山(金平金山)の紫水晶と緑鉛鉱

1.初めに

 古い鉱物図鑑には、石川県小松市尾小屋鉱山産の紫水晶が掲載してある。
平成2年(1990年)、大阪で開催された、「花の万博」に家族で行った帰りに
北陸地方の鉱物採集をと思い、尾小屋鉱山を訪れたが、広大なズリには
紫水晶のカケラ(=紫石英)が、チラホラ見られる程度で、紫水晶は
影も形も見かけなかった。
 以来、10年余りが過ぎ、石友のNさんから、「尾小屋鉱山で紫水晶と
紫色の緑鉛鉱が採集できる」とのメールを頂いた。
 産地も詳しく教えていただき、早速週末に妻と2人で行くことにしたところ
Nさんご夫妻が、案内していただけるとのこと。
 お言葉に、甘え、産地を案内していただき、紫水晶の単晶、群晶そして
紫〜緑色の緑鉛鉱などの2次鉱物を採集でき、2日間の北陸採集行の幸先よい
スタートをきることができた。
 また、ここでは、江戸時代のものと思われる、”搗き臼”を発見できたので
「石川縣地質鑛産誌」(昭和28年発行)に記述のある、「金平金山」跡では
ないかと考えている。
 案内していただいたNさんご夫妻に、厚く御礼申し上げます。
(2003年7月採集)

2.産地

 いろいろなHPなどに掲載されている産地だと思いますので、詳細はそちらを
参照してください。

3.産状と採集方法

 紫水晶は、分離結晶あるいは群晶として、黄土色の粘土混じりのズリ石の
中に埋もれている。
 緑鉛鉱は、ドロドロのズリ石の中から探し出すのは至難の業で、雨に洗われた
ズリ石の表面を”ジックリ”眺めて捜すのが確実でしょう。
     採集風景

4.産出鉱物

(1)紫水晶【Amethyst:SiO2】
   ここの紫水晶は、全体に色が薄く、母岩の部分は濃い紫色ですが、先端では
  透明になっているのも珍しくありません。
   また、結晶の表面が”キレイ”なものは少なく、”子持ち水晶”状になって
  いるのが普通です。
   小さな結晶でも、紫色の濃いのがあれば、大事に持ち帰りましょう。
  
      群晶【10cm】       単晶【9.5cm】
           尾小屋鉱山産紫水晶
(2)緑鉛鉱【Pyromorphite:Pb5(PO4)3Cl】
   緑鉛鉱というくらいですから、神岡鉱山産のもののように”緑色”が普通ですが
  ここでは”緑色”〜”紫色のものが産出します。
   黄土色の土状の上に生成したものと、紫水晶などの上に生成したものの2通りが
  あり、是非両方採集したいものです。
   紫水晶の上に晶出しているものは、結晶の一端が、紫水晶に埋もれたように見え
  緑鉛鉱は、鉛の2次鉱物とされますが、初生鉱物ではないだろうか、との疑問が
  湧いてきます。
            
緑色の緑鉛鉱【紫水晶上の初生鉱物?】  紫色の緑鉛鉱【Nさんの奥さん採集】
           尾小屋鉱山産緑鉛鉱
(3)このほか、白鉛鉱、青鉛鉱、硫酸鉛鉱などの鉛の2次鉱物や孔雀石など銅の
   2次鉱物が採集できるとの情報もあり、”色物”をいくつか持ち帰りましたので
   ジックリ調べてみたいと考えています。

5.おわりに 

(1)念願かなって、尾小屋鉱山の「紫水晶」の良品を採集することができ10年来の
   夢が1つ叶いました。
(2)「石川縣地質鑛産誌」によれば、「金平金山」は、200有余年前(昭和28年当時)に
   発見された当時は、微々たる産出量だったが、安永元年(1772年)、石黒源次なる
   ものが採掘に従事し、金産額が増加し、藩主前田侯のお手前山となり、その後
   石黒源之丞の自分稼行山となり、再びお手前山となるなど、めまぐるしく所有者が
   移り変わり、昭和9年から、日本鉱業(株)の所有となり、銅・亜鉛を採掘した。
    その当時、金鉱石は、搗砕し、「ねこ流し」で収金し、その残りを水銀入りの乳鉢に
   投じ、混汞金として分収したと伝えられる。
    金鉱石を細かく搗き砕くのに使われたと思われる、「搗き臼」を採集した。
  搗き臼
(3)この日は、赤瀬で「オパール」を採集した後、福井まで足を伸ばし、Nさんご夫妻と
   同じ宿の、静かで広いへや、美味しい料理そしていい湯で採集の疲れを、癒すことが
   できました。
   改ためて、Nさんご夫妻に、御礼申し上げます。
  夕食風景【貸切状態】
6.参考文献

1)石川県地方開発事務局編:石川縣地質鑛産誌,同局,昭和28年
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