(2)方解石【Calcite:CaCO3】
石膏を含む団塊の空隙部に、透明、菱面体自形結晶をなして産する。
「日本鉱産誌」には
『団塊状石膏の内部にしばしば少量の方解石の微晶(1%±)を包有する場合がある』
とあり、その記述通りであった。
(2)高田氏が”菱面体方解石”を採集した時の状況は、「ペグマタイト」誌によれば
次の通りである。
@能登鉱山の鉱石の用途は、ほとんどがセメント用で、石膏の割合が75%を
超えた鉱石は、選鉱せずそのままセメントに混ぜるそうだ。
A”菱面体方解石”は、坑道を30分も歩いた場所で、ほぼ水平、幅数十センチの
黒色粘土層に含まれ、粘土の中には石膏は見られなかった。
B鉱山長は「この方解石結晶は、標本業者に高く売れる鉱山の商品だ」と言い
誰かが、この方解石を標本屋に売ったらしい。
C若い鉱山技師は「方解石は、鉱山では役に立たないものだ」と気にしていなかった。
”菱面体方解石”を含む黒色粘土は、”ズリ”として捨てられ今も鉱山跡地に眠って
いるのか、選鉱せずそのままセメント工場に送られ、今では”影も形もない”のか
気になるところです。
(3)「日本鉱産誌」などによれば、能登鉱山の鉱床は、第三紀と思われる珪藻質黒色頁岩中に
胚胎し、連鎖状の3つの鉱体からなり、地下深くに続くのが特徴で、最深部は約200m
あった。
「ごま塩型交代鉱床」と呼ばれ、母岩中に雪花石膏の小粒がごま塩状に分布するもので
品位が低く、良いものでもSO3 34〜35%、H2O15〜16% セメント用としてのみ適し
水洗選鉱には適しなかった模様である。
そのため、掘り出されたものは、そのまま、セメント工場に運ばれた可能性が高く
選鉱場跡やズリが見出せない理由とも考えられる。
それでも、1930年(昭和5年)には、生産量が12,906トンと小坂鉱山を抜いて
本邦第一の石膏鉱山となった。
この後、近くにあった若山鉱山の生産量も併せると、能登地方で全国生産量の
50%前後を占める状態が戦後まで続いた。
しかし、石油精製などに伴う副産物である硫黄を原料にした安価な合成石膏に
押され、ついに、1969年閉山してしまった。