石川県珠洲市能登鉱山の石膏

         石川県珠洲市能登鉱山の石膏

1. 初めに

   最近の「ペグマタイト」誌に、主催者の高田氏が「能登半島の思い出を訪ねて」と題して
  今から40年近く前の1960年代に訪れた能登半島での鉱物採集の思い出をシリーズで
  掲載している。
   その中に、「能登鉱山の方解石」という一文があり、高田氏が1969年に坑内で採集した
  1辺が2cmはあろうかという”方解石の菱面体結晶”の写真が掲載されていた。
   そこで、Yさんにお願いして今回の「能登・加賀の鉱物を訪ねて 第2弾」のコースに
  急遽組み込んでいただいた。
   鉱山は、1969年に閉山されたそうで、夏草が生い茂り、そのズリ跡も明確に確認でき
  なかったが、Yさんが下見してくれた場所で、この鉱山で採掘していた石膏をいくつか
  採集することができた。
   帰宅後、それらの1つの空隙部分に微細ながら”菱面体方解石”の自形結晶がある
  ことが判明し、「日本鉱産誌」の記述を裏付けることができた。
   案内していただいたYさんに厚く御礼申し上げます。
  (2005年7月採集)

2. 産地

    「日本鉱産誌」によれば、能登鉱山は珠洲市若山町中田にあり、近くには同じく石膏を
   採掘した若山鉱山があった。

     能登鉱山跡

3. 産状と採集方法

    能登鉱山のズリと思われるところは、夏草に覆われ、辛うじて道路脇の草が比較的
   生えていない場所に、石膏が落ちているので、これらを表面採集で拾います。
    ズリの量が少なく、数個体しか採集できなかった。

4. 採集鉱物

 (1)石膏【Gypsuml:CaSO4・2H2O】
     白い塊状集合体で産する。採集した標本はいずれも「雪花石膏【Alabaster】」
    のみであった。
     能登鉱山では、ガラス光沢、半透明の結晶をなす「透石膏【Selenite】」や
    雪花石膏の内部(中心部)が、「硬石膏【Anhydrite】」からなっているものや
    「繊維石膏【Fibrous Gypsum】」なども産したとあるが、今回は採集できなかった。

     雪花石膏

 (2)方解石【Calcite:CaCO3】
     石膏を含む団塊の空隙部に、透明、菱面体自形結晶をなして産する。
    「日本鉱産誌」には

    『団塊状石膏の内部にしばしば少量の方解石の微晶(1%±)を包有する場合がある』

    とあり、その記述通りであった。

     菱面体方解石結晶

5. おわりに

 (1)「日本の鉱物」に掲載されている2cmはある黄色〜飴色の”菱面体方解石”や
    ”ピンク色の硬石膏”などは採集できなかった。
    選鉱場やズリの場所が特定できれば、採集の可能性もあるのだろうが・・・・・・・。

 (2)高田氏が”菱面体方解石”を採集した時の状況は、「ペグマタイト」誌によれば
    次の通りである。

     @能登鉱山の鉱石の用途は、ほとんどがセメント用で、石膏の割合が75%を
       超えた鉱石は、選鉱せずそのままセメントに混ぜるそうだ。
     A”菱面体方解石”は、坑道を30分も歩いた場所で、ほぼ水平、幅数十センチの
       黒色粘土層に含まれ、粘土の中には石膏は見られなかった。
     B鉱山長は「この方解石結晶は、標本業者に高く売れる鉱山の商品だ」と言い
       誰かが、この方解石を標本屋に売ったらしい。
     C若い鉱山技師は「方解石は、鉱山では役に立たないものだ」と気にしていなかった。

      ”菱面体方解石”を含む黒色粘土は、”ズリ”として捨てられ今も鉱山跡地に眠って
     いるのか、選鉱せずそのままセメント工場に送られ、今では”影も形もない”のか
     気になるところです。

 (3)「日本鉱産誌」などによれば、能登鉱山の鉱床は、第三紀と思われる珪藻質黒色頁岩中に
    胚胎し、連鎖状の3つの鉱体からなり、地下深くに続くのが特徴で、最深部は約200m
    あった。

    
   能登鉱山模式南北断面図【日本鉱産誌から引用】

     「ごま塩型交代鉱床」と呼ばれ、母岩中に雪花石膏の小粒がごま塩状に分布するもので
    品位が低く、良いものでもSO3 34〜35%、H2O15〜16% セメント用としてのみ適し
    水洗選鉱には適しなかった模様である。
     そのため、掘り出されたものは、そのまま、セメント工場に運ばれた可能性が高く
    選鉱場跡やズリが見出せない理由とも考えられる。
     それでも、1930年(昭和5年)には、生産量が12,906トンと小坂鉱山を抜いて
    本邦第一の石膏鉱山となった。
     この後、近くにあった若山鉱山の生産量も併せると、能登地方で全国生産量の
    50%前後を占める状態が戦後まで続いた。
     しかし、石油精製などに伴う副産物である硫黄を原料にした安価な合成石膏に
    押され、ついに、1969年閉山してしまった。
     

6. 参考文献

1)高田 雅介:能登鉱山の方解石 能登半島の思い出を訪ねて-その2- ,
          ペグマタイト 第72号,2005年
2)益富地学会館監修:日本の鉱物,成美堂出版,1994年
3)日本鉱産誌編纂委員会:日本鉱産誌 V 主として窯業原料となる鉱石,
                  東京地学協会,昭和25年
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