千葉県鋸山(のこぎりやま)の鉱物

          千葉県鋸山(のこぎりやま)の鉱物

1. 初めに

   某電子部品メーカーから招請をいただき、技術コンサルタントとして2008年1月末
  千葉県に単身赴任した。
   赴任にあたり、千葉県関係の絵葉書に「鴨川鉱山」、「鋸山(のこぎりやま)」があった
  ことを思い出し、『絵葉書アルバム』をめくってみたが、「鴨川鉱山」は探し出せなかった。
  何とか探し出せた「鋸山 石材切出シ」の1枚だけ持参した。

   単身赴任1ケ月が過ぎた頃、山梨県に初めて”里帰り”したとき、気にかかっていた
  「鴨川鉱山」の絵葉書を探したが見つからなかった。その代わり、別な「鋸山」の
  絵葉書が1枚出てきた。

     
          頂上石切り                石材採掘
                         鋸山

   「鋸山」は、標高が329mと山梨県で私が住んでいる場所よりも低いのだが、内房の
  海岸からほぼ垂直に立ち上がっていて、標高以上に高く見える。そのようなわけで、
  千葉県の山と言えば先ず思いつくのが「鋸山」だろう。
   2008年2月末、「平久里」の産地の帰り道、妻と2人で「鋸山」を訪れた。強風のため、
  ロープウェイは運行中止になるおそれがあり、鋸山登山自動車道を登ると、内房の
  真っ青な海が眼下に見渡せた。(ワゴン車 往復 1,000円)

       
           館山方向             東京方向
                  鋸山からの風景

   駐車場から頂上までの150mほどの間には、「鋸山」で採掘された「房州石」の露頭も
  見られ、1つだけ採集した。
   ロープウェイの頂上駅には、『鋸山房州石資料館』があり、「鋸山」の地質、「房州石」
  採掘の歴史、道具、そして使われた建築物などの実物とパネル展示を見ることができ
  る。

   ”鉱物が集合した岩石”の1つの「房総石」には、”きれい”とか”珍しい”とかいう鉱物は
  全く確認できなかったが、千葉県を代表する石材の歴史を知ることができ、有意義な
  1日だった。
   ( 2008年2月訪問 )

2. 場所(産地)

    「鋸山ロープウェイ」の頂上駅を降りた場所に、『鋸山房州石資料館』がある。そこ
   から自動車道の駐車場に向かって歩くと、『房州石』の露頭が見られる。
    ロープウェイや自動車道から、かつて「房州石」を採掘した石切り場が見られるの
   だが、今回は時間の関係で間近にみるチャンスはなかった。

     採石場跡

3. 「鋸山房州石資料館」

   「鋸山ロープウェイ」の頂上駅の3階部分に「鋸山房州石資料館」がある。(入館無料)
  ここには、「鋸山」と「房州石」に関するパネル、写真そして現物が展示してある。

   ■ 鋸山の地質
   ■ 「房州石」の採掘
    ・ 「房州石」の特徴
    ・ 採掘の歴史
    ・ 採掘の方法と道具
    ・ 働く人々の生活
   ■ 「房州石」の製品

 3.1 鋸山の地質
     鋸山は第3紀中新世のころ、海底に堆積した火山灰からできた凝灰岩の山である。
    その地質構造は、下図のように、上から順に、「竹岡凝灰角礫岩」「荻生火砕岩」
    「稲子沢泥岩」の3層になっている。

     地質図

 3.2 「房州石」の採掘
  (1) 「房州石」の特徴
      一口に「房州石」と言っても、採掘する場所によって性質、したがって価値も
     違ったようだ。

地元での
呼び名
岩石名
(地層名)
性質 産地 備 考
上石凝灰角礫岩
(竹岡凝灰角礫岩)
 質が均一で、霜や雨にも強く
火にも変化しない
鋸山山頂付近 
下石凝灰質砂岩
(荻生火砕胃岩)
 質が均一でなく、水や火にも
弱いが加工しやすい
鋸山中腹以下
登山口石切り場
 

  (2) 採掘の歴史

     ■ 室町時代
       ・ 安房・里見氏の出城(鋸城)で、柱のツカ石として使われた。

     ■ 江戸時代
       ・ 安政のころ、伊豆の石切職人が渡来し、鋸山周辺で建築用に石切りを
         始めた。(土丹岩)
       ・ 万延、元治、慶応のころになるとそれまでの悪い石(下石)から、質の良い
         石(上石)の採掘が盛んになり、石切場も鋸山本峰に移った。
       ・ 1859年(案内パネルに1895年とあるのは誤り)、横浜開港に伴い、護岸
         工事や土木工事用として優秀性が認められ生産も大規模化した。

     ■ 明治時代
       ・ 文明開化に伴い、房州石の需要はますます拡大し、京浜地方、特に横浜
         市、横須賀市の公共事業指定石材にもなり、金谷地区の総人口の80%が
         石材産業に従事していた。

     ■ 大正時代
       ・ 大正12年(1923年)9月1日に発生した関東大震災で、多くの護岸が崩れ
         石積みの時代からセメント工法の時代に移る。
         (「房州石」の建築用材としても脆弱性を指摘する声もあるが) 横須賀
         追浜天神橋護岸、横浜市高島桟橋護岸、さらに多くの石塀や石倉が
         今でもビクともせず現存している。

     ■ 昭和時代
       ・ セメントの進出により、「房州石」採掘も衰退し、さらに軍部の方針で、鋸山は
         登山禁止になった。わずかに、軍需用石材として、「下石」の採掘が細々と
         続けられた。
       ・ 戦後、採石も機械化され、一時パン焼きカマドなどに使用されたが、それも
         終りを告げ、昭和57年に採掘をやめた。
       ・ 採石場跡は、その奇岩、怪石とともに、その景観美は、国定公園として
         訪れる人々を楽しませている。

  (3) 採掘の方法と道具
       「房州石」の質は、一口で言えば”軟らかい”だろう。それは、栃木県の大谷石
      など、凝灰岩に共通する性質だからである。
       そのため、花崗岩などの硬い石材と違い、採掘のため”発破(火薬)”などは
      使わず、石切場では、文字通り人力で”切り出す”採掘方法が長く続けられた
      ようだ。

       切り出した石材は、”ネコ”と呼ばれる一輪車などで山を下り、平坦地から
      馬車やトロッコで港まで運ばれ、船積みされた。
       昭和の時代に入り、機械化され、ケーブル(鉄索)で平坦地まで下ろされた後
      トラックで各地に送られたようだ。

       石材の切り出しは、あたかも”豆腐”でも切り出すような感じだ。

          
               採掘方法の変遷              石材の切り出し
                               採掘方法

       江戸時代、質の良い頂上付近の「上石」を採掘したが、それらを堀りつくすに
      したがって、下層の質の良くない「下石」を採掘するようになった。
       下に、下にと掘り進むにしたがって、山の景観は、時代とともに大きく変化した
      ようだ。

        採掘レベル(高さ)の違い

       鋸山房州石資料館の壁面には、採掘に使われた道具類の現物が展示して
      ある。
 

       「たがね」「矢」・・・・・・・石を割るクサビの役
        「たたき」・・・・・・・・・・・それらを打ち込むハンマ
        「○○づる」・・・・・・・・・・いわゆる”ツルハシ”の一種で採掘のステップに
                      よって使い分けたようだ。

        採掘道具

  (4) 働く人々の生活
       地元の人々にとって、石材の採掘、加工、運搬などは、大きな生活の糧だった
      ようだ。鋸山房州石資料館の一角には、採掘する飯場でつかわれたカマドや
      鍋などが展示してある。
       100kgはあろうかと思われる石材を載せて急斜面を下る写真には、働く
      女性の逞しさ、崇高さすら感じる。

          
           生活用品展示                   働く女性
                      働く人々の生活
 3.3 「房州石」の製品
     房州石は、京浜地区という大消費地の近くで、その製品である石材は各方面に
    使用され、それらのいくつかは現在でも観察できる。

  (1) 製品の規格
       房州石はその大きさ(厚さ×幅寸法)で、規格化(標準化)されていたようだ。
      使う側からみれば、便利この上なかったと思う。

        石材製品展示

石材名
(呼び名)
厚さ長さ重量
(kg)
 おもな用途
1寸板
(いっすんいた)
1寸(3cm)1尺(30.3cm)3尺(91cm)15  装飾用材・玄関の腰板用
喫茶店の内外装
応接間の腰板、その他
五七石
(ごしちいし)
5寸(15.2cm)7寸(21.2cm)3尺(91cm)51  コンクリート土台の延石に使用
木材の土台が腐食しないので
家が長持ちする
五十石
(ごとういし)
5寸(15.2cm)1尺(10寸)(30.3cm)3尺(91cm)66  石塀、墓地のカロート等に使用
六十石
(ろくとういし)
6寸(18..2cm)1尺(10寸)(30.3cm)3尺(91cm)79  石垣、石塀、ドライブイン等の
腰板用に耐火を兼ねて装飾用に
使用された
八六石
(はちろくいし)
6寸(18..2cm)8寸(24.2cm)3尺(91cm)79  昔、石倉に使用した。
大きさ、厚さが手ごろなので、
適当に工夫していろいろな
工事に使用できた
尺三石
(しゃくさんいし)
7寸5分(22.7cm)8寸5分(25.8cm)3尺(91cm)80  一般的にこの石の需要が
一番多かった。
石塀、石垣、土台下に使われた。
(昔(戦後?)、パン窯に使用した)

 (2) 房州石を使った建築物
     横浜開港に伴い、護岸工事や土木工事用として使われたのをはじめ、早稲田大学
    靖国神社など多くの建物に使われているようだ。

4. 鋸山の鉱物

 (1) 岩石(石材)と鉱物
      鉱物書を開くと、最初のページに”鉱物の定義”が書いてある。岩石との違いを
     花崗岩を例にして、次のように書いてある本が多い。

      『 花崗岩(=岩石=石材)は、石英、長石、雲母の3種類の鉱物でできている』
      つまり、鉱物は岩石の構成要素だということである。

      しからば、「房州石」は、どのような鉱物からできているのだろうか?

        房州石

      結論として、「石英」などは認められるものの、組成が複雑で、記述できない。この
     ページのタイトルに麗々しく『鋸山の鉱物』、と掲げたが、鉱物らしい鉱物は全く
     採集できなかった、と言うのが結論である。

5. おわりに

 (1) 岩石(石材)と鉱物
      最近、大正2年(1913年)に文部省が主催した「鉱物文明展覧会」なるものの
     絵葉書が古書店に出ていたので注文した。
      まだ手元で見ていないのだが、「本邦石油の生産高」「加藤清正 名古屋城
     石引きの図」などが描いてあるらしい。

      これから判断すると、100年近く前には、現在鉱物には含めない石油や石材が
     鉱物と同列に取り扱われてようだ。
      それだけ、石材が私たちの生活に縁が深かったと言うことなのだろう。

 (2) 内房の海
      鋸山の頂上からは、天気が良ければ東京湾を航行する船舶が一望のもとに
     見渡せる。
      この日は、強風が吹き始めたのだが、千葉県金谷と神奈川県久里浜を結ぶ
     フェリーが久里浜に向かうのが見られ、こんな強風でも運行するのに妻が感心
     していた。(間もなく、運行中止になった)

      行き交う船の多さを目の当たりにすると、素人眼にも、いつ衝突事故が起きても
     不思議ではないような気がする。それだけに、細心の注意を払って欲しいものだ。

6. 参考文献 

 1) 松原 聰:日本の鉱物,株式会社 学習研究社,2003年
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