単身赴任1ケ月が過ぎた頃、山梨県に初めて”里帰り”したとき、気にかかっていた
「鴨川鉱山」の絵葉書を探したが見つからなかった。その代わり、別な「鋸山」の
絵葉書が1枚出てきた。
「鋸山」は、標高が329mと山梨県で私が住んでいる場所よりも低いのだが、内房の
海岸からほぼ垂直に立ち上がっていて、標高以上に高く見える。そのようなわけで、
千葉県の山と言えば先ず思いつくのが「鋸山」だろう。
2008年2月末、「平久里」の産地の帰り道、妻と2人で「鋸山」を訪れた。強風のため、
ロープウェイは運行中止になるおそれがあり、鋸山登山自動車道を登ると、内房の
真っ青な海が眼下に見渡せた。(ワゴン車 往復 1,000円)
駐車場から頂上までの150mほどの間には、「鋸山」で採掘された「房州石」の露頭も
見られ、1つだけ採集した。
ロープウェイの頂上駅には、『鋸山房州石資料館』があり、「鋸山」の地質、「房州石」
採掘の歴史、道具、そして使われた建築物などの実物とパネル展示を見ることができ
る。
”鉱物が集合した岩石”の1つの「房総石」には、”きれい”とか”珍しい”とかいう鉱物は
全く確認できなかったが、千葉県を代表する石材の歴史を知ることができ、有意義な
1日だった。
( 2008年2月訪問 )
■ 鋸山の地質
■ 「房州石」の採掘
・ 「房州石」の特徴
・ 採掘の歴史
・ 採掘の方法と道具
・ 働く人々の生活
■ 「房州石」の製品
3.1 鋸山の地質
鋸山は第3紀中新世のころ、海底に堆積した火山灰からできた凝灰岩の山である。
その地質構造は、下図のように、上から順に、「竹岡凝灰角礫岩」「荻生火砕岩」
「稲子沢泥岩」の3層になっている。
3.2 「房州石」の採掘
(1) 「房州石」の特徴
一口に「房州石」と言っても、採掘する場所によって性質、したがって価値も
違ったようだ。
地元での 呼び名 | 岩石名 (地層名) | 性質 | 産地 | 備 考 | 上石 | 凝灰角礫岩 (竹岡凝灰角礫岩) |
質が均一で、霜や雨にも強く 火にも変化しない | 鋸山山頂付近 | 下石 | 凝灰質砂岩 (荻生火砕胃岩) |
質が均一でなく、水や火にも 弱いが加工しやすい |
鋸山中腹以下 登山口石切り場 |
(2) 採掘の歴史
■ 室町時代
・ 安房・里見氏の出城(鋸城)で、柱のツカ石として使われた。
■ 江戸時代
・ 安政のころ、伊豆の石切職人が渡来し、鋸山周辺で建築用に石切りを
始めた。(土丹岩)
・ 万延、元治、慶応のころになるとそれまでの悪い石(下石)から、質の良い
石(上石)の採掘が盛んになり、石切場も鋸山本峰に移った。
・ 1859年(案内パネルに1895年とあるのは誤り)、横浜開港に伴い、護岸
工事や土木工事用として優秀性が認められ生産も大規模化した。
■ 明治時代
・ 文明開化に伴い、房州石の需要はますます拡大し、京浜地方、特に横浜
市、横須賀市の公共事業指定石材にもなり、金谷地区の総人口の80%が
石材産業に従事していた。
■ 大正時代
・ 大正12年(1923年)9月1日に発生した関東大震災で、多くの護岸が崩れ
石積みの時代からセメント工法の時代に移る。
(「房州石」の建築用材としても脆弱性を指摘する声もあるが) 横須賀
追浜天神橋護岸、横浜市高島桟橋護岸、さらに多くの石塀や石倉が
今でもビクともせず現存している。
■ 昭和時代
・ セメントの進出により、「房州石」採掘も衰退し、さらに軍部の方針で、鋸山は
登山禁止になった。わずかに、軍需用石材として、「下石」の採掘が細々と
続けられた。
・ 戦後、採石も機械化され、一時パン焼きカマドなどに使用されたが、それも
終りを告げ、昭和57年に採掘をやめた。
・ 採石場跡は、その奇岩、怪石とともに、その景観美は、国定公園として
訪れる人々を楽しませている。
(3) 採掘の方法と道具
「房州石」の質は、一口で言えば”軟らかい”だろう。それは、栃木県の大谷石
など、凝灰岩に共通する性質だからである。
そのため、花崗岩などの硬い石材と違い、採掘のため”発破(火薬)”などは
使わず、石切場では、文字通り人力で”切り出す”採掘方法が長く続けられた
ようだ。
切り出した石材は、”ネコ”と呼ばれる一輪車などで山を下り、平坦地から
馬車やトロッコで港まで運ばれ、船積みされた。
昭和の時代に入り、機械化され、ケーブル(鉄索)で平坦地まで下ろされた後
トラックで各地に送られたようだ。
石材の切り出しは、あたかも”豆腐”でも切り出すような感じだ。
江戸時代、質の良い頂上付近の「上石」を採掘したが、それらを堀りつくすに
したがって、下層の質の良くない「下石」を採掘するようになった。
下に、下にと掘り進むにしたがって、山の景観は、時代とともに大きく変化した
ようだ。
鋸山房州石資料館の壁面には、採掘に使われた道具類の現物が展示して
ある。
「たがね」「矢」・・・・・・・石を割るクサビの役
「たたき」・・・・・・・・・・・それらを打ち込むハンマ
「○○づる」・・・・・・・・・・いわゆる”ツルハシ”の一種で採掘のステップに
よって使い分けたようだ。
(4) 働く人々の生活
地元の人々にとって、石材の採掘、加工、運搬などは、大きな生活の糧だった
ようだ。鋸山房州石資料館の一角には、採掘する飯場でつかわれたカマドや
鍋などが展示してある。
100kgはあろうかと思われる石材を載せて急斜面を下る写真には、働く
女性の逞しさ、崇高さすら感じる。
(1) 製品の規格
房州石はその大きさ(厚さ×幅寸法)で、規格化(標準化)されていたようだ。
使う側からみれば、便利この上なかったと思う。
石材名 (呼び名) | 厚さ | 幅 | 長さ | 重量 (kg) | おもな用途 | 1寸板 (いっすんいた) | 1寸(3cm) | 1尺(30.3cm) | 3尺(91cm) | 15 |
装飾用材・玄関の腰板用 喫茶店の内外装 応接間の腰板、その他 |
五七石 (ごしちいし) | 5寸(15.2cm) | 7寸(21.2cm) | 3尺(91cm) | 51 |
コンクリート土台の延石に使用 木材の土台が腐食しないので 家が長持ちする |
五十石 (ごとういし) | 5寸(15.2cm) | 1尺(10寸)(30.3cm) | 3尺(91cm) | 66 | 石塀、墓地のカロート等に使用 | 六十石 (ろくとういし) | 6寸(18..2cm) | 1尺(10寸)(30.3cm) | 3尺(91cm) | 79 |
石垣、石塀、ドライブイン等の 腰板用に耐火を兼ねて装飾用に 使用された |
八六石 (はちろくいし) | 6寸(18..2cm) | 8寸(24.2cm) | 3尺(91cm) | 79 |
昔、石倉に使用した。 大きさ、厚さが手ごろなので、 適当に工夫していろいろな 工事に使用できた |
尺三石 (しゃくさんいし) | 7寸5分(22.7cm) | 8寸5分(25.8cm) | 3尺(91cm) | 80 |
一般的にこの石の需要が 一番多かった。 石塀、石垣、土台下に使われた。 (昔(戦後?)、パン窯に使用した) |
(2) 房州石を使った建築物
横浜開港に伴い、護岸工事や土木工事用として使われたのをはじめ、早稲田大学
靖国神社など多くの建物に使われているようだ。
『 花崗岩(=岩石=石材)は、石英、長石、雲母の3種類の鉱物でできている』
つまり、鉱物は岩石の構成要素だということである。
しからば、「房州石」は、どのような鉱物からできているのだろうか?
結論として、「石英」などは認められるものの、組成が複雑で、記述できない。この
ページのタイトルに麗々しく『鋸山の鉱物』、と掲げたが、鉱物らしい鉱物は全く
採集できなかった、と言うのが結論である。
これから判断すると、100年近く前には、現在鉱物には含めない石油や石材が
鉱物と同列に取り扱われてようだ。
それだけ、石材が私たちの生活に縁が深かったと言うことなのだろう。
(2) 内房の海
鋸山の頂上からは、天気が良ければ東京湾を航行する船舶が一望のもとに
見渡せる。
この日は、強風が吹き始めたのだが、千葉県金谷と神奈川県久里浜を結ぶ
フェリーが久里浜に向かうのが見られ、こんな強風でも運行するのに妻が感心
していた。(間もなく、運行中止になった)
行き交う船の多さを目の当たりにすると、素人眼にも、いつ衝突事故が起きても
不思議ではないような気がする。それだけに、細心の注意を払って欲しいものだ。