新井鉱山は、銅・鉛などの2次鉱物、とりわけ「水鉛鉛鉱(モリブデン鉛鉱)」や自然銀などが産出
することは知っていたが、訪れるのは初めてだった。
・ 福井県中竜鉱山仙翁坑の鉱物
( Minerals from Senno Shaft , Nakatatsu Mine , Fukui Pref. )
私にとっては、鉱物そのものよりも、新井鉱山で発行した鉱山内だけで流通した紙幣の代わりをする
「鉱山札」のほうがなじみ深い場所だった。
予定外のしかも短時間の採集だったので良品は難しいかなと思っていた。しかし、現地で「自然銅」
だろうと思っていた標本が帰宅して確認したら「板状と紐状の自然銀」だと判明した。
『2015年のミネラル・ウオッチング納め』にふさわしい”逸品”で、案内していただいたN夫妻に改めて
感謝している。
( 2015年12月 訪問 )
戦後の新井鉱山の稼行状況は、「日本鉱産誌」の銅・鉛・亜鉛編に記述されている。そこから、
鉱床・鉱石・品位・(1950年代の)現況などを抜き出してみる。
地質および鉱床 | 鉱 石 | 品位および鉱床量 | 現況その他 | 出 典 |
古生代の粘板岩とこれを貫く 安山岩・流紋岩とからなる、 古生層中の鉱脈で2鉱床あり。 走向 N60〜70°W 傾斜 55〜75°SW 幅 0.1〜0.4m | ・黄銅鉱 ・方鉛鉱 ・閃亜鉛鉱 ・石英 |
・Ag 130g/t ・Cu 4.6% ・Pb 2〜5% ・Zn 1〜3% |
稼行中(1955) 1954年 26t/月 (Cu 4.1%,Pb 7.3%,Zn 6.1%) 従業員25名 旭鉱業(株) 木下 種雄? | 日本鉱産誌 T-b (銅・鉛・亜鉛編) |
前日案内してもらった樺阪鉱山に比べると、銀(Ag)品位は、1/3くらいだが、銅(Cu)、とりわけ
鉛(Pb)の品位が高かった。
当時の生野鉱山、明延鉱山、樺阪鉱山の鉛・亜鉛の産出量を比較してみる。”−”はデーターが
なく、稼行していなかった可能性も高い。
鉱山名 | 種類 | 採掘粗鉱中金属含有量(単位 t) | 1952年 | 1953年 | 1954年 | 生野 | 鉛 | 646 | 682 | 1,141 | 亜鉛 | 5,217 | 5,097 | 5,944 | 明延 | 鉛 | 874 | 1,015 | 1,085 | 亜鉛 | 7,133 | 7,522 | 7,281 | 樺阪 | 鉛 | 0 | 0 | − | 亜鉛 | 34 | 14 | − | 新井 | 鉛 | − | − | 23 | 亜鉛 | − | − | 19 |
これらから見ると、新井鉱山は戦後1954年ごろ再開発されたようで、その規模は生野鉱山や明延
鉱山には遠く及ばず、樺阪鉱山よりもやや大きいくらいだった。
ここでの採集は、青や緑の2次鉱物が付着している石の表面をルーペで観察し、標本になりそうなら
新聞紙で包んでそのまま持ち帰り、なりそうもなければハンマーで割って新鮮な部分に出てくるか試して
みた。今回は”僥倖(ぎょうこう)”に恵まれたが、「モリブデン鉛鉱」などを狙うなら、ジックリ時間をかけ
ないと難しいという印象だった。
【後日談】
板状結晶の厚みがわかるように、さらに紐状結晶の高さがわかるように、左の写真の右の水平
方向近くからの写真を追加してみた。
東日本では「自然銀」を採集できた記憶がないのに、関西では比較的容易に手に入れることが
できた。そんなところから”東の金、西の銀”といわれるようになったのだろう。
(2) 黄銅鉱【CHALCOPYRITE:CuFeS2】
表面が青紫色の貝殻状破面をもつ結晶が英脈の上に集合して産出した。すわ、「斑銅鉱」か
と思ったが、共存するのが「閃亜鉛鉱」と「方鉛鉱」なので、黄銅鉱が錆びたものだろうということで
落着した。
(3) 青鉛鉱【LINARITE:PbCu(SO4)(OH)2】
青色、ガラス光沢の板状結晶として水晶(石英)の晶洞の中に産出した。結晶の上の面が脂
ぎって透明に見えるのは、硫酸鉛鉱【ANGLESITE:PbSO4】か白鉛鉱【CERUSSITE:PbCO3】が
共存しているためだろう。
加藤先生は「二次鉱物読本」のなかで、青鉛鉱の生成プロセスとして、いくつかのケースをあげて
おられる。
@ 方鉛鉱の分解によって生成された硫酸鉛鉱あるいは白鉛鉱に対して、硫酸第二銅の水溶
液が反応
A 硫酸鉛鉱と珪孔雀石など銅だけの二次鉱物がまず生成された場で、酸などによって後者か
ら溶脱された第二銅イオン(Cu2+)を含む溶液が作用
この標本の場合、@ が当てはまりそうだが、次に紹介するように、ここでは珪孔雀石も産出する
ので話は単純ではないかも知れない。
(4) 珪孔雀石【CHRYSOCOLLA:PbCu(SO4)(OH)2】
天青色の皮膜状〜粒状で母岩の流紋岩の上に生成している。
(5) 霰石【ARAGONITE:CaCO3】
絹糸状光沢をもつ繊維状結晶が束状に成長して水晶(石英)の隙間に成長している。成長が
一休みしたような累帯構造も観察できる。
蛇紋岩地帯なら掃いて捨てるほどある鉱物だが、ここで出会ったときは目を疑った。ただ、「産地
一覧表」にはここで産出すると書かれていて、納得した。
江戸後期、九郎兵衛、五郎右衛門、丈右衛門を請人(うけにん)として発行された地域流通
の日傭手形だ。額面は 「弐匁」,「壱匁」,「五分」,「三分」,「一分」の5種類あり、複数枚
持っている種類もあるが、「五分」だけ未だ手に入っていない。
裏面の請人の名前を見ると、3人揃って出したものもあるが、九郎兵衛だけでだしているものもあ
り、発行時期が違うことを暗示している。
「弐匁」 「壱匁」 「五分」 「三分」 「壱分」
【未入手】
札の表面には、賃銭(ちんぎん)とあり、鉱山での労働の対価として渡され、後日まとめて現銀
と交換したものだろう。
額面の「壱匁」の価値はどのくらいだろう。江戸後期、主に関西では1両が60匁の重さの銀塊と
同じ価値だった。一方東日本などでは、1両が4,000〜6,000文、寛永通宝1文銭(銅貨)で
4,000〜6,000枚だった。計算を簡単にするため6,000文とすると、銀60匁=銅貨6,000枚となる。
つまり、銀1匁が100文(寛永通宝100枚)となる。蕎麦1杯が16文(現在の500円)とすると、
銀1匁はだったとすると、銀1匁で蕎麦が6杯余食べられ、現在の3,000円くらいだろう。
壱分は壱匁の1/10だから、300円くらいだ。
(2) ジックリ探せば?
今回は、30分足らずのミニミネラル・ウオッチングだったが、時間をかけてジックリ探せば、各種の
鉱物が探せそうな雰囲気だった。