古希記念 南極ミネラル・ウオッチング 南極探検旅行 【ウシュアイア観光】 ( Mineral Watching in Antarctica<BR>  Antarctica Expedition 2015 , - Ushuaia Watching - )









             古希記念 南極ミネラル・ウオッチング
             2015年 南極探検旅行 【ウシュアイア観光】

                  ( Mineral Watching in Antarctica
                   Antarctica Expedition 2015 , - Ushuaia Watching - )

4. 南極探検

 4.17 ウシュアイア観光
       ブエノスアイレス行の飛行機はウシュアイア空港を15時40分発だからチェックインまで5時間は
      ある。われわれのグループ(バス)は、この待ち時間を利用して、ウシュアイア観光をすることにな
      った。
       ウシュアイア発11時50分や13時15分発の他のグループは、直接空港に向かったようで、添
      乗員から「皆さんだけ、これから市内観光をします」、と言われるとなんだか得をしたような気分
      になるから不思議なものだ。
       おまけに空は抜けるように青く、パタゴニア名物の強い風も全くなく、汗ばむほどの暖かさだ。

  (1) 「観光案内所」
       ウシュアイア港の「オーシャン・ダイヤモンド号」が停泊している埠頭が見える海岸近くに「観光
      案内所」がある。建物の壁に掲げられた万国共通の案内所を意味する”Information”の頭文字
       ”i” が掲げられている。

          
                  観光案内所外観                             記念スタンプを押す案内係
         【正式名 Tourist Information Main Office】

       ここには、4種類の記念スタンプが備え付けられているので、案内嬢に頼んで押してもらった。
      スタンプには、フェゴ地方の地図、この後訪れる「世界の果て博物館」、灯台、そして山岳地帯
      に生息する猛禽類などが描かれている。

       
                   4種類の記念スタンプ

  (2) 「ウシュアイア飛行クラブ」
       ウシュアイアの町とビーグル水道を挟んだ南側に「ウシュアイア飛行クラブ」がある。小型機による
      観光遊覧飛行の基地になっている。ここからは、埠頭に停泊している「オーシャン・ダイヤモンド号」
      の姿を反対側からみることができる。さよならをしたはずだったが、小さな町のこと、いたるところか
      ら埠頭が見えるのだ。

       
                「オーシャン・ダイヤモンド号」
                   【飛行クラブより】

       手持無沙汰にしている飛行機の操縦士が近づいてきて、「乗ってみないか」と聞いてきた。も
      ちろん、止まっている飛行機にだ。何事にも好奇心旺盛なMHのこと、操縦席に座っているところ
      と飛行機の外で飛行士と肩を並べているところの写真を撮ってもらった。外国では何かしてもらっ
      たら、ただでというわけにはいかないから、チップを渡した。

          
                     操縦席で                          小型機前で記念写真

  (3) ホテル宛の手紙は
       飛行クラブを後にしてトイレ休憩のため、町中のホテルに立ち寄った。このホテルからは、1月
      20日に泊まった「カナル・ビーグル」が200m位と近いので、添乗員に断ってホテルに急いだ。
       日本を発つ前に2回、ホテルの自分宛にはがきと封書を送っておいたのだが、10日前には、
      「届いていない」、ということだったが、あれから10日経ち、ひょっとしたら届いているのではないか
      と淡い期待を抱いていた。
       フロントで、「MH宛の手紙が届いていないか」、と尋ねたら、またしても「届いていない」、との
      返事で、これ以上押し問答しても無駄だと思い、バスに戻った。

      【後日談】
       このページを書いているのが、2015年6月末で、日本から送って半年経つことになるが、行方
      不明になったままだ。10通近くをまとめて出したので、その中の一通が届かないのなら、郵便の
      事故だと諦めるが、一通も届いていないのには何か組織的な問題がありそうだ。

       6月初め、オークションの落札品が代金を振り込んで10日近くたっても届かないので、出品者
      に連絡したところ、「〇月△日に □ □ 郵便局から送った」との返事があった。数日待っても届
      かないので、善処を申し入れしたところ、代金を返却するというので振込口座番号を教えた。
      しかし、なかなか振り込まれないので、出品者に催促しようかと思っていた矢先に、速達で落
      札品が届いた。
       落札者が言うには、「宛名が不備(間違い?)で戻ってきたので、送り直した」、と言い訳の
      メールがあった。私のところには、日に数通、年間にすれば1,000通を超える郵便物が届くが、
      この例のように差出人が間違っても最終的には届くのが日本の郵便だ。

       外国に行き、いろいろな経験をすることで、外国の良さだけでなく日本の良さを再発見したり
      再認識することができるのも旅の楽しみなのだろう。

  (4) 「LAS HAYASUホテル」前
       バスはウシュアイアの町の北の高台に向かって坂道を登っていく。行先はウシュアイアの町と
      ビーグル水道を眼下に見下ろす高級リゾート地に建つ「LAS HAYASUホテル」の前だ。10時を
      少し回ったところなので、ホテルに入ってお茶でもしようというのではなく、単にここからの眺望を
      楽しもうというだけだ。
       森林の間から、ウシュアイアの町とその前に広がるビーグル水道が見える。埠頭には、またし
      ても「オーシャン・ダイヤモンド号」の姿を認めることができる。

          
            眼下にウシュアイアの町とビーグル水道                   ホテル前の露頭

       ホテルの前に露頭がある。岩石は、堆積岩で興味のあるような鉱物は見当たらない。肌身
      離さず持ち歩いている「クリノメーター」で走向きと傾斜を測ってみた。

       走向 : N40°E
       傾斜 : W80°

       私が露頭に夢中になっているころ、女性陣の騒がしい声が聞こえる。別荘への入口の草むら
      に咲く黄色い花に注目が集まっているようだ。知った人の話では、「金 野牡丹(きん のぼたん)」
      の花らしい。
       最初、”きん の ボタン”と聞こえ、何のことだろうと思っていたが、”きん のぼたん”と知り、合
      点がいった。紫外線の強い高緯度のこの地で、短い夏に花を咲かせ、種を絶やすまいと必死
      に可憐な黄色い花を咲かせているようだ。

       
                   「金 のぼたん」

  (5) 「世界の果て博物館」
       バスは坂道を下ってふたたびウシュアイアの町に戻ってきた。車と観光客が多いSAN MARTIN
      通りを西から東へユックリ進む。確か、ブエノス・アイレスにSAN MARTINの銅像があったが、彼は
      アルゼンチン独立の英雄で、ウシュアイアの目抜き通りの名前にもなっていのだ。

       バスを降りて訪れたのは、「世界の果て博物館(Museo del Fin del Mundo)」だ。ここには、
      先住民の歴史や遺物そしてその後の白人たちとの関わりやこの地方の鳥類や蝶などの標本が
      展示してある。

          
                 「世界の果て博物館」                          入館券

       この地域の先住民・ヤマナ(Yamana)族は、われわれ日本人と同じく幼児期に尻に青いあざ
      があるのが特徴のモンゴロイドだ。それだけで、なんとなく先住民には親近感を覚える。

       モンゴロイド人種がベーリング海峡を通って北アメリカに渡ったのは23,000年前とされる。その
      ころ、ベーリング海峡は凍結していいて、歩いて渡れたらしい。
       すぐに南アメリカまで来られたわけではなく、途中で氷に行く手を阻まれ進めなくなり、南アメリ
      カに向かったのはおよそ13,000年前らしいが、移動を始めるとたった1,000年で南米最南端・
      ウシュアイアのあるフェゴ島にまで進出した。

       先住民が用いた石器や骨器が展示してあるが、わが国の旧石器時代や縄文時代の遺物
      を彷彿とさせる。豊かな大型獣を狩猟してことをうかがわせるかのように、骨でできた銛(もり)は
      巨大だ。
       火山国で酸性土壌のわが国では骨器が残っているケースは希だが、ここではこのような大き
      な銛が残されている。

          
                   先住民の歴史                           石器・骨器

       19世紀末、白人とのかかわりを持つようになった。ウシュアイアの町に作られた流刑囚の刑務
      所を中心に町は発展していった。1889年には、この地域で流通する金貨が作られ、その現物
      とプレスで金貨を製造するために使われたダイ(金型)が展示してある。

          
               金貨(1889年製)                      金貨を作った金型

       この地域の豊かな自然の展示として、鳥類と蝶類が展示してあった。鳥類は、アホウドリや
      ペンギンなどこの地域ならではの展示だが、無数ともいえる生きているのを見てきた後だけに、
      正直なところあまり感激は覚えなかった。
       蝶類は、これほどたくさんの蝶が生息しているとは信じられないくらいだ。なぜなら、今この地
      域は真夏で、気温も20℃近くまで上がるのに、花はあっても虫(昆虫)は蠅(ハエ)すらみかけ
      ないのだ。いることはいても、絶対数が少ないのだろう。そう思うと、この蝶のコレクションは貴重
      なものなのだろう。

          
                       鳥類                              蝶類

       入口に古い時代の郵便ポストが置いてある。現代のものは写真に示すように日本と同じく
      真赤だが”群青”色をしていて、アメリカと同じ色だったのだ。

          
                    昔                             今【2015年】
                                  郵便ポスト今昔

       添乗員のKさんから、「受付嬢と記念写真を撮ってあげます」、と言われ一枚とってもらった。
      その近くに来館者が記帳するノートがおいてあったので、思いつく言葉を書き込んだ。これも、
      文字通り、『旅の恥は書き捨て』だ。

          
                   受付嬢と2ショット                      訪館記念記帳 『南極万歳』

  (6) 自由時間
       博物館を出ると、時間はまだ11時を少し回ったところだ。ここで、12時まで自由時間になった。
      先ほどバスの中から見たウシュアイアの町の観光スポットで、訪れて置きたい場所を駆け足で
      回ってみることにした。

   1) ウシュアイア郵便局
       ここを訪れるのは3度目くらいになる。船の中でエクスペディション・スタッフや船長にサインして
      もらった記念封筒に記念の押印をしてもらうのが第一番目の目的だった。
       この日は余裕をもっていたので、改めて局舎の外側を見渡すと、シンボルのアンテナがそびえ、
      壁面一杯に先住民家族の姿が描かれ、庭には郵便配達夫の像が飾られている。
       先住民の家族の顔が引きつっていて、暗いのが気になった。

          
                 ウシュアイア郵便局舎                   壁画と郵便配達夫の像

       この前の訪れたときに比べ、局内が騒々(そうぞう)しい。どうやら、中国人観光客が買い込
      んだ大量の土産品を段ボールに詰めて発送しようとしているようだ。ちょうど春節(旧正月)が
      間近で、日本でも中国人観光客の”爆買”が話題になっていたが、地球の裏側のウシュアイア
      でも同じことをやっているのだ。

       押印しても貰っている間に壁を見ると新しく発行された切手が展示されていた。

          
               記念カバーに押印する局員                     新発行切手

       別な窓口に並んで、購入した金銀貨を描く切手シートの支払いをしていると、件(くだん)の
      中国人がいきなり手掴みしたのには驚いた。
       中国は日本人にとって儒教の『仁義礼智』の師の国のはずなのに余りの無礼に腹が立ち、
      「我買了!!(俺のものだ)」、と一喝すると、” excuse me " と手をひっこめ低姿勢だ。
      ( フィラテリスト(切手愛好家)は、切手を扱うときはピンセットを用い、素手では決して触れ
       ないのだ)

       【蛇足】
       『 中国の革命家・孫文は、清朝崩壊(1912年)後の中国人を「一握りのバラバラな砂」と
        評して、自己中心的な国民性を嘆いた 』、とけさの読売新聞で読んだ。100年が経って
        も、この国民性は変わっていないし、経済発展し貧富の差が拡大した分だけ増幅している
        のではないだろうか。

       中国人と取り合いになった金銀貨を描く切手シートだ。1813年に発行されたアルゼンチン最
      初の硬貨(金貨、銀貨)と製造するための金型を描いている。額面6ペソ切手が2枚12ペソで、
      1枚1米ドル(邦貨120円)くらいだったから、5シートほど買った。

       
                       「コイン発行200年」記念切手シート
                      【アルゼンチン、2014年10月14日発行】

       【後日談】
       この切手シート(贈呈用という意味で、正式にはスーベニア・シート、略称SS)は、2015年4月
      になって外国の新切手として日本国内でも販売された。販売価格は1枚610円で、送料などを
      入れると現地で買った値段の6〜7倍くらいになりそうだ。

   2) 日本までの方位と距離
       バスの中から、世界の主要都市までの方位と距離の標識が見えた。郵便局からは、5ブロッ
      ク(約500m)くらい西だった記憶を頼りに訪れてみた。
       建物はレストランのようだが、時間が早いせいか営業はしていない。その庭先に世界の主要
      都市までの方位と距離を示す高さ6mくらいの標識が建てられている。階段を昇って、レストラン
      の入り口と同じ高さになると頂上がよく見える。

          
            世界の主要都市までの方位と距離標識                   TOKIO 17,017km

       TOKIO(東京)まで、17,017kmもある。右の写真は東から西を写しているので、東京の方
      角は北になっている。この方角だと地球を半周以上するので遠回りだ。いつものことだが、矢印
      の向きが逆だ。ここからだと南西に南に回っていくほうが近道で、一つ上の”CALCATA"(カルカッ
      タ、インドの現コルカタ)と大まかには似た方角にあたる。

     ・  古希記念 南極ミネラル・ウオッチング
      2015年 南極探検旅行 【南極の楽園】
      ( Mineral Watching in Antarctica
        Antarctica Expedition 2015 , - Paradise of Antarctica - )

  (7) ウシュアイア空港で
       再びバスに乗ってウシュアイア空港に着いたのは1時近かった。搭乗手続きをして、スーツケー
      スを預ける。国内便の重量制限が15kgと厳しいので、ヒヤヒヤしたが何事もなかった。添乗員
      のKさんが、「ポシェットが重量オーバーということで追加料金を取られた」、とこぼしていた。
       超過料金は、100ペソ(邦貨1,400円)だから、それほど驚くこともない。

       ここで、添乗員からこの日のランチが配られた。何とも味気のない昼メシだ。座って食べる場所
      もないし、飲み物がなくては ”パサパサ” したサンドイッチは食べられないので、コーヒースタンド
      に入ってコーヒー(6ペソ、約80円)を注文した。

       
                    ランチ

       ご夫妻で参加している方と話しながらのランチになった。年齢は私と同じか少し若いかもしれ
      ない。
       「最近、家にあるモノを片付けはじめ、本の処分が終わった」、という。私の蔵書は鉱物関係
      だけでも2,000冊を超え、自然科学から文学まで雑多な本を数えれば5,000冊くらいになるだ
      ろう。この膨大な本をどうしようかと思っていたところだったので、その方法は参考になった。要は、
      『電子書籍』にしてしまうことらしい。

       本をバラして、スキャナーで読んで、PDFやJPGデータにしてハードディスクに収納する方法だ。
      背表紙をカットする機械やまとめて連続で読み込めるスキャナーとそれらのソフトなどが思った
      よりも安い価格(一式数万円)で手に入るらしい。

       ただ、こうすると本そのものは紙くずになってしまい、本として次世代に引き継ぎたい、私として
      は悩ましいところだ。
 

  (8) 予定より早く離陸!?
       遅いランチを終えてチェックインして待っていると、アナウンスがあった。「BA行 AR1853便は、
      15時20分に出発する」という。今まで飛行機には数えきれないくらい乗ったことがあるが、予定
      より早く出発したことはなかったし、聞いたこともなかった。

       搭乗すると座席は大好きな窓際だった。間もなく、ウシュアイア空港を飛び立ったのは、予定
      より20分も早い15時20分だった。

          
           ウシュアイア→ブエノス・アイレス行機内                  ウシュアイア空港を離陸

       機はビーグル水道の上を飛び、大きく左に旋回して大西洋上にでた。約3時間の飛行で、
      目的地のブエノス・アイレス空港が近づいてきた。

          
           ウシュアイア→大西洋上へ                         ブエノス・アイレスが近づく

  (9) ブエノス・アイレス到着
       ブエノス・アイレス空港に無事着陸した。いつものように機内には拍手が起こる。18時を過ぎ
      ていたが、外はまだ陽が高く、日本の夏の午後3時くらいの印象だ。

       
              ブエノス・アイレスに着陸

       さあ、 『情熱のアルゼンチン・タンゴの夜』 が待っている。



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