古希記念 南極ミネラル・ウオッチング 南極探検旅行 【出発まで】 ( Mineral Watching in Antarctica<BR>  Antarctica Expedition 2015 , - Preparation - )









          古希記念 南極ミネラル・ウオッチング
          2015年 南極探検旅行 【出発まで】

              ( Mineral Watching in Antarctica
               Antarctica Expedition 2015 , - Preparation - )

1. はじめに

    2015年1月19日南極探検旅行に出発、2月2日夜無事帰国した。帰国して最初の感想は、『南極よりも
   日本のほうが寒い!!』
 、だった。
    第一報として、「白瀬南極探検隊 田泉 保直 写真技師」について報告したが、これからは南極探検
   旅行の一部始終を、順を追ってお知らせしたい。

    出発する2週間ほど前、旅行会社から送られてきた日程表の中で南米最南端のウシュアイアを出港して
   帰港するまでのスケジュールは、次のように”ザックリ”したものだった。

日次  月/日    日        程  食  事  宿泊   備   考
1 1/19 自宅発
成田発
日付変更線
ヒューストンで乗り継ぎ
機内食 機内  
2 1/20 アルゼンチンブエノスアイレス着
国内線に乗り継ぎ、ウシュアイア着
昼:レストラン
夕:ホテル
ホテル  
3 1/21 フェゴ島国立公園観光
ウシュアイア港出港
朝:ホテル
昼:レストラン
夕:船内
船中  
4-5 1/22−23 ドレーク海峡クルーズ
「南極講座」
船内 船中  
6-9 1/24−27 サウスシェットランド諸島沖到着
・1日平均2回の上陸
南極半島到着
・パラダイスハーバー
・ポートロックロイ(英領南極)
船内 船中  
10-11 1/28−29 ドレーク海峡クルーズ
「南極講座」
船内 船中  
12 1/30 ウシャアイア着
国内線でブエノスアイレス着
夕:ホテル ホテル  
13 1/31 ブエノスアイレスで自由行動
夜:ブエノスアイレス発
朝:ホテル
昼:街中
夕:機内食
機内 オプション
14 2/1 ヒューストンで乗り継ぎ
日付変更線
機内食 機内  
15 2/2 成田着
帰宅
機内食
夕:駅弁
自宅  

    このことは事前に説明があったように、行ってみなければ氷や波の状態がわからないので、詳細なスケ
   ジュールの立てようがない、という理由だ。事実、船足が順調だったおかげで、半日早く予定になかった
   上陸ができたし、逆に目的地を目の前にして分厚い流氷に阻まれて船でのクルージングに変更になった
   こともあった。前夜、船室の1人ひとりに配られる「船内新聞」を見て、初めて翌日の予定を知る、という
   ”ミステリー・ツア”の要素もあるのが「南極探検」の探検たる所以だ。

    南極探検に参加したのは、添乗員や2人の日本人シェフなどのスタッフを除き、男性60名、女性61名、合
   わせて121名だった。最年長は90歳の女性で、80歳代で南極旅行が2回目という女性もいた。
    (やはり、女性は元気だ。参加者の平均年齢は、60歳前半だろうか )

    「世界中歩いて、行っていないのは南極だけ」、という参加者が多く、私のように、仕事以外での、しかも
   「初めての団体での海外旅行先が南極」、というのは極めて珍しい部類だった。

    ”海外旅行慣れした”参加者が異口同音に、『素晴らしかった』と私と同じ感想を述べていた。海外観光旅行が
   初めてで、全てがもの珍しく、比較対象を持たない私なりの理由は次の通りだ。

    ・ 豊かな一方、厳しい自然(動・植・鉱物)を垣間見る
      動物園かテレビでしか見たことのないペンギン、クジラなどを手が触れる距離で観察
      上陸地での岩石・鉱物観察とクリノメータでの走向・傾斜測定
    ・ 雄大な風景
      「氷河を見られる観光地は多いが、南極のに比べたら他のは箱庭のようなもの」・・・・旅慣れたYさん
    ・ めまぐるしく変わる天候と貴重な気象現象
      オーロラこそ見られなかったが、鉱物・氷が作り出す気象現象”ハロ”などを体験
    ・ 善・悪人との数々の出会い
      ブエノスアイレスの観光スポットで、被害はなかったが「ケチャップ強盗」に遭い、「物乞い」も多く見ら
      れ、日本の豊かさと安全を再認識
      悪い思い出を消し去る、行く先々での素晴らしい人々との出会い
    ・ 記念の年に、先人の足跡をたどる
      古希の記念の年に、白瀬南極探検隊・村松やシャクルトンの「帝国南極横断探検隊」の行動を擬似
      体験できた
      行く先々の郵便局で旅の思い出の記念カバー作成と孫娘や友人に絵葉書郵送

    今回の旅を通じて、『いかに世界が広く、知らないことが多い』かを痛感した。次なる旅を計画中だ。
     ( 2015年1月〜2月 探検 )

2. 南極探検に向けて準備

2.1 なぜ、今、南極に行くの
     2014年1月2日、某市で開催された骨董市で、白瀬南極探検隊に参加した甲斐出身・村松進が開南丸
    で芝浦を出発する(予定だった)明治43年(1910年)11月28日に郷里の友人に差し出した絵葉書を入手
    したことを次のページで報告した。白瀬探検隊について調べる過程で、白瀬はじめ隊員と南極そのもの
    への関心が高まっていった。

     ・       異聞・奇譚 「南極探検」
      − 甲斐出身・村松 進 隊員 −
      ( Strange Stories and Curious Tales on Antarctic Exploration
        Susumu Muramatsu from Yamanashi Pref. )

     私の趣味のひとつ、ミネラル・ウオッチング(鉱物採集)にとって、究極と考えられるのフィールドには、
    @ 宇宙 A 高山 B 深海 C 極 などがある。海ばかりで鉱物がない北極にくらべ南極は、日本
    人によって新鉱物「南極石(ANTARCTICITE)」が発見されていることからも判るように魅力的な場所だ。

     3人の息子たちが「家を買いたい」、といえば、全額貸し与え、孫娘たちのためには毎年学資保険を出し、
    折々に祝っているのに、骨董市で1枚300円の絵葉書を(高いから)買おうか買うまいか迷っている自分
    は何のために働いてきたのか・・・・・・・・・・。
     その頃、同期会幹事のIさんから、古希を記念して同期会を開くとの連絡があり、そろそろ70歳を迎え、
    やりたいことができるのは良くてあと10年だから、人生でやり残したことを少しでも少なくするため、やり
    たいことをやっておこうと思うようになった。

     1月末、新聞を見ていると『南極への船旅』という広告が目に入った。1年先の2015年1月に開催される
    旅行の案内だ。代金はオプションなしでも119.8万円〜219.8万円だ。燃油サーチャージ、空港税、保険料
    そして小遣いやお土産代を加えると安くはない。

     
                           『南極への船旅』新聞広告

     さっそく、資料を送ってもらい、4月19日東京で開かれた旅行説明会に出席し、この南極探検では私の
    趣味の「切手」に関係ある英領南極ポート・ロックロイ郵便局を訪れることも知り、その場で参加を申し込
    んだ。南米アルゼンチンまで行くのだから、帰りに自然史系博物館を見学したり、鉱物標本店を回るため、
    ブエノスアイレスに一泊するオプションにも申し込んだ。

     5月1日に、手付金30万円を振り込んで後に引けなくなった7月初旬、竜王駅で夏休みに帰省する孫娘
    の指定券をとり、理髪店に行こうとして車に乗って左目に違和感を覚えた。視野の右上に真っ黒い丸が
    見えるのだ。15分もすると丸は瓢(ひさご:ひょうたん)の形になり、理髪店を出るころは煙のように左目
    全体に広がった。
     素人判断ながら、まず疑ったのは「網膜はく離」だ。だとすれば、見えない場所は固定しているはずだ
    が、眼球をアチコチに動かすたびに見えない場所が変化するので目の硝子体(しょうしたい)の問題だろ
    うと思った。その足で自宅近くの眼科医院に飛び込むと手術中とのことで診療が再開する午後2時まで
    自宅で横になっていた。

     午後2時に眼科医院を再び訪れた。診察を待つ間、入り口に置いてあった眼病のパンフレットの中から
    今まで得た医学知識から、一番可能性が高いと判断した『飛蚊症(ひぶんしょう)』のを取って読んでおい
    た。私の目に見えるのは、煙状や糸くず状、そしてゴマ状などの『浮遊物』だ。
     診察は、看護士による視力検査、眼圧測定、そして医師による眼底検査などが30分近くあった後、医
    師からは、「重篤な問題ではなく、硝子体はく離で、「飛蚊症」でしょう。治療法はありませんので、様子
    見です。剥がれたばかりだが、もっと網膜から離れると薄れていくこともあるが・・・・」、と告げられた。
     「右目にも起きるかも・・・・・」、と気になることも言われた。結局、治療行為は全くなく、目薬すら出ず、
    そのまま家に帰った。

     家に帰っても左目の視野の中で動く煙のようなものが気になって仕方がない。左目だけでみる景色が
    右目だけで見たときより暗く見え硝子体が濁っているようだ。左目だけで本を読むむと、斑(まだら)に文
    字が読めない部分がある。
     このまま本が読めなくなったら、と考えると正直不安になった。平知盛は壇ノ浦で平家の敗戦が決定的
    になると碇(いかり)を身体に結わえ付け、『見るべき程の事をば見つ』、と言い残して海に身を沈めたと
    伝えられている。知盛のように達観できていない凡人のMH(Mineral Hunters :インターネット上の私の
    別名=ハンドル・ネーム)は、あれも、これも見たいものが山ほどある。

     1ヶ月も過ぎると、左目の鬱陶(うっとう)しさは薄れ、日常生活、とくに本を読むのに支障はなくなった。
    『不自由を常と思えば不足なし』 、で慣れと言う要素も大きいのだろう。

     この春に思い立って『南極探検旅行』に申し込み、手付金も振り込んだ。これは今になって思うと、
    『(元気なうちに)見るべき程の事をば見よ』、という天の啓示だったのだろう、と納得するMHだった。

2.2 南極探検に備える
     4月19日に申し込んで5月1日に手付金を払ってから出発まで9ケ月以上がある。出発までの間、次の
    ような点に留意して準備した。

  (1) 体調管理
       9月9日に旅行代金の残金全額を振り込んだが出発までまだ4ケ月余りもある。生身の人間のこと、
      本人だけでなく、親族に何があるかわからない。ある日を過ぎてキャンセルすると振り込んだ旅行代
      金は1円も戻らない、ということで旅行代金が戻る保険(保険料5万円)があると紹介されたが、加入し
      なかった。
       南極旅行の場合、傷害保険が強制加入で、一番安い15日間、300万円保障で12,000円の保険料
      を振り込んだ。

       例年私は1月中旬に風邪を引くことが多かった。2014年1月は、咳が止まらず、「肺炎」と診断され、
      抗生物質のお世話になり、東京の鉱物同志会の新年会を欠席したほどだった。
       2014年の夏、MH農園のトマトは大豊作で、毎食といって良いほど小鉢一杯のトマトを食べ続けた。
      トマトが豊富に含むリコピンの抗酸化作用は風邪などの病気に対する予防効果があるとされ、そのお
      蔭か、この冬は風邪を引かずに済んだ。
       自分だけが健康でも、家族や親族に病気や不幸があれば参加できないだろう。年末になって福島
      県に住む叔母が亡くなり、老母の代りに葬儀に参列したが、旅行には影響がなかった。
       ( 乗船してみると、何人か急に参加できなくなったようで、3人部屋の上段ベッドの人が下のベッド
        を使え差額約10万円、2人部屋が1人部屋になり差額約30万円、得をした人もいた )

  (2) パスポート関係
       海外に行くのだからパスポートが必要だ。パスポートの有効期限がまだ8年近くあるので更新不要
      だった。ただ、テロ対策が一段と厳しくなったアメリカを経由するので、事前に米国ESTA (Electronic
      System of Travel Authorization:電子渡航認証システム ) に申請することが義務付けられ、しかも
      有料になっている。
       旅行会社で代行してくれるのだが、いろいろなことを経験しておき(安く済ませ)たい私としては、イン
      ターネットでパスポートとクレジットカードを見ながら自分で申請し、”Approved(認証済)”となった。
      手続き料金として、14米ドル(当時のレートで1,491円)が後日クレジットカードから引き落とされた。

  (3) ミネラル・ウオッチングの準備
       南極旅行の目的の一つ、というより最大の目的は、南極でのミネラル・ウオッチングだった。ただ、
      南極から動植物・鉱物の持ち出しは研究者ではない一般人には禁止されているので、持ち帰ること
      はできないと事前に解っていた。
       しかし、南極の行き帰りに、アメリカ、アルゼンチンを経由するのでミネラル・ウオッチングのチャンス
      があるかも知れないと思い、次のような用品を持参した。
       ハンマーとタガネは使わなくても、『武士の大小』のようなものだ。
      ハンマーは、Estwing(エスチング)社のものを持って行くことも考えたが、アルゼンチン国内のスーツ
      ケースの重量制限が15キロしかないので、帰りは捨ててくる心算で、ホームセンターで買ったハンマ
      にした。

       ・ ハンマー
       ・ タガネ
       ・ ルーペ
       ・ クリノメーター
       ・ フィールド・ノート
       ・ ボールペン
(黒3本、赤2本)
       ・ ジッパー付きビニール小袋(標本収納用)

         
                  ハンマーとタガネ                           クリノメーターとルーペ
                                 ミネラル・ウオッチング用品の一部

       ミネラル・ウオッチングに限らず重要なのは『情報』だ。6月の新宿ショーにアルゼンチンからの出品
      社はなかったが、お隣のチリから”G Min”社が出店していたので、アルゼンチンの鉱物情報を聞いた
      ところ、「インカローズ」と呼ぶピンク色した菱マンガン鉱が有名だと知った。
       アルゼンチンの鉱物標本店の情報提供をお願いしてメールアドレスの載った名刺を渡してきたが、
      その後連絡はなかった。

       外国に行くと自然史系博物館や美術館を訪れるのを楽しみにしている。「地球の歩き方 アルゼン
      チン・チリ編」を読むと、自然史系博物館の「自然科学博物館(Museo de Ciencias Naturales)」があ
      る。ただ、宿泊するブエノスアイレスからは、片道120km近くあり、限られた時間で行けるのか、行っ
      てからの情報次第だった。

       南極の地質や鉱物も知っておきたくて、インターネットの古書店で、「南極大陸の歴史を探る」や
      「旅する南極大陸」を購入して繰り返し読んだ。前者には、2億年前の中世代なかごろまで、南極大陸
      と南米、オーストラリア、インド、アフリカが接して「ゴンドワナ大陸」を形成していたという興味深い説
      が載っている。
       訪れる南極半島は、地質的には南米アンデスとのつながりが強いようで、比較してみたいとの思い
      が強くなってきた。
       後者には、『南極石(ANTARCTICITE)』の簡単な記述もあり、南極探検旅行ガイドブックとしてもお
      奨めだ。

  (4) 「郵趣」の準備
       4月の説明会で、この年1月のツアーでは、英領南極ポート・ロックロイにある郵便局を訪れ、参加
      者の多くが家族や友人・知人に絵葉書を出した、と聞いた。一人ひとりが切手を買っていると郵便局
      の窓口が込み合ってペンギンの観察や土産を買う時間がなくなるので、旅行会社側でまとめて投函
      してくれるという。

       ・ 南極記念カバーのデザイン
          南極探検旅行を記念するカバー(封書や絵葉書)を作成する計画を立てた。そのデザインの
         キーワードは次のようなものだ。

        1) 今回の南極探検旅行は、私の「古希(数え歳70歳)記念」
        2) 成田→ヒューストン→ブエノスアイレスを経由して南極入り
        3) 南極半島や島々に上陸したりクルージングするので、その予定のコースを描いた地図
        4) 出国日と帰国日
        5) 私のハンドル・ネーム”Mineralhunters”

          こうして、次のような記念カバーのデザインが決まった。

         
                 南極探検記念カバーデザイン

       ・ アメリカ記念カバーのデザイン
          アメリカでの乗り継ぎを記念するカバー(封書)も作成することにした。アメリカでは「バリシア石」
         「藍銅鉱」そして「自然銅」などの国を代表する鉱物の切手が過去に何回か発行されている。
          南極といえば、「白い氷の大陸」で、氷(ICE:H2O)は立派な鉱物だ。アメリカでは、雪の結晶
         (=氷)を描く切手も発行されており、それらをデザインに取り入れてみた。

           
                 鉱物を描く菱形切手4種                    鉱物を描く長方形切手4種

           
                 雪の結晶を描く切手4種                    雪の結晶を描くシール切手4種

                               アメリカ乗り継ぎ記念カバーデザイン

       ・ 南極記念カバーと住所の印刷
          過去に仕事で海外に出張したときにはビジネスを使わせてくれたので、機内持ち込みの重量
         制限を気にせずに済み、多いときはPCを2台持参したこともあった。
          しかし、今回の旅ではエコノミーで重量制限が厳しく、PC、ましてやプリンターを持参することは
         不可能だった。そこで、あらかじめ、封筒に記念カバーを印刷して持参することにした。ポート・
         ロックロイで孫娘はじめ親しい友人や喪中で年賀状を出さなかったH製作所時代の部下に送る
         絵葉書用に封筒サイズの用紙にデザイン画を印刷した。
          乗船すると目的地に着くまでタップリ時間はあるのだが、揺れる船内で住所を手書きすると、
         ヘタな字がますます読みにくくなること間違いなく、住所録からEXCELに落として、A4サイズの用
         紙に印刷して持参した。数えてみると、50通あまり出すことになった。

       ・ 南極記念カバーに貼る切手や封筒の入手
          記念カバーを出すのは、「甲府駅前局」、「成田空港局(往・復)」、「乗り継ぎのヒューストン空
         港(往・復)」、「アルゼンチンのウシュアイア局(往・復)」そして「英領南極のポート・ロックロイ局」
         を予定していた。
          それぞれの封筒には、できれば南極探検に相応しい切手を貼りたいと思い、インターネットや
         1月の鉱物同志会新年会に出席する前に新宿の「切手センター」で切手を購入して置いた。

          国内で投函する郵便物には、1960年発行の「白瀬中尉南極探検50年記念」や1965年発行の
         「南極地域観測再開記念」の切手を貼ることにした。

           
                 「白瀬中尉南極探検50年記念」                  「南極地域観測再開記念」
                       【1960年発行】                           【1965年発行】

          これらの切手の発行年を見ると、2015年は私の古希記念などよりももっと重みのある、白瀬南
         極探検から105年、南極観測再開から50年の節目の年に当っているのだ。

          アメリカで投函するのは、上の写真で示した鉱物切手のほかに、雪の結晶切手があらかじめ
         印刷された封筒も購入しておいた。

          
                               雪の結晶 切手付封筒(2種)
                                    【2014年発行】

          アルゼンチンの南極切手と英領南極発行の切手もそれぞれ何種類か購入して置いた。現地の
         郵便局で日本までの航空料金を聞いて必要な額の切手を貼る心算だった。

       ・ 滞在するホテルの自分宛に書状やハガキを送る
          今回の旅でホテルに泊まるのは、アルゼンチンのウシュアイア(往路)とブエノスアイレス(復路)
         各1泊だった。宿泊するホテルの名前と住所が事前に判っていたので、ホテル気付で自分宛に
         書状とハガキを送っておいた。
          第一回目に送ったのは、まだ正月気分が抜けない1月8日だった。ちょうど、年賀ハガキを海外
         に出すために今年から発行された加貼用18円切手が発売中だったので、それを貼った年賀状
         をそれぞれのホテル宛てに送っておいた。
          書状には、「白瀬中尉南極探検50年」の切手を貼り、不足分は通常切手を貼った。外国へ出
         すのだから、欧文印を押してもらい、書状には風景印も押してもらった。
          第二回目に送ったのは、1月17日だった。年賀ハガキに18円切手を貼った海外向けの使用例
         は少ないはずだと思い、実逓便を作っておこうと思ったからだ。しかし、18円切手はすでに発売
         期間を過ぎており、窓口では買えなかった。切手仲間に電話すると、Mさんが1シート10枚譲って
         くれた。21日に宿泊するウシュアイアのホテルは間に合わないだろうと思い、30日に宿泊する
         ブエノスアイレスのホテルにだけ送っておいた。

         【後日談】
          21日、ウシュアイアのホテルに着いて、フロントで私宛の手紙が来ている筈だが、と尋ねたが
         英語を話せる人が少なく一向に要領を得ない。「そんな手紙は届いていない」ということだった。
          30日にウシャアイアに帰港し、自由時間があったのでホテルを訪れ尋ねたが、「届いていない」
         とのことだった。

          30日にブエノスアイレスのホテルに投宿し、フロントで私宛の手紙が来ている筈だが、と尋ねた
         ら、「あなた宛の手紙は届いていない」ということだった。
          31日、朝食の後、チェックアウトし、荷物を夕刻までフロントで預かってもらうことにした。17時
         過ぎにホテルに戻り、荷物を受け取ると、「これが届いていた」、と言って手紙の束を渡してくれた。
         「4日前に届いていた」、らしい。

          調べると、1月8日に出した書状は届いていたが年賀状は1枚も届いていなかった。17日に出し
         た5通の年賀状は全て届いていた。

               
                        ブエノスアイレスのホテル宛年賀状

          
                        ブエノスアイレスのホテル宛書状

          ウシュアイア宛ての手紙とブエノスアイレス宛の年賀ハガキはどこに行ってしまったのだろう。
         念のため、と思い”Return Address(返送先)”を書いておいたので、何ケ月か後に”ヒョッコリ”
         戻ってくるのだろうか。

  (4) 写真・ビデオ撮影の準備
       旅の様子を家族や友人に伝えたり、自分自身の想い出作りのためには、カメラは欠かせない。最近
      では、携帯やスマホのカメラの解像度も上がり、カメラを持たない人も増えているらしい。しかし、南極
      探検旅行では、雪や雨に打たれながら揺れる上陸用ボートの上から少し離れた位置にいる動きの
      早いクジラやシャチなども撮影するのだから、持っている光学倍率5倍OptioW60では不十分だと思い
      本格的な望遠機能のついたカメラを新たに買おうと決心した。
       さらに、南極の地図を内蔵していて、今どの位置にいるのか(いたのか)が判る、GPS機能があれば、
      後々のミネラル・ウオッチングでも使えると思い選んだのは、光学30倍、世界地図内臓、GPS機能付き、
      Nikonの「COOLPIX S9700」だ。

         
            出港するウシュアイアの位置と南極                        南極半島拡大
                                    地図表示【COOLPIX S9700】

       波濤を蹴立てて「荒れるドレーク海峡」を探検船が進む様子、「クジラが潜ったり、潮を吹きならが
      浮上する姿」、そしてペンギンがヨチヨチと歩く「ユーモラスな姿」などは動画にすれば一段と臨場感が
      孫娘たちにも伝わると思い、ビデオも持参することにした。

       こうして、下の表の撮影機材を持参した。

区分 型式 メーカー  記録方法     持 参 し た 理 由
静止画 動画
デジカメ OptioW60 PENTAX  ◎  ◎ 使い慣れている。光学5倍
COOLPIX S9700 Nikon  ◎  ◎ GPS、南極地図内臓、光学30倍の望遠機能付き
新規購入
ビデオ HYBRIDCAM 日立  ○  ◎ 動画はビデオでと思い込んでいた

      これらを使うための三脚、3種類の予備のバッテリー各1〜2ケ、そして充電器を3種類持参した。船の
     電圧は220Vだと聞いていたので、充電器が問題なく対応できることは確認できていた。しかしコンセン
     トの口金が日本と違うので1ケ200円ほどのC型変換プラグを予備を含め2ケ、同時に複数充電するため
     三叉コンセントと延長コードも持参することにした。
     ( これらは、同室者にも重宝がられた )

      今回の旅は家を出て戻るまで15日間と長旅だ。PCが持参できれば、撮影した日の内にPCに画像や
     動画を移してしまえば持参する記憶媒体は少なくできるのだが、15日間分の記憶媒体を持参せざるを
     得なかった。持っていく数は、次の式で概算し、1、2枚余裕を加えた。

       記憶媒体数=1日当りの撮影枚数*写真1枚当りの容量(MB)*旅行日数/記憶媒体容量/1,000

      また、今回買ったNikonのカメラは32GBの大容量のカードまで使用できるのだが、万一記憶媒体に
     トラブルが起きたり、失くしてしまうと全ての画像が”パア”になる危険がある。そこで、『危険分散』
     考えから、8GBのものを4個持参することにした。
      持参した記憶媒体の数量は下表の通りだ。

  
記憶媒体 容量 持参した数 用途
SDHC 8GB   4 Nikonデジカメ
4GB   5 PENTAXデジカメ
SD 2GB   2 PENTAXデジカメ
1GB   1 ビデオカメラ(静止画)
DVD-RW 60分(両面)   6    〃    (動画)
   合   計   18  

      これだけ数多くの記憶媒体を持参すると、どれがいつ、どの機種で撮影したものか、判らなくなりそう
     な予感がした。身の回りを見渡すと、コインを収納するポケットがついたアルバムの切れ端があったの
     で、これを持参し、撮影済みのカードを収納するときに、持参した油性ペンで機種・撮影終了日(現地時
     間)を記入することにした。
      ( 南極・アルゼンチンと日本の時差がちょうど12時間なので、現地時間への換算は簡単なので、
       カメラの時計は日本時間のままにしておいた )

       
                   撮影済みカード収納アルバム

  (5) スーツケース、バッグ類
       今回利用する国際線が23kg、アルゼンチンの国内線が15kgで1人1ケの重量・個数制限があり、
      さらに、荷物の大きさも、縦+横+高さの合計が157cm以内だった。
       海外旅行に使っていたスーツケースはキャスターが破損していて、新しく買い直すことにした。ホー
      ムセンターに行くと、4,070円の格安品が展示してあった。重量が1kg弱しかなく、サイズの合計も制限
      よりも3、4cm小さいのでこれを買うことにした。
        プラスチック製なのを見て、妻は「これで壊れないの、大丈夫?」と不安がるので、「一回だけ持て
      ば十分」、と余裕のMHだ。

        スーツケースに収納できる分が少ないとなると、手荷物として機内に持ち込むディバッグを大き目
       のものが欲しくなる。ディバッグは、南極でのクルージングや上陸するときにも必須だ。今使ってい
       るのは、確か十数年前に東京に勤務していたころから使っているものだから、十分元は取ったはず
       だ。
        こうして、バッグ類を買い揃えたのは出発の2週間前だった。

       
                    持参したバッグ類

  (6) 服装
       南極探検の準備で一番頭を悩ませたのは、服装だった。自宅のある山梨は厳冬期だが、南半球は
      夏だ。途中で立ち寄り滞在するアルゼンチンのブエノスアイレスの気温をテレビで見ると33℃と、酷暑
      だ。
       事前に旅行会社から送られてきた「南極クルーズ・インフォメーション」の「持ち物チェック・リスト」を
      参考に、必要と思われるものをリストアップして揃えた。

       実際に行ってみて、服装を中心に「持ち物チェック・リスト」を作成し直した。必要の度合いを3段階で
      表示してみた。 ◎(絶対必要) ○(必要) △(無くても可、むしろお荷物になる) で示してみた。
       もっともこれは、あくまでもMHの主観だ。

       チェックリストをもとに下着類を揃えていた妻が、私の心を見透かしたように「水着も入れるんでしょう」、
      としまい込んであった古い水着を探し出してきた。
       これで、『年寄りの冷や水』と言われても、南極海での寒中水泳に挑戦する決心がついた。

区分 品名 推奨数量 必要性
(MHの主観)
     備       考
探検必需品 防水・防寒用上着
通称「パルカ」
1  ◎ 乗船後サイズ合わせ
して支給
(持ち帰り可能)
ゴム長靴 1  ◎ 乗船後サイズ合わせ
して貸与
(下船前に返却)
重たくて、歩きにくい
中敷 1  △  長靴は暖かい
リュックサック 1  ◎ 両手が自由に
なるように
防水用品 防水性ズボン 3  △ 裏起毛や
綿ズボンで可
雨合羽のズボン
(撥水性でなく
防水性のもの)
1  ◎ 撥水性のズボンを持参・着用したが、
上陸用ボートの船べりに座っていると
潮水が滲みてきて
パンツまで濡れた。
2回目以降、
大きなビニール袋を
ズボンの上にはいて
しのいだ
防寒用品 手袋 2  ○ 1組あれば可
耳覆いのある帽子 1  ◎ ポートロックロイで
写真に写っている
帽子で可
ネックウオーマー 1  △ パルカを着て、重たい長靴を履いて
山登りすると汗が出る。
パルカを何度も脱ぎたくなった。
(上陸後、脱いだ人もいた)
スカーフ 1  △  
マフラー 1  △  
タイツ 2  ◎ 船外活動に必要
履物 靴またはスニーカー 1  ◎ はき慣れた
動きやすいもの
上着 フリースまたは
ウールのセーター
2〜3  ○ 厚手のシャツで可
半袖Tシャツ 1  ◎ ブエノスアイレスや
船内は暑いことがある
ウインドブレーカー 1  ◎ 風雨の強いデッキや
寒い国内で着用
重ね着 フリース性の
タートルネックのシャツ
または長袖Tシャツ
3  △ 無くても可
下着 シルクまたは
ポリプロピレン製
4〜5  ◎ 化繊のもの3組で可
同室者は、使い捨て
紙パンツ使用
靴下 ウールか
木綿の
厚めのもの
4組以上  ◎ 3組あれば可
薄手のものも1つ要
眼鏡 予備 1  ○ あれば安心
あれば便利なもの 双眼鏡 1  △ 不要
水着 1  △ 寒中水泳挑戦者は
必須
カメラ 1〜2  ◎ 望遠機能付き
望遠レンズ 1  △  
三脚 1  △ 使うチャンスなし
予備のメモリーカード 適宜  ◎  
予備のバッテリー 1ケ以上  ◎ 同一型式1ケ以上
充電器 1  ◎ 電池型式別に1ケ
レンズクリーナー 1  △ レンズの曇りを拭き取る
ティッシュなどが必須
小物入れ 大中小各3  ◎ チャック付きビニール袋
プラグセット(C型) 1〜2  ◎ AC電源用
使い捨てカイロ 10  ◎ 1日1ケの計算
「パルカ」のポケットに
入れておくと
手がかじかまなくて
撮影が楽
洗濯用石鹸・洗剤 1  △ 化粧石鹸で代用
紙パンツ 適宜  △ 船外活動が2時間以上に
なることがあり、
不安な方は着用
スリッパ 1  ○ 船室内履き
食堂など船内では
靴を履く
紫外線対策 サングラス 1  ◎ 100均のもので可
日焼け止めクリーム 1  △ 女性や肌の弱い
人は必須
保湿対策 保湿クリーム、リップクリーム 各1  △
薬品 普段飲んでいる薬 適宜  △  
酔い止め 1  ◎ 「トラベルミン」3錠
その他 パジャマ 1  ○ 薄手のもの
(船内は暑いくらい)
歯磨きセット 1  ◎  
髭剃りセット 1  △ 必要な人
替え刃も

  (7) 通貨
       海外旅行では、どこの国の通貨でいくら持っていくか多少頭を使う。Masterカードがあるので、大金
      を持ち歩く必要はないのだが、絵葉書や切手などの買い物やチップなどで現金も必要だ。出発数日
      前に、添乗員の”聖子さん”から自宅に参加確認の電話があったので、ザックバランに「どのくらい持
       って行けばいいですか」、と聞いたら、「5万円くらいあれば」、と教えてくれた。出発の前の週から
      少し円高に動いてきたから、もう少し上るかも知れないので、とりあえず10万円の現金を持ち、出発
      前に成田で5万円だけ米ドルに交換することにした。

    こうして、南極探検に向けて、出発の準備が整った。

3. 参考文献 

 1) 木崎 甲子郎:南極大陸の歴史を探る,岩波新書,1973年
 2) 神沼 克伊:旅する南極大陸,三五館,2007年
 3) 地球の歩き方編集室編:アルゼンチン・地理編 2014〜15,ダイヤモンドビッグ社,1913年


「鉱物採集」のホームに戻る


inserted by FC2 system