白瀬南極探検隊の探検目的は、明治45年1月16日、鯨湾の氷堤の上に上陸した時点で、
3隊が次のように任務を分担した。
・「突進隊」
白瀬自らと、学術部員2名、隊員2名計5名で構成。第一根拠地に上陸し、
犬ぞり全部を動員して南極点を目指して進む。
山岳氷河の状態、気象、生物、地質等の研究調査に努め、新発見の区域
には目に見える範囲を日本国の名を以て占領する。
・「沿岸隊」
池田支隊長となり、西川、渡辺各隊員と田泉技師が活動写真機を携えて
これに参加する。多田も沿岸隊に加わることになった。
第一号根拠地に突進隊とともに上陸し、約一週間同地の調査、再び開南
丸に乗り、第ニ根拠地たるキングエドワード7世州以東の一部に上陸し、調
査・標本を採取し、できる限り東進し、日章旗を掲げる。
( 結局、第一根拠地の調査はせず、キングエドワード7世州をめざした。)
・「観測隊」
村松と吉野が第一根拠地にとどまり、天候・気象観測に従事する。
「野村直吉船長 航海記」などによれば、白瀬南極探検隊は、動植物・鉱物採集用品として、
次のようなものを装備していた。
・ 顕微鏡
・ 双眼鏡
・ 動物標本採集具
・ 動物剥製用具
・ 鉱物採集器
・ 写真機材
・ 村田銃10丁、散弾銃2丁
「旅する南極大陸」には、『白瀬は帰国後、「南極に行きながら、一片の岩石も持ち帰れなか
った」、と悔やんでいたが、海に浮かぶ棚氷への上陸では仕方なかった。』、とある。
しかし、「野村直吉船長 航海記」では、1月23日にエドワード山脈の地質を確認し、海底の
泥を採集している。さらに、1月29日と30日に、それぞれ、30個と50個ばかりの「鉱石」を採集し、
大きなものは20貫(75kg)もあった記されている。
『 鉱石は全部池田を保管者と定め、当人に渡した。 』、とあるので、日本に持ち帰り、どこ
かにあるはずだと一番最初に思いついたのが、白瀬の出身地・秋田県の「にかほ市白瀬南極
探検隊記念館」だった。メールで問い合わせたが、応答がなく、直接電話したところ、折り返し
メールで次のようにご教示いただいた。
『 さて、お問い合わせのありました、白瀬隊が採集した岩石等についてですが、
それらについて紹介している図書がありましたので紹介いたします。
当記念館にて小石を所蔵しております。ただし、現在は、□□大学の某教授に
お貸ししております。 』
早速、教えていただいた図書に当ってみるつもりだ。
5.2 南極の雪
「野村直吉船長 航海記」の明治45年2月7日の記録に、降雪の記述と絵が出てくる。
『 午後10時頃より降雪となる。其の雪は、梅花形のものと三角形のものとである。』
ご存知のように、雪は空気中の水蒸気が氷ったもので、氷【ICE:H2O】は立派な鉱物だ。
”南極の雪は、細長く針のようで、これが眼に入って痛む”、という隊員が多かったようだが、
絵から見ると、針のような雪ではなさそうだ。
愚考するに、南極の強力な紫外線で網膜を(?)が炎症を起こし、その痛さが、”ズキンズキ
ンと針で刺すような痛みのところから、眼に見えない紫外線に関する知識のなかった探検隊
員等は、雪が眼に入った、と考える以外に納得できなかったのだろう。
それにしても、雪の結晶の絵は興味深い。氷は六方晶系だから「三角形」はあり得るかも知
れないが、五角系の「梅花形」になるのだろうか。これも調べてみたいテーマだ。