異聞・奇譚 「南極探検」 白瀬南極探検隊の採集鉱物









               異聞・奇譚 「南極探検」
             白瀬南極探検隊の採集鉱物

1. はじめに

    白瀬南極探検隊について、私の住む山梨県出身・村松進隊員と探検隊の動向を6回にわたり、
   連載した。
    村松進隊員の行動を通して知った白瀬南極探検隊の実態は想像以上にドロドロした人間臭い
   もので、それはそれで『異聞・奇譚』に価するとは思ったが、”Mineralhunters” としての興味の、
   中心は白瀬南極探検隊が採集した岩石・鉱物標本にあった。

    「旅する南極大陸」には、「白瀬は帰国後、『南極に行きながら、一片の岩石も持ち帰れなかっ
   た』、と悔やんでいたが、海に浮かぶ棚氷への上陸では仕方なかった。」、とある。
    しかし、「野村直吉船長 航海記」では、明治45年(1912年)1月23日にエドワード山脈の地質を
   確認し、海底の泥を採集している。さらに、1月29日と30日に、それぞれ、30個と50個ばかりの
   「鉱石」を採集し、大きなものは20貫(75kg)もあった記されている。

    『 鉱石は全部池田を保管者と定め、当人に渡した。 』、とあるので、日本に持ち帰り、どこかに
   あるはずだと一番最初に思いついたのが、白瀬の出身地・秋田県の「にかほ市白瀬南極探検隊
   記念館」だった。メールで問い合わせたが、応答がなく、直接電話したところ、折り返しメールで
   次のようにご教示いただいた。

     『 さて、お問い合わせのありました、白瀬隊が採集した岩石等についてですが、
      それらについて紹介している図書がありましたので紹介いたします。
       当記念館にて小石を所蔵しております。ただし、現在は、□□大学の某教授に
      お貸ししております。                                      』

    早速、教えていただいた「日本南極探検隊長 白瀬矗」を山梨県立図書館から借り出して読む
   と、白瀬南極探検隊が持ち帰った「岩石標本」には次のようなものがあるようだ。

    1) 「野村直吉船長 航海記」流氷上で採集岩石・・・・「南極記」記載の120キロの大塊
    2) 皇帝ペンギンの胃の中から採取した岩石片 ・・・・「にかほ市白瀬南極探検隊記念館」

    これらの内、流氷上で採集した岩石は所在不明らしく、「にかほ市白瀬南極探検隊記念館」で
   保管しているペンギンの胃(砂嚢(さのう)?)にあった岩石片だけのようだ。

    1969年12月、日本南極地域観測隊は昭和基地南方300kmの「やまと山脈」南部の裸氷上で偶
   然9個の隕石を発見した。この発見を契機とし、その後の組織的な隕石探査で約20,000個を採集
   し、日本は世界一の隕石保有国になった。
    また、日本人研究者・鳥居鉄也によって、ドライバレーのドンファン池で発見された10cmにも成
   長する白色針状結晶鉱物「南極石」は新鉱物だ。

    1991年、南極の環境保護に関する「南極条約議定書」が採択され、科学的調査目的以外での
   探鉱や採鉱は禁止されているようだ。
    ” Mineralhunters ” としては、南極でのミネラル・ウオッチングが究極の夢だ。
    ( 2014年4月 調査 )

2. 白瀬南極探検隊の鉱物採集

    白瀬南極探検隊が、南極で採集した岩石・鉱物のその後を調べようと思い立ってこのページを
   まとめてみた。

   白瀬南極探検隊の探検目的には紆余曲折があったが、明治45年1月16日、鯨(ホエールズ)湾
  の氷堤上に上陸した時点で、最終的に決まったはずだ。

                
                        氷堤上への物資の運搬

        
                 突進隊                      観測隊/吉野隊員

    具体的には、3隊が次のように任務を分担した。

      ・「突進隊」     白瀬自らと、学術部員2名、隊員2名計5名で構成。第一根拠地に上陸し、
                犬ぞり全部を動員して南極点を目指して進む。
                 山岳氷河の状態、気象、生物、地質等の研究調査に努め、新発見の区域
                には目に見える範囲を日本国の名を以て占領する。
      ・「沿岸隊」     池田支隊長となり、西川、渡辺各隊員と田泉技師が活動写真機を携えて
                これに参加する。多田も沿岸隊に加わることになった。
                 第一号根拠地に突進隊とともに上陸し、約一週間同地の調査、再び開南
                丸に乗り、第ニ根拠地たるキングエドワード7世州以東の一部に上陸し、調
                査・標本を採取し、できる限り東進し、日章旗を掲げる。
                 ( 結局、第一根拠地の調査はせず、キングエドワード7世州をめざした。)
      ・「観測隊」     村松と吉野が第一根拠地にとどまり、天候・気象観測に従事する。

    「野村直吉船長 航海記」などによれば、白瀬南極探検隊は、動植物・鉱物採集用品として、
   次のようなものを装備していた。

     ・ 顕微鏡
     ・ 双眼鏡
     ・ 動物標本採集具
     ・ 動物剥製用具
     ・ 鉱物採集器
     ・ 写真機材
     ・ 村田銃10丁、散弾銃2丁

    骨董市で購入した「南極探検用学術器械」と題する絵葉書の右上に鉱物採集用と思われる、
   「岩石ハンマー」が写っている。

        
            「南極探検用学術器械」             岩石ハンマー

    ただ、今まで読んだ白瀬南極探検隊に関連する文献の中に、これを「携行した」、という記述は
   あるが、「使った」、という記述は見当たらなかった。その大きな理由は、これから紹介するように、
   持ち帰った岩石標本は露頭から直接採集したものでなく、岩石ハンマーの出番がなかった、とい
   うことだろう。

3. 白瀬南極探検隊が持ち帰った岩石標本

 3.1 沿岸隊が流氷上で採集した岩石
      「野村直吉船長 航海記」によれば、1月23日にエドワード山脈の地質を確認し、海底の泥を
     採集している。その時の詳細な様子を「白瀬矗」から引用する。

      『 高く聳(そび)える氷堤にたどり着いた田泉、西川、渡邊だが、ここで田泉は「開南丸」に
       戻った。西川と渡邊は高さ60メートルの氷壁登攀に挑んだ。
        携行品の中に食料品と並んで岩石標本を採集するための『鉱物用ハンマー』と写真機
       1台があった。
        2時間ほどかけて、2人は氷堤上に立った。眼前に聳えるアレキサンドラ(エドワード?)
       山脈の一峰を目指していると時計は23日深夜0時を指していた。この頃から、吹雪混じりの
       天候になったが2人は前進した。爪さき登りの場所を過ぎて、急峻に聳えている地点の下
       にたどり着いたのは1月24日午前6時だった。「開南丸」の係留地を出発してから14時間を
       費やしていた。
        2人は山腹の急斜面を、昨日から見え隠れしていた黒色の露岩を目指して登ったが、
       その凡(およ)そ70m直下で、幅4m、深さ15mほどの亀裂が山腹一帯に走り、露岩部への
       行手を阻まれてしまい、前進を断念した。露岩は花崗岩より成り、上層は薄墨色を呈し、
       また赤土のような箇所も見られた。彼らはこの地点に木標を立て、上方の露岩を入れて
       撮影した。木標には次のように記した。
         表面  : 大日本南極探検隊沿岸隊上陸記念
         右横面: 隊員 池田政吉、以下沿岸隊員名
         左横面: 船員 野村直吉、以下船員名

        
               エドワード7世ランドの露岩

        西川隊員はこの地点で渡邊隊員と別れ、標柱を立てて撮影した地点から更に登り、アレ
       キサンドラ山脈の山容を偵察した後、渡邊隊員と合流して下山、24日午後10時30分、開南
       丸に帰船した。総行程60km、所要時間39時間だった。                      』

      「南極記」には、この学術探検における成果をの一つとして次のように記述している。

      ・
      ・ 登攀した最上部には爪先登りの氷原があり、峰の上部には地質研究を行える、黒色の
       山骨(母岩)の露出がある。
      ・

      西川、渡邊隊員が戻ると、開南丸は東方沿岸を探検する。1月29日と30日に、流氷の上から
     それぞれ、30個と50個ばかりの「鉱石」を採集し、大きなものは20貫(75kg)もあった、と「航海
     記」に記されている。

         
               「鉱石を採集する船員と隊員」            採集した岩石とオキアミ
                   【「航海記」より】                   【「南極記」より】

          「南極記」の右下のは角が丸みを帯び流氷の上で採集したように思えるが、上の写真のもの
     は重さが120kgとなっており、「航海記」には大きなもので20貫(75kg)というのと合致しないし、
     角ばっているのも不自然で、流氷の上で採集したものか、疑問だ。
      また、これらは陸地の基盤岩から採集したものでなく、海上を漂う流氷の上で採集したもの
     で、本当の産地がわからないことから学術的な価値は低いと判断されるだろう。

 3.2 ペンギンの胃から出てきた岩石片
      白瀬南極探検隊は、「動物剥製用具」を持って行き、捕獲した動物を剥製にして持ち帰った。
     冷凍・冷蔵施設などない開南丸では高温の赤道直下を越えて”生”のままで持ち帰ることは
     不可能だった。

     
          皇帝ペンギン剥製
         『大正天皇に献上品』

      捕えた皇帝ペンギンを剥製にするとき、胃の中から140個あまりの岩石破片がでてきた。エド
     ワード7世ランド付近の海底と陸地の地質を知る上で格好の資料として研究された。岩石片は、
     「結晶片岩」、「凝灰岩」、「珪岩」、「砂岩」、「泥質砂岩」、「粘板岩」、「片麻岩」、「新火成岩」
     など8種だった。この結果から、次のような結論を出している。

      1) エドワード7世ランド付近一帯の地質は、第3紀(6500万年以前)の粘板岩と泥質砂岩、
        火山の噴出によってできた、新古凝灰岩等で成っていると推論できる。
      2) それと同時に、エドワード7世ランド付近には、かつて火山の噴出があったであろう。
      3) 鉱物学的に見ると、磁鉄鉱あるいはチタン鉄鉱を含有する岩石片が40個あった。

      この岩石片の一部、8個が、「にかほ市白瀬南極探検隊記念館」に保管されている。この標
     本に添付されている小紙片には、「明治45年白瀬南極探検の折、村上俊蔵家にて所有。
     昭和60年10月29日いただく。 白瀬京子」、と記されている。

      
      皇帝ペンギンの胃から出た岩石破片の一部
             【「白瀬記念館」所蔵】

      村上俊蔵(号濁浪)は、雑誌「成功社」の社長で、南極探検を思い立った白瀬が最初に訪れ、
     た。村上の援助で、「南極探検後援会」が発足、村上は後援会幹事として支援を続けた。
      白瀬京子は、白瀬矗の弟の孫にあたり、1970年、日本女性として初めて小型ヨットで世界一
     周(乗員3人)を成し遂げた。当時34歳。1990年、「にかほ市白瀬南極探検隊記念館」の初代
     館長に任命されたが、開館を目前にして54歳という若さで亡くなった。「雪原へ行く わたしの
     白瀬矗」など、親族ならでは視点でみた著書がある。

      さて、胃の中から出て来た岩石片だが、胃ではなく、「砂嚢(さのう)」、俗に「砂肝(すなぎも)」
     ではないだろうか。歯をもたない鳥類(ペンギンも鳥類)は砂礫を飲み込んで、砂嚢中でそれら
     を歯の代わりとして、食べたものを砕き、消化の助けとする。
      砂嚢に飲み込まれている砂礫は胃石と呼ばれ、多くの場合角の取れた滑らかな形状をして
     いるが、あまりに滑らかだ砕くのに適さないため、その場合には吐き戻しにより排出されるらし
     い。
      したがって、恐竜の胃などから出てくる「胃石」と同じで鉱物学的な価値には疑問符がつく。

      わたしが注目したのは、『 磁鉄鉱あるいはチタン鉄鉱を含有する岩石片が40個あった 』、
     というくだりだ。140個あまりのうちの40個は、1/3弱にあたり、中には、『鉄質隕石』もあるの
     ではないか、と想像している。

4. 南極の鉱物と隕石

 4.1 南極大陸の生い立ち
      南極大陸は、地形と地質構成により、東南極と西南極に大別される。南極横断山地(山脈)
     が東西の境目だ。

      
                        南極大陸図
                    【「南極読本」より引用】

      東南極は、先カンブリア時代という5億4千万年以前にできた岩石で主に構成され、「東南極
     楯状地」と呼ばれ、地震や火山活動などもなく地質的に安定している。
      西南極は、南米アンデス山脈に続く造山帯であり、古生代以降も火山活動や断層・地震・
     褶曲、そして花崗岩の形成などの地殻変動が活発な地帯で、現在活動している火山もある。

      紀元前のギリシャの哲学者たちは、「未知の南方の大陸("Terra Australis Incongnita)」の
     存在を予言した。南極大陸は、ほかの大陸に接していない巨大な”島”だ。地球の誕生以来
     孤立していたかというとそうではない。約6億年前、南極・オーストラリア・インド・スリランカ・
     マダガスカル・アフリカ・南米は一つの巨大な超大陸「ゴンドワナ」を構成していた。
      各地域の岩石や地層の特徴、また同じ年代にできた造山帯の連続関係をもとに「ゴンドワナ
     大陸」を復元すると下の図のようになる。

      
                    「ゴンドワナ」大陸復元図
                      【「南極読本」より引用】

      昭和基地あたりはインドやスリランカと接し、南極半島は南米と、そして南極大陸の東半分を
     占める東南極楯状地は北側をアフリカ楯状地、南側をオーストラリア楯状地に接していたよう
     だ。

      東南極楯状地は、「ミグマタイト(混成岩)」と呼ばれる、褶曲したり破断しり変形が著しい黒い
     「黒雲母片麻岩」に不規則な脈状の白い「花崗岩」が入り込んだ岩石で構成されている。
      西南極は、中世代後半(約1億年前)の堆積岩や火山岩(流紋岩や安山岩など珪酸分の多い
     岩石)と花崗岩が広く分布している。

 4.2 南極の鉱物
      日本は、国際地球観測年(1957年〜58年)から南極観測に参加し、1957年1月29日、オング
     ル島に上陸、「昭和基地」を建設した。以来、第6次と第7次の間、「宗谷」の老朽化で新しい観
     測船を建造する間の3年間基地を閉鎖した以外、今日まで観測隊を毎年送っている。
      延べ探検隊員数も多く、地方の学校や公共機関に出身隊員が寄贈した「南極の石」が置い
     てあることも珍しくない。それらのほとんどが花崗岩で、中には「鉄バン柘榴石」と思われる斑
     晶が観察できるものもある。しかし、これらは「南極の石」だ。

      南極の鉱物として、取り上げるとすれば、やはり「南極石(なんきょくせき)」だろう。

  (1) 南極石【ANTARCTICITE:CaCl2・6H2O】
       1963年、日本人研究者・鳥居鉄也によって、ドライバレーのドンファン池で発見され、1965
      年に「新鉱物」として認定された。
       白色・針状結晶で、天然環境下では最大で15cmの針状結晶で産出するらしい。モース硬
      度が2から3の柔らかいガラス光沢を持つ。色は固体、液体共に無色透明である。質量の半
      分が水であり、比重は1.7とかなり軽い。
       高湿度の大気中では潮解するし、25℃の融点に達すると液化するし、50℃以上で脱水し
      4水和物となるなど、保存が厄介な鉱物だ。ちなみに、室温で液体の鉱物は、融点0℃の氷
      【ICE:H2O】、-38℃の自然水銀【MERCURY:Hg】と「南極石」だけだ。
       南アフリカ共和国のDriekop鉱山産の石英結晶(水晶)のの流体包有物 (Fluid inclusions)
      に含まれているらしい。

      
                    南極石
               【表記のページより引用】

 4.3 南極の隕石
      隕石は鉱物ではないが、鉱物を含む「母岩」と同じと考え、紹介する。隕石は、地球外の岩石
     を指す。ほとんどが火星と木星の間にたくさんある小惑星を起源とするが、一部火星や月から
     の岩石も含まれている。
      南極で発見された隕石を総称して、「南極隕石」と呼ぶようだ。2011年までに、約48,000個の
     南極隕石が発見され、その内日本の観測隊が発見し、国立極地研究所が保管するものは
     約17,000個と1/3を占め、世界最大の隕石コレクションの一つだ。1969年に観測隊により南極
     隕石が発見されるまで、世界でおよそ2,500個、日本で40個の隕石しか知られていなかったの
     で、南極で発見された隕石の数の多さは際だっている。

      南極隕石は、1912年、オーストラリアのモーソン隊が最初に発見した。最初の1個から日本の
     第14次観測隊(1973年)が発見した14個を含めた27個の隕石は、地質調査や氷河調査の時
     に”偶然”発見されたものだった。
      それに対して、1974年に日本の第15次観測隊が663個の隕石を発見したのは、『内陸山脈
     付近に隕石が集積される』、という仮説にもとずき、隕石発見が期待できる場所で、組織的に
     探査した結果だった。

      
                    南極隕石の集積メカニズム
                     【「南極読本」より引用】

      南極大陸では氷の厚さが平均で約1,900mもある。この氷は低いところに流れ、最終的に
     氷山となって海へと流れ出す。その氷の流れが山脈にぶつかると、そこでせき止められる。夏
     でもマイナス10℃という気温にもかかわらず、強い風と日射によって年に10cm近いスピードで
     氷は昇華(液体にならずに蒸発)する。数十万年経つと、キロメートル単位の厚さの氷がなくな
     る。氷の中に保存され、氷とともに移動してきた隕石は融けることはないので、氷の上にはたく
     さんの隕石が取り残される。これが隕石集積のメカニズムだ。
      海に流れ出した氷山の上にあった隕石を白瀬南極隊が採集したり、ペンギンが食べた可能
     性は”ゼロ”ではない。

      こうして、南極隕石は大量発見の時代に入った。

      以前は隕石を構成物質によって、金属鉄を主体とする「鉄隕石」、岩石を主とする「石質隕石」、
     鉄と石が半々からなる「石鉄隕石」の3種類に分け、これを細分化していた。最近では、隕石の
     でき方を考慮して、「コンドライト(始原隕石)」と「分化した隕石」に分類する方法が採用されて
     いる。
      太陽の周りのチリが集まって固まった隕石母天体が溶融・分化を経ていないと考えられるの
     がコンドライトで、コンドリュールと呼ばれる 0.1mmから数mmの球状の物質を含むのが特徴だ。
      大きく成長した隕石母天体は地球の内部と同じように溶融し、溶液が結晶化する(固まる)
     過程で分化が起き、表層には、地球(惑星)の地殻に似た原始的地殻もできた。このような隕
     石母天体から生まれた隕石を非コンドライトと呼び、「エコンドライト」、「石鉄隕石」、「鉄隕石」
     のグループだ。

      南極で日本隊が発見した隕石のうち16,800個を分類した結果、コンドライトが96.4%(86%)、
     エコンドライトが3.3%(7%)、鉄隕石0.2%(6%)である。( )内の地球に落下する隕石の値と比較
     すると、コンドライトが多く、エコンドライト、特に鉄隕石が少ないのが南極隕石の特徴だ。

      
             代表的な炭素質隕石
             【「南極読本」より引用】

5. おわりに

 5.1 ミネラル・ウオッチング in 南極
      1991年、南極の環境保護に関する「南極条約議定書」が採択され、科学的調査目的以外で
     の探鉱や採鉱は禁止されているようだ。
      科学的な調査結果では、南極の周縁部だけでも、銅、亜鉛、ウラン、そして石油まで、われ
     われにとって有用な鉱物資源があることが確認されている。南極大陸の大部分はその生い立
     ちからアフリカ、南米、インド、そしてオーストラリアと同じ楯状地で、これらの地域が鉱物の宝
     庫になっていることから、南極大陸は『資源の宝庫』の可能性が高い。

      ” Mineralhunters ” としては、南極でのミネラル・ウオッチングが究極の夢なのだから、
     夢は実現しなければ・・・・・・。

 5.2 3度目の"Yummy(ヤミー)"
      NHKの朝ドラ「花子とアン」がスタートして1ケ月になろうとしている。気になる視聴率は24%台
     と、好評だった前作の「ごちそうさん」そして、前々作の「あまちゃん」に一歩も引けを取ってい
     ない。
      妻にこのことを話すと、「山梨の人はみんな見ているからそうでしょう」、という。山梨県の人
     口は80万人チョットで全人口の0.6%しかいないのだから、全世帯が見ても1ポイント弱しか視
     聴率は上がらない計算になることを説明してあげた。
      水汲み、子守と家の手伝いに明けくれ勉強どころではないハナの少女時代の場面には、
     ”おしん”を連想させられた。どちらも母親の名が”フジ”だったと記憶する。

      将来を思い悩む花子の兄にむかって、祖父・修造が「そうさな、考えてみるのも悪かぁねえ」、
     と諭す場面があった。「そうさな」は、アンの育ての親・マシューの口癖で、このように、花子訳
     「赤毛のアン」と重なるように脚色してある。これを知ると、そもそも、”しゅうぞう”は”マシュー”
     を意識して設定した名前では、と思わせる。

      花子が、日曜学校で外国人少女に、手作りのクッキーを渡し、「"Yummy(ヤミー)"?」と尋ね
     る場面があった。前作の「ごちそうさん」でも、進駐軍の大尉が"Yummy"、と言っていた。
      "Yummy"は学校でもビジネス英語でも習ったことがないし、比較的厚い英和辞典にも載って
     いない単語だ。何年か前、息子の嫁さんが読んでいた原書にこの単語があり、「おいしい」、と
     言う意味だと教えてもらっていたので、「ごちそうさん」の時も今回もすぐに理解できた。

      放送の終りを告げる、美輪明宏さんの「ごきげんよう」も素晴らしいことばだ。

 5.3 『 紅と白 』
      甲府盆地は2014年2月の大雪の影響か、桜と桃の花がほぼ同時に咲き、”桃源郷”を思わ
     せる。わが家の小さな庭にも、紅色のハナミズキが花を咲かせ、枝ごしに見える富士山の雪も
     麓の方は融け、春本番だ。
      もうひとつ、「山芍薬(やましゃくやく)」が真っ白い花を咲かせている。奈良県の石友・A氏に
     案内してもらい某県の山奥で採集し、庭に植えたものだが、石友・Yて農学士の指導よろしき
     を得て、妻が種を採取して植木鉢に播いて、増やし、今では50株を超えるまでになった。
      10年近く前、兵庫県のN夫妻を山梨県の産地に案内した時、目聡いNさんの奥さんが、山芍
     薬の株を見つけ、いただいて自宅の庭に飢えたのだが、それはいつの間にか絶えてしまって
     いた。遠く離れた山梨の猛暑・極寒にも耐えて繁茂してるけなげでたくましい山芍薬を見習わ
     ねば、と思うジージだ。
 

         
                ハナミズキと富士山                 「山芍薬」
                               わが家の春

6. 参考文献

 1) 島 誠:星の誕生と宇宙の塵,玉川大学出版部,1978年
 2) 綱淵 謙錠(けんじょう):極(きょく) 白瀬中尉南極探検記(上),新潮社,1983年
 3) 綱淵 謙錠(けんじょう):極(きょく) 白瀬中尉南極探検記(下),新潮社,1983年
 4) 白瀬 矗(のぶ):白瀬 矗 「私の南極探検記」,日本図書センター,1998年
 5) 神沼 克伊:旅する南極大陸,三五館,2007年
 6) 小島 秀康:南極で隕石をさがす,成山堂書店,平成23年
 7) 野村直吉船長航海記出版委員会編:南極探検船 開南丸 野村直吉船長航海記,成山堂書店
                                                     平成24年
 8) 南極OB会編:南極読本,成山堂書店,平成25年
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