古希記念 南極ミネラル・ウオッチング 南極探検旅行 【出航】 ( Mineral Watching in Antarctica<BR>  Antarctica Expedition 2015 , - Embarkment - )









             古希記念 南極ミネラル・ウオッチング
             2015年 南極探検旅行 【出航】

                  ( Mineral Watching in Antarctica
                   Antarctica Expedition 2015 , - Embarkment - )

4. 南極探検

 4.1 出航
  (1) ウシュアイアとしばしの別れ
      現地時間1月21日の16時に乗船し、17時に船はウシュアイア港を出航した。日本の船出のイメージは、
     銅鑼(どら)が”じゃんじゃんじゃん”と鳴って、紙テープで別れを惜しむと思っていたが、ここではそんな
     セレモニーは何もないまま、機械的に船は岸を離れた。
      デッキにいても暖かく、半袖のTシャツでも大丈夫だ。離れていくウシュアイアの街と周りの山並みを
     写真に撮る。

          
                   ウシュアイア港を後に                            アルゼンチン基地

      海の上から見ると、マルティアル山脈と海の間の狭い傾斜地にウシュアイアの街があることがわかる。
     人口は16,000人と聞いた。観光や水産業が主の街だが最近ではIT産業も盛んになってきているらしい。
     山は急峻で、最も高いヴィシンゲーラ山でも標高1,450mだから、「森林限界」と呼ばれる木が生えて
     いるのは、1,000mくらいまでだろうか。富士山の山梨県側の森林限界は標高2,500mくらいだが、ウシ
     ュアイアのがそれよりも低いのは緯度が高いせいだろう。
      われわれの探検船と入れ違いにアルゼンチン海軍か国境警備隊の船が帰ってきた。狭いビーグル
     水道の対岸はチリ領だから国境警備の任務に当っているのだろう。

      私が後甲板で離れ行くウシュアイアの街を写真やビデオに撮っている姿を写真担当のサイモンさんが
     写してくれた画像が公開されていた。

       
                     撮影中のMH

      船は10ノット(時速20km弱)くらいで進んでいるから、1時間もたたないうちにウシュアイアの街は見
     えなくなり、見覚えのあった山々も見る方角が違い識別できなくなってしまった。

  (2) エクスぺディション・チーム紹介
      船内放送があって、5階のメインラウンジに集合する。船長、オフィサー(上級船員)、乗組員そして
     エクスペディション・チームの紹介があった。正直、だれがだれなのかわからなかった。その中で名前を
     覚えたのはロジスティック・マネージャーの肩書をもつ林さんという日本人女性と(晩年の)石原裕次郎
     に似ていて、自分でも”Yujiro(ユージロウ)!!”と叫んでいたチーフ・パーサーくらいだった。
     ( 私が言うのも何だが、発音が変だったので、正しい発音を教えてあげてから、だいぶ”マシ”になった )

  (3) 避難訓練
      乗船しての最初の講義は、船の説明と救命胴衣をつけての避難訓練だ。各自の船室に備えてある
     救命胴衣を持って5階のラウンジに集合する。
      まずは、船で使われる用語の説明だ。

   1) 右舷・左舷
       船首を向いて、右の船べりが右舷(starboard)、反対側が左舷(port(side))だ。非常の場合、自分の
      船室のある側の舷に出るのが基本のようだ。

   2) 「○時方向」
      

 この先、突然、「○時方向に
□□□が見えます」、というアナ
ウンスが数え切れないくらい
流れた。
 その度に、デッキに飛び出すが
出る方向を間違えると見逃して
しまうから、シッカリ覚えておく。

 船が時計の中心にあると仮定し
船首(進行)方向が12時、船尾が
6時方向だ。
 2時だと右舷のやや船首寄り、
8時は左舷のやや船尾寄りだ。

              「○時方向」説明

   3) 救命胴衣着用
      

 救命胴衣を実際に自分で着用
してみる。
 周りを見ると、おかしなところに
首を突っ込んだり、ベルトの締め方が
解らない人などがいて、お手伝いする。
 自分自身、非常の場合、慌てていたり、
暗がりの中で着用できるだろうか。

              救命胴衣着用訓練

      この後、避難誘導係に引率されて、それぞれの舷の救命ボートの位置まで避難して、避難訓練は終
     了だ。
      救命ボートは定員20名くらいのが2艘だけで、残りの80名余りの乗客や100名前後いる乗組員はどう
     するのだろうか、と疑問に思う。

      【後日談】
      探検旅行の後半の1月28日、このツアーの講師の一人・瑠璃子さんから「南極観光事始め」と題する
     レクチュアがあった。
      その中で、『極地観光のパイオニア・リンドブラッドの持ち船で、1969年に建造され、1984年に売却さ
     れた「エクスプローラー号」が2007年に南極海で沈没した。』
、との説明があった。

       
                   沈没寸前の南極観光船

      詳細を知りたくて、帰国後インターネットで調べてみると、2007年11月23日、南極海で「エクスプロー
     ラー(Explorer)号」が氷山に接触し、沈没したが乗客154名は全員無事救出された。この船には日本人
     も1人乗っていたそうだ。
      各キャビンの船賃は、8,500米ドル(邦貨100万円余)だったらしい。

      犠牲者が1人も出なかった理由を尋ねると「南極観光のベストシーズンの今頃は、数隻の観光船が
     クルージングしていて、事故が起きるとそれらの船が救助に向う取り決めになっている」、とのことだっ
     た。
      われわれが出航する前、ウシュアイアの波止場では、「オーシャン・ダイヤモンド」クラスの大きさの
     船が4隻停泊していたが、われわれが帰港したときには1隻も見かけなかったので、クルージング中だ
     ったのだろう。

 4.2 「オーシャン・ダイヤモンド号」
      船の話が出たついでに、われわれが乗った「オーシャン・ダイヤモンド号」について、説明しておこう。

  (1) 船の履歴書
       「オーシャン・ダイヤモンド号」の前身は、1974年に建造され、1989年に改造された日本の川崎汽船
      が所有した「ソング・オブ・フラワー(Song of Flower)号」だった。1991年版の”World wide Cruse”で
      世界に10隻余りしか選ばれない『5スター+』にランクされていた。クルーズファンには永年親しまれて
      いた船らしい。
       その後、フランスの船会社カンパニー・デュ・ポナンの船隊に加わり、「ル・ディアマン号」として運航
      していた。
       2004年、耐氷性能はロイド船級協会の定める氷海船級(アイスクラス)”ID”(多くのネットや文献に
      ”1D”とあるのは誤り)を取得するなど安全装備を含めて全面改装され、クオーク・エクスペディションズ
      社の船隊に加わった。この際、「オーシャン・ダイヤモンド」と改名され、2012年11月から南極クルーズ
      に就航した。

       
                グラハム・パッセージの「オーシャン・ダイヤモンド号」

  (2) 船の大きさ・性能
       写真の両端に写っている15人くらい乗れる上陸用ボートが小さく見えることからわかるとおり、
      大きさは、全長124m、全幅16mある。
       総トン数は8,282トンで、姉妹船の「シー・アドベンチャラー」(4,376トン)や「シー・スピリット」(4,200
      トン)の約2倍だ。
       巡航速度は、15.5ノット(28.7km/時)と姉妹船が12〜14.5ノットに比べ高速なのも特長で、南極
      までの往復の時間を短縮し、しかも2倍近い乗客を乗せて、限られた”南極の夏”の間により多くの
      観光客を運んで経済性を上げているようだ。

  (3) 乗客・乗組員・スタッフ数
       乗客定員は、189名で、今回の探検参加者121名、添乗員と日本人シェフ12名、エクスペディション・
      スタッフと講師そしてガイド27名が客室にいたから、30名くらいの空きがあったようだ。
       乗組員144名とあるが、料理人な普段どわれわれの眼に触れない人たちの人数がハッキリしないか
      ら、全員で何人いるのか計りかねたが、80名前後ではないだろうか。

  (4) デッキ・プラン(船内図)

       
                      「オーシャン・ダイヤモンド」のデッキ・プラン(船内図)

       客室は、最上階の7階から一番下の3階まで5層構造になっている。一般に、船は上層階ほど展望
      がきき、船室の造りもより豪華になっていて、それだけ値段も高いようだ。
       ただ、船の重心(メタセンタ)は、下にあり、海が荒れたときの揺れは上層階ほど大きくなる。

       私の船室は、3階にある「トリプル(3人部屋)」の『335』だった。値段が一番安いが数が少なく、出発
      9ヶ月前の4月19日に開催された説明会で私が予約したのが最後に残っていたベッドだった。

       乗ってみて3階『335』号室のメリットに改めて気づいた。
        ・ 揺れが少ない
        ・ ダイニング(食堂)や船内活動の主会場レクチャー・シアター、そしてレセプション(受付)に近い
        ・ 船外活動の乗降口(=避難口)に近い
        ・ 何よりも、他より少なくても20〜30万円値段が安く、その分お土産が余分に買える

       【7階】
        7階の船首側には「オブザーベーション・ラウンジ(展望室)」がある。船首と両舷、3方向の視界が
       開けていて、ガラス越に暖かな陽射しをうけて氷山や雪山を眺めるのには最適だ。逆に、ガラス越
       であるがゆえに、寒くて厳しい南極にいるという感覚が薄れてしまうせいか、ここを使っている人は
       少なかった。

       
                      「展望室」
                   【ODパンフレットより】

       【6階】
        6階の中央廊下を船首方向に行くと扉があって、そこを抜けると「操舵室(ブリッジ)」だ。この船は
       『オープン・ブリッジ・システム』で、誰でも自由にブリッジに入ることができる。
        操船する様子や海図をみたり、GPS航行システムで自船と他船の位置を海図上で確認したり、
       レーダー画面をみて島や氷山までの距離を測ったり、現在位置(経度・緯度)、水深、速度などを知
       ることができる。

          
                    航行システム画面                    海図をチェックするアニーさん
                  【観光船が多数航行中】

       【5階】
        5階の船尾側には、「レクチャー・シアタ」がある。「メイン・ラウンジ」と呼んでいた。船内での「南極
       講座」などの講義から「ウエルカム(フェアウエル)・カクテル」そして「オークション」まで、幅広い催し
       が開催される場所だ。早朝、「ヨガ教室」が開かれたのもこの場所だ。

          
                    Yさん、Oさんと                              受講風景

       【4階】
        4階の中央部には、「レセプション(受付)」がある。左舷側が「ホテル」部門、右舷側が「エクスペデ
       ィション」部門の受付になっている。

        船全体が動くホテルのようなものだし、その中に「探検事業部」があるような事業形態だ。ホテル
       部門の受付では、パスポートの保管、クレジットカード支払い手続きそして失くした鍵の再発行まで
       やってくれる。
        船内の通貨は、米ドルだ。船の中のダイニングでは現金が使えず、カードが便利だ。最初にカード
       の登録をしておくと、ダイニングでの有料アルコール飲料やギフト・ショップでの支払いは、部屋番号
       が書かれた船内IDカードを見せてサインをするだけで済んでしまう。

          
                     船内IDカード                   「ギフト・ショップ」のレシート
                                                 【サインの一部が見える】

        「いつもニコニコ現金払い」の奈良・Cさんは、お土産を沢山買って手持ちのドルが残り少ないとい
       うので、現金はそれほど必要ないと感じた私が100米ドルを日本円と交換して差し上げた。

        レセプションの隣に「ギフト・ショップ」がある。絵葉書、Tシャツ、ぬいぐるみなど定番の南極土産か
       ら、写真を撮りすぎてメモリーがなくなった人のためのSDカードなどまで販売している。
        絵葉書はウシュアイアの街で買ったのだが、乗船してみるとシャクルトンの「帝国南極横断隊」を
       描くものが3種あったので購入した。翌日行くと新しい図柄のものが”ドサッ”と加わり、それも何枚
       か買った。2日後だったかに行くと、また新たな図柄のものが並んでいるという具合だった。
        日本だったら、在庫のある全種類を少しずつ並べ、売れた図柄のものを補充していくだろうに、と
       思ったが、ここにはここのやり方があるようだ。

          
                「帝国南極横断隊」絵葉書                      「ギフト・ショップ」係

        4階の船尾側に「ザ・クラブ」がある。ここでは、軽食をつまみながらモーニング・コーヒーやアフタヌ
       ーン・ティを楽しむことができる。
        朝、夜が明けて船内を一回りした後や船外活動で身体が冷えた後には「ザ・クラブ」に行き、熱い
       コーヒーを飲みながら甘い軽食を摂るのが習慣になっていた。

          
                    「ザ・クラブ」入口                      ある朝のコーヒーと軽食

        「ザ・クラブ」は、船外活動の集合場所にもなっている。班別に人員確認をして、船尾側のマリナー
       か、3階から右舷側のタラップを降りて上陸用ボートに乗り込む。

       
                   船外活動前の集合

       【3階】
        3階の後方は「ダイニングルーム」になっている。BBQ(バーベーキュー)など特別な行事がない
       限り、朝・昼・夕と日に3度の食事はここで摂る。
        ここでの食事は、入れ替えなしの1回制で自由席だ。少し遅れて行っても必ず空席があったから、
       収容人員には余裕があったのだろう。

        『単調になりがちな船旅(クルージング)では、食事が最大の楽しみ』、とものの本にあるが、南極
       探検旅行では、船外でのエキサイティングな自然との遭遇が最高だが、食事も楽しみなのは事実
       だ。
        映画「タイタニック」を御覧になった人は、上等船室の男女が礼服やドレスに着飾って食事する場
       面を覚えておられると思うが、この船では、服装は活動しやすいカジュアルでよいし、船室のクラス
       に関係なく同じものを食べる。
        こんな点でも、私のように安いクラスの船室の利用者ほど、”割安感”を覚えて、ほくそ笑む。

        朝食は、「おかゆ」、「味噌汁」などの和食と「スクランブルエッグ」、「ベーコン」などの洋食があり、
       もちろん和洋折衷で好きなものを好きなだけ選ぶことができる。毎食豊富な果物、サラダ、デザート
       が食べ放題で、日本では季節外れになるせいだろうか、とくに”スイカ”は人気があった。

        昼食には、普通の料理の他に、同行した日本人シェフが腕をふるった日替わりメニューが一品つ
       いて、「炊き込みご飯」、「イナリ寿司」、「日本そば」などを楽しむことができた。日本風のカレーライ
       スを同席したエキスペディション・スタッフのスコッティさんは”美味しい”、といって3回もお代わりする
       ほどだった。
        料理人は地元アルゼンチンだけでなく、フィリピンなどからも来ているので、何となく味付けが東南
       アジア風であったりして、私などは”多国籍料理”と割り切って食べていた。そんな中での、日本の
       味は、特に年嵩(としかさ)の人たちにはありがたかったようだ。

          
                   私の朝食(1/25)                              昼食(1/23)
                                                    【イナリ寿司、これだけではない】

        夕食は本格的なフルコースで、メインは3種類の中から好みで選んで注文する。スープやデザート
       は食事の進行に合わせてウエーターが運んできたり、場合によっては催促することになる。
        アルコール類は高く、「地ビール」か「アメリカビール」など種類にもよるが330mlで4.75〜7米ドル
       (570〜840円)だったが、初めての方々と親交を深めるため飲むことがあった。

          
                夕食メニュー(1/22)                                 ビール

        私が食事で心がけていたことは、できるだけ初めての人やエクスペディション・スタッフ(外国人)と
       同じテーブルに座るということだ。
        参加者は平均年齢が60ウン歳で、色々な経歴・経験をお持ちの方々から聞く話は興味深い。外
       国人との英語での会話は、錆ついた脳の活性化にもってこいだ。下の写真は、講師兼ガイドの
       クリスさんとの食事風景だ。彼は、金融・IT分野で活躍した後、サウサンプトン大で海洋生物学を
       修めた経歴の持ち主だ。
        外国人の彼が”箸”を上手に使い、われわれ日本人が”ナイフとフォーク”を使っているのに気づき
       おもしろいと思い、同席の方に写してもらった。

       
                   クリスさんと食事

 (5) 船室
      時間を戻すと、ウシュアイア港で16時に乗船し、成田に集合したときに指定されていた船室に行くと、
     すでにスーツケースが届いていた。
      同室者は、Aさん、Mさんの3人で、みなさん、60歳代でどうやら、見た目はともかく、私が一番年長の
     ようだ。
      船室は思ったより広い。安いので船底の船室かと思ったが、丸窓がついていて、外の景色も少しだが
     見えるし、昼か夜かもわかる。
      ベッドはシングルベッドが2つと、私のは写真右手前の2段ベッドの上段だ。昇り降りには、ハシゴを使
     うが、取り付けが”やわ”なので、気をつけないと危なさそうだ。
      洗面所では、水とお湯が使え、トイレは水が貴重なので飛行機と同じように真空式になっているが
     吸い込みが良くなくて紙が残ってしまう欠陥があり、水を入れて流し直すことが度々あった。タオル類は
     備え付けてあり、随時交換してくれるが、長さが短い上に厚手なので背中を洗うのには使えず、日本か
     ら持って行った「湯沼鉱泉」のタオルが役に立った。
      洗濯は洗面所でやったが、赤茶色のお湯なので白い下着類を洗うのは抵抗があったが我慢するしか
     なかった。

          
                        ベッド                            洗面所

      入口脇のロッカーの収納スペースも十分あり、持ってきた衣類をハンガーに引っ掛ける。しかし、全て
     のものが収まるところに収まるまで、翌日一杯かかった。
      シャワーの第一印象は、”狭マ!!”だった。身体ひとつ分くらいの奥行しかないので、足を洗おうと
     すると身体の硬い私には難行だった。
      シャワーの後に着るバス・ローブも備え付けてあったが、普段そのような習慣のない私は、持って行っ
     たパジャマに着替えていた。

          
                   入口(収納スペース)                     シャワー(兼物干し)

 (6) 「パルカ」配布
      夕食を終えたのが21時近くだったが外は明るく、1月の日本なら3時ごろの印象だ。21時から船外活
     動に必須の防水性防寒着「パルカ」(クオーク・エクスペディションズ社特製)の配布があるというので、
     5階のメインラウンジに行った。
      日本にいたときに、サイズの問い合わせがあり答えておいたのだが、外国人を基準にサイズが決め
     られているので、実際に試着してみないと合うサイズが決まらない。LLを着たら大きすぎ、Mを着たら
     小さいのでLにした。
      パルカを着てみると暖かいのは良いのだが、身体の動きがギゴチなくなる。それと派手な黄色なので
     真っ白い雪や氷の上でも目立ち、迷子にはなりそうもない。
      この「パルカ」はいただけるということだが、帰りの荷物にならないか、それが心配になった。

      「パルカ」を着用すると、”馬子にも何とか”で、『南極探検隊員』らしくなったMHだ。

       
           「パルカ」を着た探検スタイル

 4.3 南極に向けて航行
  (1) 「船酔い」対策
       南極へ向かう船旅の厳しさをあらわす言葉として『吠(ほ)える40度、狂う50度、叫ぶ60度』というの
      がある。オーストラリアや南アフリカから南下し、南緯40度、50度、60度と通過するにつれ、海はどん
      どん荒らく、凶暴になっていくという意味だ。

       南アメリカと南極の間にドレーク海峡がある。名前は、イギリス人の海賊船船長で探検家のフランシ
      ス・ドレークにちなんでつけられた。1578年、ドレーク船長が南太平洋で暴風雨に遭い、南アメリカの
      ホーン岬付近に漂着した後大西洋へ出たことから、この海峡の存在が初めて知られた。

       ドレーク海峡を通過するとき、過去の航海では荒れたことがあって、乗客のほとんどが船酔いになり
      ”阿鼻叫喚”さながらを呈したこともあったらしい。南極リピーターのMさんが、「それはそれは、大変で
      したよ」と話してくれた。
       船酔いも乗り物酔いの一種だから、乗り物酔いの苦しさを知っている人もいるはずだ。私は二日酔
      いはあるが船酔いの経験はない。新婚旅行で九州から川崎港へのフェリーの中で妻が酷い船酔いに
      罹った。胸が”ムカムカ”し、いわゆる気分が悪くなり、吐き気がし、実際に吐いて胃の中の吐くものが
      なくなって胃液を吐くまでになる。当然食欲はなくなり、頭痛やめまいまで起きるらしい。
       「乗り物酔い」の話になると、妻はそのときのことを今でも思い出すらしく、「私が苦しんでいるのに、
      あなたは”パクパク”食べていた」、と言われることがある。

       事前の説明会で、「普段、船酔いしないと豪語している人でも酔うので、必ず酔い止め薬を携帯・服
      用するように」と言われた。そこで、市販薬「トラベルミン(3錠入り)」を購入して持参した。「飲むタイミ
      ングは、酔ってからでは効かないので、船に乗る前に」といわれていたが、船に乗って6時間ほど経っ
      た、寝る前に飲んだ。

       ビーグル水道は波がほとんどなく船はすべるように進んでいたが、外海にでるとウネリが出てきた
      ようだった。ここまでの疲れがでたのか、夢現(ゆめうつつ)だった。
       こうして乗船第一日目の夜は更けて行く。

5. おわりに

 5.1 クレジットカード利用明細

      昨日、南極探検旅行を含む期間のクレジットカード利用明細が届いた。予め船で貰っていた明細書や
     控に取っておいたレシートに記された米ドルやアルゼンチンペソの金額を照合し、間違っていないことを
     確認した。
      使った金額も予定よりはるかに少なかったのは、どこかの国の人々のように”爆買い”しなかった(で
     きなかった)せいだ。

       
                          クレジットカード利用明細

      私が興味があったのは、それぞれ国のレートがどうなっていたかだ。1米ドル=119.293〜118.692円
     だった。成田で円を米ドルに両替したとき、1米ドル=119.91円だったから、わずかだが円高になって
     いて読みどおり現金でなくカードで決済したのが正解だった。
      アルゼンチンペソを使ったのは、南極からの帰りに立ち寄ったブエノス・アイレスでタンゴをみたときに
     米ドルの手持ちが少なくなり、カードで995ARS(アルゼンチンペソ)支払った1件だけだった。1ARS
     =13.795円と予想の13円より円安だった。


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