古希記念 南極ミネラル・ウオッチング 南極探検旅行 【出発】 ( Mineral Watching in Antarctica<BR>  Antarctica Expedition 2015 , - Departure - )









          古希記念 南極ミネラル・ウオッチング
          2015年 南極探検旅行 【出発】

              ( Mineral Watching in Antarctica
               Antarctica Expedition 2015 , - Departure - )

3. 南極に向けて

 3.1 甲府出発
  (1) 「甲府駅前局」記念カバー作成
      アメリカ・ヒューストン行きUA006便の成田空港発17時にあわせて、3時間前の14時に第1ターミナル
     集合だった。逆算して、9:29発の特急「かいじ」で甲府を発てば、13時過ぎに成田空港に到着できる
     見通しだ。
      出発にあたり、甲府駅前郵便局で記念カバーに押印してもらう予定だった。8時過ぎに甲府駅につい
     て、郵便局が開く9時まで駅ビルの軽食店でコーヒーを飲んで待つ。甲府駅前郵便局が開局すると同
     時に、持参した記念カバーに欧文印の押印を依頼した。

      
                      「甲府駅前局」記念カバー

      窓口の女性が、「投函しておきましょうか」と聞いてきた。「せっかく、記念押印した上から(無粋な)消
     印が2重に押されることはないか」、と尋ねると、「大丈夫です」、というので、1グラムでも荷物を減らし
     たい私としては、その言葉に従った。
      南極に行っている間に【実逓便】として自宅に配達された封書は、上の写真のように、私の望みどお
     りの状態だった。

      この後、アルゼンチンの郵便システムを利用するのだが、日本では考えられない、『届くべき郵便物が
     届いていないことがある』、という現実に直面した。
      日ごろ当たり前と思っていることが、日本のすぐれた郵便システムと「馬鹿」がつくほど真面目な人々
     によって支えられていることを知ることになる。

  (2) 新宿へ
       隣の竜王駅始発の特急「かいじ」はすべるように甲府駅ホームに入ってきた。一番前のシートで、
      隣の席には結局誰も座らなかったのでスーツケースを置くことができた。甲府駅で成田エキスプレス
      の指定席も一緒に予約したので、それに乗り継ぐ「かいじ」の座席を考えてくれたのだろう。このよう
      な、気配りが、今後「観光立国」、「観光立県」にとって大事なのではないだろうか。

        
                  「かいじ106号」                            「甲府→新宿」指定乗車券

       中央線は人身事故による列車の運行乱れが多いので、少し余裕をもって出たわけだが、列車は
      2、3分遅れただけで11時過ぎに新宿駅に到着した。
       成田空港までの「成田エクスプレス」の発車が11:40なので30分以上の待ち時間がある。新宿駅の
      いつもの場所で、弁当とお茶を買ってホームに行くと列車は入線していた。

        
                「成田エクスプレス23号」                      「新宿→成田空港」指定席特急券

 3.2 成田空港にて
      「成田エクスプレス」は定刻に新宿を発車した。車中で弁当を食べていると、千葉の孫娘が住むN市
     を通った。もう、孫娘は幼稚園から帰ってきた頃だろう。
      のどかな沿線の風景を眺めているうちに”ウトウト”してきた。気がつくと、成田空港近くだった。
      成田空港は航空会社によって下車駅が違うので、注意が必要だ。甲府駅で成田エクスプレスを予約
     したときに、利用するユナイテッド航空は成田空港で下車と教えられていたので終点で下車する。

      まずは、集合場所の確認だ。南ウイング4階に行くと、集合まで1時間以上あるせいか、だれもいない。
     集合までの間に、済ませておかなければならない用件が2つある。

  (1) 「成田空港出発」記念カバー作成
      


     成田出発を記念したカバーを作成するため、
    郵便局の場所を聞くと「2階にある」、ということで、
    行ってみると 「成田郵便局 空港第1旅客
    ビル内分室」があった。

     封書を差し出して押印を頼むと、そのような
    依頼が多いせいか局員も慣れたもので、
    手早く”ポン、ポン”と押してくれた。

     この書状は旅の間じゅう、持って歩くことに
    なった。
       「成田郵便局 空港第1旅客ビル内分室」

      
                      「成田出発」記念カバー

  (2) 両替
      

     アルゼンチンの通貨は、「アルゼンチンペソ」
    だが、成田では両替できず、米ドルが使えると
    聞いていたので、持っている日本円の一部を
    米ドルに両替することにした。
     中継地のアメリカ・ヒューストン空港で
    両替することも考えたが、成田のほうが
    レートがよさそうだ。

     前の週から、2、3円だが円高傾向に
    動いて117円台になっているのは嬉しい。

     ただ、1ドルに付き2、3円の両替手数料を
    取られるので、120円以下の店を探して回
    った。
     結局、119.91円の店で両替した。

          両替店のレート表示

      
 添乗員の”聖子さん”のアドバイスに
従って、日本円 50,000円分を両替した。
 昔は、1セント硬貨まで両替してくれたと
記憶するが、ここで(今?)は1ドル単位で、
端数は日本円で返された。

 50,000円→416米ドル となったが、どの
額面の札を何枚もらうか、予め考えて
おいた枚数でお願いした。
  10ドル   20枚
   5ドル   30枚
   1ドル   66枚

 1ドル紙幣を多くしたのは、カードで用の
済まない”チップ”などで使うことが多いだ
ろうと読んだからで、”大正解”だった。

                  両替明細書

  (3) 集合〜搭乗
       2時になったので、集合場所に行くとすでに20人くらいが並んでいる。一体何人集まるのかわから
      ない。なぜなら、同じ日に別な航空会社の便で飛び立つ人もいる。世界遺産やパイネ国立公園を巡
      るオプションを選択した人たちは2、3日前に出発しているらしい。

       受付を済ませると、嬉しいサプライズがあった。燃油サーチャージとして旅行代金のほかに暫定的に
      50,000円支払っておいたのだが、ここのところの急激な原油安で差額を返金してくれるという。渡され
      た封筒の中には8,000円が入っていた。これで、孫娘や友人に送る絵葉書の切手代がでそうだ。

       考えてみると、今回の旅はすべてがタイミング良かった。申し込んだ時は、まだ今ほどの円安になっ
      ていなかったので、旅行代金も円安の影響は受けていなかった。出発する前になって急激に原油が
      安くなり、前の週から少しだが円高にもなった。

       【閑話休題】

       受付を済ませ、航空券を受け取る。航空会社のカウンターに行き、スーツケースを預けた。気になる
      重量は15.7kgだから、アルゼンチンの国内便でも問題ないだろうと”ホッ”とする。
       搭乗手続きを済ませた人が、添乗員に促されて出発ゲート「37」の待合ロビーに集まってくる。全部
      で30人くらいだろうか。首から、「黄色いカード」をぶら下げているのですぐにわかる。

      


 搭乗開始まで、2時間もある。手持ち
無沙汰にしていると、ひとりの女性から、
写真を撮って欲しいと頼まれた。
 これが、Mさんとの馴れ初め”だった。

 お話を伺うと、南極探検のリピーターとの
ことで、元気な女性の代表格だ。

           搭乗券を手にしたMさん

       ロビーで待っている間にA夫妻とも知り合い、話をすると、私が東京に住んでいたと同じ地域からの
      参加だと知った。
       添乗員の”聖子さん”が、「どなたか、AISLE(アイル:通路側の席)に替えて貰えませんか」、と聞い
      て回っている。私の搭乗券を見ると、「AISLE」だ。詳しい話を聞くと、「Mさんが、窓側席(WINDOW)で
      困っている」とのこと。
       成田からヒューストンまで、12時間の長時間フライトだ。窓側の席に比べ気分転換やトイレに立ちや
      すいこちらの席を好む人が多いようだ。一方、全てが物珍しい私は外の景色を見たり写真(ビデオ)を
      撮りやすい窓際の方が好きだ。
       「Mさんて、元気な女性ですか?」と聞くと「そうです」、というので、先ほど写真をとってあげた人で
      まんざら知らない仲でもない。私も窓際に座れるのは願ったり叶ったりなので交換して差し上げた。
      Mさんに会うと、こちらが恐縮するほどに感謝された。
       そうこうするうちに、搭乗開始になり、ロビーの集団が動き出した。出発前に今まさに沈まんとする
      夕日に照らされた搭乗機(UA006)を撮影した。乗り込んで隣の席をみると、すでに知り合いになって
      いたA夫妻だった。

          
              夕日に照らされたUA006機                          搭乗して”自撮り”

       成田空港を飛び立った機は、グングン上昇しながら、大きな川(利根川)の河口のあたりで太平洋
      にでて、北東に進路をとった。

 3.3 ヒューストンで乗り継ぎ
  (1) 太平洋を越えて
      機は北上し北太平洋にさしかかると時折ひどく揺れ、そのたびに「ベルト着用」サインがでる。成田を
     出発するときに画面に表示された予定のコースだと、アリューシャン列島の北→アラスカ近く→バンクー
     バー辺りを通るはずだったが、ロスの少し北を通っており、かなり南のコースを飛んでいるようだ。これ
     も、荒れる天候を避けた結果なのだろう。
      出発して9時間近くたったころ、東の空が少し明るくなった。ここまで、30分程度何回か寝ただけだ。
     仕事で出張していた頃から、成田(それ以前は羽田)を出たときから到着地の時間で生活することで
     ”時差ボケ”を軽減できると信じているからだ。

          
              朝日を浴びて飛ぶUA006機                          成田→ヒューストン航路

  (2) ヒューストン空港到着
      成田を発って12時間、現地時間の14時前に機は明るい青空の広がるテキサス州ヒューストン空港に
     着陸した。ヒューストンは皆さんご存知のように、宇宙開発の街だ。
      テキサスには今まで仕事で2回来ているので、3度目になる。もっとも、仕事のときはDFW(ダラス
     フォートワース)空港だったから、ヒューストンを訪れるのは初めてだ。
      アルゼンチン・ブエノスアイレス行きの飛行機の待ち時間が7時間以上あるため、一度アメリカに入国
     する。

          
               テキサスの青い空                              入国審査へ進む

      入国審査には長い列ができていた。世界各地でテロが発生しているので、アメリカでの入国審査は
     一段と厳しくなっているようだ。待つこと1時間以上、ようやく私の番だ。パスポートを出すと、英語で
     (当たり前か)簡単な質問があり、以前は片方の親指だけだった指紋が両手10本全部とられ、さらに
     顔写真もとられて、”入国OK”となった。
      入国審査を終えた人たちが集まっている場所に行くと、添乗員が「入国審査で引っかかった人がいる。
     最悪その人はここから日本に引き返してもらうことになる」、と言う。団体だとこんなこともあるんだ、と
     初めて知った。(旅なれた人談 「いつでもそういう人がいるのよ」
      幸いその人は審査をパスし、南極探検をご一緒することができた。

  (3) MH失踪事件
      入国審査で手間取ったと言っても、アルゼンチン行きの飛行機の出発まで5時間以上ある。アメリカ
     出国まで、自由時間だろうと、”勝手に解釈”し、ヒューストンでの用件「ヒューストン空港記念カバー」
     作成に取り掛かった。

      まず、「郵便局がどこにあるか」、近くにいた人に尋ねた。「ターミナルBにある」という。そこに行くには
     「各ターミナルをつないでいるTrain(Inter−Terminal−Train)」を使う」らしい。後でわかったのだが、
     ターミナルA、B、ホテル、C、D・Eの間を循環する無料・無人運転の電車に乗れば良いのだ。

      


 ターミナルBに行って、近くにいる人に
聞くと「郵便局はターミナルAだ」という。
 再びTrainに乗って、ターミナルAに行くと
3人の男女警察官がいた。郵便局を尋ねると
「この空港には、郵便局はない。
郵便ポストなら上の階の正面玄関にある」、
と教えてくれた。

          ヒューストン空港のTrain

      正面玄関に行くと見覚えのある濃いブルーの四角い箱がある。これが郵便ポスト(Mail Drop)だ。
     集配時間表(COLLECTION TIME)をみると、平日と土曜日は日に1回、日曜日には集配しないようだ。

          
               郵便ポスト(Mail Drop)                            集配時間表

      ポストはあっても問題が残っている。郵便局があれば、アメリカから日本までの料金を聞いて不足分
     の切手を貼り足せば良いのだが、ないのだから料金の過不足がわからない。
      日本だと料金不足郵便物は、「差出人に戻される」か「不足分を受取人が支払う」のどちらかだ。差
     出人がアメリカに住んでいないのだから差し戻す先もないので、最悪の場合、捨てられてしまうかも知
     れない。
      窮余の一策として、封筒の表に、"Shortage should be paied by Receiver(不足料金受取人払い)"と
     書いて投函することにした。
      投函した書状は、旅行している間に無事日本に到着していた。特に不足料金を取られることもなかっ
     たようだ。ただ、押されているのは、North Houston(北ヒューストン)局の通常郵便に押される消印だ。
      これは、考えようによっては、郵趣のために作った【郵趣家便】でなく、生活感のある【実逓便】として、
     貴重なのかも知れない。

       
                         雪の結晶シール切手貼り

       
                            鉱物切手貼り

       
                             雪の結晶切手付き封筒 使用

                      「ヒューストン空港記念」カバー【 20 JAN 2015 PM 消印 】

      これで、ヒューストン空港でやるべきことは済ませたので、皆さんのいる場所に戻ったのがまだ出発
     まで4時間もある17時ごろだった。
      皆さんが口々に「どこに行っていたのですか」聞いてくる。「じつは、赫々然然(かくかくしかじか)で、
     郵便局を探しに」、と説明する。
      どうやら、私が離れた後に、人員点呼したところ、私がいないと大騒ぎになったらしい。添乗員は、私
     の携帯に電話したところ、妻が出たので、携帯を日本に置き忘れたと思ったらしい。置き忘れたのでは
     なく、南極では使えないのだから荷物になるだけだと思い、持っていかなかったのだ。

      アメリカ出国の前の点呼のとき、「イエローカード(われわれのグループ標識でもある)を1枚もらったので、
     2枚貰わないよう気をつけます」、と皆さんにご心配をおかけしたことをお詫びした。以降、グループを離
     れるときは、添乗員に断るようにした。

  (4) 手荷物検査とアメリカ出国
      出国に先立ち手荷物検査だ。スーツケースは飛行機から飛行機へ移されているので、手荷物と身体
     検査だが、これが厳しい。
      ポケットにあるものは全て出し、ベルトをはずし、靴まで脱がされた。金属探知機の中では両腕をあげ
     『ホールド・アップ』の姿勢をとらされた。ここを抜けたらお終いかと思いきや、胸、胴、大腿ボディ・タッチ
     され、ようやくOKだ。
      後で皆さんに聞くと、女性でもボディ・チェックされた人がいたようだ。それだけ、テロによる攻撃を警
     戒しなければならないのがアメリカの実態なのだ。

       
              ヒューストン出国手荷物検査
                【靴まで脱がされた!!】

  (5) ブエノスアイレスに向けて
      出国審査も済んで、ターミナルEに集合する。ここでは、アメリカを代表する鉱物「トルコ石」などを加工
     したアクセサリーなどをワゴンで売っている。しかし、一寸したものが200米ドルだ。「30%OFF」、と言っ
     て呼び込んでいるが、それでも日本円で2万円近いから、買っている人をほとんど見かけない。
      出発2時間前の19時ごろ搭乗ゲートE5に移動する。

      
 Eターミナルは広いから移動が大変だ。

 参加者の一人、Aさんは、お見かけしたところ
私よりも5歳以上年長で、腰も良くなくて、
長い距離を歩くのは大変そうだった。
 近くにいた女性と分担して荷物持ってあげて、
出発ゲートに向って歩いていくと、向こうから
車椅子を持った空港職員がやってきたので、
車椅子を貸して欲しいと頼むとAさんを乗せて
連れていってくれるという。

 歩きながら、その女性と、「チップをどうしようか」、
という話になった。結論として、「出すべき」、となって
「額は1ドル、それとも2ドル」か迷ったが、財布から
2ドルをだして、職員と別れ際にお礼を言って、握手
しながらさりげなくチップを渡した。

         ヒューストン空港の移動

      しばらく待っているとチェック・インが始まった。今回も、席を替わって欲しいという女性がいて、窓際に
     座ることができた。
      われわれの乗ったUA819 便は、トップリと日が暮れたヒューストン空港を定刻に発った。わずか7時間
     あまりのアメリカ滞在だった。アルゼンチンのブエノスアイレスにあるエセイサ国際空港(EZE)まで、飛行
     時間は10時間半の予定だ。予定の飛行ルートは、カリブ海に出た後、アンデス山脈に沿って南下する
     ようになっているが・・・・・。

          
                 ヒューストンの夜景                      ヒューストン-ブエノスアイレス予定航路

      中央アメリカに差し掛かると、機は大きく揺れ、「シートベルト着用」サインが出続けていた。やはりア
     ンデス山脈付近の気流は安定しないようで、機は南米大陸から西に離れ太平洋上を飛ぶ。
      窓から見える星が美しかった。今回の旅では、日本からは見えなくて、白瀬南極探検隊の隊旗のデ
     ザインにも採られた『南十字星』を見たいと思っていた。結局、星が見えたのはこのときだけで、『南十
     字星』は一度も見られなかった。

      現地時間の7時ごろ空は明るくなった。ちょうど、「アタカマ石」の原産地であるチリのアタカマ砂漠の
     あたりを飛んでいるようだ。13,000メートル下に銅鉱石を掘っているらしい大規模な露天掘りが見える。
     その様子はビデオには撮ったが、静止画に撮るのを忘れてしまった。掘り出した鉱石はたぶん日本ま
     で運ばれているのだろう。ふと窓を見ると、機外の水分が凍ってできた鉱物「氷」の樹枝状結晶が見え
     た。
      機は大きく左旋回して、南アンデス山脈を横切って、アルゼンチンに入った。

          
                アンデス上空の「氷」                           アンデスを越えるUA819機

      アンデス山脈近くは岩と砂だけの赤茶けた風景だったが、機が高度を徐々にさげていくと、少しだが
     草が点々と見えるようになってきた。10時30分、エセイサ国際空港に無事着陸した。日本国内や東南
     アジアそして欧米出張のときには経験したことはなかったが、着陸と同時に一斉に拍手が沸き起こった
     のには驚いた。
      旅なれた人の話では、南米などではごく普通の光景らしい。やはり、知らないことが山ほどある。

          
                 エセイサまでの航路                       無事、エセイサ国際空港着陸!!

    南極への玄関口・アルゼンチンに無事到着だ。南極探検はここからだ。

4. おわりに

 4.1 英領南極 ポート・ロックロックロイで投函した絵葉書到着
      今日郵便受けを開けると、英領南極 ポート・ロックロックロイで投函した絵葉書4通が届いていた。
     投函した絵葉書は、船でオーストラリアのメルボルンに、そこから飛行機でイギリスのロンドン→成田に
     運ばれ、例年だと早くて3月末、遅い年は5月のGWごろに到着すると聞いていた。早い年よりも1ケ月
     も早い到着だ。

      イギリスの探検家・シャクルトンが組織した「大英帝国南極横断隊」は、1914年から1916年にかけて、
     誰も成し遂げていない南極大陸横断に挑戦した。乗船したエンデュランス(Endurance:忍耐)号は、19
     15年南極半島の東にあるウエッデル海で氷に閉じ込められ、その圧力で船は砕かれてしまう。10月
     30日、船を捨ててエレファント島を目指して決死の避難行に旅立った。2015年はそれから100年になる
     記念の年でもあるのだ。

      探検船の売店で「大英帝国南極横断隊」を描くの6種類の絵葉書を売っていたので何組か買い求め
     そのうちの何枚かに、日本国内で買っておいた英領南極切手を貼り、ポート・ロックロイ局で記念押印
     し、副局長のサインを貰い投函して置いたのだった。

       
                 1915年 氷に閉じ込められたエンデュランス号

       
                   ポート・ロックロイ局の記念押印絵葉書

      絵葉書が届いたというメールや電話をおおぜいの方から頂いた。湯沼鉱泉社長からも電話をいただ
     いた。じつは、南極への長旅の疲れが癒えた2月11日に妻と湯沼鉱泉を訪れた。お姐さんには小さな
     南極土産を渡し、社長には絵葉書が届くとプレアナウンスしておき、2014年のミネラル・ウオッチング納
     めで兵庫・N夫妻と採集した○○産の大きな標本を渡した。
      思いもかけず、数日前に生まれた3匹の子犬のうちの1匹を犬小屋から出して見せてくれた。まだ眼が
     明いていないが、恒例の『月遅れGWミネラル・ウオッチング』の頃には、走り回っていることだろう。

       
              湯沼鉱泉の川上犬の子犬
                【2015年2月7日誕生】


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