古希記念 南極ミネラル・ウオッチング 南極探検旅行 【南極オークション】 ( Mineral Watching in Antarctica<BR>  Antarctica Expedition 2015 , - Antarctica Auction - )









             古希記念 南極ミネラル・ウオッチング
             2015年 南極探検旅行 【南極オークション】

                  ( Mineral Watching in Antarctica
                   Antarctica Expedition 2015 , - Antarctica Auction - )

4. 南極探検

 4.14 『波濤を越えて』【第8日目】

  (1) 乗船8日目のスタートだ
       乗船して8日目だ。前日の夕刻に南極の楽園・パラダイス湾を後にして、一路出港し
      たウシュアイアに向かっている。
       南極で撮っておきたい写真の一枚が、”舳先に波しぶきを浴びてドレーク海峡を渡る
      探検船”
だった。ウネリが大きいので、撮れるかもしれないと思い7時過ぎに船首と船
      尾を見て回るが、ウネリが大きいだけで期待したショットは撮れそうもない。

          
                    船首方向                                船尾方向

       この日のスケジュールは、「船内新聞」によると、「ドレーク海峡通過中」になっていて、
      船は只管(ひたすら)帰航の途上にあり、船内での「南極講座」と夕方「南極チャリティ
      オークション」などの催し物があるはずだ。

       
                      船内新聞・1月28日

      この日の7時ごろの『ブリッジ(操舵室)レポート』から、船の位置、天候などをまとめておく。

日付
時刻
 緯 度  経 度 累積航海距離
   (海里)
   (km)
気圧
(hp)
風向き・風速
  (NM/時)
  (m/秒)
気温
(℃)
日の出
日の入
1月28日  南 緯
61°58.1′
 西 経
64°15.1′
1,216 997 西
30
2 4:54
午前7時 (  2,252.0  km) 15.4 22:06

      気温は+2℃で、風が強くて横殴りの小雨も混じっていて、甲板は濡れている。

      海図の上でこのときの位置とこの日の予定を確認する。前日のパラダイス湾から、緯度
     で3度、経度で1.5度、感覚的にはほぼ真北に移動して、ドレーク海峡に差し掛かったとこ
     ろだ。

       
                            航海図【1/28】

  (2) 『ヨガ教室』
       早朝7時30分から、定員20名の「ヨガ教室」が開かれる予定だったので、前日にエクス
      ペディション・デスクにある申し込み用紙に名前を書いておいた。
       いろいろな動物の姿を真似たポーズや呼吸法など、船内生活でスッカリ鈍(なま)った
      身体をシャッキリさせるのにピッタリだった。

       【後日談】
        帰国して体重を測ると、ベストから8キロもオーバーしていた。日に3度の食事のほかに、
       朝起きてすぐのコーヒー・軽食、午後のアフタヌーンティ、そして夜はワイン・パーティでは
       体重が増えるのも当たり前だ。
        湯沼の風呂場工事を請け負った石友・”親方”に、「帰国してすぐに会ったら、顔が浮
       腫(むく)んだみたいで病気かと思った」、と言われる始末だった。

  (3) 「南極講座」
        この先、船外活動はないので、船の中での活動だけで、その中心は「南極講座」だ。
       南極大陸に向かう船の中でも講座はあったのだが、実際に大陸に上陸した後で聞くと
       同じような話でも違って聞こえるから不思議だ。

    1) 「アホウドリについて」 by ファブリスさん
       現在では似ても似つかない姿や生態をしているアホウドリとペンギンだが、約7,000万年
      前、共通の先祖から分かれて進化した。
       ペンギンは海の中で泳ぐのに適した流線型の体と深く潜れるように体を重くし、冷たい
      水にも耐える厚い皮下脂肪を蓄えるようになった。
       アホオドリは逆に、効率よく遠距離飛行できるように、翼の面積を大きくし、羽ばたかな
      いで滑空する術(すべ)を体得した。
       「貿易風」を利用して滑空するルートがオスとメスでは違っていて、その重なる海域で出
      会いがあるという、何ともロマンチックな鳥だと初めて知った。

          
              アホウドリとペンギンの進化                      オス(Males)とメス(Females)の
                                                           飛行ルート

        現在、アホウドリの分布は南半球が主で、日本・小笠原列島のアホウドリは世界的
       にも貴重な鳥なんだと、外に出てみて改めて認識する。

       
                  アホウドリの分布

        この日の午後から翌朝にかけて”Black Browed”(マユグロ)や”Gray Headed”(ハイ
       ガシラ)アホウドリが見られるようだ。

    2) 「極域から探る地球環境の変化」 by 佐藤博士
        人類が作り出したフロンにより、われわれを有害な紫外線から守ってくれているオゾンが
       破壊されてなくなる「オゾンホール」の存在など、南極での観測データがもとになって明ら
       かになった。
        南極の氷が融けて流れ出た水が、太平洋を北上した後南下し、インド洋を通り大西
       洋を北上し、再び南極に戻ってくる。
        佐藤博士から「戻るまで何年かかりますか?」、とクイズが出された。せいぜい数十年
       だろうと思っていたが、「正解は、2,000年」ということだ。キリストが生まれたころに流れ
       出た水が今ようやく南極に戻ったのだ。何とも気の長い話だ。

       
                地球を巡る海の流れ

    3) 「南極条約(Antarctic Treaty)」 by ボブさん
        1948年、南極領有を主張する7ケ国に対してアメリカが「南極を国際信託エリアとす
       る」提案をしたが無視された。1958年4月、アメリカのアイゼンハワー大統領は南極の
       将来について討議するための会議を招集し、「南極は科学調査目的やその他の平和
       活動を行う意志のあるすべての国に解放されるべきである」との提案を行った。
        1959年12月1日、国際地球観測年に科学観測基地を運営していた12ケ国により
       南極条約が締結され、1961年6月23日に批准され、それ以降条約参加国は45ケ国
       に増えた。(2006年)
        この条約で最も重要なのは、領有権主張国が事実上その主張を無期限に凍結、
       または棚上げしたことにある。

        南極には豊富な鉱物資源があるが、「南極条約議定書」で、『全ての鉱物の商業
       的開発を50年間禁止する』
と定められた。

       
                   南極の地下資源

    4) 「南極観光事始め」 by 瑠璃子さん
        探検船に同行している日本人講師のひとり、保阪瑠璃子さんは、自己紹介に「南
       極航海100回を体験したナチュラリスト」とあるが、その正体はミステリアスだったが、この
       講座の最後にそれが解き明かされることになる。

       
                   『南極観光事始め』

        南極観光の開拓者として、忘れられないのが、ラース・エリック・リンドブラッドだ。彼は、
       1924年にスェーデンのストックホルム近郊に生まれ、1951年にアメリカに移民し、のちに
       米国市民権を得る。
         コネチカット州で観光業・「リンドブラッド トラベル」社を立ち上げた当時、航空網
        の発達で、名所・旧跡として知られていた観光地にはだれでも簡単に訪れることがで
        きるようになりつつあった。彼には、次のような思いがつのっていった。

        ・ 知的旅行者は、絵葉書の写真に載っている観光地を訪れるだけの物見遊山
         旅行には満足していない。
        ・ たとえ旅行施設が充実していなくても、ふつうでは行けないとされる自然・歴史・
         人類学などの価値ある場所を各分野の専門家と共に訪れれば、生きる歓(よろこ)
         びを実感し、人生観が変わるかも知れないような衝撃と満足感を味わえるはずだ。

         こうして、彼の会社は地球上の極地(もっとも珍しい場所)への観光旅行を企画す
        ることになり、1966年に「第一回南極エクスペディション」が行われた。

          
              「地図にない場所へ!」                     「第一回南極エクスペディション」
                                                   上陸用舟艇で接岸

         このとき問題だったのは、南極の領有権を主張している国々との調整と氷の南極
        海を運航する船をどうするかだったが、結局アルゼンチン海軍の輸送船・ラパタヤ号
        (6,000トン)を借りることに成功した。 
           上陸するのに、ノルマンディ上陸作戦で使われたような「上陸用舟艇」を使うよう
        な時代だった。
         このとき訪れたのは、サウスシェットランド諸島と南極半島で、観測基地として活動
        中のポート・ロックロイ、建物が焼ける前のブラウン基地(パラダイス湾)など、われわれ
        が訪れた場所もコースに入っていた。

          
             南極領有権主張国と領土                     「第一回南極エクスペディション」
                                                        訪問地

         翌1967年の「南極エクスペディション」には、森繁久弥の妻・満壽子と写真家・池
        田宏の2人の日本人が初めて参加して話題にもなった。多くの人にとって、費用の
        185万円の方が驚きだったろう。当時の初任給が3万円弱だから、現在の1,000万円
        以上の価値があったはずだ。
         2015年のわれわれの旅行費用は平均すると200万円弱だから、金額としては変わ
        っていないが、むしろ相対的には安くなっていることになる。

       
               「日本人初の南極観光」(1967年)

         この写真を見ると、池田がペンギンをダッコしていて、当時はわれわれの時のように
        「5mルール」(野生動物の5m以内に近づかない)などなかった。

         1967年、イースター島観光を企画したところ、チリのふれい大統領から「わが国の船
        を使って欲しい」と提供を受ける。
         1968年の「ロス海航海」では、ロシアの砕氷船・アガダン号を借りるなど、用船問題
        も頭痛の種だった。

          
                    チリ船借用                              ロシア砕氷船借用

         1972年、自前の探検船・「リンドブラッド・エクスプローラ」号で南極を航海し、上陸
        用舟艇に代わる上陸用ボートとして、われわれも利用した「ゾーディアック」(登録商
        標)が登場したのもこのころだ。
         「ゾーディアック」は、南極だけでなく、アマゾンやインドネシアなどの水深が浅く入り
        組んだ地形でのクルージングでも活躍することになる。

          
              「リンドブラッド・エクスプローラ」号                      「ゾーディアック」

         1984年、「リンドブラッド・エクスプローラ」号は売りに出され、2007年11月23日、座
        礁・沈没し、現在は800mの海底に眠っている。

       
               「エクスプローラ」号の事故

         1989年、30年以上社長兼CEOとして働いた会社をとじることになる。このころ会社
        は、ベトナムとカンボジアへの観光旅行を提供したということで、米政府から75,000
        ドルの罰金を言い渡された。
         1994年、リンドブラッドは、67歳の生涯を終えた。

         瑠璃子さんの講義の最後に、『・・・・夫のリンドブラッド・・・・』、と聞き、おふたりが
        夫婦であったと知り、会場にはどよめきが起きた。

  (4) 「帽子コンテスト」結果発表
       夕食前のひと時、メインラウンジでいろいろなイベントが矢継ぎ早に開催された。最後
      に「オークション」が控えているので、それまでに酔わせて高額入札を引き出そうというの
      でもあるまいが、ラウンジに入ると、グラスに入った白ワイン(だと思う)が無料で振る舞わ
      れた。

       
                グラス・ワイン

       まずは、前夜のBBQ会場で行われた「帽子コンテスト」の入賞者が発表され、最優秀
      賞として、アルゼンチン産の赤ワインが贈られた。

          

          
                                                          最優秀賞
                               「帽子コンテスト」入賞者と最優秀賞

  (5) 「フォトコンテスト」結果発表
       航海中に撮影した写真で、これぞと思う自慢の写真があれば、ラウンジに備え付けて
      ある2台のパソコンからサーバーの部門別ホルダーに自分の名前と部屋番号を付けて
      入れておいた。ひとり3枚まで、ということだったが、フォルダーを見ると多数枚アップした
      方もいた。
       これ以外にも、下船時に配布されるDVD作成のための写真も別なホルダーにアップ
      ロードすることになっていた。
       パソコンが得意でない人には、スタッフや添乗員が手助けしてくれていたが、私も何人
      かのアップロードをお手伝いさせてもらった。

       フォトコンテストに応募した部門別の写真の枚数を下船時にもらったDVDから数えて
      データをまとめてみた。

部門 応募数 私の応募数
(内数)
Landscape
(風景)
134 1
People
(人びと)
21 3
wildlife
(野生生物)
79 1

       入選した作品の一部を紹介させていただく。当然のことだが、一瞬の動きを捉えた
      写真や深い意味を訴えてくる作品が入選している。

          
                    Tさん撮影                                Nさん撮影
                                    Landscape(風景)の部

          
                    Nbさん撮影                               Asさん撮影
                People(人びと)の部                        Wildlife(野生生物)の部
                                  「フォトコンテスト」入選作

        それぞれの部門の最優秀者にも、アルゼンチン産赤ワインが贈られた。

  (6) 「キャンプ参加・南極海飛び込み」証明書授与
        キャンプに参加した人と南極海飛び込み体験者に、エクスペディション・リーダーの
       ウッディさんからそれぞれ証明書が授与された。
        私は「南極海飛び込み」だけ参加したが、私の飛び込みの様子がスクリーンに映し
       出された後、ウッディさんから証明書をいただいた。【既報】

          
               南極海飛び込みシーン                        証明書授与

  (7) 「チャリティ・オークション」
       この日最大のイベントは、「南極チャリティ・オークション」だ。オークショナーの日本人
      スタッフ・Ms.林から、オークションの売上金が何に使われるかの説明があった。

       
              オークショナーのMs.林(右)                          使途説明

       それによると、使途は次のようだ。

        ・ 南氷洋でペンギンの調査を行う。
        ・ これに基づき、海洋生物を保護するエリアと公開するエリアを決める。
        ・ これらは、オックスフォード大学の研究施設で行われる。

       どうやら、南極の動物たちを保護するための寄金を募るためのオークションが航海毎
      に開催されるようだ。

       通常のオークションだと、出品リストがあって、現物の下見ができ、入札するものを予
      め決められるのだが、ここでは、出品数がいくつあって、何が出るのかわからないのだ。
       オークションが終わった後で、Ms.林になぜなのか理由を尋ねると「高い金額で落札し
      てもらうための戦略」、とのことだった。

       出品されるのは、エクスペディション・スタッフによる美術品、南極の氷を溶かした水、
      そして船の『操縦権』や『モーニング・コール権』などなど、幅広く、「これ、何?」という
      ものもあった。
       出品物と説明・出品者・落札金額・落札者など、記憶に残っているものだけだが、
      一覧表にして紹介する。
No   出  品  物    説      明 出品者 落札金額
米ドル
(  )この位?
   落   札   者      備    考
1 モーニング・コール権 船内放送で、モーニング・
コールできる。
  ― (200)  私は美人がモーニング・
コールしてくれるものと
勘違いしていた。
2 エクスペディション・
スタッフ写真
自筆サイン入り スタッフ一同 (250)  
3 アルゼンチン食品セット 牛肉・乳製品などの
詰め合わせ
クオーク社 (300)  
4 クオーク社 (150)  
5 ペンギン写真 スタッフサイン入り スタッフ一同 (150)  
6 アデリーペンギンの
里親権
ルッカリー(営巣地)に
いるペンギン親子の
見守り権
オックス
フォード大
(200) 両端に写っているのは
オックスフォード大
の研究者
7 船の操縦権 オーシャンダイヤモンド号
を操縦できる。
クオーク社 (250)  
8 航海中オーシャンダイヤ
モン号の舳先に掲げて
あった南極探検旗
スタッフのサイン入り クオーク社 (500)  
9 南極氷の融けた水 自宅に持ち帰り、凍らせ
て水割りを楽しめる。
クオーク社 (150)  
10 航海図 今回のオーシャン
ダイヤモンド号の
航海図に、ペンギン
などを描いた肉筆画
横80cm×縦120cm

シェリーさん 1,100 W夫妻

 私も競ったのだが
財力及ばず
・・・ (涙)
合     計 3,250  

       売上高は3,000米ドル(邦貨36万円、以下単にドル)を超えていたと思う。Ms.林に、
      「いつも落札金合計はどのくらいになるの」と尋ねると、「3千から4千米ドル」と返ってき
      たので、いつもと同じくらいだったようだ。

       落札者の顔写真を見ると、同じ人が何点か落札したようだ。”お金持ち!!”という
      べきか、それとも、”あんたも好きだね”というべきか。判断は、読者にお任せする。

       さて、わたしが欲しいと思って入札したのは1点だけだった。それは、No10の「航海図」
      だ。
       骨董の世界で『紙物(かみもの)』、と呼ぶ品だ。今回のオーシャンダイヤモンド号の
      航海図にスタッフのシェリーさんが、ペンギン、アザラシ、そして氷山を極彩色で描いた
      絵で、見た瞬間に”欲しい!!”と思った。
       最初、200ドルあたりだった入札額が、リーダー・ウッディさんの「500ドル!!」で一気
      に跳ね上がった。
       私が「600ドル!!」と入れる。ウェーターが回ってきて、グラスにワインを注いでくれる。
      入札すると、ワインが振る舞われるルールのようだ。
       すると、前の方から「700ドル!!」の声が上がる。見ると、先ほどアルゼンチン食品セ
      ットを落札したご夫妻だ。ここで、引き下がるわけにもいかず、私も「800ドル!!」と入
      れる。すかさず、「900ドル!!」、と先ほどのご夫妻から声が上がる。
       次に入れるとすれば1,000ドルだ。たしか、ドル円レートが120円前後だから、邦貨で
      12万円になる。ここは考えどころだ。
       Ms.林の口から、「皆さんの入札で、ペンギンたちが助かるのですよ」、と聞き、心を決
      め「1,000ドル!!」と声と手を上げた。会場にどよめきが起こった。
       すると、ご夫妻から、「1,100ドル!!」の声が上がる。むむむ・・・・・。次に入札する
      と、1,200ドルだから、邦貨14万4千円になる。予定した南極旅行の小遣いの大半を
      残していたので何とかならない金額ではないのだが、手を上げるのを躊躇してしまった。
       結局、この絵は1,100ドル(邦貨13万2千円)で、W夫妻が落札した。

       【後日談】
       翌日の南極講座でボブさんから「白瀬ノブ(矗)の探検について」の講義があった。こ
      の講義の直後、私の前の列に座ったW夫妻から「「子どもの頃、近所に白瀬南極探検
      隊に参加した“タイズミ”という人が住んでいて、可愛がってもらった」、と聞き驚いた。
       これがご縁でW夫妻とお話すると、私が小学2年まで過ごした福島県からの参加とい
      うことでより親近感を抱き、次の日に船室にお邪魔してお話させていただいた。

       私が南極探検旅行に参加した理由の1つが、甲斐出身・村松 進隊員の足跡を
      辿ることにあったので、Wさんが“タイズミ”に関心を持つ気持ちが十分理解でき、帰国後
      すぐに調べて、次のページにまとめておいた。もちろん、コピーをW夫妻にもお送りした。

       ・ 白瀬南極探検隊  東京都出身 田泉 保直 写真技師
       ( Photographer Yasunao Taizumi from Tokyo , Shirase Antarctica Expedition )

       Wさんから、「落札した絵のコピーをとって送りましょうか」、と言われ、願ってもないこと
      なので遠慮しないでお願いしておいた。
       帰国してしばらくして、W夫妻から原寸大の絵のカラーコピーが届いた。それが、上の
      写真のものだ。お礼の電話を入れると、出張で留守だったが、出先から折り返し電話を
      いただき、田泉についての新たな情報も教えていただいた。さっそく、当地の名産のいく
      つかをお礼にお贈りした。

       【閑話休題】

  (7) 「夕食」
       この日の夕食の後のデザートには、各種のスイーツが並んだが、見ているだけで満腹
      になり、ケーキを一切れ食べただけだった。
       「南極探検」も終盤を迎え、そろそろ別れを惜しむ姿があちこちに見られ、私も「裕次
      郎」と添乗員の「聖子さん」と一緒に記念写真を撮ってもらった。

          
                   デザート                                 記念写真

  (8) 「旅のまとめ」
       夕食の後、2人部屋に一人住まいのSさんの船室を訪れ、ワインを飲みながら四方山
      話に花を咲かせていたが、Sさんが「上陸したのは、何日にどこで、それは島なのか半島
      なのか」と真顔で聞いてきた。
       私自身、「〇〇ポイント」やら「△△岬」などゴチャゴヤになっている。いい機会なので、
      一緒に一覧表にまとめてみた。

No 月/日
(現地時間)
上陸地点  区  分
半島
1 1/23 バリエントス島  
2 1/24 ブラウン・グラフ  
3 1/25 グラハム・パッセージ  
4 ポータル・ポイント  
5 1/26 フォイン・ハーバー  
6 ポート・ロックロイ  
7 ジュグラー岬  
8 1/27 ダンコ島  
9 パラダイス・ハーバー
(ブラウン基地)
 
上 陸 回 数 3 6

       南極大陸につながっている半島に3回、島に6回、合計9回、上陸した。参加者の中
      には、「われわれは上陸回数が今までで一番多かったらしい」、と単純に喜んでいる人が
      いたので、エクスペディション・スタッフに尋ねると毎回この程度らしい。
       ただ、天候には恵まれていたことは確かだ。

       Sさんの部屋を出て、翌朝の「ヨガ教室」の予約にエクスペディション・デスクに行くと、
      「南極探検」の記念スタンプがあったので、押しておいた。

       
                 「探検」記念スタンプ

       船の揺れは一段と大きくなってきた。酔い止め薬のおかげなのか船酔いの気配は全く
      ないが、そろそろ寝ることにする。


「鉱物採集」のホームに戻る


inserted by FC2 system