(1) パラダイス湾でミネラル・ウオッチング
上陸の次にパラダイス湾でのクルージングを楽しむために、ゾディアックへの乗船場に行くと、そこには
露頭があった。しかし、走向や傾斜を測定している時間はなさそうだ。露頭に割れ目が入った部分の岩を
取り出してルーペで観察し、写真に撮影する。
帰国後、写真をよく見ると、「花崗斑岩」のようだ。斑晶として石英、角閃石そして柘榴石などが見られ、
小さな金属鉱物の結晶も見られる。結晶化しつつある花コウ岩質マグマが急激に地表近くに貫入して生じ
たようで銅資源として重要な斑岩銅鉱床を伴うことでも知られている。
ゾディアックに乗ってブラウン基地を後にする。基地のほうを振り返ると、先にクルージングしたグループが
岩山の頂上に向っている姿が小さく見える。ゾディアックは猛スピードで北に走ると、われわれが岩山に登
っているときに氷山が崩落する大きな音がした氷河の先端部が見える。
このあたりでは、観察できる動物が見つからず、反転してブラウン基地を左に見て南に向う。さっき登った
岩山の全貌が見える。登っているときには気づかなかったが、岩山は大きな一枚岩で、縦に大きな亀裂が
入っていて、不気味だ。
さらに南に進むころから横殴りの雪が降り出した。写真を撮ろうとするとレンズに雪が当たり、その部分だ
けボヤケてしまう。操縦しているアニーさんがゾディアックを停めてくれた。説明された露頭を見上げると、緑
色に染まった部分がある。どうやら銅の2次鉱物ができているようだ。南極の猛烈な風で海水が舞い上が
ることもある高さなので、できている鉱物は「アタカマ石」系だろうと推測した。
「アタカマ石」【ATACAMITE:Cu2(OH)3Cl】(斜方)と「パラアタカマ石」【PARATACAMITE:Cu2+2(OH)3Cl】
(三方)、「(単)斜アタカマ石」【CLINOATACAMITE:Cu2(OH)3Cl】(単斜)、そして「ボタラック石」【BOTALL
-ACKITE:Cu2(OH)3Cl】(単斜)は同質四像関係にある、と加藤先生の「二次鉱物読本」にある。これらの
内、どれなのかは、見た目だけからは鑑定できないようだ。塩素(Cl)は山口県志津木鉱山の「アタカマ石」
と同じように、海水(主にNaCl)の塩素(Cl)起源だろう。
(2) パラダイスス湾クルージング
「アタカマ石」の露頭からさらに南に絶壁の続く海岸沿いにゾディアックが進むと鵜の営巣地がある。今が
ちょうど子育ての時期だ。
鵜の営巣地は、かれらの糞で真っ白だ。南太平洋などのリン鉱石は、長い間堆積した海鳥たちの糞が
変化したものだが、寒くてバクテリアの活動が不活発な南極ではリン鉱石にまでなるのは難しそうだ。
海岸から沖に出ると、氷山の上にアザラシが寝そべっているのが観察できる。氷山の間からは、もうすぐ
帰投するオーシャン・ダイヤモンド号の姿も見える。
(3) 南極海で飛び込み
南極探検に申し込んだときに、「飛び込み体験」を希望するかというアンケートがあり、もちろん申し込んで
おいた。その辺のことは妻も承知で、持って行くものに水着をくわえてくれていた。
冷たい南極海に飛び込むとなると、「心臓マヒ」などの事故を心配する読者もおられるかも知れない。しか
し、希望者に対して、医師の診断書を提出しろというような支持は一切なかった。私は毎年の人間ドックで
心臓疾患が疑われるようなこともないし、南極の夏よりも寒い厳冬期の日本の祭事や行事で”寒中水泳”
した人が心臓麻痺で亡くなった、というなことも聞かないので不安はなかった。万々一、何かあったとしても
それはそれで、”ジージらしい最後”、と達観していた。
ゾディアックで船に戻ったとき、飛び込み場所を海から写しておいた。海面には白い氷山がいくつも浮いて
いるのが見える。3階右舷の白いタラップを降り、ゾディアックに乗り降りするデッキから飛び込むことになり
そうだ。
船に戻って、ケーキを食べながらアフタヌーン・ティを飲んでいると、「飛び込み体験希望者は、水着の上
に船室備え付けのバスローブを羽織って3階メインラウンジ前に集合」のアナウンスがあった。部屋に戻っ
て指示のあったとおりの身支度をした。飛び込んだ後に、海の上から写真を撮る心算だったので、カメラを
持って行くことにした。幸いPENTAXのカメラは防水仕様になっていのでこれを持って行く事にして、念のた
めチャック付きビニール袋に入れた。
集合場所、といっても部屋から10mほどしかないのだが、に行くとすでに参加者が集まっていた。皆さん、
Vサインして、笑顔に溢れている。( ”つくり笑顔”でもなさそうだ )
そうこうする内に、アップテンポな曲が大音量で流れ、皆さん心を奮い立たせるかのように体を動かして
(踊って?)、ウオームアップしている。私もその仲間に加わる。私もバスローブを脱いで、水着姿になって
踊る(体を動かす)。
3階右舷の出口からペンギンのぬいぐるみに身を包んだエクスペディション・スタップが送り出してくれる。
タラップの上に出てみると雪が待っている。下を見ると飛び込みを終えたSさんがちょうど海面から上って引
き上げられたところで、次に飛び込むOさんは腰に命綱をつけて待機している。海の上のゾディアックでは
われわれの飛び込む姿を撮影してくれている。
気が張っているせいか外に出ても寒いという感じはなかった。タラップを降りていくと冷え切った鋼板製の
ステップの冷たさが素足の裏から上ってくるのには参った。(60℃のサウナは耐えられるが、60℃の鉄板
を押し付けられると火傷(やけど)するのと同じだ)
タラップを降りて飛び込み台に立つと、リーダーのウッディさんが腰に命綱をつけてくれた。後で南極友に
聞くと、この間じゅう、「MH!!」と黄色い声援が飛んでいたらしいのだが全く記憶にないのだ。
正式な泳ぎを習っていない悲しさで、格好の良い飛び込みはできない。前傾して立ち幅跳びの要領で飛
び込んだ。その一部始終を写真担当のサイモンさんが撮ってくれていた。
写真は右から左に御覧下さい。
写真を見直してみると、雪こそ止んでいたが南極半島の山々は雪と氷に覆われ、飛び込んだすぐ近くを
氷山が”プカプカ”漂っていて、日本の真冬だ。
飛び込むと、両手をバンザイしても手が海面上に出ないくらい深く沈没していた。水が冷たいという感覚は
ない。目を明けると、体の周りから気泡が海面に向って立ち上っていた。普段だと”スーッ”と浮き上がるは
ずだが体が異常に重くて、浮き上がらない。どうやら腰紐が重いのだ。手で水を掻くと顔が水面に出て、
深く息を吸い込む。
当初の目論見だと、背泳ぎのスタイルでビニール袋からカメラを出して海面からの景色を撮るはずだった
が、水の冷たさが沁みてきてギブアップだ。慌てて、ウッディさんに引き上げてもらう。飛び込んでから引き
上げてもらうまで長かったような気がしたが、写真撮影データを見ると、たったの15秒だった。
這う這う(ほうほう)の体(てい)でタラップを上ると、出迎えのアニーさんが声を掛けてくれた。聞き取れた
のは、”Crazy!!”の一言だった。多分、「正気の沙汰とは思えない!!」、という心算(つもり)なのだ
ろうか。それよりも、いまどきの訳語としては「信じられない!!」のほうがピッタリするような気もする。
バスタオルで冷たい水を拭きとると船内の暖かさもあって人心地がついて、添乗員とハイタッチして笑顔
も見せられるようになった。
【後日談】
南極海で飛び込み体験に参加したのは全部で30名、内女性が10名だったと後で添乗員が教えてくれた。
探検参加者の4分の1が体験したことになる。気になっていたのは飛び込んだ南極海の水温だったが、調
べ切れなかった。氷が解けないで浮かんでいるのだから0℃に近いのだろう。
翌日(現地時間 1/28)の夕食前に、体験者には「南極海飛び込み証明証」がリーダーのウッディさんから
授与された。
証明書には、次のようにある。
” MH
we do solemnly acknowledge this act of indubitable courage ( as well as
『 MH
who did most willingly plunge into the spine-chilling, ice-filled waters of Antarctica.
extraordinary, incomparable foolishness ). -------------- ”
貴殿は、氷が浮かぶ、刺すように冷たい南極海に進んで飛び込んだ。
われわれは、真の勇気にもとずき飛び込んだことを正式に証明する。
( もっとも、こんなことをするのは、けた外れの”ド阿呆”といえなくもないが・・・・ ) 』
こんな背景があって、私が海から上ってきたときのアニーさんの言葉になったのだろう、と思い至った。
証明書には、リーダー・ウッディさんと船医・メアリー・ジョセフィーヌさんのサインがある。
彼女は、ウイスコンシン州で育ち、
ニューイングランド大学で医学を学び、
卒業後海軍に入隊し、ポーツマスの
海軍病院に勤務した。
イラク・アフガニスタン紛争時は医療の
任務につき、現在も海軍病院に内科医
として勤務している。
まさに、緊急医療のプロだと後で知った。
冷えた体を温めるのにはお風呂が一番だが私の船室にはない。かねてから、南極友・Sさんから「私の
部屋のお風呂を使いなさい」と声をかけていただいていた。
部屋に伺うと先に海から上ったSさんが風呂に入っていたが、お言葉に甘えて一緒に入らせてもらった。
あちこちの部屋でお風呂やシャワーを一斉に使っているらしく、熱いお湯がでない。ぬるいお湯でもジックリ
湯船に浸かっていると体が温まってくる。
風呂から上ると体が”ポカポカ”していて、半袖Tシャツで十分だ。『冷水浴』の効果はしばらく続くのだった。
(4) リキャップ
18時30分から、いつものように、「今日のおさらいと明日の活動案内」が5階のメインラウンジ後方で行わ
れた。
1) 「南極のオルカ(シャチ)」 by クリスさん
シャチを見たのは前の日にダンコ島に上陸前だった。このように、われわれが見た動物や地質、そして
自然現象についてエクスペディション・スタッフから科学的で全般的な知識が与えられる。
" Whale Killer (クジラ殺し)"の異名を持つ獰猛なシャチだ。南極のシャチには4つのタイプがあるという
ことを知る。私がほんの一瞬見たのは、どれだったのだろう。
2) 「グラハムランドの地学」 by ウルフガンプさん
南極半島沿岸のグラハムパッセージでクルージングしたのは2日前の1/25の午前中だった。今は氷と雪
に覆われた南極半島で”恐竜たちが火山が噴火するさまをじっと見ていた”とサブタイトルがついた「グラハ
ムランドの地学」の講義があった。
南極半島の基盤岩は、プレカンブリア紀(35億年前)の変成岩とされている。古生代末期(2.8億年前)に
なって石炭紀(3.5億年前)の砂岩、頁岩、礫岩が積み重なって南アメリカのアンデス帯につながる厚い地
向斜堆積層が発達しはじめる。堆積層の間に流紋岩や安山岩質の凝灰岩が挟まっているので、火山活動
も活発だった。中生代はじめ(2.3億年前)、この厚い地向斜堆積層が褶曲をはじめた。同時に、花崗岩の
貫入も起こった。いわゆる「古典的な造山活動」だ。
三畳紀の中ごろ(2.15億年前)からジュラ紀(1.4億年前)にかけて火山活動が活発になった。そこには、
リストザウルスやラビリンスドントなどの恐竜が生きていて、降り注ぐ熱い火山灰に逃げまどっかもしれない。
この火山活動を契機に、パンゲアと呼ばれるゴンドワナ大陸は分離し始め、現在ある位置に向って漂移し
はじめる。
3) 「南極の歴史 4つの極」 by ボブさん
北極と南極にはそれぞれ『4つの極』がある。南極にある『4つの極』についての講義だ。4つの極について
は、『南極の楽園』のページで紹介したとおりだ。
4) 「Yogaの予約」 by エクスペデション受付
翌朝7時30分からヨガ教室が開催されるので、希望者は予約表に名前を書くようにとの案内があった。
アザラシがヨガをやっている!?
5) 「チップについて」 by エクスペデション受付
海外旅行では当たり前のことだが、この南極探検では、「乗組員」と「エクスペディション・スタッフ」への
チップが旅行代金とは別に必要だ。
チップ(心づけ)だから、額はいくらでも良いのだが、過少でも過多でも具合が悪く相場というものがある。
それを”ガイドライン”という形で次のように案内があった。乗組員へのチップは船室のクラスによって差が
あったようだったが、私の船室は一番低額だった。
区分 | 1日当り (米ドル) | 総額 (米ドル) | 備 考 | 乗組員 | 11.7 | 105 | 9日分で計算 | エクスペディション スタッフ | 3.4 | 30 | 合計 | - | 135 | 邦貨 16,200円 |
これで了承したという書類にサインして受付に提出すると、私の場合はクレジットカードで自動的に引き
落とされた。
これとは別に、”Donation(寄付)”という形で、エクスペディション・スタッフへの献金呼びかけがあった。
申し込もうと思っていたが、いつの間にか期限を過ぎてしまっていた。
私の船室の担当は、マリアさんだった。彼女はフィリピンからの出稼ぎでこの船に乗り組んでいるとのこと
だった。わざわざ外国人を雇わなくても地元・アルゼンチンに人はいそうなものだが、”英語が話せる”という
理由でわざわざフィリピンから来ているようだ。
私たちが船外活動や講義を受けている留守の間に、船室内の清掃やベッドメーキングなどをしてくれてい
て、私が脱ぎ捨てておいたパジャマがいつもキチンと折り畳んであった。こうしていつも快適な船内生活を
エンジョイできているので、感謝の印として5日毎に5米ドル紙幣を枕の下に忍ばせておいた。
(5) 夕食
船は出港したアルゼンチンのウシャアイア港に向けて進んでいる。19時30分から夕食だ。食事の間に、
添乗員からこれから船の揺れが大きくなるとの注意があった。
食事の後、甲板に出てみると、大きなうねりが見られ、再びドレーク海峡をわたることになる。
(6) 『さよならワイン・パーティ』
船は夜半にはドレーク海峡に差し掛かるようだ。そうなると来たときと同じように2日間は荒れた海の上で
の生活だ。平穏な生活が楽しめるのは今夜が最後ということで、『さよならワイン・パーティ』の開催を呼び
かけたところ、7人の昔乙女(失礼!)が集まってくれた。場所は、2人部屋に1人住まいしているSさんの船
室をお借りした。
ウシュアイアで買っておいた赤ワインの最後の一本を供出させていただき、それを飲みながら南極の思い
出話に花が咲く。
話はつきないが、船のゆれも大きくなってきたのでお開きとなった。