古希記念 南極ミネラル・ウオッチング 南極探検旅行 【南極の水晶】 ( Mineral Watching in Antarctica<BR>  Antarctica Expedition 2015 , - QUARTZ from Antarctica - )









             古希記念 南極ミネラル・ウオッチング
             2015年 南極探検旅行 【南極の水晶】

                  ( Mineral Watching in Antarctica
                   Antarctica Expedition 2015 , - QUARTZ from Antarctica - )

4. 南極探検

 4.8 南極の自然【第5日目PM】

  (1) 南極氷でオンザロック
       グラハムパッセージでゾディアックに乗ったクルージングで「ザトウクジラ」を間近に観察・撮影し、鉱物・氷
      がつくりだす天空ショーを楽しんでオーシャン・ダイヤモンド号に戻ったのはお昼前だった。すぐに船は次の
      目的地「ポータル・ポイント」に向けて動き出した。とはいえ、曲がりくねった狭い水道だがら、ユックリとした
      船足だ。

       外は快晴だし、昼食まで1時間近くあるので、周りの景色を楽しもうとデッキに出てみると、先に戻った皆
      さんが琥珀色の液体の入ったグラスを手にしている。中には、「私は3杯目です」という人もいる。聞いてみ
      ると、南極の氷でつくったオンザロックを4階のザ・クラブで配っているというので、貰いに行った。

       クラブでは、女性バーテンダーが、南極の氷のカケラが入ったグラスに計量した一定量のウイスキーを入
      れて、オンザロックをつくっている。ウイスキーの量の多いのを選ぼうと思っていた”左党”の人にはあてが
      外れたようだ。

          
                                南極氷でオンザロックつくり

       南極友・Yさんの分のグラスも持ってデッキに戻る。まずは、近くにいた人たちと『乾杯』だ。そして、無事
      に古希を迎え念願の南極にいる自分にも『乾杯』だ。

          
                       南極友と                                 自分に
                                     『南極氷のオンザロック』で乾杯

       ただ飲むだけではつまらない。一杯のオンザロックの”色”と”音”を目と耳で、”香り”そして”味”を鼻と舌
      さらに”喉越し”を五感をフル動員して楽しむことにした。

       まずは、色を周りの景色と比べてみる。水路を通っているので波がなく穏やかで、手すりの上に置いたグ
      ラスの中のウイスキーには漣(さざなみ)一つ立たない。周りは雪の白。空、海の青。そして岩山の黒だ。
      光線の加減なのか氷の結晶のせいなのか海に浮かぶ氷が青白く見える。これらの景色とウイスキーの琥
      珀色が対照的だ。しばらくの間、目で楽しむ。

          
                      真っ青な空                             純白と青色の氷
                                     琥珀色とのコントラスト

       南極の氷は数万年か前に降った雪が押し潰されてできたもので、雪が降った当時の空気が封じ込めら
      れていて、溶けるときに空気が抜け出る音がすると聞いたことがあった。たしかに、グラスを横から眺める
      と、氷から気泡が出ているのが観察できる。耳元にグラスを近づけると、”プチ”、”プチ”と高い音が聞こえ
      る。これが、何万年か前の空気が抜け出る音だと耳でも楽しむ。
       ( グラスのガラスを通してでなく、グラスの上に耳を近づけるともっと強い音が聞こえると知ったのは後の
        祭りだった。 )

       グラスを鼻先に近づけると、”スモキーフレイバー”の香りは強くはない。口に含むと、南極氷が溶けて幾
      分薄まったせいか口当たりもまろやかで、喉越しもスッキリ、私好みのウイスキーだ。
       ふと、日本で毎朝のように見ていたウイスキーづくりに賭けた夫婦の愛を描くNHKの朝の連続ドラマ「マッ
      サン」を思いだした。

       このとき通っていたグラハムパッセージについて調べてみた。

       グラハムパッセージは、南極半島のレクリスポイントとミューレイ島の境界線にある。ミューレイ島はベルギー
      南極探検隊のゲーラーシェによって1898年に発見されたときは、南極半島の一部と考えられていた。ミュー
      レイ岬は英国の海洋動物学者兼海洋学者、しして南極探検の熱心な後援者でもあったサー ジョン・ミュー
      レイにちなんで名づけられた。
       視界がよければ、大陸の東側にあるツエッペリン山の頂上が見えるらしいが、これも後の祭りだった。ツエ
      ッペリン山はドイツの飛行家・ヒューゴエンケナーが造った飛行船「ツエッペリン」にちなんで名づけられた。
       この飛行船は、世界一周の途上日本を訪れたことでも知られ、1931年(昭和6年)に成し遂げた北極飛行
      が有名だ。

       グラハムパッセージの出口付近を進む船の上から「ザトウクジラ」が観察できるが、みなさん食傷気味と
      みえ、騒ぎになるようなことはなかった。
       和名の「ザトウ(座頭クジラ」の由来は、その背ビレと背中にある瘤等が琵琶を担いだ座頭(視覚障害者)
      に似ているためと言われる。英語名でも、背中に瘤があるので"humpback whale(せむしの鯨)"と呼ばれ
      る。

       
          グラハムパッセージの出口付近のザトウクジラ

  (2) ポータル・ポイントのクジラ
       昼食の後、ポータル・ポイントでのクルージングと上陸だ。われわれの班は、最初にクルージング、後半に
      上陸の予定だ。

       南極半島中部にあるウィルヘルミナ湾のすぐ北隣にあるシャーロッテ湾の入口、レクラス半島の先端にあ
      る岬が「ポータルポイント(入り口岬)」だ。1956年に避難小屋を建てた英国人によって名づけられた。この
      小屋は1956年〜58年まで使用され、主に、この地域の探検と地質調査が行われました。1997年、この避
      難小屋は解体されフォークランド諸島に運ばれ、フォークランド諸島のスタンレーの博物館に展示されてい
      る。
       ここは、英国の探検家 ウォーリー・ヒューバートなども使った南極高原への数少ないのぼり口の一つだ。
      シーズン初めの雪が多い時期には斜面での雪すべりや半島高原を垣間見ることができる。また、このあた
      りは、捕鯨船の漁場としてよく使われた海域で、今でもホエール・ウオッチングに最適な場所のひとつだ。

       まずは、ホエール・ウオッチングだ。前にも書いたが、神出鬼没のクジラを撮影するとシャッターチャンスを
      逃すことが多い。何回かのクルージングで、浮かび上がってくる海面にはまず”泡”ができることに気づいた。

       
            クジラが浮かび上がる前兆”泡”

       この現象を確認したら、その海面を動画モードで撮り続け、浮かび上がるのを待つことにした。そして、
      再び潜るまでを追いかけるのだ。こうして、何回かの浮上、潮吹き、潜水を撮ることに成功した。

  (3) 氷山の美
       ポータル・ポイントは南極半島(大陸)から突き出た岬だ。南極半島から流れ出た氷山が漂っている。氷
      の色が青みがかっていて美しい。クジラ観察のあとは、しばし氷の造形と色を楽しむ。

       
                           青みがかった氷

  (4) 雪山登山
       われわれの班が上陸する番になった。ゾディアックが海岸に近づくとそこは巨大な一枚岩の露頭になって
      いた。南極半島に上陸するのはこれで3回目だが、今までは砂利の浜で露頭がなかったり、火山噴出物の
      堆積岩だったが、ここのは花崗岩のようだ。

          
                   上陸地の岩畳                               次々と上陸
                【雪山の頂上が目的地】

       上陸しての目標は南極高原に連なる標高100mほどの小高い山に登ることだ。気温が上り、パルカを
      着ての登山は汗ばむほどで、パルカが脱ぎ捨てられている。しかも、軟らかい雪が深く積もっていて長靴
      が潜り込んで歩き難いことはなはだしい。さすがのMHも、パルカの前をはだけて”フウフウ”言いながら
      進むと、危険な場所の手前に立って誘導しているローリーさんが雪を食べている。私も足元のを食べよう
      としたら、「ここの新鮮なのを食べなさい」と手招きしてくれた。雪を食べるのは何年ぶりだろうか。雪は関東
      地方で降る湿った結晶の大きい牡丹(ボタ)雪と同じだが、水分は少し少ないようだ。

          
                深く積もった雪の上の足跡                         雪を食べる
                                                  【クロスした赤旗の先は危険】

       少し元気を取り戻して進むと、”落し物”だ。新鮮で気のせいか湯気がでていそうだ。近くに”落とし主”が
      いるはずだ。落し物からU字型の溝が続いている。その先を見ると大きな「ゴマアザラシ」が一頭寝そべって
      いる。ローリーさんが、私の足元の雪を食べないようにと注意してくれた意味がようやくわかった。

          
                      ”落し物”                         落とし主の「ゴマアザラシ」

       この先は急な傾斜になっている。Yさんはエクスペディション・スタッフが準備しておいたストックの助けを
      借りて登ってくる。頂上の北側は絶壁になっていて恐ろしげだ。何年にもわたって降り積もった雪の層がク
      ッキリと読み取れる。新雪が深さ20mはありそうな凹みの底にまで積もっている。この凹みは”クレバス”で、
      落ちたら上れそうもない。

          
                   急斜面を登るYさん                          目的地遠望

       登りはじめて20分くらいかかっただろうか、ようやく終点に到着した。頂上からは沖合いに停泊している
      「オーシャン・ダイヤモンド」号の姿が小さく見えた。ここで、近くの人に頼んで記念写真だ。オーシャン・ダ
      イヤモンドの姿を入れてもらう注文も忘れなかった。

          
           頂上からの「オーシャン・ダイヤモンド」号                         登頂記念写真

  (5) 『南極の水晶』
          やはり気になるのは、上陸した時に見た花崗岩の露頭だ。あれだけの広い範囲の一枚岩だから、もしか
      したら”晶洞”があるかも知れない。
       雪の斜面はこどものころにやったソリ遊びに絶好の傾斜と雪質だ。ズボンの上に履いている農作業用の
      撥水性パンツの表面はツルツルで、そのままでもソリの代わりになりそうだ。斜面に尻をつけ、両足を上げ
      ると滑り出す。私の姿を見て、ソリ遊びの真似をする人も現われた。ガイド・ブックに”雪すべりができる”と
      あったとおりだ。

       ”雪すべり”で思い出したことがある。2014年の年末、叔母が亡くなり老母の代りに葬儀に参列した。新幹
      線からローカル線に乗り換えると、標高が高いそのあたりは冬の訪れが早いせいか、アチコチに雪が積も
      っていた。
       葬儀の後の忌中払いで、私より5歳くらい年長のMさんと同席した。Mさんが言うには、「お前は子供のころ
      から面白いやつだった」らしい。「あれは、お前が小学校の2年のとき、急な坂をソリで滑り降りて、崖の下
      に落ちたことがあった」、と昔話をしてくれた。
       小学校2年生の正月休みに関東地方に転校したから、多分1年の冬だったはずだ。急な坂をソリで滑り
      降り、崖に落ちる寸前、余りの恐怖で”気を失った”ことを覚えている。気がついた時には、ソリと一緒に崖
      下の雪の中にいて、周りに年嵩の悪童たちの顔が見えたことも覚えている。吹き溜まった雪がクッションの
      役をしてくれたのと、1年生、年齢詐称だから実質は6歳になっていなかった小さな体だったので怪我ひとつ
      なかった。
       子供の頃の記憶で”急な坂”は、大人になってみると”緩やかな坂”のことも多い。あの坂は今見るとどう
      映るのだろうか。

      【閑話休題】
       私が下まで滑り降りたのを見ていた瑠璃子さんから、「滑るのは禁止!!」の声が飛んだ。なんでも、以
      前、滑って怪我をした人がいて、それ以来禁止になったということだった。

       上陸地点に着いて露頭を観察すると「黒雲母花崗岩」だ。長石・石英そして黒雲母、3種類の鉱物の粒が
      ハッキリ観察できる。長石がピンクに色づいているのが特長だ。
       腰にぶら下げた「クリノメーター」をケースから出して、走向と傾斜を測定する。

          
                 「黒雲母花崗岩」                              走向・傾斜の測定

       ・走向  N68°E
       ・傾斜  11°SE

       これだけ大きな一枚岩だからどこかに”晶洞”があるかも知れないと思い、表面を注意深く探してみると、
      「あった!!」。晶洞をのぞくと、中に「水晶/石英」【QUARTZ:SiO2】の結晶が見える。

       
                     南極の水晶

       南極でも「水晶」はごくありふれた鉱物だということがわかり、私の持論 『ミネラル・ウオッチングは水晶に
      はじまり、水晶に終わる』 
が南極でも通じることがわかったのは、大きな収穫だった。

       花崗岩の露頭と海面の境を見ると、貝や海草が見える。貝は、日本などでも観察できる「カサガイ」類の
      ようだ。かれらにとって餌となる海草もすぐ近くに生えている。
       今からちょうど100年前の1915年1月19日、シャクルトン率いる「帝国南極横断隊」の旗艦・エンデユアラン
      (忍耐)ス号はウエッデル海の氷に閉じ込められてしまう。船は氷の圧力で押しつぶされ、船を捨てボートを
      引いて氷のない開水面か陸地を目指そうとしたが流氷群が屏風のように立ちはだかっていた。しかたなく、
      氷山に乗って潮流れと風向きに翻弄されることになる。
       1914年4月初旬にやっとボートを海水面に下ろすことができ、6日後に3艘のボートに分乗した隊員全員が
      無事155海里(289km)北のエレファント島にたどり着くことができた。
       シャクルトンら6名が助けを求めにボートで去った後、残された22名の隊員にとって食糧問題は深刻だった。
      夏の間は、豊富にいるアザラシやペンギンを捕獲して食料にしていたが、冬になると海草やカサガイ類まで
      食べて生き延びて、4ケ月後の8月30日に全員が救出された。

       このようなエピソードを知って「カサガイ」類を見ると、いとおしくなる。

       
                  カサガイ類と海草

  (6) うれしいニュース
          16時を過ぎ、ポータル・ポイントを後にした。船に戻ると、立ち寄れるかどうか危ぶまれていた英領南極
      ポート・ロックロイに上陸できることが正式に決まったという、うれしいニュースが待っていた。
       これで、準備しておいた50通余りの絵葉書と書状が投函できるし、何よりもポート・ロックロイの郵便局を
      訪れ、うまくすると記念押印を押せるかも知れないと思うと興奮する。

       18時30分からの「リキャップ」の時間、真っ先に説明があったのが「絵葉書」の出し方だった。120人以上
      が郵便局の窓内に並んで切手を買って貼って出していたのでは、お土産を買ったり、島内を見て回る時間
      がなくなってしまう。
       絵葉書の切手を貼る部分に、船室番号とローマ字で名前を書いて4階のエクスペディション受付にある箱
      に投函しておけば、まとめて出してくれるということだった。
       料金は、絵葉書が1米ドル(120円)、書状が1.5米ドル(180円)ということで、アルゼンチンの絵葉書料金
      24ペソ(330円)に比べると1/3近くでリーズナブルだ。私の場合、料金は、クレジットカード支払いだ。

          
               リキャップのトップニュース                             郵便Box

      ポート・ロックロイは英領南極なので、上陸したときにパスポートに「英領南極」入国の記念印を押してくれ
     るという。実は、乗船と同時にパスポートはホテル部門の受付に預けてあった。預けた、というより理由はわ
     からないが有無を言わせずに預けさせられたと言ったほうが正確だろう。
      印を押して欲しくない人は申し出て欲しいということだった。100ケ国を回った人が珍しくないこの探検隊では、
     印を押す、押さないで議論があった。
      「パスポートに入国管理以外の印が押してあると国によって入国させてくれない」という人と「そんあ事はな
     い」という人がいたが、私は記念になるものなら何でも貰うことにしているので、押してもらう方を選んだ。

      【後日談】
       翌日、ポートロックロイに上陸した際、希望者のパスポートに「ポート・ロックロイ」入国記念印をまとめて
      押してもらったようだ。
       1月30日に下船したとき返してもらったパスポートにどのような印が押してあるか興味があったので真っ先
      に見たが、ペンギンの絵に地名・緯度・経度が書いてある封筒や絵葉書に押してもらった記念印と似たデ
      ザインのものだった。
       英領南極(の名前)で発行している切手とその消印には、" British Antarctic Teritory "の文字が入って
      いるので、”領土権を棚上げした”『南極条約』違反だと目くじらを立てる筋もあるだろう。しかし、パスポート
      に押された印には、民間j慈善団体の" Antarctic Heritage Trust "(南極遺産・トラスト)とあり、これを
      見る限り、そのような虞(おそれ)はなさそうだ。

          
                       パスポート                                      絵葉書
                                     「ポート・ロックロイ」印

       この2つの印を見比べてみて、西経が角度の1分違っているのに初めて気づいた。赤道あたりだと1分の
      距離が1,852mだが、南緯65度近いポート・ロックロイだともっと短くなる。

       赤道の半径を1とすると、南緯65度の地点の半径は

       X = 1×cos65° = 0.422・・・・・・・・(式1)

       ポート・ロックロイあたりでは、経度1分の距離が 1,852 × 0.422 ≒ 780m になる。この
      半分の400m位の違いなら四捨五入すると1分の違いになるのは理解できる。

       しかし、ポート・ロックロイはそれほど広くないはずだ。両方間違っていることはないだろうから、どちらかが
      正しいのか、それともどちらも正しいのか、新たな疑問が湧いてきた。

  (7) 『2回目のワインパーティ』
       この日は、オプションの”キャンプ”があった。雪原にテントを張ったり、寝袋に入って一夜を過ごすキャンプ
      だが、トイレがないと言うので私は参加しなかった。
       参加する同室の2人は、われわれより早く夕食を済ませ、薄暗くなり始めた21時ごろにゾディアックに乗っ
      てキャンプ地に向って行った。すると、船が移動を始めた。キャンプ地からオーシャンダイヤモンド号が見え
      ないようにして、文明と隔絶した大自然の中で南極の夜を楽しんでもらおうと言う演出らしい。

       ウシュアイアや船に乗ってから知り合った『昔乙女』たちから、「MHの船室(3人部屋)を見たい」という声が
      あったので、船室が私1人だけになるこの日にご招待した。
       おつまみは皆さんが持参してくれ、私は冷蔵庫にキープしておいた飲み頃に冷えたウシュアイアで買った
      白ワインを提供した。

       今まで行った海外の観光地の話題でもちきりだ。時が経つのを忘れ、楽しいひと時を過ごし、お開きとな
      った。


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