古希記念 南極ミネラル・ウオッチング 南極探検旅行 【アルゼンチンでミネラル・ウオッチング】 ( Mineral Watching in Antarctica<BR>  Antarctica Expedition 2015 , - Mineral Watching in Argentina - )









          古希記念 南極ミネラル・ウオッチング
          2015年 南極探検旅行 
          【アルゼンチンでミネラル・ウオッチング】

              ( Mineral Watching in Antarctica
               Antarctica Expedition 2015 , - Mineral Watching in Argentina - )

3. 南極に向けて

 3.4 ブエノス・アイレス観光
      エセイサ国際空港でアルゼンチンの入国審査だ。その前に、少しでも怪しまれないようにと、トイレで
     ヒゲを剃り、外は暑そうなの着ていた上着を脱いでTシャツ姿になる。
      ここでも長蛇の列ができている。審査官はスペイン語で話しかけてきて、判らないと知ると英語で聞
     いてくる。問題なく入国審査をパスした。
      荷物を受け取るが、4千円何がしかのスーツケースなので14,000キロの長旅で壊れていないか心配
     だったが大丈夫だった。

      この日は16時発の国内便で南米最南端にある『南極へのゲートウェー』・ウシュアイアに向う予定だっ
     たがその便が欠航になり、代替便の出発が18時になることが判明した。その分、ブエノス・アイレス観
     光の時間が長く取れるのは嬉しいのだが、ウシュアイア到着が遅くなり、ホテルでの夕食が旅行会社の
     手配するランチボックスになってしまうのは困る。複雑な心境だ。

      

 空港の玄関には大型観光バスが待っていた。
南半球のブエノス・アイレスは真夏で、出発前に
日本のテレビで見た当地の気温は33度とあった
ので酷暑を予想していたが、30度まではないし、
湿度も低そうで、ジメジメした感じがないのも救い
だ。

 バスに同乗している観光ガイドのMさんには、
南極から帰ってブエノス・アイレス観光したとき
にもお世話になることになる。

                 観光バス

  (1) ボカ地区
       空港から高速道路に入り、30分も走るとブエノス・アイレス市街地の中心部に入る。高速を出て、
      市街地の狭い道路をバスは進む。右手に、マラドーナなどアルゼンチンを代表するサッカー選手を生
      んだボカ・ジュニアーズ・スタジアムがあるが、観光バスからだとスタジアムの塀が見えただけだった。

       ダルセナ・ノテ(北港)ができるまで、ボカ港はアルゼンチン随一の港で、ヨーロッパからの船は全て
      この港に停泊した。夢を求めてイタリア、スペイン、そしてドイツなどからやってきた移民が、リアチュエ
      ロ川の河口の”河口”という名の港町ラ・ボカに降り立った。
       ガイドの話では、「母を尋ねて三千里の主人公・マルコの母親もその一人だった」らしい。ここには、
      アルゼンチン独立の父・サン・マルティンの大きな記念碑も建っている。

       
              サン・マルティン記念碑

       この港町には造船所などがあり、そこで働く労働者や船乗りを相手にする安酒場も軒を連ね、官能
      的な『タンゴ』のステップが誕生した。

  (2) 『ブラジル式双晶』 from アルゼンチン
       カミニートで30分ほど自由時間があった。こじんまりした薄暗い土産物店に入ると磨いた「インカロー
      ズ(菱マンガン鉱)」などが置いてある。磨いてある石には興味が薄いし、第一値段が高い。その脇の
      箱の中に水晶が何本か入っている。
       産地を聞くと「アルゼンチン北部」というし値段は、1本$30(30ペソ=400円弱)だというので、透明
      なのを選んで3本買った。アルゼンチンでのミネラル・ウオッチングは『現金採集』でスタートだ。
       3本とも右、左が明瞭で、一番長い(55mm)のは、右水晶と左水晶が1本の水晶になった「ブラジル
      式双晶」と呼ぶ、1つの柱面の左右の肩にx面がある珍しい結晶形だ。

        
                 ストーンショップ                             現金採集した水晶
                                                     【左端:ブラジル式双晶】

  (3) ブエノス・アイレス車窓風景
       すでに時計は午後1時を回っている。この後、ラプラタ川沿いにあるレストランに向う。バスは、サン・
      ニコラス地区を北上する。ブエノス・アイレスは、南アメリカのパリの別名があると聞いたが、際立った
      高層建築は少なく、街路樹の緑が豊かな街だ。ガイドから「よっぱらいの木」と「ハラカンダの花」を教
      えてもらう。「よっぱらいの木」は、ビールの樽のように幹が中太になっているのが特徴だ。ワインの
      樽材に使われると聞いた。
       日本を発つ前、NHKを見ていると、「街が紫に染まるとき ブエノス・アイレス」の予告編をやってい
      た。「街が紫に染まるのは、11月、春の訪れるときで、2万本のハカランダの花が咲き誇り、街全体が
      紫の花束のようになる・・・・・」
       「ハラカンダ」の花の時期は過ぎていたようで、かろうじて走るバスの車窓から緑の葉の中に紫の
      花を見ることができた。

         
                 「よっぱらいの木」                            「ハラカンダの花」

       やがて左手に「中央郵便局」の建物が見えてくる。屋上にアンテナがあるのが、郵便局の特徴の
      ようで、次の日に訪れたウシュアイアの郵便局もそうだった。南極からの帰りに中央郵便局で切手を
      買ったり、記念押印しようと思っていたのだが、土曜日はお休みだった。
       (日本の中央局だと、少なくとも午前中は開いているのだが、・・・・・)

        
             ブエノス・アイレス中央郵便局

  (4) アルゼンチン料理の昼食
       2時近くに、レストランに着くと、別の飛行機でアルゼンチン入りしたグループの人たちはすでに食事
      中だった。グラス1杯だけ飲み物付きというので、赤ワインを注文した。前菜として餃子を大きくしたよ
      うな”エンバナーダス”が出て、次にチョリソの一種”血入りソーセージ”が出たが、カラシがついていな
      いので出してもらう。私など、ソーセージ=カラシだが、そのような食べ方はないらしい。
       メインはステーキだった。表面には焼いたときの格子模様がシッカリ残り、噛むと”カリッ”としていて、
      そのくせ中は”ジューシィ”で、アルゼンチンのガウチョ(牛追い、アメリカのカウボーイに相当)の料理
      を思わせた。旅の中で食べた牛肉の中で一番美味しいと思った。(脂身の部分は食べなかった)
      ( ここまでの機内食が酷すぎたので、丸2日ぶりに料理らしい料理を食べ、舌が馬鹿になっていたか )

          
                   「血入りソーセージ」                          「ステーキ」
                    【練芥子をつけて】

        【後日談】
        船に乗ってから、女性陣を招いて船室でワインパーティを何回か(たしか3回)開催したとき、ブエ
       ノス・アイレスのステーキの話が出た。私は、美味しいと思ったのだが、女性陣には、不評だったよ
       うだ。その理由は、

        1) 肉が硬かった。
        2) 中が良く焼けていなかった。

        肉は日本の霜降りのように、口の中で溶けるような代物ではなく、歯ごたえがあったことは確かだ
       が、日本の安い牛肉のように筋があるわけでなく、歯の丈夫な私には、歯ごたえも大事な食感なの
       だ。
        私は、肉は”半生”位のほうが美味しいのだが、これは好みだから、どうしょうもない。

        今回同行しなかった妻には、「入れ歯になってから、海外で美味しい料理を出されてもつまらない」
       と常々言っているが、その通りではないだろうか。

  (5) ウシュアイアに向け出発
       食事が終わると、再びバスで空港に向う。ウシュアイア行きの飛行機は国内線のホルへ・ニューベ
      リー空港(通称アエロパルケ)から発つはずだが、AR1860便は国際線から出るということで、到着した
      と同じエセイサ国際空港に行く。
       航空券を受け取り、荷物を預けたが、気になる重量は何も言われなかった。ウシュアイアのホテル
      の夕食が食べられないことになったので添乗員から夕食としてランチ・ボックスとミネラルウオーターを
      1本渡された。待合室には座って食べる場所がないので、軽食コーナーでコーヒーを注文し、ここで食
      べるたがわらじのようなパンにソーセージを挟んだだけのまずい代物だった。

       出発ロビーに移動して待つが、出発予定の18時になってもチェックインの気配が無い。待っている
      間に新聞・雑誌を売っている売店に行き、「切手を売っているか」、と聞くとシートで出してきた。日本
      までの絵葉書の料金を聞くと$24(312円)と、べらぼうに高いがインフレがすさまじいアルゼンチンで
      は仕方がないのだろうか。
       ブエノス・アイレスで投函する予定だった3通分の切手を買って貼るが、肝心のポストが空港には
      ないことがわかり、ウシュアイアで投函することにした。

          
            切手を売っている空港売店               切手を貼って投函準備完了

       陽がだいぶ傾いた19時過ぎになって、1時間以上遅れて、アルゼンチン航空のAR1860便にようやく
      搭乗する。最初の予定なら、ウシュアイアに着いている頃だ。

           
                 ウシュアイア行きに搭乗                     搭乗半券

       ウシャアイアまでの飛行時間は3時間半だ。機内では軽食が出されたが、さっき食べたものと同じな
      ので、食べる気にもならず座席の収納袋に入れておいた。

  (6) ウシュアイアに到着
       ウシュアイア空港に着陸したのは23時近かった。それでも空の一角は明るく南緯55度の高緯度地
      に来たことを実感する。出迎えてくれた旅行会社のIさんの話では、「昨日の午後は、パタゴニア特有
      の強風が吹いて寒かった」らしいが、この日は風がなく気温は10℃くらいありそうで、それほど寒いと
      は思わないが、念のためリュックの中からウインドブレーカーを引っ張り出して着込んだ。
       迎えのバスに乗り込み、4つ星ホテル、その名も”Canal Beagle(ビーグル水道)”に着いたのは午前
      0時近かった。

           
                  ウシュアイア空港着                       ホテル「Canal Beagle」
                【23時でも空は薄明るい】

       ホテルは相部屋だ。風呂を浴びてベッドにもぐり込み、丸2日ぶりに横になると、たちまち眠りに落ち
      た。

 3.5 ウシュアイア市内散策
       ウシュアイアから南極に向けて出港する探検船に乗り込むのは、16時の予定だ。それまでの間、
      自由時間があって、その後南部パタゴニアを観光する予定だ。

  (1) ホテルで朝食
       6時過ぎに起きる。ここまで飛行機の中であまり眠らなかったせいで、昨夜は5時間ほどだがグッス
      リ眠れた。チップとして、枕の下に1米ドル札を1枚忍ばせておく。
       食堂に行ってみると、まだ皆さん来ていないようだ。ここでは野菜が貴重だと見えて全くでていない
      ので、代りに果物を選んでバイキング式の朝食をとる。

           
                        食堂                                朝食

       食事を終えて外に出てみると陽射しが強くて暖かい。防寒具はいらないようだ。ただ、陽の光がま
      ぶして紫外線が強いようなのでサングラスを着用する。ホテルの前の水溜りが凍っていないところや
      道路沿いには花が咲いているところを見ると日本の4月ごろの陽気で、最低気温でも10℃近くあっ
      たのだろう。

        
                 ホテル「Canal Beagle」外観
                   【水溜りは凍っていない】

  (2) 手紙は届いているか
       7時までにスーツケースをホテルの部屋の外に出しておくのを思い出し、一旦部屋に戻る。スーツ
      ケースは、乗船する探検船の船室Noのタグ(荷札)をつけて置いたので、われわれが観光旅行をして
      いる間に船室まで旅行会社のほうで運んでおいてくれる手はずだ。

       1月8日に、ここのホテルに宿泊する自分宛に年賀ハガキを送っておいた。受付に行って、「私宛の
      手紙が届いている筈だが」、と英語で尋ねると、英語が判る人を探しに行って連れてきた。同じ質問
      をすると、机の周りを捜した後、「来ていない」とのことだった。
       来る前に「地球の歩き方」を読むと、アルゼンチンでは小包が届かなかったり、届いたが中身がなか
      った、というようなことが起こると書いてあった。届かない可能性があると思い、1月17日にブエノス・
      アイレスのホテルに2回目のハガキを送ったときに、ウシュアイア宛のを作って自宅に置いてきた。
       計らずも、でなくて、計ったようにようにそれが正解だったことになった。

        
                    ウシュアイアホテル宛の年賀はがき・表

  (3) ウシュアイア市内を”ブラブラ”
       ウシュアイア観光のバスのホテル前を10時で、それまで自由時間となった。すると、東京のTさん、
      Yさん、そしてBさん、3人の女性から街を案内して欲しいと頼まれた。街は碁盤の目状に区画されて
      いるので、大雑把な地図は頭に入っている。私は絵葉書を買ったり、郵便局に行ったりするが、それ
      でも良いというのでご一緒することになった。

       明るくなって周りを良く見ると、ホテルの前(南)は探検船がでる波止場になっているし、裏手(北)に
      はメインストリートが東西に走っている。さらに北には、真夏でも雪に覆われた氷河地形・カールをも
      つマルティアル山脈の急峻な山が迫っている。最高峰のヴィシンゲーラ山(標高1,450m)は、海抜0m
      の海岸からいきなり立ち上がっている印象だ。

       まずは、波止場が見える公園に行ってみた。出港を控えた大小の探検船が停泊している。この時
      点では、われわれが乗る船がどれなのかわからなかった。振り返って後を見ると雪に覆われた山が
      すぐそこまで迫っている。

           
                     波止場                              山々が街に迫る

       次は街のメインストリートに行って、絵葉書を買う。添乗員から「探検船の中でも売っているが、品
      数が少ない上に高いので、ウシャアイアの街で買ったほうが良い」とアドバイスされていたからだ。コ
      ンビニのような店に入ると、色々な絵葉書を売っている。孫娘などにはかわいい「ペンギン」の写真が
      入ったもの、会社関係の知人には「クジラ」、そして石友には「探検船」、といった塩梅で受け取る人の
      顔を思い浮かべながら図柄を選び、1枚1米ドルで50枚ほど買った。(船の中は、1.5米ドル)

       メインストリートを西に行くと右手に郵便局があるはずだ。ブエノス・アイレスのと同じように、屋上に
      アンテナが建っているので遠くからでも判る。郵便局に入り、とりあえず、孫娘に送る絵葉書に必要な
      切手を購入する。

           
                 ウシュアイア郵便局舎                             局の窓口
                                                     【左端の窓口で切手購入】

       郵便局の案内書壁をみると10種類近い新切手が展示してあるので買おうとしたが、在庫があった
      のは金貨と銀貨を描いた記念シート1枚だけで、それを買って、持参した書状に貼って、これに押印
      してもらった。印は2種類あり、日本の「風景印」と「日付印」を押してもらった。

        
                    「風景印」と「日付印」を押した記念カバー

        
                                  記念切手小型シート貼り書状

       郵便ポストには2種類ある。局の入口には日本でもおなじみの赤くて丸いのが、表通りに面した歩道
      には赤くて四角いのがある。もとも局の入口のは使われていないようだ。

           
                    郵便局入口                                表通りにある
                                       2種類の郵便ポスト

       街の歩道のあちこちに赤い四角い箱があって、郵便ポストかと思ったが数が多すぎる。中に何が
      入っているのかのぞいて見ると、”ゴミ箱”だった。

       【後日談】
       南極から送った絵葉書を見た孫娘から、留守の間に「ペンギンをつかまえて」、という叶えられそう
      にない、お願いの手紙が届いていた。

        
             孫娘からの手紙

       【閑話休題】

       メインストリートを西に進むと、『アルゼンチンの石(Piedras Argentinas)』書かれた宝飾品を売って
      いる店があった。表のショーウインドウには、インカ・ローズでできたネックレス、ペンダントそして置物
      などが並んでいる。店の中に入って、ショーケースの中の気になった品を出してもらい手にとって光に
      透かして見る。石は均質ではなく、その成因から白い石英の縞模様が入っていて$3,000ペソ、(邦貨
      約40,000円)も出して買う気になれない。何も買わずに店を出た。

        
                 『アルゼンチンの石』の店

 3.6 南パタゴニア観光
      10時のバス出発時間が迫ってきたので再びホテルに戻る。ホテルの前でMさんが記念写真を撮ると
     いうので、”2ショット”だ。

       
               ホテル前でMさんと”2ショット”

      この日の観光で訪れた場所はウシュアイアの街の西に当ることは判っていたのだが、「世界の果て
     号」がどのあたりを走ったのか、南アメリカ最南端にある「プエルト・グアラニ郵便局」の位置、そしてチリ
     国境との関係などよくわからなかった。持ち帰った資料の中に、このあたりの地図があるかと思ったの
     だが、断片的な情報だけで肝心な部分が欠落していてわからない。どうやら、この辺りは今でも”辺境”
     のようだ。

      このページをまとめる段になって「グーグル・アース」の航空写真などをもとに、自分の記憶で歩いた
     跡をトレースして地図を作成してみた。

      
                            フェゴ島の地図

      ウシュアイアは、フェゴ島の南岸でビーグル水道(Canal Beagle )に面した街だ。フェゴ島の西半分と
     ビーグル水道から南はチリ領になっている。
      今回観光した「フェゴ国立公園」は、ウシュアイアの街の西にあり、その南と西の境はチリとの国境線
     に接しているエリアだ。
      下の地図を見ていただくと、「終点」とか「世界の果て」といった単語があちこちにあることから、どの
     ような場所なのか想像していただけるだろう。

      
                           フェゴ国立公園の観光スポット

  (1) 「フェゴ島国立公園」へ
       バスは、ウシュアイアの街から西に向って走り、空港の北で一度止まった。バスから降りて、道端に
      ゴロゴロしている30センチ大の岩を観察すると「堆積岩」で白い石英脈も見える。露頭があれば、「ク
      リノメーター」と「ルーペ」の出番があるかもしれないと思うと期待が高まる。

       アラスカから南北アメリカを縦に貫いている「パンアメリカン・ハイウエー」の終点を過ぎると、道路は
      未舗装だ。対向車や先行車があると砂ボコリがもうもうと巻き上がる。バスには冷房がないし窓も開
      かないので、蒸し暑さを感じるほどだ。
       バスには現地のガイドが乗っていて、英語で説明したのを脇にいる添乗員が日本語で全員に聞こ
      えるように説明してくれる。
       「ここには金の鉱山があった」、と言ったので、パンニング皿を持ってこなかったことを悔やんだ。しか
      し、すぐに「金の鉱山ではなくて牧場だった」、と訂正が入って”ガッカリ”もし”ホッ”ともした。

       右手に、「世界の果て号」の「世界の果て駅」が見える。ここまで列車に乗って戻ってくるはずだ。や
      がて、右手に乗車する「国立公園駅」が見えた。ここを左に曲がり、緩やかな坂道を下っていくと行き
      止まりがラパタイア湾に面したプエルト・グアラニだ。前はビーグル水道で、対岸はチリ領だ。

       
                ラパタイア湾【対岸はチリ】

  (2) 「プエルト・グアラニ郵便局」
       ここに着いてみて、初めてここに郵便局があることを知った。湾に突き出た木製の橋の上にある建
      物が郵便局だ。南アメリカ最南端にある郵便局だ。局舎の屋根には青と白のアルゼンチン国旗が
      翻り、前には赤くて丸いお馴染みの郵便ポストがあり郵便局だと納得する。

          
                    局舎全体                             郵便ポスト前で記念写真
                                                     【腰にクリノメーター、胸にルーペ】
                         「プエルト・グアラニ郵便局」

       中に入ってみると、幅3m×奥行5mくらいの小さな局で、局員が一人で対応している。中には、わ
      れわれのグループのほかに外国人も何人かいて混雑していた。

       
                    局舎の内部

       ここでは、絵葉書などの土産品のほかに、壁を見ると記念カバーや切手などが壁一面に展示され、
      それらを売っている。記念カバーの1通に、”CORREO DEL FIN DEL MUNDO(地球の果てからの郵
      便)”があったので購入した。

       
                    カバー販売コーナー

       さらに、持参した記念カバーに押印を依頼した。左下の記念スタンプにはペンギンの絵が描かれ、
      どちらにも”FIN DEL MUNDO(地の果て)”の文字が読み取れる。

       

       周りの風景を見渡してみると、湾の両翼に露頭らしきものが見える。左側(東)の方が砂浜になって
      いてアプローチしやすそうなので、150mほど歩いて行ってみた。

      

 露頭を見ると海底に堆積したチャートの
ようだ。
 ところどころに、白い石英脈を挟んでい
るが晶洞は見当たらない。

 さっそく、走向と傾斜をクリノメーターで
測定する。

  走向:N90°E
  傾斜:58°E

            プエルト・グアラニの露頭

       露頭を構成しているチャートと風化に耐えて残った太い石英脈の部分をルーペで観察し、それらを
      写真に撮った。
       この先、動植物・鉱物の持ち帰りができない『南極でのミネラル・ウオッチング』は基本的にこのスタ
      イルだ。

          
                      チャート                             石英脈の緑簾石

       石英の中には、他形の「水晶【QUARTZ:SiO2】」、緑色の「緑簾石【EPIDOTE:Ca2Fe3+Al2(Si2O7)
      (SiO4)O(OH)】」そして金色・粒状の「黄鉄鉱【RYRITE:FeS2】」が観察できる。
       チャートの中の空隙には、サイコロ状黄鉄鉱の表面だけゲーテ鉱(針鉄鉱)【GOETHITE:FeOOH】
      に変化した「武石」が点々と確認できる。

       
                     「武石」

       ウシュアイアの街で買った絵葉書にフェゴ島東南海岸にある「サン・パブロ岬」を描く1枚があった。
      この岬は、絵葉書に描かれた地図からも想像できるように、アルゼンチンの北端からアルゼンチン領
      (とアルゼンチンが主張する)南極の中心(南極点)までの中間、つまり”アルゼンチンのヘソ”にあた
      る。
       岬の地層がはっきり見えるから「地学的資料」として買った。地層は海水面に平行、つまり水平で
      海底に積もった土砂などが堆積し、造山活動で隆起しつつあると想像する。

       
               「サン・パブロ岬」の地層を描く絵葉書

  (3) 「世界の果て号」乗車
       正式には、「南フエゴ鉄道(El Ferrocarril Austral Fueguino)」と呼ぶらしいが、世界一南を走ってい
      る鉄道であるところから『世界の果て号』の方が通りが良いようだ。
       開業は、およそ100年前の1909年で、ウシュアイアにあった刑務所との間を囚人や木材などを運ぶ
      ために建設された。そんなところから、あまりありがたくない『囚人列車』の別名もある。

       
                                    開業当時の列車
                          【トラネックス・ツーリズモ(株)のページより引用】

       当時は木製レールで、軌間は600mm、路線の長さは最長の時で25kmあった。しかし、1949年12月
      17日のフエゴ島大地震による線路破損により運転中止となり、1952年に一旦廃業した。
       1994年に、『世界最南端の観光鉄道』として営業が再開された。軌間は500mmで、座席は3人座る
      のがやっとという狭さだ。
       蒸気機関車とディーゼル機関車があるが、われわれが乗ったのはディーゼル機関車が牽引してい
      た。「国立公園駅」で乗って、「マカレナの滝駅」で停車・観光し、終着駅の「世界の果て駅」まで、
      8kmを1時間ほどかけて走った。
       料金は、片道/往復で、$420(邦貨5,500円)で、団体割引があるにしても高い。

          
                 機関車の前で記念写真                            乗車券
                 【かわいらしい機関車だ】
                                       『世界の果て号』

       「国立公園駅」を発車すると、沿線には峨峨(がが)たる山岳が聳(そび)え、その麓には清らかな
      川が流れ、草原や湿原もみられ、多様な環境が混在している。
       北西から南東に平行に走る山脈はアンデス山脈の南の端にあたり、アンデス造山帯の一部で地震
      が起きるのもうなずける。沿線の草原や林には、枯れて白くなった切り株が見られる。切り株の高さが
      高いものは冬、短いものは夏に囚人たちによって伐採されたものだと解説してくれた。
       ( 理由はお解りだろう )

          
             真夏でも雪が残る峨峨たる山岳                        切り株の残る草原
                                                      【冬に伐採された】

       30分も走ると「マカレナの滝駅」で停車する。ここで下車して200mも坂道を登ると「マカレナの滝」が
      ある。この程度の滝なら、日本にはたくさんあるだろう。散策路の傍らに、ラン科と思われる花が咲い
      ていたので”パチリ”。
       乗客全員が列車に乗り込んだのを確認して、再び動き出した。

          
                 「マカレナの滝」                        ラン科の花

       列車が発車するとすぐ右手の川のそばに草で葺いた円錐形の先住民族の復元住居があったりす
      る。右手の山腹には、茶褐色の”やけ”がみられ、プエルト・グアラニで観察した黄鉄鉱などの硫化鉱
      物が眠っているのだろう。
       やがて列車は、終点(始発駅でもある)「世界の果て駅」に到着した。ここには、色々な型式の機関
      車が並んでいて、鉄道マニアにはたまらないだろう。そのうちの一台の機関士と記念写真を撮らせて
      もらった。

          
                   露頭の”やけ”                           機関士と記念写真

  (3) 地元レストランで昼食
       もう時計は午後2時を回っている。バスは「国立公園駅」の方に戻るように走る。1km弱走ると左手
      に行くときにも見た地元のレストランがある。ここで遅い昼食だ。エントランスにはデイジーだろうか
      真っ白い花を一面に咲かせている。中に入ると、天然の木材を使った暖かい印象の造りだ。

          
                     エントランス                                内部
                                       地元レストラン

       飲み物は1種類、1杯だけということで、赤ワインを頼む。運ばれてきたのは、アルゼンンチン産で、
      抑えられた渋みと酸味が好い。いつの間にか飲み放題になったようだった。
       前菜は、当地名産のカニのサラダだ。朝ウシュアイアの街を散策したとき、生簀(いけす)の中で動
      いているカニや魚を売っている店があったのを思い出した。メインは、ステーキだ。ブエノス・アイレス
      で食べたのより味は落ちるが、それでも赤ワインとの相性がよかった。デザートはアイスクリームだ。
      濃厚なミルクの味とトッピングされている”オリーブ”の酸味と絶妙なバランスだ。

          
                    カニのサラダ                           デザートのアイスクリーム

       この後は波止場まで行って乗船だ。ここで、大事な役目が残っていることを思い出した。船に乗って
      から開催するワイン・パーティのワインを買い損ねていたことを思い出した。最悪、船の中で買うという
      手があるのだが、この後、街中で買うチャンスはなさそうだ。
       添乗員の”聖子さん”に話すと、「このレストランで売ってくれるかも」と言って店の人に聞いてくれた。
      すると、「さっき飲んだと同じものが、1本13米ドルだ」というので、赤2本、白1本合計3本を40米ドルで
      買った。
       ( 船の中では、ワインは1本30米ドル以上だった。ウシュアイアの街は『自由貿易港』だということで
         お酒の税金なども安いのだろう )

       
                    ワインを購入

       これで陸(オカ)でやり残したことはない。バスは波止場に16時前に到着した。われわれが乗るのは
      「オーシャン・ダイヤモンド号」 8,282トンだと知った。この朝波止場を見たとき、一番左側に停泊して
      いた客船だ。
       遠くから見たときには大きさがわからなかったが、近づいてみるとかなり大きな船で、「船酔い」の
      心配が少し薄らぐ。

       
                オーシャンダイヤモンド号

       これから乗船し、南極に向けて出航だ!!

4. おわりに

 4.1 2016年南極旅行案内
      南極探検旅行に申し込んでからからというもの、旅行会社からクルージングなどの案内が届くように
     なった。
      今日も”ドサッ”と届いた。それらを見ていると、来年(2016年)の南極旅行の案内があった。時期は
     2015年と同じ、ベスト・シーズンの1月〜2月で、船は同じく「オーシャン・ダイヤモンド」だ。
      今回、乗船した時点では、上陸人数の制限があるなどの理由で上陸を危ぶまれていた英領ポート・
     ロックロイも”訪問予定地”には入っている。

       
                                 2016年南極旅行案内

      一番気になるのは参加費用だ。カテゴリー(クラス)によって違うが、149.8万円〜209.8万円と2015年
     に比べて一律に30万円アップしている。
      参加費のかなりの部分は船のチャーター料で、円安の影響だとすると、クラスによって値上げ額が違
     うはずだが合点がいかない。その理由を考えていると、同室だったAさんとの会話を思い出した。

      「 3人部屋を安くして、1人部屋を高くしているから、3人部屋のわれわれは旅行会社としては儲けの
       薄い、場合によったら赤字の客だろう 」

      これを是正するためと考えると参加費の安いクラスほどアップ率が高くなっている逆累進性の理由が
     納得できた。

      いずれにしても、『良いときに行ってきた』、と思っているMHだ。


「鉱物採集」のホームに戻る


inserted by FC2 system