山梨県身延町下部・中山金山の自然金

山梨県身延町下部・中山金山の自然金

1. 初めに

 私が会員になっている、山梨県身延町(旧下部町)にある「湯之奥金山博物館」では
定期的に金山遺跡見学会や講演会を開催している。
 2004年秋の遺跡見学会は、湯之奥にある「中山金山」であった。
 旧下部町には、湯之奥金山と総称される、中山・内山・茅小屋の3金山のほかに
川尻・常葉・栃代(とじろ)の3金山、合わせて6つの金山遺跡がある。
 湯之奥金山は、稼行されたのが、戦国時代〜徳川中期(16世紀〜18世紀)であり
詳しい実態が調査されたのは、中山金山だけです。
 しかし、時間とともに、これらの産業遺跡は自然に埋もれていき、かつて金山が
あったことすら忘れられてしまいます。
 今回、20名近い皆さんと一緒に中山金山の見学会に参加し、露天堀跡、坑道、精錬所跡
など平成元年の発掘調査で裏付けられた場所のほか、「女郎屋敷」「大名屋敷」など
伝承の残る個所を訪れた。
 遺跡表面やパンニングで金鉱石や「自然金」を観察できたのは何よりでした。
 案内いただいた、昭和山岳会・石部氏はじめ博物館職員の皆様に御礼申し上げます。
(2004年11月観察)

2. 産地

 2.1 位置
    中山金山は、山梨県と静岡県境にある毛無山(1,964m)の南西に位置し、標高1,400mの
   金山沢の平坦地から、1,660m付近に広がる大規模な鉱山であった。

   中山金山の位置【湯之奥金山博物館展示】

 2.2 中山金山の歴史
    中山金山に関する次のような資料から鉱山が始まったのは、16世紀中葉で18世紀末まで
   断続的に採掘が行われたと考えられる。

    永禄11年(1558年)  穴山信君が中山郷への物資輸送を命ずる
    元亀 2年(1571年)  北条氏の深沢城攻めに功績があった中山金山衆10人に対し
                「籾子(もみ)150俵」が与えられた。【武田家朱印状写】
    天明 8年(1788年)  堀内粂之丞の手先のものが5本の間歩(坑道)を掘る。【門西家文書】
    寛政 5年(1793年)  堀内粂之丞の手先のものが掘った間歩について、湯之奥村から
                 報告がなされる。【門西家文書】
    寛政 8年(1796年)  堀内粂之丞の手先の金堀達がきて、古い間歩の掃除をした。
                (わざわざ、掃除するために行く筈も無く、古い金鉱脈を追って
                 新たな金鉱脈を探したと見るのが妥当と考えられる。)

3. 中山金山遺跡を訪ねて

   湯之奥猪之瀬林道を静岡県に向かって走ると、道路左側に毛無山の登山口がある。ここには
  中山金山にについての案内板も立っている。

   中山金山案内板

   整備された毛無山登山道を登り、檜の植林帯を過ぎ、唐松の植林帯にさしかかる頃
  登山道の右手に「女郎屋敷跡」そして左手下方の金山谷の開けた場所にテラスと呼ばれる
  平坦な人工構築物が見られる。ここまで、登り始めてから約1時間半である。
   ここには、帰りに立ち寄るとのことで、毛無山山頂の南西にある「露天掘り跡」を目指す。
     さらに、約20分の登りで「(第2)地蔵峠」に到着する。晴れた日には、富士山が目近に
  見られるが、この日は稜線の一部が見えたかと思うと、瞬く間にガスにその姿をかき消されて
  しまった。
   小松学芸員によると、どうした訳か中山金山の見学会はいつも悪天候とのことで
  雨が降らないだけでも善しとせねばなるまい。

   地蔵峠からの富士山

   登山道は一段と厳しくなり、さらに40分も登るとやや平坦な場所になる。この西斜面一帯が
  「露天掘り跡」や「間歩(坑道 )」が集中している個所である。早く行きたい気持ちを
  押さえて、先ずは腹ごしらえ。
   昼食が終わるのを待ちかねたように、斜面を下ると、「擂鉢状の凹み」や「溝状のくぼみ」
  などがアチコチに見られ、ここが「露天掘り跡」と思われる。
   ここには、大量のズリ石に混じって「金鉱石」が見られるが量は多くない。
   近代になっても金山の始めは山頂や尾根近くの風化が進んだ富鉱帯を露天掘りすることが
  多く、中山金山はその先駆けであったと思われる。

   露天掘り跡【X-50】

   ここから尾根に登り、登山道に戻る途中、尾根の南側には、堀内粂之丞の手先のものが
  掘ったとされる坑道が何本かある。いずれの坑道も奥行きが26mで大柄な私でもほとんど
  背をかがめないで歩ける高さと無理すれば二人がすれ違える幅を持っており、江戸時代
  末期の坑道と言われるのも頷ける。
   【坑道13】は中で上下2段に分けれており、金鉱脈を追っていった当時の金山衆の苦労が
  偲ばれます。中山金山では、16本の坑道が確認されているが、現在でも入坑可能なものは
  数本に過ぎない。

   坑道9

    一度登山道に戻り、地蔵峠を経て、「水呑場」まで行き、金山谷に沿って下ると
   「製錬場」を中心としたテラスがり、あちこちに「鉱石を焼いた釜」を思わせる石造物や
   石塔などが見られる。
    製錬場だけに、金鉱石が集積されたと考えられ、他の場所より金鉱石を観察できる
   確率が高く、粉成(金鉱石の粉砕)や灰吹き(製錬)に伴って生じたと思われる自然金
   が付近の土砂をパンニングして観察できた。
    当時の選鉱カス(揺りカス)の鉄鉱石が褐鉄鉱に変化し接着剤の役をはたし砂礫が固まり
   赤褐色の”壺石”状になってアチコチに見られる。
    すぐ近くにあった内山金山の揺りカスにはトン当たり10g前後の金が含まれ、中山金山の
   ものにも高い割合で金が含まれていると想像できます。
    

     
       製錬場            金山谷でのパンニング

3. 観察鉱物

(1)金鉱石【Gold Ore:Au】
    一部褐鉄鉱に覆われた石英塊の褐鉄鉱や銀黒部分に金が含まれている。

     
        含金石英塊             揺りカス
                 金鉱石

(2)自然金【Native Gold:Au】
    「精錬場」周辺の土砂を金山沢でパンニングして観察できた自然金には3種類あります。
   @灰吹きして得られた金塊の小さな粒らしき球形のもの
   A葉片状の砂金(粉成で引き伸ばされた?)を思わせるもの
   B尖った形の山金を思われるもの

      
      灰吹き金(?)            葉片状              山金(?)
                   中山金山遺跡産自然金三態

(3)水晶【Rock Crystal:SiO2】
    金を含む石英脈の裂罅に透明感のある小さな水晶が見られるが、大きさは1cm以下で
   あった。

   水晶

4. おわりに

(1)武田信玄公の隠し金山と言えば、この中山金山と塩山市の黒川金山で、国の史跡に
   指定されている。共に山深いところにあり、この中山金山の見学会も以前は「製錬場」
   までだったそうですが、今回は最も奥にある露天掘り跡まで案内して頂き、採掘から
   製錬まで行われた中山金山の全貌を把握することができた。
    博物館の関係者の皆様に厚く御礼申し上げます。

   案内役の人々

(2)湯之奥金山博物館には、中山金山で収録された水晶の群晶が展示してあります。
   これが確認されたのは「×××××」とのことなので、いつか訪れてみたいと考えて
   います。

5. 参考文献

1)湯之奥金山博物館編:湯之奥・中山金山遺跡現地見学会パンフ,同館,2004年
2)湯之奥金山資料館編:展示図録,同館,1997年
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