6年前の2005年、訪れたのが初めてで、そのときは、何だかんだと理由をつけて30点
近い数の標本を購入していた。
・第27回 名古屋ミネラルショー
( 27th Nagoya Mineral Show , Nagoya City , Aichi Pref. )
名古屋ミネラルショーでは、アマチュアが自分の採集品を売るほか、鉱物や化石の販
売業者も多い。同じようなミネラル・ショーである東京の「ミネラルマーケット」の2倍くらい
の規模で、「北海道鉱物同好会」、「無名会」、「益富地学会館」、「福岡石の会」など、
北海道から九州までの広い地域から出店があり、地方ならではの標本も数多く出品さ
れていた。
ひところの「レインボー柘榴石」、「鉛沢の紫水晶」、「布賀の逸見石」、ブームのように
”猫も杓子(しゃくし)も○○”という現象は蔭をひそめていた、それだけ、話題になるよう
な”新産地”が発見されていない、ということだろうか。
会場では、石川・Yさん、滋賀・Oさん、愛知・KAさん、Tさん親子、長野・Mさんなどにお
会いし、近況を確認しあった。T君は、大学受験の年だが、”1時間だけ”ショーを見に来た
とのことで、『勉強とミネラル・ウオッチング』を両立させているようだ。
お財布と相談し、さらに置き場所を考え、今回、購入したのは、5点だけだった。
@ 収集ジャンル品(希元素鉱物)
・ 三重県福田山鉱山の「褐簾石」
・ 山口県柳井市石井の「燐灰ウラン石」
A 『日本産鉱物50種』
・ 秋田県日三市鉱山の「荒川石(ベゼリ石)」の大型標本
B 地方ならではの標本
・ 兵庫県朝日金山の「自然金」
C 地元(山梨、長野)の鉱物
・ 長野県甲武信鉱山の「チタン鉄鉱入り水晶」【実は、「鋭錐石入り」】
( 2011年8月 現金採集 )
会館近くの地下駐車場(30分 200円)に入れ、そこから徒歩2、3分で会場だ。
10時開場だが、すでに200名近くが並んで待っており、私たち夫婦もその列に加わった。
その内、後ろから「MH!」、と呼ぶ声がするので振り返ると、名古屋の石友・Tさんの息子・
T君だった。受験勉強中だが、”1時間”だけの約束で、父親に連れてきてもらったそうで、
間もなくTさんも姿を現した。
10時の開場になり、階段をのぼり、2Fに進むと、会場入り口で先着200名に無料で配布
している標本を受け取った。「残りわずかです」、の声で、私たちが200番近くだったことを
知った。
産地 | 鉱物 | 産 状 | 写 真 | 備 考 | 三重県 福田山鉱山 | 褐簾石 | 頭・母岩付き 柱状結晶 |
福田山鉱山を訪れた ことがあったが、「褐簾 石」のカケラを採集した だけだった。 柱状結晶、しかも頭・ 母岩付きが入手できる とは思いもよらなかった。 |
山口県 柳井市石井 | 燐灰ウラン石 |
黄色、透明な四角い 薄板状結晶が ペグマタイトのスキマに 生成している。 ミネラライトを照射すると 黄色く蛍光する。 |
全体
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柳井市には、H製作所 の系列企業があり、毎月 のように出張していた時期 があった。 週末をまたがることもあり 休日に産地を探したことが あった。 大粒の「鉄礬柘榴石」の 露頭を発見し、採集でき たが、「燐灰ウラン石」は ついに確認できなかった。 |
秋田県 日三市鉱山 |
「荒川石」 (ベゼリ石) |
横16cmの大型標本 白い異極鉱を伴う |
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「荒川石」は、日本産 鉱物50種にも選定され ていて、すでに小さな カケラを入手していたが、 大型標本が驚くほど安い 値段だったので購入 |
兵庫県 朝日金山 | 自然金 |
抜け殻状石英に 花びら状や樹枝状の 自然金が多数観察 できる。 |
全体
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パンニングで得られた 分離結晶は持っている のだが、母岩付きが欲し かった。 |
長野県 甲武信鉱山 |
チタン鉄鉱入り 水晶 |
最大3cmの小さな 水晶の表面や内部に 黒い板状や複錐結晶が 観察できる。 |
全体
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複錐結晶は、「鋭錐石」で 正しくは、鋭錐石入り水晶と 呼ぶべきかも
いずれにしても、長野県 |
中尾氏は、戦前からのコレクターで、京都・島津製作所の標本部に勤務していたらしい。
氏が収集した有名産地の一級標本がズラリ、と並んでいた。展示されていた標本に比べる
と私の持っている標本など・・・・・・・・。
展示品のいくつかを紹介する。
透輝石
【岐阜県洞戸鉱山】
ただ、”一寸の虫にも5分(ごぶ)の魂”、ではないが、氏の収集品にあった「岐阜県洞戸
鉱山のコバルト華」は3cm足らずで、私の採集品と似たり寄ったりだし、長野県富士見町の
「普通角閃石」の大きさなら私の標本も負けていない、などと”負け惜しみ”を言う Mineral
-hunters である。
・長野県信濃境の鉄普通角閃石
( " FEROHORNBLENDE " from Sinanoakai , Nagano Pref. )
12時過ぎに会場を後にしたが、帰宅するには早い。まずは、昼食に名古屋のキシメン
をいただく。
甲府城の発掘に携わっている妻の希望で、名古屋城を訪れることにした。
妻の興味は、現在整理作業している”瓦(かわら)”にあるようだが、私の方はやはり
”石”から離れられないようだ。
@ 陣頭指揮して石を運んだ加藤清正の像があるのに初めて気付いた。
慶長15年(1610年) 加藤清正が徳川家康に願い出て、天守閣や櫓(やぐら)
の石垣工事を施工した。
清正は巨石を修羅(しゅら)に乗せて運ぶ時、石の上に乗っり、気勢上げた、と
伝えられ、世に『清正の石引』といわれている。
A 加藤肥後守(清正)内(家来) 中川 太良平(たろべい)の「刻紋(こくもん)」
「刻紋」とは、名古屋城築城工事を分担した大名とその家臣のしるしで、苦労し
て運んだ石が他の大名家のものと間違えられて、無用なトラブルが起きないよう
に付けられた。
B 石の運搬体験
難渋している数人の子どもたちを手助けしようと一緒に引っ張ったが、結構な
重さだった。
甲府から名古屋まで、往復500kmの日帰りの旅だった。私の開催するミネラル・ウオ
ッチングの舞台が長野県川上村周辺になることが多く、名古屋あるいはそれよりも遠方
から参加してくれる石友も多い。
長距離運転して参加していただく皆さんのご苦労の一端を骨身に感じた一日だった。