岐阜県苗木地方の「スター・サファイア」

        岐阜県苗木地方の「スター・サファイア」

1. 初めに

   2005年6月に、岐阜県苗木地方で延べ3日ほどかけ、パンニングで3粒の「苗木石」を
  始めとする希元素鉱物やトパーズそして錫石などの重鉱物を採集した。以来、パンニング
  に”はまり”、苗木地方だけでなく、いくつかの産地で試し、良好な結果を得ていた。
   2006年の早春、東京の石友・Mさんと苗木地方の某所で希元素鉱物をパンニングで採集
  し、1回のパンニングで数粒の標本が得られ、2005年のあの苦労は何だったのか、と思っ
  ていた。

   こうなると、今まで苗木地方で産出が記録されている鉱物をパンニングで採集してみ
  たくなってきた。むしろ、採集できるのではないか、とまで思い始めていた。

   真っ先に思いついたのが、「サファイア」であった。苗木地方のサファイアは、青玉
  と呼ばれ、木積沢で錫鉱を採掘していた時産出したという記録が残り、「薬研山」では
  戦前(1945年以前)、リチウム(Li)資源採掘に伴って産出した。
   苗木地方のサファイアは、岐阜県「中津川鉱物博物館」や「瑞浪化石博物館」などにも
  展示されている。

   長島 乙吉氏の「苗木地方の鉱物」や藤浪 紫峰(桜井 欽一)氏の「おにみかげ紀行」
  には、サファイの産地がいくつか記載されており、これらを参考に石友・Mさんと訪れたの
  は、まだ梅の花の蕾が開かない早春だった。
   狙い定めた沢を遡上しながら、パンニングを繰り返し、1時間以上も経ったころ、Mさんが
  青黒い六角板状のサファイアの破片を採集した。しかし、私のパンニング皿の底には全く
  残らない。
   後に私は大きな間違いをしていたことに気づくことになる。サファイア(鋼玉)の比重は
  約4.0で、トパーズの3.5に比べると大きく、トパーズが簡単にパンニングで揺り分けら
  れるのだから、サファイアは簡単だ、と思い込んでいたのが大間違いであった。
   六角薄板状の形状のため、私が”波乗り効果”と名づけた現象が起こり、パンニングの
  初期の段階で、パンニング皿の外に流れ出てしまうのである。
   このことに気づき、パンニングのやり方を変えたところ、10粒前後のサファイアが採集
  できた。それらの内には、完全な六角板状で、径が7mmほどあり、対角線の6方向に光芒
  を放つ、”スター・サファイア”もあった。

   その後、兵庫県の石友・Nさん夫妻と訪れ、Nさんの奥さんが、1cmを超える青色六角結晶
  がいくつか母岩についた素晴らしい標本を手にした。奥さんが『 ○○博物館にあった
  ものより綺麗 』
 、という言葉通り、まさに”博物館級”のものであった。
  

   永い間、夢にまでみていた「スター・サファイア」をパンニングで採集でき、同行いただ
  いた石友・MさんとNさん夫妻に、厚く御礼申し上げます。
  ( 2006年4月採集 )

2. 産地

   長島 乙吉氏の「苗木地方の鉱物」や藤浪 紫峰(桜井 欽一)氏の「おにみかげ紀行」
  に記載されている、苗木地方でのサファイア(鋼玉)産地は、下表のとおりである。
   一般には、「薬研山」が有名だが、ここは松茸山のため立ち入りが厳しく制限されて
  いる上、母岩付きで、分離した単結晶を採集することは難しい。
   「薬研山」以外にも、サファイアが採集できる場所がたくさんあることにも注目して
  欲しい。

  出  典    著  者   産  地   備   考 
苗木地方の鉱物長島 乙吉 馬場川
八幡
薬研山
木積沢
「青玉」とある
薬研山のサファイアは
第2次世界大戦中採掘
おにみかげ紀行藤浪 紫峰
(桜井 欽一)
下澤
一色
薬研山
木積沢
山ノ田川
 

3. 産状と採集方法

 3.1 産状
    「おにみかげ紀行」には、産状が次のように記述されている。

   『 薬研山にては鉄雲母石英脈(鉱物誌には黒雲母花崗岩とあり)中に結晶をなして
    産し、その付近なる蛭川村下澤、一色、福岡村木積澤にては之が流出せる砂鉱を出
    し屡々(しばしば)粒状をなす。
     苗木町山ノ田川にては砂鉱中に極めて六角柱状のものを出す 』

 3.2 採集方法

    パンニングで採集する。サファイア(鋼玉)の比重は約4.0で、トパーズの3.5に比
   べると大きく、トパーズが簡単にパンニングで揺り分けられるのだから、サファイアは
   簡単だ、と思い込んでいたが大間違いであった。

    

                            鉱物の比重

    六角薄板状の形状のため、私が”波乗り効果”と名づけた現象が起こり、パンニングの
   初期の段階で、パンニング皿の外に流れ出てしまうのである。

 3.3 パンニングの理論
     そこで、パンニングについて、理論的な根拠を求めて、高桑健著「選鉱工学」を付け
    焼刃で勉強してみた。

     パンニングは『 鉱物種による水中での挙動の違い 』を利用して、目的とする鉱物を
    選別する手法で、「選鉱工学」では、比重選鉱法に分類される。

  (1)水中に於ける鉱粒の落下運動
      レーリー卿は、レイノルズ数(Reynold's number)と抵抗係数との関係をもとめ、液
     体と物体(球)の相対速度と物体に働く抵抗の関係を見出した。

      R=vd/ν=vdδ/η・・・・・・・・・(式1)

       ここで、R:レイノルズ数(無名数)
           v:速度(cm/sec)
           d:球の直径(cm)
           ν:物体の運動学的粘性係数(cm3/sec2
           δ:液体の比重(g/cm3)
           :重力加速度(cm/sec2
           η:流体の粘性係数(g/cm・sec)

       これを図に示すと次のとおりである。

     

       この図から、抵抗係数(ψ)とレイノルズ数(R)の関係は、次のように表すことが
      できる。

      ψR=3π ・・・・・・・・・(式2) 【ストークスの法則の範囲】
      ψ=π/16 ・・・・・・・・・(式3) 【ニュートンの法則の範囲】
      

      水の中を自由落下する球に働く抵抗力(F)は、次のように表すことができる。

      F=ψρd22・・・・・・・・・・(式4)

       ここで、F:球に働く抵抗力(・cm/sec2
           ψ:抵抗係数
           ρ:流体の密度(・sec2/cm4
           d:球の直径(cm)
           v:速度(cm/sec)

      以上の条件を元に、水中を落下する球の運動方程式は、次のように考えることがで
     きる。

      質量×加速度=球の重さ-球の受ける浮力-球に働く抵抗力

      πd3δ/6g・dv/dt=πd3δ/6-πd3δ0/6-ψρd22・・・・・(式5)

       ここで、δ0:流体の比重(g/cm3

      (式5)を変形すると

      dv/dt=g(δ-δ0)/δ-6ψδ02/πdδ・・・・・(式6)

      静止状態から落下しはじめる初期の段階では、v≒0 であり、(式6)は次のよう
     に、近似でき、加速度は、流体と鉱物の比重の差にのみ関係する。

      dv/dt=g(δ-δ0)/δ・・・・・・・・(式7)

     『 比重の大きなものほど、加速度が大きく、早く落下する 』

      落下が進行すると、速度が大きくなり、抵抗も大きくなり、一定の速度(dv/dt=0)
     になり、球に働く重力と(浮力+抵抗力)が釣り合う。

  (2)干渉落下
      直径数センチの小石から数ミクロンの泥がパンニング皿の中で、”芋の子を洗う”
     状態で水とかき混ぜられる実際のパンニングには、”自由落下”のような単純な
     モデルは適用できない。

      懸濁液の粘度は、アインシュタインにより、次式で示される。

      ηs=η(1+2.5γ)・・・・・・・・・・(式8)

       ここで、ηs:懸濁液の粘性係数
           η:懸濁媒(通常水)の粘性係数
           γ:懸濁液の単位容積中における懸濁質の容積

      一方、懸濁液の比重(δs)は、懸濁媒が水で、懸濁質の比重が(δp)で、懸濁液の
     単位容積中における懸濁質の容積が(γ)であれば、次の式で与えられる。

      δs=1-γ-γ/δp・・・・・・・・・・・(式9)

     『 粘土等が混じっている懸濁液では、粘度と比重が大きくなり、パンニングには
      不利な条件になる 』

      鉱物の粒が、互いに影響を与えつつ落下する場合を選鉱では、『干渉落下の状態』と
     言い、そのときの落下速度は次の式であらわすことができる。

      vn=K{d(δ-δs)/δs1/2・・・・・・・(式10)【ニュートンの法則の範囲】

      vs=(δ-δs)d2/18ηs}1/2・・・・・・・(式11)【ストークスの法則の範囲】
     

      比重の異なる2種の鉱物の粒子で、等しい落下速度を有する粒子を等速落下粒(Equal
     falling Particle)と言い、その大きさの比を等速落下比(Equal falling ratio)と
     言い、比重選鉱理論の基礎となる。

      (a)、(b) 2種の鉱物について、その直径を(da)、(db)、比重を(δa)(δb)速
     度を(va)、(vb)として、それぞれの場合について、等速落下比を求めれば下表のとお
     りである。

状態範囲   速度等速落下比備 考
自由落下ニュートンの法則 va=51{daa0)/δ0}1/2
vb=51{dbb0)/δ0}1/2
va=vbから
da/db=(δb0)/(δa0
   =2.45
比重
方鉛鉱:7.5
石英:2.65
での例
ストークスの法則 va=(δa0)da2/18η
vb=(δb0)db2/18η
va=vbから
da/db={(δb−δ0)/(δa0)}1/2
   =1.57
干渉落下ニュートンの法則 va=K{daa0)/δ0}1/2
vb=K{dbbs)/δs}2
va=vbから
da/db=(δbs)/(δas
  δs=1.5とすれば
   =5.21
ストークスの法則 va=(δa0)da2/18η
vb=(δb0)db2/18η
va=vbから
da/db={(δb−δs)/(δas)}1/2
  δs=1.5とすれば
   =2.28

     等速落下比の大小を選別の難易を表す尺度とみなすことができる。
     ( 小さいほど、選別が難しい )

 3.4 パンニング理論の活用
    以上のパンニング理論から得られた効果的な選鉱法とそれらの活用方法を下表にまと
   めてみた。

No  理   論  フィールドでの活用 備  考
1選別されるものの比重差が
大きいほど選別は容易
  
2干渉落下状態の方が
自由落下の場合より
選別が有効
 ほとんど目的鉱物だけに
なってからのパンニングは
慎重に
 私は、自宅でジックリ
”精密パンニング”
を実施
3  ストークスの法則が適用
される場合よりニュートンの
法則が適用される場合の方が
等速落下比が大きく選別が容易
@レイノルズ数が大きい
 乱流が生じるような
 複雑なパンニング皿の操作
A土砂が粘土を含む場合
 水の粘度、比重が大きく
 なるので、粘土を洗い流し
 てからパンニング
 
     

4. 採集鉱物

 鉱 物 名
 (英語名)
 組成  説    明 写  真 備 考
鋼玉(コランダム)
(Coruudum)
(Sapphire)
Al2O3   青黒色〜青色〜白色
 あるいは中心部が青で
 周辺が白の累帯構造を
 なし、半透明、六角薄板状
 結晶として産する。
  写真の標本のように、
 中心部から6つの角に
 向かって放射状に光芒を
 放つ、”スターサファイア”
 も採集できる。
 古くは、「青玉」と
呼ばれていた

5. おわりに

 (1) ここで紹介したパンニング理論は、鉱物を”球”とみなしている。トパーズや苗木
    石をはじめとする「希元素鉱物」は、”球”として取り扱っても問題ないことをフィ
    ールドで確認している。
     しかし、六角板状のサファイアや競技会用の”葉片状砂金”は、私が”波乗り効果”
    と名づけた現象のために水に浮いてしまい、理論がそのまま適用できないことが明ら
    かになった。

     サファイアのパンニング法は、『 秘中の秘 』であるが、同行する方には伝授し
    たいと考えている。

 (2) 兵庫県の石友・Nさん夫妻と訪れ、Nさんの奥さんが、1cmを超える真っ青、宝石級の
    六角短柱状結晶がいくつか母岩についた素晴らしい標本を手にした。
     奥さんが『 ○○博物館にあったものより綺麗 』 、という言葉通り、まさに”博物館級”
    ものであった。

     母岩付きサファイア【採集:Nさんの奥さん】

     その後、この標本をNさん夫妻から恵与いただき、私の家の標本陳列棚(書棚)の特等
    席を占めている。
     ご夫妻のご配慮に、厚く御礼申し上げます。
 

 (3) 永い間、夢にまでみていた「スター・サファイア」をパンニングで採集でき、同行いただ
    いた石友・MさんとNさん夫妻に、厚く御礼申し上げます。

 (4) 長島 乙吉氏の「苗木地方の鉱物」や藤浪 紫峰(桜井 欽一)氏の「おにみかげ紀行」
    には、ここ以外のサファイア産地が記載されている。
     そこも、回って運良く採集できれば、産状の違いなどを比較してみたいと考えている。

6. 参考文献

 1)長島 乙吉:苗木地方の鉱物,岐阜県中津川市教育委員会,昭和41年
 2)藤浪 紫峰
   桜井 欽一:おにみかげ紀行 我等の鉱物,昭和8年〜昭和9年
 3)高桑 健:選鉱工学,共立社,昭和16年
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