2005年6月以来、この地域では”パンニング”主体の採集を試み、「苗木石」をはじめとす
る希元素鉱物や「トパーズ」などを採集していた。
この日、採集を始めてまもなく、妻が「 軽いけど、これは何かしら? 」と差し出した
のは、3cmの「アクアマリン(緑柱石)」であった。この地域で、錫石などの重鉱を大規模に
採掘していた明治初期〜末期、比重の軽い緑柱石は採取できない事から、『 苗木地方には
緑柱石は産出しない 』 、とまで考えられていた。
それからまもなく、妻が「 青いトパーズ 」の頭付き良品を採集した。インクルージョン
があることは肉眼でも判ったが、そのままになっていた。単身赴任先に持ち帰り、標本の整
理・写真撮影する段になり、このトパーズのインクルージョンを実体顕微鏡で見て驚いた。
『 金緑石 』、つまり『 クリソベリル 』 である。苗木地方の金緑石は、明治初期
”トパーズ勘兵衛”こと高木 勘兵衛翁が採集して以来、120年以上採集したという話を聞か
なかった、”大珍品”である。
一転して、『 地獄 』が 『 極楽 』に変わった、というのが前フリの落ちである。
高木勘兵衛翁が採取した、「金緑石」のその後について記述した藤浪紫峰著「おにみかげ
紀行」に巡り会うことができた。藤浪紫峰とは、故桜井欣一博士のペンネームだと教えて
いただいた千葉の石友・Mさんに厚く御礼申し上げます。
( 2006年8月採集 )
2005年6月以来、この地域では”パンニング”主体の採集を試み、比重が5前後ある「苗
木石」をはじめとする希元素鉱物や比重3.5前後の「トパーズ」などを同時に採集している。
これら、比重が石英(2.7前後)に近い鉱物がパンニングできれば、「砂金」などは簡単
にゆり分けられるようになる、というメリットもある。
また、ゆり分ける作業中、パンニング皿のほとんどの部分は水中にあるため、浮力の影響
で軽くなり、”非力なな女性(?)でも負担が少なく、丁寧にゆり分ける女性に適した採集
方法と言える。
( 戦国時代〜近代に至るまで、鉱山で金銀を「ねこ流し」などでゆり分け(パンニング)
したり、鉱石を選鉱する作業は、女性の仕事とされてきた。
「ねこ流し」する老婦人が、金塊をくすねる、ことが『ネコババ』の語源だという説も
ある )
アクアマリン(緑柱石)の比重は、2.64、と水晶(石英)の2.65よりやや小さいので
パンニングで採集することは理論的には、極めて難しい。
私がやっている、”荒っぽい”パンニング方法だったら、確実に見逃していたはずである。
鉱 物 名 (英語名) | 化 学 式 | 説 明 | 採 集 標 本 | 備 考 | 金緑石 (Chrysoberyl) | BeAL2O4 |
透過光では緑色、反射光では 赤紫色を示す、六角板状結晶が 双晶をなして、トパーズの中に インクルージョンとして入っている 径:約1mm | アクアマリン (緑柱石) Aquamarine (Beryl) | Be3Al2Si6O18 |
淡緑色〜淡黄色〜透明 丸い長柱状結晶で産出する 縦方向に、条線がある 部分的に緑色が濃く アクアマリーンと呼べるもの 長さ:30mm |
このほか、「苗木石」「フェルグソン石」「モナズ石」などの希元素鉱物は、1mm以下
のものを含めると、1日で数百ケ採集できる。
(2) ”トパーズ勘兵衛”こと、高木勘兵衛が採集した、と伝えられる『金緑石』はどのよ
うなもので、その後どうなったのか、知りたいところである。
そう念じていた矢先、某所で藤浪紫峰著『おにみかげ紀行』を入手した。その中に苗
木の「金緑石」がどのようなもので、どこに保管されていたかが記述されている。
『 福岡村木積澤の砂鉱中より高木勘兵衛翁が只1個採取せられたるものにして現品
は三菱の和田標本中にあり。小なる淡黄緑色透明の六角板状にして径2.5mmに
過ぎず。此の六角板状は交叉三連晶にして・・・・・・(鉱物誌第二版)
筆者(藤浪紫峰)は、若林博士のご厚意により該標本を熟見するの機を得たるが
其の大きさ形状は筆者所蔵石川産のものに比して著しく劣れり 』
これによると、三菱金属(現三菱マテリアル)の和田標本に保管されており、若林
鉱で知られる若林弥一郎博士の仲介で、じっくり見せてもらったが、径2.5
だが、見栄えは、いまひとつであったらしい。
(3) 「おにみかげ紀行」が書かれた昭和8、9年(1933,34年)ごろ、高木 勘兵衛
翁の「金緑石」より立派な標本を所蔵している人となると誰なのか、これも
知りたくなる。
『紫峰』とは、私の故郷、茨城県にある『筑波山』の別名であり、『藤浪』
『富士山+波』 と解釈すると、東京在住の人らしい所までは判った。
その後、千葉の石友・Mさんから、「藤浪紫峰とは、桜井博士のペンネーム
だ」と、教えていただいた。なるほど、納得である。