岐阜県苗木地方の「金緑石」

            岐阜県苗木地方の「金緑石」

1. 初めに

   東京の石友・Mさんと岐阜県飛騨市月ケ瀬の大隅石、天生鉱山の石墨を採集して、別れた後
  私たち夫婦は、翌日の目的地・岐阜県苗木地方を目指して、41号線を南下した。
   気温はグングン上がり、35℃を超え、「道の駅」の売り場の冷房が追いつかない状態で
  早々に冷房が効く車に戻った。まさに、『地獄』であった。
   苗木地方では、HPに掲載した「第2錫鉱記念碑」の調査の後、「紅岩山荘」で長旅の疲れ
  を癒し、翌日のミネラルウオッチングに備えた。

   2005年6月以来、この地域では”パンニング”主体の採集を試み、「苗木石」をはじめとす
  る希元素鉱物や「トパーズ」などを採集していた。
   この日、採集を始めてまもなく、妻が「 軽いけど、これは何かしら? 」と差し出した
  のは、3cmの「アクアマリン(緑柱石)」であった。この地域で、錫石などの重鉱を大規模に
  採掘していた明治初期〜末期、比重の軽い緑柱石は採取できない事から、『 苗木地方には
  緑柱石は産出しない 』 
、とまで考えられていた。
   それからまもなく、妻が「 青いトパーズ 」の頭付き良品を採集した。インクルージョン
  があることは肉眼でも判ったが、そのままになっていた。単身赴任先に持ち帰り、標本の整
  理・写真撮影する段になり、このトパーズのインクルージョンを実体顕微鏡で見て驚いた。
   『 金緑石 』、つまり『 クリソベリル 』 である。苗木地方の金緑石は、明治初期
  ”トパーズ勘兵衛”こと高木 勘兵衛翁が採集して以来、120年以上採集したという話を聞か
  なかった、”大珍品”である。
   一転して、『 地獄 』が 『 極楽 』に変わった、というのが前フリの落ちである。

   高木勘兵衛翁が採取した、「金緑石」のその後について記述した藤浪紫峰著「おにみかげ
  紀行」に巡り会うことができた。藤浪紫峰とは、故桜井欣一博士のペンネームだと教えて
  いただいた千葉の石友・Mさんに厚く御礼申し上げます。
   ( 2006年8月採集 )

2. 産地

   この産地については、私のHPを含め文献などにも詳しく紹介されていますので、割愛し
  ます。

3. 産状と採集方法

   苗木地方では、一昔(10年)前までは、多くの採石場で花崗岩を切り出しており、それに
  伴って、花崗岩ペグマタイトの晶洞から、煙水晶、トパーズをはじめとするペグマタイト鉱
  物を採集できた。
   しかし、多くの採石場が廃業に追い込まれ、数少ない稼行中の場所も部外者の立入りを許
  してくれなくなっており、採集の場所は”ズリ”や”沢筋”などに限られてしまう。
   沢の中では、”フルイ”を使ってトパーズを探す方法が一般的であるが、これだとフルイ
  目より小さい「希元素鉱物」などは採集できない。

    パンニング風景

   2005年6月以来、この地域では”パンニング”主体の採集を試み、比重が5前後ある「苗
  木石」をはじめとする希元素鉱物や比重3.5前後の「トパーズ」などを同時に採集している。
   これら、比重が石英(2.7前後)に近い鉱物がパンニングできれば、「砂金」などは簡単
  にゆり分けられるようになる、というメリットもある。
   また、ゆり分ける作業中、パンニング皿のほとんどの部分は水中にあるため、浮力の影響
  で軽くなり、”非力なな女性(?)でも負担が少なく、丁寧にゆり分ける女性に適した採集
  方法と言える。
  ( 戦国時代〜近代に至るまで、鉱山で金銀を「ねこ流し」などでゆり分け(パンニング)
   したり、鉱石を選鉱する作業は、女性の仕事とされてきた。
    「ねこ流し」する老婦人が、金塊をくすねる、ことが『ネコババ』の語源だという説も
   ある )

   アクアマリン(緑柱石)の比重は、2.64、と水晶(石英)の2.65よりやや小さいので
  パンニングで採集することは理論的には、極めて難しい。
   私がやっている、”荒っぽい”パンニング方法だったら、確実に見逃していたはずである。

4. 産出鉱物

 鉱 物 名
 (英語名)
  化 学 式    説    明 採 集 標 本 備 考
金緑石
(Chrysoberyl)
BeAL2O4  透過光では緑色、反射光では
赤紫色を示す、六角板状結晶が
双晶をなして、トパーズの中に
インクルージョンとして入っている
  径:約1mm
 
アクアマリン
(緑柱石)
Aquamarine
(Beryl)
Be3Al2Si6O18  淡緑色〜淡黄色〜透明
丸い長柱状結晶で産出する
 縦方向に、条線がある
 部分的に緑色が濃く
アクアマリーンと呼べるもの
 長さ:30mm
   

   このほか、「苗木石」「フェルグソン石」「モナズ石」などの希元素鉱物は、1mm以下
  のものを含めると、1日で数百ケ採集できる。

5. おわりに

 (1) 苗木地方の金緑石は、今から120年ほど前、明治初年に、錫鉱の採掘に伴って、ただ
    1ケ採集された、と記録されている。
     それほどの”大珍品”が採集できた(採集したのは妻)ので、今回の採集行は、一転
    して、『 地獄 』が 『 極楽 』に変わった。

 (2) ”トパーズ勘兵衛”こと、高木勘兵衛が採集した、と伝えられる『金緑石』はどのよ
    うなもので、その後どうなったのか、知りたいところである。
     そう念じていた矢先、某所で藤浪紫峰著『おにみかげ紀行』を入手した。その中に苗
    木の「金緑石」がどのようなもので、どこに保管されていたかが記述されている。

     『 福岡村木積澤の砂鉱中より高木勘兵衛翁が只1個採取せられたるものにして現品
      は三菱の和田標本中にあり。小なる淡黄緑色透明の六角板状にして径2.5mmに
      過ぎず。此の六角板状は交叉三連晶にして・・・・・・(鉱物誌第二版)
       筆者(藤浪紫峰)は、若林博士のご厚意により該標本を熟見するの機を得たるが
      其の大きさ形状は筆者所蔵石川産のものに比して著しく劣れり 』

      これによると、三菱金属(現三菱マテリアル)の和田標本に保管されており、若林
     鉱で知られる若林弥一郎博士の仲介で、じっくり見せてもらったが、径2.5
     だが、見栄えは、いまひとつであったらしい。

 (3) 「おにみかげ紀行」が書かれた昭和8、9年(1933,34年)ごろ、高木 勘兵衛
     翁の「金緑石」より立派な標本を所蔵している人となると誰なのか、これも
     知りたくなる。
      『紫峰』とは、私の故郷、茨城県にある『筑波山』の別名であり、『藤浪』
     『富士山+波』 と解釈すると、東京在住の人らしい所までは判った。

      その後、千葉の石友・Mさんから、「藤浪紫峰とは、桜井博士のペンネーム
      だ」と、教えていただいた。なるほど、納得である。

6. 参考文献

 1)藤浪 紫峰:おにみかげ紀行,我等の鉱物,昭和8年〜9年年
 2)長島 乙吉:苗木地方の鉱物,中津川市教育委員会,昭和41年
 3)益富地学会館監修:日本の鉱物,成美堂出版,1994年
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