岐阜県荘川村六厩(むまや)の砂金

       岐阜県荘川村六厩(むまや)の砂金

1. 初めに

   「平瀬鉱山の輝水鉛鉱」の採集が終わり、高山を目指して走ると「六厩(むまや)」の
  集落がある。「東海 鉱物採集ガイドブック」に六厩で砂金が採集できるとあった事を
  思い出し、訪れた。
   2004年の集中豪雨か台風の影響で、産地はガイドブックの記述と大きく変わって
  いたが、短時間のパンニングで10粒あまりの砂金を採集できた。
   パンニング皿には、ジルコンなどの希元素鉱物も他の産地では見られないくらい
  多量に残り、「日本希元素鉱物」に希元素鉱物産地「白川郷」として記載されている
  こともうなずける。
   夏でも冷たい清冽な流れの傍らでパンニングしていると、暑さを忘れることが
  できます。
  (2003年7月採集)

2. 産地

   荘川村六厩の集落から、六厩川に沿って、北に向かう。途中の別荘地を横に見て
  大蓑谷・小蓑谷をこえ、集落から約6km走ると、「桐ケ洞谷」にかかる小さな橋を
  渡る。ここから、下流の「山葵谷」との合流点の間の六厩川が産地である。
   詳細は「東海 鉱物採集ガイドブック」に記載されています。
   今回は、「桐ケ洞谷」と六厩川の合流点で採集した。

3. 産状と採集方法

   「日本鉱産誌」によれば、六厩の北、黄金伝説の帰雲山近くに天生(あもう)金山が
  あった。1925年(昭和元年)〜1945年(昭和20年)の間に、金703kg、銀361kgを産した
  とある。天生金山は、片麻岩中の含金石英脈で特に黄鉄鉱に含金が高かったらしい。
  1940年(昭和15年)に日立鉱山が分析した金鉱石の成分データーが残されているが
  金の含有率は他の鉱山に比べ、ずば抜けて高かった。

鉱山金(g/t)銀(g/t)銅(%)鉄(%)  備考
天生50.0 120.00.0318.18  
中瀬(兵庫)35.01082.00.08 2.37参考1
蓮台寺(静岡) 4.5 400.00.07 1.8参考2

   六厩金山の金鉱石に関するデータは未見であるが、天生鉱山のものに近かった
  と考えられ、高い金の含有率が砂金の源と考えられる。
   「日本希元素鉱物」には、『六厩金山群』との記述があり、小さな坑道が数多くあった
  らしく、産地に至る途中、六厩川の川岸露頭部分に、旧坑跡を見ることができる。

   「鉱物採集ガイドブック」の記述では、「桐ヶ谷洞谷」は基盤岩が露出していて砂金
  採集に好適となっているが、2004年の集中豪雨か台風で上流から大きな岩塊や砂礫が
  流れてきて厚く堆積し、基盤岩は見られず、砂金採集には不適であった。
   そこで、六厩川岸に生えている葦などの植物を引き抜き、根に付いている土砂を
  パンニング皿に受け、川の淀みでパンニングした。

           
           旧坑跡              「桐ヶ洞谷」との合流点
                     砂金産地

4. 産出鉱物

 (1)砂金【Placerv Gold:Au】
     パンニングすると黄鉄鉱とそれが錆びた「武石」が多量に残り、「日本鉱産誌」の
   記述を裏付けている。砂金も一緒に流してしまわないにように、慎重にパンニングすると
   最後に黄金色の砂金が残る。
    砂金は、一般には薄ぺらい”ノ状”のものが多いのだが、六厩のものは”紐状””団塊状”
   を示し、山金に近い形態をとどめており、原産地に近いことがうかがわれる。
  

      砂金(自然金)

 (2)ジルコン【Zircon:ZrSiO4
     金剛(ダイヤモンド)光沢、透明〜褐色〜薄紅色、四角短柱状で両端が錐面の
    結晶で産する。結晶は最大でも1mm程度と小さく、最後までパンニング皿に残った
    砂を実体顕微鏡で覗きながら先端を唾で濡らした楊枝を使い拾い上げます。

      ジルコン

5.おわりに 

 (1)清冽な六厩川の流れは夏でも冷たく、パンニングする手がかじかむほどです。
    「日本希元素鉱物」には、希元素鉱物産地として「白川郷」が記述されており
    ジルコンなどの希元素鉱物が他の産地に比べ多く、モリブデン鉱などに伴って
    放射能鉱物の存在が考えられるようです。

 (2)飛騨國・白川の領主・内ヶ嶋氏理は初代為氏から数えて3代目の帰雲(くもがえり)
    城主であった。氏理の代になって、飛騨國も戦国の動乱に巻き込まれ、天正13年
    (1585年)秀吉の北陸・飛騨侵攻に際し、秀吉の敵・富山の佐々成政に加担した。
     戦に敗れた後、ただ一人領地を安堵されたのは、氏理の鉱山(金山)技術者と
    しての力量を秀吉が認めていたからと思われる。
     天正15年(1585年)11月29日、この地域を襲った世にいう「天正の大地震」で
    居城の帰雲城もろとも崩れ、一族郎党数百人が一瞬にして姿を消した。
     良質の産金に恵まれた内ヶ嶋氏の城内には、現在の貨幣価値で5,000億円の
    黄金を蓄えていたと言われ、この黄金もそのとき埋没した。
     これが、「帰雲城黄金伝説」である。

     国道156号線を五箇山から南に走ると、左手に山頂附近が大きく崩落した山が
    姿を現わす。これが、帰雲山でこの附近から六厩にかけた一帯で金が採掘
    されたものと思われる。

      帰雲山と犠牲者を慰霊する観音像

6.参考文献

1)日本鉱産誌編纂委員会:日本鉱産誌 T−a  金・銀その他
                 東京地学協会,昭和30年
2)長島 乙吉・弘三:日本希元素鉱物,長島乙吉先生祝賀記念事業会,昭和35年
3)名古屋鉱物同好会編:東海 鉱物採集ガイドブック,七賢出版,1996年
4)猪飼 聖紀編集:日本の黄金伝説 −列島に眠る埋蔵金を追って−,
             サンポウジャーナル,昭和53年
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