群馬県桐生市茂倉沢鉱山の二次鉱物









          群馬県桐生市茂倉沢鉱山の二次鉱物

1. 初めに

    ミネラル・ウオッチングを始めた1990年ころ、繰り返し読んだ本の中に、故草下先生の
   「鉱物採集フィールドガイド」があり、今でも時々ページを繰ることがある。
    この本の口絵にカラー写真が載っている「鈴木石」などのバナジウム(V)鉱物が産出す
   る茂倉沢(「もくらさわ」、と思いこんでいたが、「もぐらさわ」が正しい)鉱山でこの標本を採
   集したときの様子が描かれているので引用してみる。

    『・・・・・・初めて茂倉沢を訪れたその日、沢のいちばんとばくちで、いちばん最初に
     叩いた石が、ぱっくり割れ口を見せた瞬間、あーっと大声をあげてしまったのである。
      ピンクのマンガン鉱石の中に、実に鮮やかな緑色の結晶が、2、3本並んでいるでは
     ないか。
      この鈴木石は、今でも私の自慢標本のひとつとなっている。これこそ、鉱物採集の
     だいご味というものだ。                                   』

    古い話で恐縮だが、2008年10月、久しぶりに茂倉沢鉱山を訪れ、「長島石」や「鈴木石」
   を採集したが、母岩が2、3cmと小さいきらいがあった。産地で小割りしながら探したので、
   母岩が小さくなってしまうのだ。

    草下先生の「フィールドガイド」にある上の1節が忘れられず、翌月(2008年11月)もう
   一度訪れた。茂倉沢鉱山を訪れたことがある人はご承知と思うが、坑口からズリの末端
   までは数100mはあるだろうか。
    ”とばくち”とはどこを指しているのか、この本を読む人によって違うだろうが、私がこの
   辺り、と思う場所で握りこぶし大のマンガン鉱石を叩くと、鮮やかな緑色した「鈴木さん」
   が顔を出した。
    この時採集したマンガン鉱物はセットにして、『単身赴任の想い出(Part2)』、として
   晩秋のミネラル・ウオッチングのオークションに出品した。

    あれから2年余りが経ち、千葉県への2度目の単身赴任を始めてから1年近くになった
   2011年1月、「梅田鉱山」の帰りに茂倉沢鉱山に立ち寄ってみた。
    ”採れない”、という情報が広まったせいか、最近人が訪れた形跡は少なく、丹念に探
   すとマンガン鉱特有のまっ黒いズリ石がチラホラと見つかった。
    その1つを叩くと、”若竹色(アップルグリーン)””群青色(ぐんじょういろ)”の二次鉱
   物が目に飛び込んできた。ここで産出が報告されている「孔雀石」と「藍銅鉱」だ。

    目指したバナジウム鉱物で採集できたのは「ロスコー雲母」だけだったが、私にとって
   初めて採集できた銅の二次鉱物は何物にも勝るマイ・コレクションになった。
    いつもながら、『古泉に水涸れず』、を実感した新春のミネラル・ウオッチングだった。
   ( 2011年1月採集 )
   

2. 産地

    あまりにも有名な産地なので詳細は割愛する。2008年ごろ、私が石を叩いていると
   声を掛けてくる同好の士がいたのだが、この時期あまりの寒さのせいか、誰にも出会
   わなかった。

3. 産状と採集方法

   茂倉沢鉱山は、変成層状マンガン鉱床といわれている。マンガン鉱物は、地表の雨
  水や酸素の影響で表面が真っ黒い2酸化マンガンに変化している。
   全体として四角っぽく、しかし角は丸みを帯び、真っ黒い粉を吹いたような外観で、
  手にもって”ズシリ”と重たく感じる塊を探し出す。沢水で洗われたマンガン鉱の表面は
  鉛筆の芯(黒鉛)のように青黒く、擦れた箇所は銀白色である。

   「茂倉沢」沿いに上流に遡りながらズリ石を探して割るのだが、マンガン鉱は、堅くて
  割るのに一苦労する。堅そうな石を台にして割るのだが、台のほうが割れてしまう事も
  たびたびだ。
   ( 簡単に割れるものは、内部まで2酸化マンガン化が進んだもので、良品はない )
   大き目(2kg)のハンマで割って新鮮な面を出し、ルーペで丹念に観察する。

       
               沢                  ズリ石
           【2011年1月】              【直径20cm】
                        茂倉沢

    ここでの採集は、割ってはルーペで確認、割ってはルーペで確認の繰り返しだ。この
   季節、寒い中で長時間これを繰り返すのは、いささか”老体”には堪(こた)える。
    そこで、割ってみて”ピンク色”を含む石はそのまま持ち帰り、自宅(単身赴任先)の
   陽だまりで小割りしてルーペで観察し、”オヤ?”と思う標本を暖房の効いた部屋で、実
   体顕微鏡下でジックリ鑑定するようにしている。

4. 産出鉱物

4.1 銅の二次鉱物
      ここでは、銅の二次鉱物の「孔雀石」そして「藍銅鉱」が採集できる。「鈴木石」に
     勝るとも劣らない希産だと思う。
      加藤先生の「マンガン鉱物読本」に、『層状マンガン鉱床でも・・・Cu2+を含む銅の
     二次鉱物の出現も希』
、とある通りだ。

      「孔雀石」、「藍銅鉱」共に[CO3]を含む炭酸塩鉱物で、炭酸基は「菱マンガン鉱:
     【RHODOCHROSITE:MnCO3】などから、[Cu2+]は、「安四面銅鉱【TETRAHEDRITE:
     (Cu,Fe,Zn)12Sb4S13】や黄銅鉱【CHALCOPYRITE:CuFeS2】などであろう。

         
            安四面銅鉱                  黄銅鉱
          【2007年1月採集品】            【2011年1月採集品】

      「砒四面銅鉱」と「安四面銅鉱」は肉眼での区別は全く不可能で、2007年のHPでは
     「(砒)四面銅鉱」としていたが、「安四面銅鉱」が正解らしい。

  (1) 孔雀石【MALACHITE:Cu2(CO3)(OH)2
       緑色の被膜状で母岩の割れ目に産出する。孔雀石は全国各地の銅鉱山では決
      して珍しくない鉱物だ。
       しかし、茂倉沢鉱山のようなマンガン鉱山でお目にかかることは珍しく、貴重だと
      思い採集した次第だ。

        「孔雀石」

  (2) 藍銅鉱【AZURITE:Cu3(CO32(OH)2
       群青色の被膜状で、「孔雀石」に伴って産出した。色合いがやや明るい青色なの
      で、「青鉛鉱」ではないかと、目を疑(うたぐる)ほどだった。ここでは、鉛鉱物の産
      出の兆候すら見出していないので、銅の二次鉱物「藍銅鉱」だろうと判断した。

        「藍銅鉱」

4.2 マンガン鉱物
     ここは、マンガン鉱山だったので、当然各種のマンガン鉱物が産出するのだが、皆さ
    んのお目当ては「長島石」、「鈴木石」などのバナジウム鉱物で、それ以外は陽の眼を
    浴びることが少ないようなので、ごくありふれた鉱物にスポットを当ててみた。

     マンガン鉱物の成因につて、「マンガン鉱物読本」に、次のようにあるので引用する。

     『 深海底では、マンガンノジュールと称し、主に二酸化マンガンの鉱物からなる団
      塊の沈殿が行われている。バーネス鉱や轟石が主成分のようだ。これが、中生代
      から新生代の堆積岩中に発達する、マンガンの炭酸塩・含水ケイ酸塩・あるいは
      酸化物からなる鉱層のもとになっている。海水中の炭酸基が、海底に沈殿したマン
      ガンノジュールの中の二酸化マンガンのMn2+と選択的に結合し、「菱マンガン鉱」
      が形成されるのは確からしい。
       Mn4+は順次Mn2+に還元され、最終的にはすべてが菱マンガン鉱に置き換えら
      れる。                                               』

       つまり、「マンガンノジュール」が堆積して、多かれ少なかれ変成を受けて、マンガ
      ン鉱物が生成したらしい。賢明な読者の中には、「マンガンノジュールはどのように
      できたのか?」、と”突っ込み”を入れたくなる方もおられると思う。海底火山の噴出
      で流れ出た玄武岩中のMn2+が海水中に溶けだし、海水中のMn2+の濃度が高くな
      るのがスタートで、それ以降はよく解っていないらしい。

       そうなると、「マンガンノジュール」の痕跡を残したマンガン鉱物があっても不思議
      でないと思い始めた矢先、叩いたズリ石に、断面が『目玉』状の団塊が集合した部
      分があった。密かに、「マンガンノジュール」の痕跡と思いこんでいる。

        「マンガンノジュール」の痕跡?

  (1) バラ輝石【RHODNITE:(Mn,Ca)5Si5O15
       柱面が発達した短柱状、底面(一見庇面のように見える)が発達した紅色をした
      ガラス光沢でほとんどの場合、へき開面が見られる。
       マンガン(Mn2+)は、鉄(Fe2+)で置き換わることがあり、量が多くなると橙(だい
      だい)色から煉瓦(れんが)色になる。
       カルシウム(Ca)の多いものは、Fe2+が少なければ色が薄くなるが、その量と色
      の薄さは直接関係しない、らしい。この産地では、”紫色”のばら輝石を見かけるこ
      とがあるが、Mn2+,Fe2+,Caのバランスがそのような色を作り出しているのだろう。

       今回、小さな隙間のあるばら輝石の塊があり、頭(底面?)付きの結晶が採集で
      きた。

        「ばら輝石」

       Caの少ないものは、皆さん大好きな「パイロクスマンガン石」と『同質異像』関係
      にあり、ばら輝石の方はより高温の環境でできるようだ。

  (2) ヨハンセン輝石【JOHANNSENITE:CaMnSi2O6
       淡青灰緑色、ガラス光沢、粒状で産出する。”甘茶”の私にとって、鑑定する際、
      色が最大のよりどころ。茂倉沢のような接触変成層状マンガン鉱床の場合、ケイ
      酸(SiO)に富んだ、ばら輝石や満礬ザクロ石からなる鉱石に含まれるのは、化学
      式を見比べると推理できる。

        「ヨハンセン輝石」

5. おわりに

 (1) 「人生二山(じんせいふたやま)説」
      最近HPの更新が滞(とどこお)っているのを心配(?)した奈良の石友・Yさんから
     次のようなメールをいただいた。

      『 この所、H,P,の更新が無いな?と気付き、如何して居られるのかな?
       いかに頑強を誇るMH氏と云えども矢張り初老の身!もしや採取中に怪我でも
       したのでは?はたまた遂にMH氏のXデイ来る!!!???

        凡人とは妄想し出したらどうも悪い方にばかりに気が行き勝ちになってしまう
       ものです。事実、久々に来る友からの便りに碌な事が無い!
        遂には意を決し先程・・・・・・・・様子をお伺いすると「大変に元気な由、お仕事が
       忙しいらしい」とのお話を聞き一御安心した様な次第です。
        今年は夏に続き大変に冬らしい冬で出かけるには大変な年ですがもう少し暖か
       くなってからでもH,P,の更新をお待ちしています。                   』

      Yさん、御心配痛み入ります。千葉県に単身赴任し、間もなく1年になろうとしていま
     す。この間、政府や官僚の無為・無策とは関係なく、赴任先の会社は業績を伸ばし、
     ”上場”も間近です。
      先週新たなプロジェクトも発足し、そのメンバーとして微力ながら尽力したいとの思い
     を新たにしたところだ。プロジェクトは少なくも2011年秋口までかかりそうなので、もう
     しばらく単身赴任が続きそうだ。

      さて、2010年も惜しい人がたくさん亡くなった。その一人に井上ひさし氏がいる。
     氏を知ったのは、「国語元年」というNHKのテレビドラマで、日本語に対する造詣と
     愛着の深さを知り、すっかりファンになった次第だ。
      氏は、「ひょっこりヒョウタン島」の脚本も手がけていたとも知った。そのころ、私は
     サッカー狂で、日が暮れるまでボールを蹴り、暗くなって学校の寮に戻ると食堂の
     テレビから”ひょっこり、ヒョウタン島〜”の歌が聞こえてきたことを40年以上経っても
     昨日のように鮮明に覚えている。

      不見識かも知れないが、氏が亡くなって愛読者として”ホッ”とした一面があること
     をお許しいただきたい。なぜなら、氏の著作のすべてがここで完結し、氏の評価はこ
     こで決まる、ということです。作家が生きている間、読者としては作家がどのように変
     身し、今までの自分の評価が”ガ〜ン”と打ち砕かれるのではないかと恐れ、反面で
     は期待しているものでしょう。

      そんな背景もあって、氏の著作を片っ端から読み始めて2ケ月余りになった。「藪原
     検校」に始まり、伊能忠敬を描いた「四千万歩の男(1)〜(5)」を読み進んだ。文庫本
     ながら各巻700ページ前後あり、全巻では3,500ページあり、”久々に本を読んだ”とい
     う満足感に浸った。

      この本の1巻の「お読みいただく前に」の中で、井上氏は『人生二山説(じんせい
     ふたやませつ)』を説いているので、それを引用させていただく。

      『 平均寿命がびっくりするほど延びた。現在(1990年ごろ)の定年制は昭和の10
       年代に決められたもので、55歳前後で会社や社会から退き、4、5年の余命をた
       のしみながら自分の一生の決算を行う。退職金や恩給などの相場も、この「4、5
       年の余命」に合せて決められたもののようである。
       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
        現在では、たいていの人が退職後も20年、30年と生きなければなってしまった。
       人生の山が1つから2つにふえた。われわれの大半が「一身にして二生を経る」と
       いう生き方を余儀なくされているのである。
       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

        (伊能忠敬は)、56歳から72歳までの16年間、「2歩で1間(1.8m)の歩幅で日本
       国の沿岸を歩き回り歩き尽くして、実測による日本地図を完成。・・・・・・・・・
        お前(井上氏、読者の私も)も彼の愚直さを学ぶべきだ。・・・・・・・        』

          
              伊能忠敬 最初の1歩
                【東京都深川】

      単身赴任1年近くになり、仕事が忙しく、週に1、2回、”仕事で(ここを強調!!)午前様”になる
     事がある。昔なら2、3日の徹夜も堪(こたえ)なかったが、さすがにこの歳では厳しい
     ものがあるのも事実だ。
      しかし、息子やそれよりも若い人たちと0時過ぎに遅い夕食の”牛丼”を食いながら
     交わす技術論や雑談は疲れを忘れさせてくれる。

      二山の一山目の終わりに差しかかっている私だが、当分この”稼業”は止められ
     そうにない。

6. 参考文献

 1) 日下 英明:鉱物採集フィールドガイド,草思社,1988年
 2) 松原 聰:日本産鉱物種,鉱物情報編,1992年
 3) 加藤 昭:マンガン鉱物読本,関東鉱物同好会編,1998年
 4) 加藤 昭:二次鉱物読本,関東鉱物同好会編,2000年
 5) 松原 聡・宮脇 律郎:日本産鉱物型録,東海大学出版会,2006年
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