茂木鉱山の輝安鉱

茂木鉱山の輝安鉱

1.初めに

日本を代表する鉱物の1つとして、「市ノ川の輝安鉱」がある。なぜか
輝安鉱には特別な思い入れがあり、2年ほど前に、市ノ川の輝安鉱の
里帰り品を「ミネラルショー」で購入したくらいです。

市ノ川の輝安鉱【長さ17cm】
そんな矢先、1947年に、GHQ(General HeadQuaters:占領軍総司令部)の
Natural Resources Section が発行した、”ANTIMONY RESOURCES of JAPAN"を
入手した。
これには、1925年から45年にかけて稼働した輝安鉱鉱山一つひとつについて、
位置・歴史と所有者・地質と採鉱法・産出量と原価そして備蓄量などが
まとめてある。
関東地方では、茨城県の袋田(日永)鉱山と栃木県の茂木(日産)鉱山が
掲載してある。

日本の輝安鉱鉱山

関東の輝安鉱鉱山
「日本鉱物誌」によれば、茂木鉱山は、日産鉱山とも呼ばれ、終戦前後に
稼働した鉱山のようです。
ここは、私の単身赴任先からも近く、2回ほど茂木鉱山を訪れ、輝安鉱を
採集しましたので、紹介する。
(平成13年1月採集)

2.産地

茨城県七会村から栃木県茂木町を結ぶ51号線を進むと、下鮎田の集落が
あり、そこを日産ディーゼルの試験場に向かって左折する。約2km進むと、
左に鮎田川を渡るコンクリート製の小さな橋があり、これを渡る。
民家の裏を通り、約1km進むと、左手に小さな石塔がある。ここに駐車し、
左手の林の中に山道をたどると、約300mで、ズリ石が散乱する場所にでる。
この周辺には、縦坑の陥没した跡や、坑道のつぶれたのなどが見られる。
1つだけ、坑道が残っており、約15mの深さである。

日産鉱山の坑道
山仕事をしていた地元の人の話では、「戦時中にアンチモン(輝安鉱)を掘った」
とのことで、”ANTIMONY RESOURCES of JAPAN"の記述と一致します。
また、あちこちで探査したようですが、限られた範囲でのみ輝安鉱がとれた
とのこと。鉱石は、カマスに積めて、馬車で駅まで運んだと子供の頃の思い出を
語ってくれました。

3.産状と採集方法

「日本鉱産誌」によれば、古生代砂岩・粘板岩中の石英脈は胚胎する、レンズ状
の輝安鉱集合体である。
坑道の前のズリ石の中から、皮膜状の輝安鉱が採集でき、坑道内では、いまはやりの
バイオマットが採集できます。

4.産出鉱物

(1)輝安鉱【Stibnite:Sb2S3】
真っ黒い金属光沢をもつ皮膜状で産出する。

5.おわりに 

この付近には、幾つかの試掘坑と思われる個所があり、この坑道に行く
手前の田んぼの反対側にも陥没した坑道跡があり、ズリ石が散乱しています。

日産鉱山試掘坑【山が凹んだ部分】
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