三石勝五郎著 『百助生誕百年 詩伝・保科五無斎』-1-

  三石勝五郎著 『百助生誕百年 詩伝・保科五無斎』-1-

1. 初めに

   2005年の冬は例年になく厳しく、山梨県の私が住む地域は雪こそ降らないが寒い
  日が続き、フィールドでのミネラルウオッチングは難しいと悟り、折をみながら古書店や
  骨董市を覗いている。
   昭和42年(1967年)、五無斎こと保科百助生誕百年にあたり三石勝五郎氏が
  五無斎の想い出を詩歌に綴った「詩伝・保科五無斎」という本があるのが眼に止まり
  早速購入した。
   その中にあった、『鎌形水晶』については、HPに記載したとおりである。この本には
  今まで知られていなかった五無斎のエピソードを三石 勝五郎氏が詩に書き残して
  いるので、「鉱物」や「採集」に関連するものを抜き出してみた。
   千葉県の石友・Mさんからご指摘いただいた、「寝覚の床の九曜紋」「空襲で石の華と
  散った大豆島小学校の五無斎標本」などはその例である。
   三石氏は、五無斎を知る友人、古老の口覚えを聞き、書き残した短冊などを探し出し
  「保科五無斎狂歌全集」として361首をこの本の後半にまとめている。「五無斎保科百助
  全集」に載せられたものが239首であるから、未公開のものが122首あることになり
  これらも読み進んだらまとめてみたいと考えている。
  ( 2006年1月調査 )

2. 『百助生誕百年 詩伝・保科五無斎』

 2.1 三石勝五郎氏の略歴
     著者・三石勝五郎氏の略歴を簡単に記す。
     
明治21年(1888年)   11月25日
               南佐久郡臼田町に生まれる。
明治39年(1906年)   8月、野澤中学5年生のとき
              長野市にあった「保科塾」に学ぶ。
大正 2年(1913年)   早稲田大学英文学科卒業
大正 4年(1915年)   韓国釜山日報記者となる。
大正14年(1925年)   東京で易占業を始める。
昭和20年(1945年)   戦災で郷里で帰農
昭和51年(1976年)   8月19日逝去


 2.2 『詩伝・保科五無斎』

  (1) 目次
       この本の目次から、この本の概要を理解していただけると思う。早稲田大学
      英文科2年後輩の西条 八十が序を書き、高麗人参酒造株式会社の金井氏が
      発刊のことばを述べるなど、三石氏の交際の広さを物語っている。
       ここでは、”青字”で示した、部分について内容をお知らせしたい。その他の
      部分については、稿を改めたいと思っている。

     序・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・西条 八十
     発刊のことば・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・金井 秀雄
     保科五無斎生誕百年に当たりて
     保科五無斎の足跡
     五無斎こぼれ話
     詩伝・保科五無斎(224篇)
     保科五無斎狂歌全集
     よいかヽをほしな百首け
     保科五無斎筆売日記を読む
     鹿教湯の長歌他三篇
     五無斎保科百助碑文
     保科百助略年譜
     跋として

  (2) 序
       作詞家として、多くの歌を残している西条 八十氏が「序」の中で五無斎と三石氏に
      ついて、次のように書き残している。これから、三石氏の素顔や直接知らなかった
      五無斎についての率直な印象が伝わってくる。

      『 信濃の奇人保科五無斎の話を三石勝五郎聞いたのは、もう40年余年前
       (大正末か、昭和の初め)になる。このたび三石君が、その生涯を詠った
       詩集一巻を世に贈るという。君がいかに五無斎のひととなりに深い興味を
       持ち、その作品を敬愛しているかがわかる。
        三石君は少年時、親しく五無斎に接した経験を持つ。・・・・・・君の性格が
       詩風が、五無斎に似ているのである。
        君は人間の生活よりも自然を熱愛し、その中に解け込むことを愛する。・・・
       放浪の旅に出で、山を愛し、海を愛し、ついに「散華楽(さんげらく)」や「火山灰」
       のような名詩集を大正の世に贈った。ぼくは若い日、君に導かれて浅間山の
       頂上を極めたが、あの山顛(さんてん)での君の法悦に似たる眸(まなざし)を
       忘れることができない。
       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
        三石君は表面非常に穏やかな人であるが、浮世の虚偽、諂諛(へつらい)
       陋習(ろうしゅう)を悉く憎み、そのため文筆を捨てて筮竹(ぜいちく)をとり
       山間に隠れた。五無斎が人無き深山を跋渉して、価もなき鉱石を宝玉の
       ごとく聚集(しゅうしゅう)し来った心理を、眼前に髣髴する。いま、三石君が
       五無斎を詩として詠う。このくらい適材適所の仕事をほかに知らぬ。
        五無斎そのひとの狂歌は、正直に言って表現には稚拙なところがあるが
       その中にこもる正義を愛し真実を愛する感動は、裂帛(れっぱく)のごとき
       響きをもって読む者に迫る。
        この遺賢のおもかげは、三石君の詩によって一層光彩を増して、ひろく
       永く世に伝えられるであろう。
                                (昭和42年夏 軽井沢にて)  』

  (3) 発刊のことば

      『 ・・・・・・・・・・・・・・・翁は、風格のある巨躯に和服姿で、下駄をはき、快心の
       原稿を紺の風呂敷に包み、大切そうに背負いながら、飄然と現われ、酒を
       たしなみ、話は深夜に及ぶが、それからいろいろ発展して、佐久の奇人
       保科五無斎のことで、おわるのが常である。それほど恩師五無斎の熱烈な
       敬愛者である。
        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
        その後、会社(高麗人参酒造梶jでは80歳とは思えぬ、童顔にも似た
       翁の顔をコマーシャルに拝借することになり、・・・・・・翁が五無斎の研究を
       熱心に続けていることを知り、その詩伝の刊行に協力することになった
       のである。
        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 』

  (4) 保科五無斎生誕百年に当たりて
      昭和42年6月7日、保科五無斎、保科百助五無斎生誕百年を記念する式典が
     北佐久郡立科町の津金寺で開かれ、三石氏は、次のように五無斎に話しかけて
     いる。

      『 ああ、わが懐かしい五無斎先生よ。あなたは明治元年生れで百歳までも
       生きよと命名された甲斐も無く、わずか44歳で他界いたされました。・・・・・
       ・・・・ここに列席の皆様は、何れも因縁深くあなたを敬慕する人たちであり
       ます。さて、先生は短命とはいえ、信濃教育界に遺された足跡ははもち論
       その山河を跋渉して採集した鉱石は、今日も県下の各学校の標本室に
       保管されて、研究者のために光りを放っております。・・・・・・・・・・・・・・ 』

  (5) 跋として
      この本の巻末の「跋として」の中で、本書の特徴を自ら次のように述べている。

      『 保科五無斎の伝記は、かつて諏訪出身の教育家・伊藤長七氏その他に
       よって企てられたが、果たされなかった。横山健堂市は、黒頭巾のペンネームで
       「新人国記」の中に、五無斎の人物を断片的の筆法で記している。
        その後、「人間保科五無斎」著の荒木茂平氏や「師範出身の異彩なる人物」
       著の小泉陸太郎君等の熱心なる信奉者も出ている。また、信濃毎日新聞社
       発行の「信州の人脈」中にも、五無斎が仲間入りして、奇人の名にそむかない
       経歴がある。・・・・・・・・・・・・・・・・・
        さて、「詩伝・保科五無斎」は、本書の本領である。散文と違って詩には詩の
       生命がある。それを表現するには、いつも溌剌たる若さが必要である。・・・・・
        「保科五無斎の足跡」は、彼の生涯の縮図である。・・・・「五無斎こぼれ話」の
       如きも、詩と違った分野において、飾りない人物の一端がうかがわれる。
       その後に加えた「保科五無斎狂歌集」は、別冊として刊行しても十分価値の
       あるものと信ずる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   』

3. 224篇の詩の中から

   「詩伝・保科五無斎」の中に収められた224篇の詩の中から「鉱物」や「採集」に関連
  するものを抜き出してみた。これらの中には、「跋として」にでてきた先人の書にも載って
  いない、今まで知られていなかった五無斎のエピソードも数多く含まれている。
   出来る限り、私なりにセレクトしてお伝えしようとしたが、どの1篇にも五無斎の面影が
  宿り割愛できず、膨大なデータ量になってしまったので、別ページで紹介する。

    ・「詩伝・保科五無斎−2−」 鉱物開眼〜長野県下鉱物標本採集旅行
    ・「詩伝・保科五無斎−3−」 鉱物標本採集旅行を終えて〜終焉

4. おわりに

 (1) 五無斎を目近に知る人の詩だけに、巧拙は別として、読む者に訴える力を持っています。

 (2) 千葉県の石友・Mさんからご指摘いただいた、「寝覚の床の九曜紋」「空襲で石の華と
    散った大豆島小学校の五無斎標本」など、暖かくなったら、五無斎縁の地や標本を
    訪ねてみたいと考えている。

5. 参考文献

 1)三石 勝五郎:百助生誕百年 詩伝・保科五無斎,高麗人参酒造株式会社,昭和42年
 2)佐久教育会編:五無斎 保科百助評伝,同会,昭和44年
 3)佐久教育会編:五無斎 保科百助全集 全,同会,昭和39年
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