(1) 目次
この本の目次から、この本の概要を理解していただけると思う。早稲田大学
英文科2年後輩の西条 八十が序を書き、高麗人参酒造株式会社の金井氏が
発刊のことばを述べるなど、三石氏の交際の広さを物語っている。
ここでは、”青字”で示した、部分について内容をお知らせしたい。その他の
部分については、稿を改めたいと思っている。
序・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・西条 八十
発刊のことば・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・金井 秀雄
保科五無斎生誕百年に当たりて
保科五無斎の足跡
五無斎こぼれ話
詩伝・保科五無斎(224篇)
保科五無斎狂歌全集
よいかヽをほしな百首け
保科五無斎筆売日記を読む
鹿教湯の長歌他三篇
五無斎保科百助碑文
保科百助略年譜
跋として
(2) 序
作詞家として、多くの歌を残している西条 八十氏が「序」の中で五無斎と三石氏に
ついて、次のように書き残している。これから、三石氏の素顔や直接知らなかった
五無斎についての率直な印象が伝わってくる。
『 信濃の奇人保科五無斎の話を三石勝五郎聞いたのは、もう40年余年前
(大正末か、昭和の初め)になる。このたび三石君が、その生涯を詠った
詩集一巻を世に贈るという。君がいかに五無斎のひととなりに深い興味を
持ち、その作品を敬愛しているかがわかる。
三石君は少年時、親しく五無斎に接した経験を持つ。・・・・・・君の性格が
詩風が、五無斎に似ているのである。
君は人間の生活よりも自然を熱愛し、その中に解け込むことを愛する。・・・
放浪の旅に出で、山を愛し、海を愛し、ついに「散華楽(さんげらく)」や「火山灰」
のような名詩集を大正の世に贈った。ぼくは若い日、君に導かれて浅間山の
頂上を極めたが、あの山顛(さんてん)での君の法悦に似たる眸(まなざし)を
忘れることができない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
三石君は表面非常に穏やかな人であるが、浮世の虚偽、諂諛(へつらい)
陋習(ろうしゅう)を悉く憎み、そのため文筆を捨てて筮竹(ぜいちく)をとり
山間に隠れた。五無斎が人無き深山を跋渉して、価もなき鉱石を宝玉の
ごとく聚集(しゅうしゅう)し来った心理を、眼前に髣髴する。いま、三石君が
五無斎を詩として詠う。このくらい適材適所の仕事をほかに知らぬ。
五無斎そのひとの狂歌は、正直に言って表現には稚拙なところがあるが
その中にこもる正義を愛し真実を愛する感動は、裂帛(れっぱく)のごとき
響きをもって読む者に迫る。
この遺賢のおもかげは、三石君の詩によって一層光彩を増して、ひろく
永く世に伝えられるであろう。
(昭和42年夏 軽井沢にて) 』
(3) 発刊のことば
『 ・・・・・・・・・・・・・・・翁は、風格のある巨躯に和服姿で、下駄をはき、快心の
原稿を紺の風呂敷に包み、大切そうに背負いながら、飄然と現われ、酒を
たしなみ、話は深夜に及ぶが、それからいろいろ発展して、佐久の奇人
保科五無斎のことで、おわるのが常である。それほど恩師五無斎の熱烈な
敬愛者である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その後、会社(高麗人参酒造梶jでは80歳とは思えぬ、童顔にも似た
翁の顔をコマーシャルに拝借することになり、・・・・・・翁が五無斎の研究を
熱心に続けていることを知り、その詩伝の刊行に協力することになった
のである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 』
(4) 保科五無斎生誕百年に当たりて
昭和42年6月7日、保科五無斎、保科百助五無斎生誕百年を記念する式典が
北佐久郡立科町の津金寺で開かれ、三石氏は、次のように五無斎に話しかけて
いる。
『 ああ、わが懐かしい五無斎先生よ。あなたは明治元年生れで百歳までも
生きよと命名された甲斐も無く、わずか44歳で他界いたされました。・・・・・
・・・・ここに列席の皆様は、何れも因縁深くあなたを敬慕する人たちであり
ます。さて、先生は短命とはいえ、信濃教育界に遺された足跡ははもち論
その山河を跋渉して採集した鉱石は、今日も県下の各学校の標本室に
保管されて、研究者のために光りを放っております。・・・・・・・・・・・・・・ 』
(5) 跋として
この本の巻末の「跋として」の中で、本書の特徴を自ら次のように述べている。
『 保科五無斎の伝記は、かつて諏訪出身の教育家・伊藤長七氏その他に
よって企てられたが、果たされなかった。横山健堂市は、黒頭巾のペンネームで
「新人国記」の中に、五無斎の人物を断片的の筆法で記している。
その後、「人間保科五無斎」著の荒木茂平氏や「師範出身の異彩なる人物」
著の小泉陸太郎君等の熱心なる信奉者も出ている。また、信濃毎日新聞社
発行の「信州の人脈」中にも、五無斎が仲間入りして、奇人の名にそむかない
経歴がある。・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、「詩伝・保科五無斎」は、本書の本領である。散文と違って詩には詩の
生命がある。それを表現するには、いつも溌剌たる若さが必要である。・・・・・
「保科五無斎の足跡」は、彼の生涯の縮図である。・・・・「五無斎こぼれ話」の
如きも、詩と違った分野において、飾りない人物の一端がうかがわれる。
その後に加えた「保科五無斎狂歌集」は、別冊として刊行しても十分価値の
あるものと信ずる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 』
(2) 千葉県の石友・Mさんからご指摘いただいた、「寝覚の床の九曜紋」「空襲で石の華と
4. おわりに
(1) 五無斎を目近に知る人の詩だけに、巧拙は別として、読む者に訴える力を持っています。
散った大豆島小学校の五無斎標本」など、暖かくなったら、五無斎縁の地や標本を
訪ねてみたいと考えている。
5. 参考文献
1)三石 勝五郎:百助生誕百年 詩伝・保科五無斎,高麗人参酒造株式会社,昭和42年
2)佐久教育会編:五無斎 保科百助評伝,同会,昭和44年
3)佐久教育会編:五無斎 保科百助全集 全,同会,昭和39年