山梨県山梨市の水晶

1. 初めに

   2006年、私が所属する「鉱物同志会」が、創立20周年を迎え、その記念企画として
  復刻した「復刻版創刊号」が送られてきた。この会が1986年に発足し、翌1987年に
  発行された会誌「水晶」の創刊号は、古い会員でも持っていない人が多く、その復刻
  をしようということになったらしい。
   私が入会したのは、たしか1989年(昭和64年=平成元年)で、この創刊号と2号は
  持っていなかった。
   送られてきた復刻版には、会誌の記録として、号別に表紙の写真と目次が記載されて
  いる。これを読むと、私の寄稿歴は、次の通りである。

発行年月日 発 表 題 目備  考
第6号1992年12月  ・ 和田峠のザクロ石
 ・ 山梨の鉱物 ― 塩山市竹森 ―
 
第11号1998年3月25日  ・ 山梨県の水晶水晶特集号

   山梨県内の鉱物、とりわけ水晶を中心に寄稿したことがわかる。「山梨県の水晶」
  では、天平時代(8世紀)から山梨県産の水晶が終焉を迎える大正期(1920年頃)ま
  での、県内水晶産地の興亡も紹介させていただいた。
 

   2006年5月、同じ山梨県内に住む、私のHPの愛読者のNさんから初めてメールをい
  ただいた。Nさんは、山歩きをしながら、動植鉱物など、山梨の自然を満喫されている
  とのことで、お住まいの近くでも「水晶」が採れる、と教えてくれた。その産地は、古い
  文献にもなく、今まで知られていない産地だったので、訪れてみたいと伝えると、案内
  していただけることになった。
   この産地の水晶は、最大でも長さ2cmであるが、インクルージョンとして「緑簾石」が
  入り、透明感の強いのが特徴である。また、「緑柱石」を思わせる産状の鉱物も共生
  することある。
   ここが水晶を採掘した場所なのか、まだ確認できていないが、近くには水晶産地と
  して、文化11年(1818年)に完成した、「甲斐国史」に名前が載っている集落もあり
  引き続き探査してみたいと考えている。
   案内していただいたNさんに、厚く御礼申し上げます。
   ( 2006年5月 採集 )

2. 産地

   ここは、小さな産地ですので、産地保護の観点から詳細は割愛させていただきます。

3. 産状と採集方法

   この付近には、花崗岩の巨岩や露頭が点在している。産状は、花崗岩中の最大幅
  約10cmの石英脈の中に胚胎する「石英脈型」で、甲府市黒平に代表される「晶洞型」
  ではない。
   水晶は、花崗岩が風化して真砂となった際に散乱したものが、赤土の山肌に点々と
  落ちていたり、花崗岩の転石や露頭の石英脈の中に見つけることができる。
   水晶が生えた空洞が褐鉄鉱で覆われたものも見られる。これらのことから、この産
  地の成り立ちを、次のように推測している。

   @ 自然崩壊説
       水晶を含む花崗岩が、自然に風化、崩壊して、水晶が山肌に散らばった。
   A 石材採掘説
       石材として、花崗岩を切り出した。石材にならない石英脈部分は捨てられた。
   B 鉱物採掘説
       褐鉄鉱やそれに伴う金などを採掘し、不要な水晶は捨てられた。なお、採集
      できる水晶は最大でも2cmであり、水晶を目的に採掘したとは、考えにくい。

      産地

4. 採集鉱物

 (1) 水晶【Rock Crystal:SiO2
     ここの水晶の80%以上には、「ススキ入り」などインクルージョンが入ったもの
    が見られる。ススキの正体は、甲州市(旧塩山市)竹森からさほど離れていない
    ことから、「電気石」ではないか、と思ったが、水晶表面に共生する青草色の結晶
    を見て、ススキの正体は、「緑簾石」と判明した。
     ごく稀に、群晶が見られることがある。

           
           単晶               群晶
                ススキ入り水晶

 (2) 緑簾石【Epidote:Ca2Fe3+Al2(SiO4)(Si2O7)O(OH)】
      黄色〜黄緑色、ガラス光沢の針状〜細い円柱状結晶が集合体で産出する。
     緑簾石は、水晶の中に取り込まれたものもあり、「ススキ入り」をなす元になって
     いる。

           
           針状結晶               円柱状結晶
                      緑簾石

 (3) 針鉄鉱【Geothite:FeO(OH)】
      俗に”褐鉄鉱”と呼ばれ、水晶を含む空隙や花崗岩の表面を茶褐色〜黒褐色
     の皮膜や土状集合で覆っている。
      「鉄鉱石」として、稼行するほどの量が産出したとは、考えられない。

      針鉄鉱【水晶晶洞を覆う】

5. おわりに 

 (1) 「水晶宝飾史」によれば、文化11年(1818年)に完成した、「甲斐国史」に水晶産地
    として名前が載っているのは、次のような箇所である。

 産 地 名現在の行政区分備  考
金峰(山)・瀑布水晶嶺甲府市  瀑布が1つの産地なのか
瀑布水晶嶺が1つの
地名なのかは
不明
金峰(山)・東山玉小屋甲府市  金桜神社に奉納されて
いる水晶玉の
加工場所に関連?
田野入り・天目山甲州市(旧大和村)  武田家終焉の地
石水寺・金子峠甲府市  石水寺(せきすいじ)とは
現在の積翠寺で
金子峠の名も現存
栗原筋・石森丘熊野権現の社地山梨市 
泉水渓甲州市(旧塩山市)  「黒川金山」があった
泉水谷?
玉森村玉宮の社地甲州市(旧塩山市)玉森  小倉山のことで、
地元では「水晶山」と
呼ばれている
現在、採集禁止
牛奥通い明神の社地甲州市(旧塩山市・奥野田村) 
河浦村雷平山梨市(旧三富村) 
逸見筋・淺川村多麻の荘北杜市(旧高根町) 津金山の続き
(逸見筋・淺川村)須玉川北杜市 旧須玉町?
甘利の荘苗敷山韮崎市 
流れ川上流北杜市(旧白州町) 

     今回、Nさんに案内していただいた場所は、「雷平」からさほど遠くない場所で
    ある。ここが「雷平」なのか、別に産地があるのか、今後の課題である。

 (2) 今回Nさんに案内していただいた産地は、古い文献にもない、新産地である。
    「甲斐鉱物誌」に新たな1ページを加えられそうである。案内していただいた
    Nさんに、改めて御礼申し上げます。

6. 参考文献
 

 1)甲府商工会議所編:水晶宝飾史,同所,1968年
 2)松原 聡:日本の鉱物,株式会社学習研究社,2003年
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