三重県ミネラルウオッチングの旅 ― ダイジェスト版 ―

         三重県ミネラルウオッチングの旅
             ― ダイジェスト版 ―

1. 初めに

   私が鉱物採集で訪れたことがない府県がいくつかある。その1つが三重県である。
  2005年3月に開催した「2005年春休み鉱物採集の旅」の「標本玉手箱」に、愛知県の
  K夫妻が「石槫の蛍石(紫・緑)」を提供してくれたのをいくつか頂き、いつか産地を
  訪れてみたいと念じていた。
   その後、K夫妻は『ヘナチョコK探検隊』を自称しながら、実家のある北海道から
  地元に近い三重県などの産地を精力的に回っていた。2005年も押し迫ったころ
  三重県の某産地で「天河石」らしきものを採集したが、本物を見たことが無い夫婦
  間で論争になっている、との緊急メールをいただいた。
   「妻曰く、『違うよ〜。そんなの簡単に採れないんでしょ〜!』・・・、と “ルビー
  シルバー論争” の続編の始まりです。・・・」。 このメールを追っかけるように
  鑑定用にと、一塊が届いた。
   その標本は、塊状ながら、青緑色で一目見てわかる「アマゾナイト(天河石)」で
  長野県田立(ただち)産に劣らぬ、立派なものであった。ますます三重県を訪れて
  みたくなったが、例年より早い冬の訪れで、春までお預けとなった。
   雪解けを待ち、4月1日〜2日、K夫妻に案内していただき、「石槫の蛍石」「宮妻の
  ガドリン石とトパーズ」「福田鉱山の褐簾石」そして「桂畑の石墨」などを採集する
  ことができ、初めての訪問にしては上々の成果に、妻共々大満足である。
   通行止めで訪れることができなかった「アマゾナイト」産地は、次回のお楽しみ
  である。案内していただいた、K夫妻に厚く御礼を申し上げます。
  ( 2006年4月採集 )

2. 【第1日目:ガドリン石を求めて】

 (1)「桑名IC」に集合
     今回の採集旅行の起点は、三重県の入口、「桑名IC」であった。われわれ夫婦は
    前々日に自宅を出て、下道をトコトコ走りながら、博物館や鉱物・化石産地に寄り
    道しながら集合場所を目指した。集合時間の1時間前に行くと、間もなくK夫妻も
    到着。名古屋郊外から、1時間足らず、とのこと。
     挨拶もソコソコに、「石槫の蛍石鉱山跡」を目指して、出発!!

 (2) 「あった!! 握りこぶし大の蛍石」
     大安町宇賀渓谷に近づくと、山々には残雪が見られ、山梨より雪が多いのは
    予想外であった。蛍石鉱山跡に通じる登山道には、数日前に降った雪が残り
    誰も通っていない、新雪を踏みしめながら気分良く登って行く。やがて、前方に
    採集ガイドブックの写真で見慣れた坑道が見えてくる。
     ここは、花崗岩の中に蛍石が脈状に入っている。坑道がいくつか残り、明治
    20年代(1890年頃)から大正中ごろ(1910年頃)まで採掘されたらしい。

           
          産地にて                  蛍石
                   石槫の蛍石鉱山跡

       あたり一面に10cm近い積雪があり、真っ白で、どこを探せばよいか迷って
    いると、Kさんが、「このあたり」、とポイントを教えてくれた。そこの雪をかき分けて
    みると、蛍石の小さなカケラがいくつも出てくる。透明感があり、緑が多く、紫は
    少ないようだ。
     やがて、あった!! 握りこぶし大の蛍石が出てきた。おまけに緑と紫がモザ
    イクになった良標本である。
     ここでは、産地、産状の確認ができれば十分、と思っていたのに、予想外の
    良品も得られたので、早々に撤収する事にした。

 (3) 念願の「ガドリン石」産地
      今回の採集行で一番訪れてみたかったのが、「宮妻峡のガドリン石」産地で
     ある。鉱物採集を初めて間もない平成2、3年(1990年)頃、「宮妻峡のガドリン石」
     の情報を得て訪れて見たいとは思ったが、 @遠い A危険なところ のイメージ
     があって腰が上がらなかった。
      平成13年(2001年)の鉱物同志会新年会のオークションで、ここのガドリン石を
     落札したものの、内心、忸怩(じくじ)たるものがあった。
      『ヘナチョコK探検隊』 の何次かにわたる「石槫・宮妻調査」で産地の様子が
     明らかになっていた。最近、砂防ダムが整備されたこともあって、Kさんの奥さん
     でも到達でき、採集したというガドリン石を見せていただいた。
      それでも、「マメドチ谷」を遡っていくと、気温が上がって緩んだ岩が、音を立てて
     急斜面を雪崩落ちる様子は、スリル満点で、依然として危険な場所には変わり
     ないようだ。
      同じガドリン石産地の「山梨県竹日向」での経験から、念のため持参したパン
     ニング皿で土砂をヨナゲすると、最大数mmのガドリン石分離結晶片がトパーズに
     混じって何個も残る。
      これで露頭の当たりをつけ、Kさんの奥さんが採集したサンプルを見て産状を
     飲み込むと、母岩付きも次々に見つかる。
      ただ、竹日向の産状と少し違うようだ。

           
          産地にて                  ガドリン石
                   宮妻峡マメドチ谷

      母岩付き、分離結晶を採集でき、”ホッ”とすると、途端に空腹を覚えてきた。
     Kさんが持参した携帯コンロでお湯を沸かし作ってくれたインスタント味噌汁を
     いただきながら、オニギリを食べ、下山した。

 (4) 「水晶山のトパーズ」
      宮妻峡の奥「水晶山」で、トパーズが採れるとのことで、案内していただいた。
     今も残る坑口から広がるズリを横切るような形で林道が走っている。私たちが
     着くと、既に数人がズリの思い思いの場所を掘り込んでいる。先にいた人たちが
     立ち去るのを、まるで見計らったかのように、次のグループが訪れる。名古屋
     から1時間前後という便利な場所だということが改めて判る。

      トパーズ産地

      私は、ズリの最先端に取り付き、土砂を土嚢袋にいれ、100mほど下の川岸
     まで運び、パンニングすることにした。
      川岸に行くと、先に来た人が、フルイがけとパンニングをやっているではないか。
     よくよく顔を見ると、愛知県の石友・Sさんであった。いつもは、家族で行動する
     Sさん一家だが、この日はSさんだけで来たとのこと。
      パンニング皿の底には、多いときには数個のトパーズが残るが、岐阜県苗木
     地方のトパーズを見慣れた私には、”変わったトパーズ”というのが、第一印象
     であった。パンニングだから選別できるが、ズリでは、石英塊と見間違えそうで
     ある。それでも、結晶面には水晶にはない独特の輝きがあり、蝕像で微細な
     凹みが見られ、やっぱり、”本物のトパーズ”だと納得した。
      ここは、「水晶山」あるいは「水晶坑」と呼ばれながら、六角柱状頭付きの水晶が
     極めて珍しい、という不思議な産地との印象をうけた。

      トパーズ

      トパーズは、数は出るのだが、”ハッキリ”と頭や結晶面の見えるものは少ない。
     希元素鉱物として、「フェルグソン石」が少量採集できた。標本としては、満足
     できるものが採集できたので、第1日目の採集は、これで終了することにした。

 (5) 「関ロッジ」の夜は更けて
      Kさんの奥さんがその夜の宿として予約してくれたのは、2日目の産地に便利な
     関IC近くの国民宿舎・関ロッジであった。タップリとした湯量の温泉風、その名も
     「ミネラル風呂」に浸かって汗を流した後、夕食となる。
      生ビールで乾杯すると、この日一日の疲れが吹き飛ぶ。

      乾杯!!

      地元の山海の食材を生かした料理に舌つづみを打つ。夕食後は、部屋での
     ”鉱物談義”に花が咲き、2日目の作戦会議の後、お開きとなった。

3. 【第2日目:褐簾石を求めて】

    2日目は、私の希望で、「美杉」「福田山」「奥鹿野(おくがの)」「川北」そして「桂畑」
   などの希元素鉱物産地を回っていただく予定であった。しかし朝起きると、シトシトと
   小雨が降り、勝手の判らない多くの産地を回るのは無理と判断し、まず「福田山の
   褐簾石」を狙うことにした。

 (1) 「福田山の褐簾石」
      福田山の集落で居合わせた年配の方に、鉱山跡を聞くと、すぐに場所を教えて
     くれた。その方は、採集できる鉱物を「黒い水晶」と呼んでいた。雨は、本降りの
     様相になり、産地に着いた頃には、雷鳴を伴い、あたりは薄暗くなっていた。ズリに
     到着すると、既に先客が1人いる。三重県のTさんで、私が山梨県から来たと話すと
     私の名前を知っているではないか。私は忘れていたが、以前山梨県内の産地情報を
     差し上げた人であった。
      心強い味方の出現に幸運を感じ、ポイントを教えてもらう。褐簾石は、「1日やって
     一つ採れれば良いほう」 と聞き、俄然ファイトが沸く。
      Kさんの奥さんは、ズリで”立派な鉄礬ザクロ石”を採集し、「こんな大きいザクロ
     石は初めて」とご満悦であった。今は、”アクアマリン”に御執心、と言っていたが
     『ガーネットの女王』 に変身しそうであった。
      やがて、Kさんが、「褐簾石があった」と採集品を見せてくれた。1cm余りの柱状
     結晶で、特有の縦の条線があり、間違いない。
      私も、母岩付きを1つ採集したが薄皮が一枚むけたようで、縦の条線が薄っすら
     としか残っていない。それでも良しとする。

      褐簾石

      間もなく、Kさんが、「また、ありました」と持参したのは前のものより、一段と立派な
     標本であった。「一つ採れれば良いほう」と言うのに、2つも採るとは・・・・×?♯♭
      お昼近くまで粘っていたのに気付き、Tさんに別れを告げながら「奥鹿野」の
     情報を尋ねると、パソコンで作成した立派な「産地情報」を車から出してきてくれた。
      片道小一時間の歩きがある、と聞き、この悪天候で女性も一緒では難しい思い
     今回は断念することにした。
      車に戻り、携帯コンロでお湯を沸かし、カップめんを作り、冷えた体を温める。

 (2) 「川北の採石場」
      古い採集記事に、ここでは大きな”アクアマリン”が産出した採石場があるとの
     ことだったが、採石は止めているらしく、新しい採掘跡は見られなかった。しかも
     「立ち入り禁止」となっており、パスし、次の目的地に向かった。

 (3) 「桂畑の石墨と燐灰ウラン石」
      ここも、古い採集記事に、桂畑には昔石墨鉱山があり、その周辺では今でも
     石墨が採れるとある。石墨産地は、本州では岐阜県の天生鉱山くらいしか思い
     浮かばない。この他では、コランダムで有名な富山県の高賀近くのものを頂いた
     ことがあるくらいである。
      また、桂畑のペグマタイト脈には、燐灰ウラン石を伴うものがあるとの情報もあり
     これも探索してみることにした。
      石墨鉱山跡は判ったのだが、折からの悪天候で薄暗い場所なので、石墨の
     カケラも発見できなかった。近くの露頭でKさんが、石墨の脈を発見してくれ
     立派な標本をいくつか採集することができた。
       露頭には、幅広いペグマタイト脈が走っていて、鉄礬ザクロ石や鉄電気石を
     含む部分があり、燐灰ウラン石が来そうなので、叩いて持ち帰った。自宅でミネラ
     ライトでチェックしたが??

           
        露頭のペグマタイト脈            石墨
                        桂畑

 (4) また会う日まで
      再会を約し、桂畑で、K夫妻とお別れした。道の駅「菰野」に立ち寄った。ここで、
     「伊勢茶」などのお土産を買い込み、ふと見ると、菰野町誌が置いてある。「自然
     編」をペラペラとめくると、鉱物について詳しく記載されている。ジックリと読ませて
     いただき、頭に叩き込んだ。( 「右から左に抜けている」・・・・蔭の声 )

4. おわりに

 (1) 永年訪れてみたいと思っていた三重県の鉱物産地をK夫妻に案内していただき
    訪れた産地の代表的な標本を採集することができた。
     K夫妻に厚く御礼を申しあげます。
     近いうちに、「アマゾナイト」産地を案内していただくのを、楽しみにしています。

 (2) また、福田山では私のHPの読者・Tさんには、ポイントを教えていただき
    サンプルと産地情報をいただくなど、大変お世話になった。この場で、御礼申し
    上げます。

 (3) 三重県の産地は遠い、と思い込んでいたが、名古屋まで行けば、1時間ほどで
    意外と近いと感じた。とは言え、私には、行き帰りに、途中の苗木地方などで
    休息兼ねて採集を楽しみながら行くのがピッタリのようです。
     次回は、今回訪れなかった産地、特に三重県南部の「ペクトライト」産地などの
    現状を調べて見たいと考えている。

5. 参考文献

1)長島 乙吉、弘三:日本希元素鉱物,日本砿物趣味の会,昭和35年
2)磯部 克:鉱物の博物誌,星雲社,平成8年
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