山梨県中西部のマンガン鉱山をたずねて

       山梨県中西部のマンガン鉱山をたずねて

1. 初めに

   2002年の暮れも押し迫った頃、山梨県増穂町にある「増穂マンガン鉱山」を訪れ
  日本新産鉱物の1つ、「マンガンパンペリー石」らしきものを採集したが、誰かに鑑
  定してもらうわけでもなく、そのままになっていた。
   このとき、「マンガンパンペリー石」の原産地である「落合鉱山」を探索したのだが
  わからず仕舞いになっていた。
   山梨県の石友・Aさんから「 落合鉱山の場所がわかったので案内したい 」との
  メールをいただいた。当方、「マンガンパンペリー石」の鑑定に自信があるわけでなく
  マンガン系にも詳しい東京の石友・Mさんも誘って、3人で訪れることにした。
   Aさんが、地元の人から「落合鉱山」の坑跡と教えられた場所には、塞がった坑口
  らしきものがあるだけで、その周辺には、親指の頭ほどのマンガン鉱があっただけで
  ズリは発見できなかった。
   何とも、寝覚めが良くないので、「増穂鉱山」を回って見ることにした。Mさんが持参
  した神奈川県高松鉱山産のマンガンパンペリー石と私が用意した「日本の新鉱物」の
  カラーコピーでイメージトレーニングして、ズリに臨んだ。
   すると、意外と簡単に、採集することができた。(と思っている)
   冬枯れになった頃を見計らって、原産地である落合鉱山の雪辱を果たすことを誓った
  ”三銃士”であった。
  ( 2006年6月採集 )

2. 産地

 2.1 落合鉱山
     南アルプス市(旧甲西町)の山中にあり、Aさんが地元の方に教えてもらった場所で
    詳細は、割愛させていただく。
     20年以上前の古い鉱物採集記を読むと、坑跡はあるが、ズリは全く見られないと
    あり、ここは”幻の産地”になってしまっている可能性もある。

     落合鉱山坑口跡【地元の人の言による】

 2.2 増穂鉱山
     国道52号線を甲府方面から来て「青柳2丁目」の信号で右折し「赤石鉱泉」に向けて
    登っていく。
     平林の集落を抜けて約2kmも行くと、左側に1〜2台の駐車スペースがある。ここから
    歩いて5分ほどで産地に到着する。

     増穂鉱山【2006年6月】

3. 産状と採集方法

   「日本のマンガン鉱床補遺後編」によれば、落合鉱山は、玉井開治郎と日向清の経営で
  マンガン鉱石、品位28〜35%、1,242トンを採掘したとある。同書には、増穂鉱山の鉱業権
  者は明らかではないが、MnO2、品位47%を196トン、マンガン鉱石、品位34〜44%、1,696
  トンを採掘したとある。しかし、その時期については記載されていない。
   「日本鉱産誌T−C」には、富士川地区にあったマンガン鉱山として、「落合鉱山」や「増穂
  鉱山」など、6鉱山が掲載されている。
   これによれば、落合鉱山の採掘時期は、昭和14年(1939年)〜昭和25年(1950年)、増穂
  鉱山は昭和14年(1939年)〜昭和19年(1944年)となっており、採掘量は、「日本のマンガン
  鉱床補遺後編」と同じになっている。
   また、何れも「御坂層中の鉱床」となっており、山梨県が海の底にあった時期に生まれた
  層状マンガン鉱床である。
   増穂鉱山は、小さな尾根の側面を露天掘りしたと思われ、この地域に特有の緑色を帯びた
  凝灰岩と赤色チャート(紅簾石?)を伴う母岩に胚胎したマンガン鉱床である。
   増穂鉱山では、露天掘りの前に広がるズリを掘って、真っ黒いマンガン鉱石を探し、ハン
  マーで割って新鮮な部分を採集する。

4. 産出鉱物

 (1) マンガンパンペリー石【Pumpellyite-(Mn2+):Ca8(Mn,Mg)4(Al,Mn)8Si12(O,OH)56
      この鉱物の特徴は、次のように、素人目には、ほかの鉱物との区別がつきにくく
     鑑定が難しい代物である。

     ・ 加藤博士のマンガン鉱物読本には、『一見紅簾石に類似し、それより色が
      淡く、条痕色も淡い。パンペリー石族鉱物としては結晶に粘りがなく、硬度の割
      には容易に針でほじくることができる』 とある。
     ・ Mさんに見せていただいた「高松鉱山」産のものは、くすんだ赤いチャートのよう
      な色で、粗鬆質(スカスカ)との印象である。
     ・ 宮島先生の「日本の新鉱物」に掲載された写真を見ると、「菱マンガン鉱」に似た
      ような色合いである。

      マンガンパンペリー石【推定品】

     色合いのほか、”針先で突っつくと、簡単に崩れる”ところから、マンガンパンペリー石
    であろうと、判断している。

     このほか、各種のマンガン鉱物がありますが、ズリ石の風化が進んでおり
    良好な状態の標本は採集しにくい状況です。

5.おわりに

 (1) 甲府盆地中西部〜南部の富士川に沿った地域には、下部町の富里鉱山をはじめ
    多くのマンガン鉱山があった。
     「日本鉱産誌」によれば、その数は6つあったとされ、未だ、それら全てを訪れてい
    ない。
     まずは、「マンガンパンペリー石」の原産地、「落合鉱山」を片付けるのが、当面の
    目標となった。

 (2) 山梨県で発見された、新産鉱物は、2006年現在2つで、その鉱物と原産地は次の
    2つである。マンガンパンペリー石は、1981年に、最初のものとして発見された。

     ・マンガンパンペリー石   甲西町(現南アルプス市)落合鉱山
     ・苦土フォイト電気石     三富村(現山梨市)京ノ沢

     山梨県に住む ”Mineralhunters” として、この2つは、原産地標本を持っていたい
    もの、と念じている。

6. 参考文献

 1)吉村 豊文:日本のマンガン鉱床補遺 後編,吉村豊文教授記念事業会,昭和44年
 2)工業技術院地質調査所:日本鉱産誌(BI-C),東京地学協会,昭和29年
 3)加藤 昭:マンガン鉱物読本,関東鉱物同好会,1998年
 4)松原 聰:日本産鉱物種,鉱物情報,1992年
 5)平井 進:山梨県増穂鉱山・落合鉱山,鉱物情報,1984年
 6)宮島 宏:日本の新鉱物,フォッサマグナミュージアム,2000年
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