その紙には、” 「まんじゅう石」の伝説から誕生 ”、とあるではないか。話のたねに
食べてみたいと思い、買おうとしたら、「今は作っていない」、とのことだった。
2007年も残すところ1週間足らずになり、採集納めをどこでしようかと考えていたら、この
『 石まん 』を思いだし、饅頭峠を訪れた。
饅頭峠は「日本百名山」で有名な深田 久弥の終焉の地、「茅ケ岳(かやがたけ)」の
麓にあり、氏を記念して「深田公園」が韮崎市の手によってつくられている。ここから歩
いて10分程度で産地に到着した。
松林の落ち葉の下を掘ると「饅頭石」を含む層が現われ、10分もすると標本として
十分な数を採集できた。
饅頭峠の饅頭石は、安永2年(1773年)に出版された木内石亭の「雲根志」に記載さ
れている『銘柄品』である。山梨にきて20年になろうとしているのに、今まで訪れたことが
なかったのは、怠慢の謗りを免れない。
地元にある『巨晶・美晶そして微晶』以外の産地ももっと回らなければ、と思い致す
1日だった。
( 2007年12月採集 )
由来書きによると、饅頭峠の名の由来は次の通りである。
『 昔、甲斐の国を巡杖した弘法大師が峠の茶屋の老婆にマンジュウを所望したと
ころ、「これは石のマンジュウだから食べられない 」、と偽った。大師が立ち去っ
た後、マンジュウを見ると、みんな石ころに変わっていた、と言う 』 (民話)
『 甲斐国巨麻郡荒井近(沢)山にあり 土饅頭(つちまんじゅう)と云う。山の麓
に多くあり、うす赤く少し黄なり。石中は軟らかく土より堅し。石中は黒き膏薬
(こうやく)のごとき土あり 』
上の写真の「黒餡・饅頭石」がソックリであり、饅頭石の産状、形態を的確に
伝える石亭の観察・記述の確かさに改めて感心する。
このほかのいくつかの産地が当時から知られいたようで、「雲根誌」に7箇所が
記載されている。
No | 産 地 ( 現在の県名 ) | 備 考 | 1 | 奥州津軽 (青森県) | 2 | 安房高原氷上(ひかみ)の郡 (千葉県) |
益富先生の「昭和雲根誌」 には、『安房氷上郡高原』 とある |
3 | 常陸津久波山(筑波山?) (茨城県) | 4 | 芸州広島 (広島県) |
『 四方山の産なりとて 2石を得たり。 状甚だ良し、まるく 卵のごとき白石中に 黒きアンあり 』
|
5 | 伯耆国大山の麓 (鳥取県) | 6 | 長門国海辺 (山口県) | 7 | 筑前国御笠郡竈山(かまどやま) (福岡県) |
A 益富先生著「昭和雲根誌」の中の「饅頭石」
益富先生が著した「石 昭和雲根誌」に「饅頭石(まんじゅうせき)」の1章がある。
石亭の「雲根誌」の記述をもとに次の3つの条件を満たすものが「饅頭石」である
と定義している。
1) 形丸くく
2) 石でもなく土でもない半硬半軟の皮
3) 黒色のアン
「雲根誌」の「荒井沢山(饅頭峠)」産のものには、形が記述されていないので、
形は丸と断定できない。下の写真のような、長い芋状のものも普通に見られる。
黒いアンよりむしろ「白餡」と呼ぶもののほうが多い。
したがって、「饅頭石」の定義として、次のようにすべきと考える。
1) 形は球〜芋状
2) 石でもなく土でもない半硬半軟の皮
3) 黒色〜白色のアン(餡)入り【2層構造】
4) 皮と餡の間に、白っぽい内皮をもつものもある【場合によって、3層構造】
また、益富先生は「饅頭石」を”まんじゅうせき”と読んでおられるが、山梨県
の地元では”まんじゅういし”と呼んでいるので、このページもそれにならった。
(2) 深田久弥と茅ケ岳
深田 久弥は、明治36年(1903年)、石川県に生まれ、幼少時より読書を好み
福井中学の頃より白山をはじめとする附近の山々に登り、山にとりつかれるように
なった。
第一高等学校入学後、文学と登山に全情熱を傾けた。昭和15年(1940年)、東京
帝国大学文学部に入学。やがて、文芸誌「新思潮」同人に加わり、作家としての道を
進むことになる。
内外の山紀行やエッセイ、特にヒマラヤの研究に精力を傾注し、昭和33年(1958年)
にはシュガール・ヒマールに遠征した。息の長い「山」に関する膨大な作品群の中では
日本全国の山々から百座を選んで、約半世紀にわたる登山歴を背景に綴った「日本
百名山」があまりにも有名である。
昭和48(1973年)年3月21日、親しい山の仲間たちと茅ケ岳に向かった。女岩を
経て頂上まで10数分ほどの稜線を歩いていたとき、突然脳出血で倒れた。
仲間の「この辺りはイワカガミが咲いてきれいです」、との言葉に、すっかり喜び
「そうですか」、とうなずいたのが最後だったという。
← 茅ケ岳山頂
← 深田 久弥 終焉の地
↑ ↑
饅頭峠 深田公園
茅ケ岳周辺マップ
逝去後10年を経た昭和58年(1983年)4月21日、韮崎市観光協会では関係者の
協力で「茅ケ岳深田記念公園」を開設し、氏の自筆による「百の頂に百の喜びあり」
の記念碑の除幕を行った。
毎年、4月第3日曜日に「深田祭」を開催し、記念登山と碑前祭を行っている。
深田 久弥終焉の山、茅ケ岳(標高1704m)の名は、その酸性土壌からカヤが
全山麓を覆っていたことに由来する。
山頂からは、奥秩父連峰、八ヶ岳、鳳凰三山をはじめとする南アルプス、そして
霊峰富士へと連なる大パノラマが楽しめる。
平成9年(1997年)2月、県の「山梨百名山」に選定された。
(3) 「茅の石まん」
JAで見かけた「茅の石まん」を食べてみたいのと、どんなものかが知りたくて、
作っていた方に電話してみた。
北杜市明野に住む、私と同年代と思われる女性が対応してくれた。販売再開の
日取りは未定との事だが、「石まん」について、いろいろとお話をうかがうことがで
きた。
@ 「茅の石まん」は、地元で産する「饅頭石」をイメージして今風にアレンジした
小麦饅頭。一口で言えば、 ”茶饅頭”
このHPでは、産地を”韮崎市”としているが、「饅頭峠」は、”韮崎市と北杜市
明野(旧明野町)の境界”にあるので、明野町に住む女性が”地元”と言うのも
もっともなこと
A 径7〜8cm
女性が子どものころに採った「饅頭石(まんじゅういし)」の大きさ
B 皮は茶色、合成着色料を使っていない
C 餡は、小豆(あずき)を使った黒餡
販売の計画がハッキリしないとなると、自分で作ってみるしかなさそうだ・・・・・・・