山梨県下部町草間鉱山の鉱物

山梨県下部町草間鉱山の鉱物

1.初めに

加藤昭、松原聡両先生による「鉱物採集の旅 東京周辺をたずねて」に
-山梨県下部町の鉱物産地めぐり-の章があり、既にHPに掲載した「妙法鉱山」の他
マンガン鉱山の「草間鉱山」などが紹介してあります。
草間鉱山には、10年以上前に訪れたことがありますが、8月の「こども金山探検隊」で
通りかかり、「草間鉱山」があったことを思い出し、久しぶりに訪れた。
露頭と坑口の下に広がるズリで一通りのマンガン鉱物が採集でき、しかも、車を下りて
500m足らずの位置にある、”横付け”に近い産地で、”マンガン鉱物入門コース”
に最適です。
(2002年8月採集)

2.産地

JR下部駅の脇を通り、下部温泉街を抜けて「林道湯之奥猪之頭線」を行くと
湯之奥の集落があり、ここからさらに急な九十九折れの道を進み、「湯之奥橋」を
渡って100mも行くと「湯之奥金山」の案内板があり、道は大きく右にカーブします。
案内板の手前に2〜3台分の駐車スペースがあり、ここに駐車します。
草間鉱山入口
下部川の支流入ノ沢(幅広く水量豊富)に沿った山道を150mも行くと、山道がえぐられ
途切れており、河原の大岩を伝って左岸の山道に出る。50mも行くと大きな砂防ダムが見え
ダムから約50m上流の左岸に小さな枯れ沢がありこの周りにズリが広がっている。
削岩機の穿孔跡が残るズリ石【白いのは濁沸石】
枯れ沢を上流に約50mも行くと、露頭や坑道が残っている。
草間鉱山跡【露頭の”赤壁”と浅い坑道】

3.産状と採集方法

「鉱物採集の旅 東京周辺をたずねて」にも、草間鉱山は下部鉱山と呼ばれたとあるように
上記以外の文献に「草間鉱山」の名は見当たらず、ここの鉱山の呼び名は「草間鉱山」より
「下部鉱山」の方が一般的だったようです。
吉村豊文著「日本のマンガン鉱床」によれば、昭和13年、14年に併せて約700トン
(Mn約30%)の出鉱を記録している。ここは輝緑岩の中に胚胎した「富里型鉱床」と
呼ぶマンガン鉱床で、輝緑岩がマンガン鉱液に犯され、著者が”赤壁”と呼ぶ赤褐色に変色
しているので、探鉱がやりやすい反面、豊鉱と貧鉱の分離が難しかったようです。
ズリには、マンガン鉱が酸化した真っ黒いズリ石がたくさんあり、これらを割って
新鮮なものを採集します。
一般にマンガン鉱は堅く割れにくいので、大き目のハンマを使い、破片が飛び散って眼を
傷つけないように眼鏡(ゴーグル)を着用しましょう。

4.産出鉱物

加藤昭、松原聡両先生による「鉱物採集の旅 東京周辺をたずねて」では
草間鉱山のマンガン鉱は結晶粒が小さく、肉眼で区別できないため、”鉱石の色”で
鉱石を分類していますので、それに従います。
(1)チョコレート色の鉱石
高品位のマンガン鉱で、ハウスマン鉱【Hausmannite:Mn"Mn2"O4】とベメント石
【Bementite:MnSiO3・H2O】が主成分で、ベメント石の粒間に菱マンガン鉱
【Rhodochrosite:MnCO3】が見られる場合がある。
ハウスマン鉱+ベメント石
(2)黒色の鉱石
縞状構造を示し、ブラウン鉱【Braunite:3Mn2O3・MnSiO3】と石英が主成分です。
ブラウン鉱
(3)はだ色の鉱石
非常に細かい鉱物粒からなる塊状の緻密な鉱石で、バスタム石【Bustamite:
(Ca,Mn)3(Si3O9)】や柘榴石【Spessartine:Mn3Al2(SiO4)3】を主成分とし少量の
菱マンガン鉱がみられる。
バスタム石+柘榴石(濃茶色部)
(4)赤褐色の鉱石
チョコレート色の鉱石より赤みが強く、赤鉄鉱【Hematite:α-Fe2O3】を主成分とし
石英、重晶石、菱マンガン鉱などを含み、手に持つと重くマンガン鉱を思わせますが
鉱石としては役に立たず、ズリにたくさん捨ててあります。
赤鉄鉱【鏡肌を示す】
(5)緑色の鉱石
緑色の孔雀石【Marachite:Cu2(CO2)OH3】に伴って、自然銅が産出するとの記述がある。
緑色の鉱物は、ズリでは全く見かけませんが、駐車した場所から100mほど行ったところの
転石の中に濁沸石など白い鉱物に隣接して見られたので、崖の上の露頭に脈があるのかも
知れません。
孔雀石

5.おわりに

(1)下部町のマンガン鉱山としては、「富里型鉱床」の名前にもなった富里鉱山の
ほうが有名だったようです。
富里鉱山は、草間(下部)鉱山の南東約1.5kmにあったようですが、場所が確定できて
いません。いつか訪れて見たいと考えている。
(2)下部川の支流入ノ沢の砂防ダムを野猿の群れが横切るのを目撃した。このあたりは
まだまだ自然が残っています。
下部川野猿の群れ

6.参考文献

1)加藤昭、松原聡:鉱物採集の旅 東京周辺をたずねて,築地書館,1982年
2)吉村豊文:日本のマンガン鉱床,マンガン研究会,昭和27年
inserted by FC2 system