神奈川県丹沢・玄倉の燐灰石

神奈川県丹沢・玄倉の燐灰石

1.初めに

  2004年GWの採集会の後、兵庫の石友・Nさんご夫妻と愛知の石友・Kさん親子を案内して
 秩父・渦ノ沢に「燐灰石」を採集に行った。
  私のHPにも、既に絶産、採集困難と書いたが、Nさんの奥さんが、単一乾電池と見比べられる
 大きさの「燐灰石」を採集した。(HP未発表)
  これを見て、私の脳裏を横切ったのは、「玄倉の燐灰石」であった。10年ほど前に
 石友・H氏に案内して頂き、数少ない母岩を叩き、小さな「燐灰石」を採集したが
 Nさんの奥さんの採集品を見て、玄倉でも頭付き・センチオーバーの母岩付き結晶が採集できる
 ような気(錯覚)がしてきた。
  「日本の鉱物」に”案内無しでは行けない産地”とあるように、案内人の後をついて行った
 だけで、産地にたどり着けるかどうか、自信がなく、産地の嗅覚に聡い神奈川の石友・Mさんに
 声を掛けたところ、2つ返事で「行きましょう」、となった。しかし、2人だけで行くのは
 抜け駆けみたいで、結局、GWの採集会に声を掛けた全員に案内を差し上げた。
  しかし、片道3時間、とか5時間と言ったのに恐れをなしてか実際の参加者は4人、最終的には
 3人になってしまった。
  名古屋・Sさん、神奈川・Mさんそして私の3人、「三銃士」と称した。
 土曜日に、丹沢のスカルン鉱物を観察し、玄倉のユーシンロッジに泊まり、日曜日早朝から
 燐灰石産地を攻める積りでいたが、日曜日は雨天との天気予報で、玄倉行きは厳しいと思い
 参加者が3人の気安さもあり、集まった段階で、急遽、土曜日に玄倉に行くことにした。
  悪戦苦闘の末、3時間がかりで、「燐灰石」産地を訪れたが、産地が余りに変貌しており
 「燐灰石」は、1つも観察できなかったが、Mさんが、水晶の晶洞を開け、玄倉らしい水晶を
 採集し、そのおこぼれに与った。
  帰途も2時間かかり、翌日、丹沢のスカルン産地に向かったが、Sさんは途中リタイア
 さしものMさんも靴擦れで、足を引きずる有様と、「玄倉」の厳しさを、改めて思い知ら
 された。
  しかし、また、行ってみたい、心残りの産地です。
  産地ルートマップを送ってくれた石友・H氏とS氏に感謝しています。
(2002年5月観察)

2.産地

 2.1 産地情報入手
    名古屋・Sさんは、インターネットで「玄倉」を検索したが、産地へのルートを記述した
   ページは見当たらなかった、とのことであった。
    私の記憶もうろ覚えで、しっかりしたルート・マップを入手するのが先決と考え、次の様に
   情報を入手した。
   (1)約10年前案内して頂いた、石友・H氏に教えてもらう。
   (2)その後、行ったと言っていた石友・S氏に教えてもらう。
   (3)私の所属する同志会会誌「水晶」に掲載された、ルート記述を辿る。
   (1)、(2)は、ポイントの名称、そこまでの所要時間を記述した、丁寧なマップを
    送って頂き、私の記憶とも一致していたので、大いに参考になったが、(3)は、
   ”獣の通路を無理やりヤブ漕ぎする”など、私の記憶と違うし、却って迷いそうなので
   参考にすべきか迷ってしまった。

 2.2 「玄倉」産地は遠かった
  (1)ユーシン・ロッジへ
     ユーシン・ロッジの手前、約7kmの位置に、頑丈なゲートがある。神奈川の石友
    OGさんは、直に下見して「どんなことをしてもこのゲートは通れない」ので
    往復20kmも余分に歩くのは大変と、参加を断念された。
     Mさんが事前に、ユーシン・ロッジ宿泊客は、玄倉の集落にある「玄倉商店」で
    ゲートの鍵を借りられることを調べてくれ、最初の難関は、パス。
     ユーシン・ロッジに到着し、管理人さんに宿泊費3,000円を支払い、「水晶沢」に
    入ることを話すと、4、50年前(昭和35、6年頃)には、水晶を探しに、大勢の
    人が入ったが、今はあるかどうか、との事であった。
  (2)「二又」を目指せ
     ユーシン・ロッジから、星薬科大薬用植物研究所の脇を通り、すぐに沢を渡ると
    「←発電所  登山道→」とあり、管理人に教えられた、登山道の方を登る。
     登山道の踏み分け道があり、比較的歩きやすい。
      やがて、所々登山道が崩落したり、木橋が落ちたりしている箇所を迂回しながら
     登山道を辿る。落ちかかった木橋があり、「←ユーシンロッジ  金山谷の頭→」の
     しっかりした標識があり、その先2、30mで、道が見当たらなくなった。
      杉の木に赤矢印「→」が見えたので、それに従い、斜面を登る。左下にユーシン沢を
     見ながら、大きく迂回して、上流に進む。そろそろ「二又」のはずなので、急な斜面を
     ひとまず沢に下りる。記憶にある右岸(上流から見て右)の”こぶ”らしい斜面を
     熊笹を掴みながら攀じ登ると、反対側斜面には、ロープも張ってあり、ユーシン沢と
     桧洞(ひのきぼら)沢(金山谷)が合流する「二又」が見えた。ここまで、ロッジから
     1時間で、やや遠回りをしたらしい。しかしここまでくれば、後は記憶を辿るだけ。
     (帰途、気付いたが杉木立の赤「」に騙された。その手前で、沢に降り、右岸に渡り
      滝の手前で左手の急斜面の登山道を鞍部目指して登れば、その反対側が「二又」)

       
   ロープで攀じ登るSさん【帰途】     ”ホッ”と一息
                     「二又」
  

  (3)「ザンザ洞出合」を目指せ
     桧洞沢の巨岩を攀じ登ったり、飛び越えたり、時には迂回したりしながら上流に向かうと
    左側から、水量の豊かな沢が合流する。ここが、「ザンザ洞出合」で、ここまで約30分

   「ザンザ洞出合」

  (4)「魚止めの滝」を乗り越えて
     さらに桧洞沢の巨岩を攀じ登ったり、飛び越えたり、時には迂回したりしながら上流に
    向かうと、「魚止めの滝」がある。ここを左に巻いて(右岸を迂回して)、さらに上流に
    行くと、左から沢が流れ込み、桧洞沢の河原には、背丈ほどの「馬酔木」が繁っている。
     この先、右からの沢が目指す「水晶沢」である。ここまで、約20分

       
        「魚止めの滝」        「水晶沢」入口

  (5)「燐灰石」産地
      水晶沢を遡ると、直径1m近い巨木が横倒しになり、平成11年(1999年)の集中豪雨の
     ものすごさを物語っている。「燐灰石」をはじめ各種の鉱物を産した涸れ沢は、水晶沢より
     一段高かったと記憶していたが、今は同じレベルになり、大量の土砂に「燐灰石」を含む
     母岩、ズリ石が埋まってしまったようだ。

   「水晶沢」

3.産状と採集方法

  ここの燐灰石は、やや黒ずんだ「透緑閃石」時には「水晶」「黄鉄鉱」を含む晶洞部分にあり
 約10年前に訪れた時にはそれらのズリ石は水晶沢に散らばっており、それらを割って晶洞部分の
 燐灰石を探し出した。
  「水晶」の採集記事を読むと、1995年には分離結晶や母岩付きも採集できたらしいが、今回は
 母岩そのものも殆んどなければ、「燐灰石」のカケラも見つからない有様
  涸れ沢には、山梨県黒平と同じように、石英脈や水晶が顔を出しており、それらを追って
 晶洞を探すので、今回3〜5時間の歩きに参加を断念した石友・Aさんには、堪えられない産地
 でしょう。

    採集風景

  

4.産出鉱物

(1)燐灰石【Apatite:Ca5(PO4)3F】
    「日本の鉱物」に掲載されている「燐灰石」の説明には、”日本産の代表的な燐灰石の名に
   恥じない逸品である”
とある、まさにその通りである。

    燐灰石【1990年ごろ採集品】

(2)水晶【Rock Crystal:SiO2】
    白っぽい花崗閃緑岩の晶洞部分にあり、水晶の表面は、横の条線が発達し、透明度も余り
   高くないため、お世辞にも綺麗な水晶とは言いがたい。大きさも最大で5cm止まりである。
    水晶全体を束沸石が覆っていたり、束沸石と共生する水晶も珍しくなく、味のある標本である。
    水晶の表面には、小さな輝沸石が晶出しているものやインクルージョンとして緑泥石を
   含む、緑水晶もある。

       
   単晶【緑泥石を伴う】       束沸石と共生          輝沸石が晶出
                        水晶

  (3)束沸石【Stilbite:NaCa4Al9Si27O72・3OH2O】
    白色束状や球状で産出するところから、”たば”あるいは”そく”沸石と呼ばれる。
   玄倉では、水晶の頭や全体を覆うような形あるいは球状の結晶が水晶に随伴するような形で
   産出する。

    束沸石

(4)磁鉄鉱【Magnetite:Fe2O4】
    銀白色の”モリブデン鉛鉱(輝水鉛鉱)を思わせる皮膜状で産出するが、磁石を近づけると
   磁鉄鉱であることが分かる。

    磁鉄鉱

  (5)チタン石【Titanite:CaTiSiO5】
    石英閃緑岩の晶洞部分に、赤褐色、両錐形の結晶の集合体が見られる。その形から従来は
   「くさび石」とも呼ばれていた。

    チタン石

   このほか、黄鉄鉱とそれが武石になったもの、黄銅鉱とそれに伴う孔雀石、そして5cmを
  越える透緑閃石結晶の集合体などが見られます。

5.おわりに

(1)約10年ぶりに玄倉を訪れ、余りの変貌ぶりに驚いた。かの有名な「燐灰石」は、今や”絶産”とは
   言わないまでも、採集困難と考えられます。
   しかし、このHPを参考にして訪れた人が、新たな「燐灰石産地」を発見してくれることを
   密かに期待しています。
(2)「ユーシンロッジ」は、2段ベッドが4つ置いてあり、1部屋の定員8人、畳の部分も含めると
   10人は泊まれそうです。この日は、1部屋に8人(男女混合)の宿泊客があり売上(利用料金)は
   素泊まりで1部屋 3,000円×8人=24,00円と高級ホテル並です。
    しかも、登山客は朝の出立が早く、午前3時に、いきなり目覚ましの「ラジオ体操」が
   鳴り出すのは、驚きを通り越して、怒りすら覚えました。
    それでも、往復14kmを歩かなくて済むと思えば、安いものか、と諦めました。

    ユーシンロッジ部屋

(3)「ユーシンロッジ」の受付のガラスケースには、「水晶沢の水晶」が数個飾ってあるのに
   ここを離れる段階になって気付いた。
    訪れる機会があれば、見せていただくと良いでしょう。

6.参考文献

1)加藤 邦明:丹沢玄倉の燐灰石,鉱物同志会会誌「水晶」,鉱物同志会,1995年
2)柴田 秀賢・須藤 俊男:原色鉱物岩石検索図鑑,北隆社,昭和48年
3)益富地学会館改修:日本の鉱物,成美堂出版,1994年
inserted by FC2 system