福島県久良谷(くらたに)鉱山の鉱物

     福島県久良谷(くらたに)鉱山の鉱物

1. 初めに

   「福島県鉱産誌」の1枚のコピーを手にした石友・Mさんから、『 西会津に変成度
  が高いマンガン鉱山があったらしいので探索してみませんか 』 
と誘いを受けた
  のは2005年の秋であった。
   福島県のマンガン鉱山では、「御斎所鉱山」が余りにも有名で、「久良谷鉱山」
  は、初めて聞く名前であった。
   2005年10月、第一回目の探査を行った。普通、マンガン鉱山近くなら、沢の下
  流に真っ黒い鉱石が落ちていて、それを目印に追いかけていけば坑口を探し出
  せるのだが、ここは違った。全くと言ってよいほどに、ズリ石らしきものが見当たら
  ないのだ。かなり沢の上流まで探査したが、全く見当たらなかった。落胆しての帰
  り、Mさんが左岸の上のほうに怪しい場所を発見し、急な崖を登ってみると、そこ
  には坑口がポッカリと開いていた。
  【 後の調べて、ここは、「立石岐鉱床1号」と思われる 】

       
        坑口遠望              坑口
               「立石岐鉱床1号」

   坑の前には、ズリ石が点在しているが、変成度は低く、目指す坑口ではなさそう
  である。さらにガッカリして疲れた足を引きずるように沢を下ると、Mさんがこどもの
  頭ほどの大きさの真っ黒いマンガン鉱を発見した。割ってみると、部分的に、真っ赤
  なパイロクスマンガン石を思わせる変成度の高い標本で、”「久良谷鉱山」探査
  継続”
となった。
   第一回目の探査失敗の原因は、事前調査不十分であったことなので、帰りに集
  落で聞き込み調査すると、『滝』がキーワードであることが判った。
   帰宅後、「日本のマンガン鉱床」を読んでみると、鉱山の地図や鉱石搬出に使っ
  た「鉄索(ケーブル)」の位置なども書き込まれているではないか。
   2005年11月、満を持しての第2回目の探査。私たち夫婦は、Mさんより一足早く
  会津西街道に向かうべく、塩原温泉を抜けると、例年より早く、横殴りの雪に見舞
  われ、やむなく引き返すことになった。
   春の訪れが遅い西会津の雪解けを待ちかね、第3回目の探査行となった。今回
  は用意周到に準備し、沢を遡上すること2時間近くで、ようやく目印の『滝』を発見。
  更に上流に向かい「坑口」を発見。更に進むが、ズリらしきものは見あたらない。
   よくよく地図を見直すと、通り過ぎてしまっているようだ。戻りながら、坑内とその
  周辺、鉄索の起点にあった「貯鉱場跡」と思われるところで、マンガン鉱、硫化鉱
  そして2次鉱物を採集できた。
   「パイロクスマンガン石/バラ輝石」や「閃マンガン鉱」の結晶、「ゲルスドルフ鉱
  /輝コバルト鉱」そして「硫カドミウム鉱」とバラエティに富んだ面白い産地である。
   一通りの標本を採集し、西会津のマンガン鉱山探索行を終了とした。同行いた
  だいた石友・Mさんに、厚く御礼申し上げます。
  ( 2006年10月訪問、11月再訪・途中断念、2006年6月再々訪問 )

2. 産地

   福島県麻耶郡西会津町、磐越西線徳沢(とくさわ)駅の北東、約20kmで、久良
  谷沢の支流、風倉谷の源流近くである。
   新潟県との県境には、立石山(989m)、鏡山(1,339m)そして高陽山(1,127m)な
  どによる山系が南北に走り、それらの山懐に近い場所である。
   6月中旬というのに、沢の所々に雪の塊や沢を塞ぐ雪のドームがあり、登山雑誌
  でしか見たことがない風景が眼の前にあるのが信じられない思いであった。
   しかも、落差が10m以上もある『滝』が行く手を阻み、大きく迂回するなど、片道
  3時間の採集行で、誰にでもお奨めできる産地ではない。
   ただ、唯一の救いは、「吸血鬼」が生息していないことである。
  ( それだけ、冬が厳しい、ということか )

       
           雪が残る          行く手を阻む大滝
                 風倉谷採集行

3. 産状と採集方法

   「日本のマンガン鉱床補遺 後編」などの文献に、久良谷鉱山がある福島県麻
  耶郡北部の地質とマンガン鉱床の分布が掲載されている。

    地質と鉱床分布

    これによると、地質は古生層とこれを貫く花崗岩からなっている。鉱床は古生層
   堆積岩中の層状マンガン鉱床で、上・下盤のチャートに挟まれて産出する。
    この地域には、久良谷鉱山と奥川鉱山があった。久良谷鉱山は風倉、新風倉
   そして立石岐(文献によって、立石芝とあるが誤り?)鉱床よりなっている。
    風倉・新風倉鉱床は、顕著な熱変成を受け、バラ輝石を主に、テフロ石、アラ
   バンド石(閃マンガン鉱)、ペンウイス石(現ネオトス石)を伴い、各種の硫化鉱物
   も伴う、とある。
    また、マンガン鉱層の上盤の一部はペグマタイト質をなし、バラ輝石(あるいは、
   パイロクスマンガン石)を伴っている、とある。
    さらに、「福島県鉱物誌」などには、自然銅を産するともある。

    「日本のマンガン鉱床補遺 後編」には、風倉・新風倉鉱床の詳細が記載され
   おり、坑口、鉄索(ケーブル)の位置が記載されている。

    風倉鉱床図

    われわれは、坑口を探索し、「4号坑」だけは確認できた。(1〜3号坑は、雪の
   下、あるいは埋没?) 鉄索の起点があったと思われる位置の「貯鉱場跡」でも
   マンガン鉱物、硫化鉱物そして2次鉱物を確認、採集した。
    また、沢の上流は花崗岩地帯とあるように、沢には真っ白い珪長石など「ペグマ
   タイト」塊が点々と見られ、マンガン鉱よりも遥かに多い。それを割ると、「電気石」
   「白雲母(益富雲母?」なども採集できた。

       
           4号坑           貯鉱場跡【鉄索起点】
                風倉谷鉱床

4. 産出鉱物

 (1)パイロクスマンガン石/バラ輝石
    【Pyroxmangite:(Mn,Fe)7Si7O21/Rhodenite:(Mn,Ca)5Si5O15
    ピンク色、半透明の柱状結晶として産出する。パイロクスマンガン石とバラ輝石
   は同質異像関係にあり、肉眼的には区別不可能とされる。
    採集したものが、より珍しい鉱物であって欲しい、と願うのが凡人の常で、次の
   ような点からパイロクスマンガン石であろうと考えている。
    @ ネオトス石(旧ペンウイス石)と共生(愛知県田口鉱山と同じ産状)
    A 柱面に条線がある

     パイロクスマンガン石(バラ輝石?)

 (2)ネオトス石【Neotocite:MnO・SiO3・nH2O】
    俗に”ビール瓶のカケラ”と称されるように、黒褐色〜飴色、非晶質でガラス光
   沢、貝殻状破面を示し、蛋白石と同じように、粒状〜脈状で産する。
   

     ネオトス石

 (3) 閃マンガン鉱【Alabandite:α-MnS】
      アラバンド石(鉱)、鉄黒色亜金属光沢、自形結晶は立方体や正八面体を
     示す。等軸晶系とあるように、立方体と正八面体が合体したザクロ石を思わ
     せる結晶が見られる。

     閃マンガン鉱(アラバンド石)

 (4) ゲルスドルフ鉱/輝コバルト鉱【Gersdorffite:NiAsS/Cobaltite:CoAsS】
      等軸晶系を思わせる金属光沢結晶で産出する。Mさんによれば、しばらく
     放置した後、次のように識別するのが良いらしい。

      ゲルスドルフ鉱・・・・・・・・表面がくすんで、黒っぽくなる。
      輝コバルト鉱・・・・・・・・・・赤っぽくなる(コバルト華が生成する?)

     ゲルスドルフ鉱/輝コバルト鉱

 (5) 硫カドミウム鉱【Greenockite:CdS】
      ”カドミウムイエロー”と形容される鮮やかな黄色皮膜状で産する。

     硫カドミウム鉱

 (6) 白雲母【Muscovite:KAl2(AlSi3)O10(OH)2
      珪長石の中に、白色〜黄褐色〜黒緑色、独特の劈開を示して産する。
     写真のように、一部紫色に見える部分もあり、ひょっとして、「益富雲母」では
     ないだろうか、と欲張った考えも捨てきれていない。

     白雲母

      このほか、マンガン鉱物として 「マンガンカミントン閃石」(旧チロディ閃石)や
     満バンザクロ石そして磁性をもっているヤコブス鉱が見られる。ゲルスドルフ鉱
     /輝コバルト鉱に含まれるニッケル(Ni)やコバルト(Co)は、ヤコブス鉱が『溜り場』
     との見方もある。
      黄銅鉱に伴う孔雀石などの2次鉱物は見られるのだが、「福島県鉱物誌」に
     ある「自然銅」は残念ながら、採集できなかった。

5.おわりに

 (1) 2005年10月に最初の探査を行い、2年越しで、坑口や鉄索の起点と思わ
    れる箇所を探し出し、この産地の代表的な標本を得ることができた。
     古い文献や地元での聞き込みによる採集行は、産地までたどり着けるの
    だろうかという不安と、誰も訪れたことがない鉱山跡に眠っている素晴らしい
    標本を手にした楽しい夢への期待が交錯する。
     それだけに、産地を確認できたときの喜びは、何とも言い難いものがある。

 (2) ここで、「硫カドミウム鉱」を採集した(正確には、Mさんが採集した片割れを
    いただいた)。硫化鉱物の「閃亜鉛鉱」がマンガン鉱や石英(チャート)に混じ
    って見られるので、来ても(産出しても)おかしくないとMさんと話し合った。
     翌日、ここから30kmほど南西の新潟県の持倉銅山製錬所跡、五十島蛍石
    鉱山を訪れ、帰宅後HPをまとめる段になって、「日本鉱産誌」を紐解き、持倉
    鉱山は「硫カドミウム鉱」の主要な産地の1つであった事を知った。
     地理的(地質的に?)に近い久良谷鉱山で「硫カドミウム鉱」がでてもおかしく
    ないと納得した次第である。
     ただ、「福島県鉱物誌」の「硫カドミウム鉱」の項には、久良谷鉱山の名前は
    なく、この産地として初見になるかも知れない。

 (3) 翌日の五十島蛍石鉱山探査とあわせ、片道3時間の探索行の”連荘”、さらに
    その日の内に400km余り運転して帰宅するのは”還暦”を過ぎた身にはいさ
    さか堪えるものがあった。
     しかし、疲れを吹き飛ばす”成果”があった。改めて同行いただいたMさんに
    御礼申し上げます。

6.参考文献

 1)吉村 豊文:日本のマンガン鉱床補遺 後編,吉村豊文教授記念事業会,昭和44年
 2)加藤 昭:マンガン鉱物読本,関東鉱物同好会,1998年
 3)南部 松夫編:福島県鉱物誌,福島県,1969年
 4)福島県企画開発部編:福島県鉱産誌,福島県,昭和40年
 5)日本鉱産誌編纂委員会編:日本鉱産誌 銅・鉛・亜鉛 ,東京地学協会,昭和31年
 6)松原 聰:日本産鉱物種,鉱物情報,2002年
 7)益富地学会館監修:日本の鉱物,成美堂出版,1994年
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