坑の前には、ズリ石が点在しているが、変成度は低く、目指す坑口ではなさそう
である。さらにガッカリして疲れた足を引きずるように沢を下ると、Mさんがこどもの
頭ほどの大きさの真っ黒いマンガン鉱を発見した。割ってみると、部分的に、真っ赤
なパイロクスマンガン石を思わせる変成度の高い標本で、”「久良谷鉱山」探査
継続”となった。
第一回目の探査失敗の原因は、事前調査不十分であったことなので、帰りに集
落で聞き込み調査すると、『滝』がキーワードであることが判った。
帰宅後、「日本のマンガン鉱床」を読んでみると、鉱山の地図や鉱石搬出に使っ
た「鉄索(ケーブル)」の位置なども書き込まれているではないか。
2005年11月、満を持しての第2回目の探査。私たち夫婦は、Mさんより一足早く
会津西街道に向かうべく、塩原温泉を抜けると、例年より早く、横殴りの雪に見舞
われ、やむなく引き返すことになった。
春の訪れが遅い西会津の雪解けを待ちかね、第3回目の探査行となった。今回
は用意周到に準備し、沢を遡上すること2時間近くで、ようやく目印の『滝』を発見。
更に上流に向かい「坑口」を発見。更に進むが、ズリらしきものは見あたらない。
よくよく地図を見直すと、通り過ぎてしまっているようだ。戻りながら、坑内とその
周辺、鉄索の起点にあった「貯鉱場跡」と思われるところで、マンガン鉱、硫化鉱
そして2次鉱物を採集できた。
「パイロクスマンガン石/バラ輝石」や「閃マンガン鉱」の結晶、「ゲルスドルフ鉱
/輝コバルト鉱」そして「硫カドミウム鉱」とバラエティに富んだ面白い産地である。
一通りの標本を採集し、西会津のマンガン鉱山探索行を終了とした。同行いた
だいた石友・Mさんに、厚く御礼申し上げます。
( 2006年10月訪問、11月再訪・途中断念、2006年6月再々訪問 )
これによると、地質は古生層とこれを貫く花崗岩からなっている。鉱床は古生層
堆積岩中の層状マンガン鉱床で、上・下盤のチャートに挟まれて産出する。
この地域には、久良谷鉱山と奥川鉱山があった。久良谷鉱山は風倉、新風倉
そして立石岐(文献によって、立石芝とあるが誤り?)鉱床よりなっている。
風倉・新風倉鉱床は、顕著な熱変成を受け、バラ輝石を主に、テフロ石、アラ
バンド石(閃マンガン鉱)、ペンウイス石(現ネオトス石)を伴い、各種の硫化鉱物
も伴う、とある。
また、マンガン鉱層の上盤の一部はペグマタイト質をなし、バラ輝石(あるいは、
パイロクスマンガン石)を伴っている、とある。
さらに、「福島県鉱物誌」などには、自然銅を産するともある。
「日本のマンガン鉱床補遺 後編」には、風倉・新風倉鉱床の詳細が記載され
おり、坑口、鉄索(ケーブル)の位置が記載されている。
われわれは、坑口を探索し、「4号坑」だけは確認できた。(1〜3号坑は、雪の
下、あるいは埋没?) 鉄索の起点があったと思われる位置の「貯鉱場跡」でも
マンガン鉱物、硫化鉱物そして2次鉱物を確認、採集した。
また、沢の上流は花崗岩地帯とあるように、沢には真っ白い珪長石など「ペグマ
タイト」塊が点々と見られ、マンガン鉱よりも遥かに多い。それを割ると、「電気石」
「白雲母(益富雲母?」なども採集できた。
(2)ネオトス石【Neotocite:MnO・SiO3・nH2O】
俗に”ビール瓶のカケラ”と称されるように、黒褐色〜飴色、非晶質でガラス光
沢、貝殻状破面を示し、蛋白石と同じように、粒状〜脈状で産する。
(3) 閃マンガン鉱【Alabandite:α-MnS】
アラバンド石(鉱)、鉄黒色亜金属光沢、自形結晶は立方体や正八面体を
示す。等軸晶系とあるように、立方体と正八面体が合体したザクロ石を思わ
せる結晶が見られる。
(4) ゲルスドルフ鉱/輝コバルト鉱【Gersdorffite:NiAsS/Cobaltite:CoAsS】
等軸晶系を思わせる金属光沢結晶で産出する。Mさんによれば、しばらく
放置した後、次のように識別するのが良いらしい。
ゲルスドルフ鉱・・・・・・・・表面がくすんで、黒っぽくなる。
輝コバルト鉱・・・・・・・・・・赤っぽくなる(コバルト華が生成する?)
(5) 硫カドミウム鉱【Greenockite:CdS】
”カドミウムイエロー”と形容される鮮やかな黄色皮膜状で産する。
(6) 白雲母【Muscovite:KAl2(AlSi3)O10(OH)2】
珪長石の中に、白色〜黄褐色〜黒緑色、独特の劈開を示して産する。
写真のように、一部紫色に見える部分もあり、ひょっとして、「益富雲母」では
ないだろうか、と欲張った考えも捨てきれていない。
このほか、マンガン鉱物として 「マンガンカミントン閃石」(旧チロディ閃石)や
満バンザクロ石そして磁性をもっているヤコブス鉱が見られる。ゲルスドルフ鉱
/輝コバルト鉱に含まれるニッケル(Ni)やコバルト(Co)は、ヤコブス鉱が『溜り場』
との見方もある。
黄銅鉱に伴う孔雀石などの2次鉱物は見られるのだが、「福島県鉱物誌」に
ある「自然銅」は残念ながら、採集できなかった。
(2) ここで、「硫カドミウム鉱」を採集した(正確には、Mさんが採集した片割れを
いただいた)。硫化鉱物の「閃亜鉛鉱」がマンガン鉱や石英(チャート)に混じ
って見られるので、来ても(産出しても)おかしくないとMさんと話し合った。
翌日、ここから30kmほど南西の新潟県の持倉銅山製錬所跡、五十島蛍石
鉱山を訪れ、帰宅後HPをまとめる段になって、「日本鉱産誌」を紐解き、持倉
鉱山は「硫カドミウム鉱」の主要な産地の1つであった事を知った。
地理的(地質的に?)に近い久良谷鉱山で「硫カドミウム鉱」がでてもおかしく
ないと納得した次第である。
ただ、「福島県鉱物誌」の「硫カドミウム鉱」の項には、久良谷鉱山の名前は
なく、この産地として初見になるかも知れない。
(3) 翌日の五十島蛍石鉱山探査とあわせ、片道3時間の探索行の”連荘”、さらに
その日の内に400km余り運転して帰宅するのは”還暦”を過ぎた身にはいさ
さか堪えるものがあった。
しかし、疲れを吹き飛ばす”成果”があった。改めて同行いただいたMさんに
御礼申し上げます。