「鉱山絵葉書」
2003年1月骨董店での鉱物資料探し

1.初めに

国内の金属鉱山が日本の産業の中で重要な位置を占めていた明治〜昭和20年代まで
全国各地の有名鉱山はもとより、一般には名前も知られていない鉱山の絵葉書が
発行されていた。
今でも関東の地方都市で開かれる骨董市を訪れると、それらを目にすることがあり
産業遺跡の記録として、できる限り手に入れることにしている。
茨城県でで開かれた骨董市で、「日立鉱山」と「佐渡鉱山」の絵葉書を入手した。
(2003年1月入手)

2.「日立鉱山ゑはがき」

”ゑはがき”からも分かるように、大正期に印刷されたものとと思われる。
袋には、建設された当時世界一とか東洋一と言われた大煙突が描かれている。
「日立鉱山ゑはがき」袋
高さ155.7m(510尺)の大煙突が工期僅かに9ケ月で、完成したのが大正3年12月20日で
これによって、日立鉱山の煙害問題は沈静化した。
この間の経緯は、新田次郎氏の「ある町の高い煙突」に詳しく描かれている。
絵葉書は、8枚のセットになっており、その構成は次の通りである。
@坑内夫手堀作業/竪坑巻揚機
明治40年1月に削岩機を導入したのを皮切りに、明治末期には全面的に削岩機に
依存しており、この絵葉書が発行された当時、手掘り作業が大々的に行われていたとは
思われないが、多分に往時の採掘の様子を再現したものと思われる。
これは、下に紹介する佐渡鉱山の絵葉書でも同じ光景が描かれており、鉱山絵葉書の
定番だったようです。
坑内夫手堀作業/竪坑巻揚機
A本山採鉱事務所
B鉱石運搬鉄索
この絵葉書に描かれた鉱石運搬用の複式鉄索は、大正2年〜5年にかけて相次いで整備され
その後しばらく、景気の悪化などに影響され、拡張工事など行われなかった。
C選鉱場
D大雄院製煉所全景
大煙突と大雄院精錬所全景
E大雄院製煉所コンバータ
F大煙突
G電錬所
不純物(?)を含んだ粗銅から電気分解によって純銅を精錬した施設で、電解槽の底に
溜まった泥(スラリー)からは金、銀などの貴金属を回収した。
昭和8年の我国の主要鉱山産金額は、日立鉱山が第1位である。

順位  鉱山   県名   産額(Kg)
1   日立   茨城   2,737
2   佐賀関  大分   2,263
3   鯛生   大分   1,938
日立や佐賀関がトップを占めているのは、銅の製煉に必要な珪鉱(石英)として、他の
鉱山から銅や金銀を含む鉱石を買鉱(かいこう)しているためである。

3.「佐渡名勝 鉱山絵葉書」

佐渡鉱山発祥の地の1つ、”道遊山”の山麓にあった(ある?)道遊茶屋が発行した
もので袋には、道遊山と慶長年間(17世紀初頭)の坑内の採掘の様子が描かれている。
「佐渡鉱山絵葉書」袋
絵葉書は、11枚のセットになっており、1枚、1枚に購入者が押したと思われる参観記念の
スタンプが押されている。
参観記念印
郵便史では、風景印が始まったのは、昭和6年7月に、逓信省が日付印を美しく見せ、あわせて
日本の風景を紹介するため、名所旧跡に因んだ図案の日付印を使用したのが始まりとされて
いる。しかし、昭和4年に発行された、別の「佐渡鉱山絵葉書(カラー)」には、違った
参観記念印が押されており、民間でのこの種の記念印の方が先行していたように思われる。
従って、この絵葉書が発行されたのは大正末から昭和初期と思われる。
その絵葉書の構成は次の通りである。
@慶長時代〜現代の採掘道具・照明具・水揚げポンプ/鉱石
A正門より見た鉱山
B削岩機と手掘り
明治18年末に、佐渡鉱山局長に任ぜられた大島高任は、後に”高任坑”と呼ばれる竪坑の
開坑を柱とする事業拡張を計画し、削岩機購入に2万円の予算を計上し、実際に導入したのは
明治20年からであった。
その後、幾次かに分け削岩機の増強を図っており、この絵葉書が発行された当時、手掘り
作業が大々的に行われていたとは思われないが、「日立鉱山ゑはがき」と同じ意図があった
のであろう。
削岩機と手掘り
C竪坑昇降機
D道遊割戸と鉱石搬出ガソリン車
E選鉱場より遠望の道遊割戸
選鉱場より遠望の道遊割戸
F選鉱婦による手選
G搗鉱場へのトロッコ運搬
H搗鉱場全景と鉱石運搬索道
I搗鉱場内部
J青化製煉所内部

4.おわりに

4.1 日立鉱山の想い出
(1)私が茨城県土浦市の小学校に通っていたとき、5年生の春の遠足は、日立鉱山でした。
でも、このとき病気で参加できず、級友から、小さな黄銅鉱をお土産に貰ったのを覚えて
います。
(2)そのころ、「日立鉱山では煙突掃除をすると金がとれる」と聞いたことがあります。
(3)また、次のような問答(?)も聞いたこともあります。
Q:日立鉱山と掛けて何と解く?
A:破れフンドシと解く
Q:して、その心は?
A:時々、”金”がでる。
失礼しました!!
4.2 削岩機について
削岩機はダイナマイトの使用とともに、鉱業の近代化、効率化に大きく寄与した。
明治14年に開催された第2回内国勧業博覧会に、工部省赤羽工作局が英人技術者の指導の
もとに製作した削岩機を出品し、デモンストレーションも行った。
これは、英国ダーリントン社のものを模造したものであった。この削岩機をこの年、佐渡鉱山で
日本で最初に実地に試したが、故障が続出し実用に耐えなかったと伝えられている。
その後、秋田県阿仁鉱山で、他社の削岩機を輸入し、実効を上げる至り、佐渡鉱山にも
導入された。
この1件からも、真似してでも、西欧列強に追いつこうとする文明開花期の技術者達の
バイタリティが伝わってきます。
(今は、知的所有権の問題があって、できないのですが・・・・・)

5.参考文献

1)嘉屋 實編:日立鉱山史,日本鉱業日立鉱業所,昭和27年
2)麓 三郎:佐渡金銀山史話,三菱金属鉱業株式会社,昭和48年
3)小原 国芳:学習大辞典 地質鉱物偏(全),玉川出版部,昭和23年
4)新田次郎:ある町の高い煙突,新潮社,昭和44年
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