山梨県立考古博物館「名宝でつづる縄文文化展・ヒスイ」

山梨県立考古博物館「名宝でつづる縄文文化展・ヒスイ」

1.初めに

2002年11月に、山梨県立考古博物館の開館20周年を記念して開催された「技と美の誕生
〜名宝でつづる縄文文化〜」展を見学した。
縄文時代には、新潟県糸魚川地域を源にするヒスイ文化が東日本を中心に広がっており
この展示にも地元山梨県の遺跡で発見されたヒスイのほかに、富山県のヒスイ工房跡から
発掘されたものなどが展示されていた。
何年か前に、青森県の三内丸山遺跡を訪れたときに、糸魚川産のヒスイを加工した
見事な「大珠(たいしゅ)」が展示してあり、縄文時代にヒスイは広い文化圏を
形成してことがよく分かった。
かつて、日本人の好きな宝石のトップが”翡翠”であると聞いたことがありますが
ヒスイには、遠い昔の縄文人の心に通じる何かがあるのかも知れません。
(2002年11月訪問)

2.場所

中央自動車道の南甲府ICで下り、甲府市内に向かって走るとすぐ、左側に山梨県立
考古博物館がある。
山梨県立考古博物館

3.展示内容

3.1 常設展示
(1)山梨県の旧石器時代〜明治時代までの人々の生活の跡を中心に展示してあります。
   ヒスイの大珠も常設展示されていて、いつでも見ることができます。
3.2 企画展「名宝でつづる縄文文化展」
博物館の開館20周年を記念して、「技と美の誕生〜名宝でつづる縄文文化〜」の
テーマで、関東、東北地方から出土した縄文時代の土器、石器などを中心に展示して
いました。
その中に、「ヒスイ加工技術とその広がり」のコーナがありました。
 ヒスイ展示
(1)縄文時代とは
私が小学校や中学校時代の社会科では、縄文時代は紀元前3,000年ころから始まった
となっていましたが、最近の発掘成果から、紀元前12,000年以前に遡るとされています。
日本で最初に土器が作られたのもこの頃で、これは世界的に見ても最も早い時期に当る
ようです。
(2)ヒスイ加工技術の歴史
ヒスイ加工技術の歴史は、縄文時代の大珠に始まり、古墳時代に勾玉となり、その後
歴史から忽然と姿を消す。

紀元前5000年以前   ヒスイ大珠の始まり
紀元前4000年頃    ヒスイ技術完成
古墳時代         勾玉などに加工
飛鳥時代         姿を消す
昭和13年         姫川のヒスイ産地再発見

(3)ヒスイ文化の広がり
ヒスイ文化は、ヒスイ原石の採集できる新潟県の糸魚川から富山県にかけてを中心に
関東・甲信越から東北地方にかけて広がっています。1998年には北海道千歳市の
キウス4遺跡から、勾玉を初めとする20点余りのヒスイ製品が発見されており
ヒスイ文化が津軽海峡を越えて北海道にまで及んでいたことが分かります。
関東甲信越では、縄文人が歩いた足跡のように、ヒスイ出土遺跡が分布しています。
青森県で発見される量が他の東北5県に比べて多いのは、糸魚川付近から大きな材木を
海に流すと青森県に漂着するそうで、海上交流ルートがあったようです。
ヒスイ遺跡分布【展示図録より引用】
(4)山梨県のヒスイ出土品
山梨県からは、八ヶ岳の近くの大泉村、長坂町や大月市から発掘されています。

   縄文早期     縄文晩期
     大泉村出土ヒスイ大珠【展示図録より引用】 大月市出土ヒスイ大珠

4.おわりに

(1)今回展示の石器の中に、山梨県で出土した”水晶”で作られたものが
ありました。
金峰山周辺では、原材料が黒曜石よりも入手しやすく、加工がしやすい水晶が石器に
使われたのは、当然なのでしょう。
水晶製石器
(2)じっと、緑色のヒスイを見ていると心の安らぎのようなものを感じます。
縄文人だけでなく、現代人にも人気の高い宝石であることが理解できます。
暖かくなったら、ヒスイ探しの採集会を開催したいと考えています。

5.参考文献

1)山梨県立考古博物館:開館20周年記念特別展 図録 技と美の誕生,同館,2002年
2)アサヒグラフ編:古代史発掘 1996〜1998,朝日新聞社,1999年
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