高橋 源三郎と『抗火石(こうかせき)』

1. はじめに

    2006年9月、某市で開催された骨董市を訪れた。鉱物、郵趣品、古銭などを探してブースを回っ
   ていると古絵葉書の束が目に入った。1枚、1枚、絵柄と使用済のものであれば宛名・発信人・貼
   ってある切手や消印などをチェックする。
    最近では、選ぶ前に1枚あたりの価格を確認しておくようになった。1枚100円程度なら良いのだ
   が支払う段になって1枚1,000円などと言われると、それだけの価値がない絵葉書の場合、選んで
   いた時間が全くの無駄になってしまうからだ。

    購入した絵葉書の一枚に『道イ運石仕剛部材石店商源(景風島新)』とキャプションのある風景
   絵葉書があった。

     
       『(新島風景)源商店石材部剛仕石運イ道』絵葉書

    「剛仕石」は何のことかわからなかったがキーワードの「新島」、「源商店」、「剛仕石」から思い
   浮かんだのは、栃木県の山奥にあった西沢金山や岐阜県蛭川村の砂錫鉱山を経営した高橋
   源三郎だった。彼の足跡を調べて次のページにまとめておいたが、確か伊豆の新島で「抗火石」
   を採掘する会社を経営したはずだった。

    ・ 栃木県西沢金山の銀鉱物
     ( Silver Minerals from Nishizawa Gold Mine , Tochigi Pref. )

    帰宅してインターネットで調べてみると、「抗火石」にはいくつかの名前があり、その一つに「剛
   化石」とあり、絵葉書に書かれた『剛仕石』は「剛化石」の間違いだと判断した。”化”が”仕”に化
   けたのだ。

    こうなると「抗火石」を手に入れて調べてみたくなった。インターネットで調べると、「抗火石」を採
   掘・販売している新島物産株式会社のページがあった。早速、質問のメールを送ると、「サンプル
   なら送料を負担すれば送ります」との返事があり送っていただくようお願いした。
    数日してサンプルが送られてきた。お礼のメールを送ると折り返し、「もし、『ミネラル・ウオッチン
   グ』のお役に立つようでございましたら、こぶし大程度の原石を各種送ります。費用は弊社で負担
   します。」、とのありがたいお言葉をいただき、厚かましくも送付をお願いした。
    2日ほどして、特性(比重・硬度など)の違う4種類の「抗火石」の丸石が”丁場”と呼ぶ採掘場の
   名前を記したラベルとともに送られてきた。

    趣味の郵趣関連で新島郵便局の「風景印」には「抗火石」が描かれていることを知り、探してい
   ると甲府郵趣会の例会で会ったM氏が新旧2種類の図案の「風景印」を持っていることを知り、譲
   ってもらった。

    こうして、各種の「抗火石」サンプル、絵葉書、そして「風景印」もそろいこのページをまとめること
   ができた。
    鉱物や岩石は通常地下深くにあり、それを発見・採掘(採集)・運搬・加工(精錬)・販売する人が
   いてはじめて多くの人の目に触れ、世のために役立つことになる。西沢金山の金銀、蛭川村の砂
   錫、そして新島の「抗火石」の採掘にと天然資源の開発に生涯をささげた高橋源三郎の新たな足
   跡を記すことができた。

    このページをまとめるにあたり、サンプルを恵与いただいた上に、画像データも供与いただくなど
   HP作成にご支援をいただいた、新島物産株式会社の関係者に厚く御礼を申し上げます。
    ( 2014年9月 入手・調査 )

2. 「抗火石」

 2.1 「抗火石」とは
      伊豆七島の新島・式根島・神津島そして静岡県(伊豆半島)天城山麓から産出する灰白色
     の流紋岩だ。地質学的には、以前は石英粗面岩(liparite)とされていたが、現在では黒雲母
     流紋岩(Biotite rhyolite)もしくは浮岩(pumice)とされている。
      抗火石と似た自然石はイタリアの火山島・リパリ島の石英粗面岩と伊豆半島の天城山で産
     出する「水孔石」が知られているが、建材として利用できるほど大型の軽石を大量に産出する
     のは新島だけだ。

      流紋岩と聞くと、長野県和田峠のきれいな柘榴石の母岩の流紋岩を思い起こす読者も少な
     くないはずだ。

      ・ 長野県の母岩付き「満バン柘榴石」 - Part2 -
       ( SPESSARTINE with Dacite - Part2 - , Nagano Pref. )

 2.2 「抗火石」の特長と応用
     和田峠と新島産の流紋岩はどちらも火山活動で噴出・流れ出た溶岩が積み重なって固まった
    ものだ。新島の「抗火石」は、886年の火山噴火【向山溶岩流】で生まれたらしい。
     どちらも火山の噴出岩だが、見かけの色彩、質感そして比重などが大きく違う。

          
                 和田峠産                        新島産
          【満バン柘榴石を含む、採集品】           【新島物産(株)恵与品】
                             流紋岩のいろいろ

      和田峠産のものは粒が微細で黒雲母なども含まれているらしいのだが顕微鏡サイズなので
     肉眼では確認できない。持ってみるとズシリと重く、「岩石だ」と実感する。
      新島産のものは、粒が大きく黒雲母を肉眼で観察できるサンプルもある。譬(たと)えて言う
     なら、お米を発泡させて固めた「浅草の雷おこし」のような外観だ。和田峠産の黒曜石の水分
     を発泡させて「パーライト」という石材を人工的に作っているが、新島産の「抗火石」は溶岩が
     噴出したときに、自然に発泡してできたようだ。粒と粒の間は強靭な繊維(ファイバー)状の珪
     酸で包(くる)まっている。
      手に持ってみると、”アレ”と拍子抜けするくらいに軽い。送っていただいたサンプルの中には、
     見かけの比重が1より小さくて、”水に浮く石”もある。かつては、水に浮かぶ性質を活かして、
     島の生活に欠かせない船も作られた。
      これら外観、見かけの違いも新島産「抗火石」の特長になっている。

       
            水に浮かぶ種類の「抗火石」
              【新島物産(株)恵与品】

      当然、化学組成も違うはずだ。主成分は約80%が珪酸(SixOy)と約10%のアルミナ(Al2O3)だ。
     鉱物の「水晶(石英)」【QUARTZ:SiO2】は珪酸からできていて、モース硬度7と硬く磨耗が少
     なく、塩酸や硫酸などの強い酸にも侵されない。
      アルミナは、鉱物では「葉蝋石」【PYROPHYLLITE:Al4(Si8O20)(OH)4】などに含まれ、火に
     強いことから耐火物として利用されている。「葉蝋石」は耐火性に優れていることと外観から
     ギリシャ語のpur(火)とphullon(葉)から命名されたくらいだ。

      このように「抗火石」は、耐久性・耐酸性・耐火性に優れた性質を持っている。さらに、軽量で
     持ち運びやすく、あたかも木材を切るようにノコギリで簡単に切断できる。
      これらの特性から、古くは江戸(?)、明治時代から火床(ほど:囲炉裏の中央の火を焚くとこ
     ろ)や火消壷(ひけしつぼ:炭火や焚き火などを消火するための密閉容器)、かまどなどとして
     使われてきた。新島の住宅は、屋根や外壁、梁なども「抗火石」で作られ、不燃建材として重
     宝されてきた石材だ。「抗火石」で作られた建物や石塀などを描く絵葉書がある。

       
               「抗火石」で作られた石塀を描く絵葉書

      最近では、建材だけでなく、耐火性・断熱性・耐酸性などを生かした工業用ライニング(配管や
     容器などの裏張り・被覆材)、軽量の自然石として屋上庭園の庭石など広い用途に生かされて
     いる。

3. 高橋 源三郎と「抗火石」

    江戸、あるいは明治時代から、新島では、「抗火石」のことを水に浮くほど軽いことからか「浮石
   (うきいし)」、あるいは、風化や火に強いところからか『かうが(剛化、コーガ)石(いし、セキ)』と
   呼ばれていたようだ。

    大正元年(1912年)、東京帝国大学の渡辺博士が新島の軽石を、その性質から『抗火石』と
   命名した。渡辺博士は大正元年の論文、『抗火石について』のなかで抗火石を次のように定義し
   ている。

     『 抗火石の新名称は独り海綿状の浮石を言うのみならず、堅質花崗岩様の溶岩と雖も気泡
      を有する玻璃(ガラス)質の石英粗面岩をも亦併せて総称することとなせり。         』

    渡辺博士の論文と命名によって、「抗火石」の存在、有用性、価値などが世間から注目される
   ようになった。
    現在では、『抗火石』と書いた場合はコウカセキと読み、口頭では昔から呼び方に従い、コウカ
   セキと言われたりコウガセキ(イシ)、コーガセキ(イシ)と呼ばれているようだ。

    明治30年代、西沢金山時代から渡辺博士と親交のあった高橋 源三郎は、明治43年(1910年)
   東京都新島本村向山村有地の石材採掘権を取得し、その採掘を目的とし、大正元年(1912年)
   東京市京橋区明石町に源商店石材部を創立した。

    冒頭に掲げた絵葉書には、「源商店石材部剛仕(化)石運イ道」とあり、高橋源三郎が経営した
   向山村有地で採掘した「剛化石=抗火石」を運搬する道路を描いたものだ。
    ”運イ道”とあるが、漢和辞典を調べると”イ(ゲツ)”は車の部分の名称で、”[車几](キ)”」、
   現在使われている漢字では”軌(き)”が正しいと思う。”運軌道”では何のことかわからないので
   ”運(搬、あるいは送)軌道”とするつもりだったのではないだろうか。これだと、”抗火石を運搬す
   るための(牛)車道”で意味が通じる。

    高橋源三郎は、「源商店石材部」を創立した翌年の大正2年(1913年)には、岐阜県中津川市
   木積沢にあった錫鉱の採掘・精錬会社も経営していたことが『錫鉱紀念碑』に記録されている。
    源三郎の活動拠点が東京市京橋区明石町にあったので、錫鉱紀念碑に『東都人高橋源三郎
   氏代経営』という碑文になった、と推定している。このように、東奔西走している姿は、”山師”の
   面目躍如である。

    ・ 岐阜県中津川市木積沢の「錫鉱記念碑」
     ( Monument of Stream Tin Discovery , Kichimisawa , Nakatsugawa City , Gifu Pref. )

    ・ 岐阜県中津川市木積沢の「錫鉱記念碑」その2
     ( Monument of Stream Tin Discovery - Part2 - , Kichimisawa
                                     Nakatsugawa City , Gifu Pref. )

    ・ 岐阜県中津川市木積沢の「錫鉱記念碑」その3
     ( Monument of Stream Tin Discovery - Part3 - , Kichimisawa
                                     Nakatsugawa City , Gifu Pref. )

    ・ 岐阜県中津川市木積沢の「錫鉱記念碑」その4
              「第2錫鉱記念碑」
     ( Monument of Stream Tin Discovery - Part4 - , "Another Monument"
                              Kichimisawa , Nakatsugawa City , Gifu Pref. )

    「(第1)錫鉱記念碑」が建てられた大正4年(1915年)まで高橋 源三郎が錫鉱採掘に携わって
   いたことは明らかだ。
    また、冒頭に紹介した絵葉書の表(宛名・通信文)面は、写真のように仕切り線が1/2の位置で、
   ”きかは便郵”と濁音でなく、かつ右書きになっているところから大正7年(1918年)3月以降に発
   行されたものだ。

     
       絵葉書の表(宛名・通信)面

    とすると、大正7年までは「源商店」が存在したことになり、高橋 源三郎も健在だったとこの一枚
   の絵葉書から知った。しかし、その後の源三郎の消息は、文献などからは知り得ないが、亡くなっ
   たのは、昭和3年(1928年)だった。

    いつの頃か、源商店は、抗火石工業(株)となり、『抗火石』の商標登録をとり、全国に販売する
   ようになったため、かつて新島に数社存在した抗火石の販売元は『抗火石』という名称を使用で
   きず、『コーガ石』や『新島長石』、『新島石』、『ネオエックス(新島物産(株)の抗火石建材の登録
   商標)』などの名称で抗火石を販売していた。
    現在は抗火石工業(株)を合併した新島物産(株)が、この黒雲母流紋岩を『抗火石』として販売して
   いる。

4. 「抗火石」の採掘と標本

 4.1 産地
      新島は東京都に属し、東京より南に約150km、大島、三宅島など伊豆七島の一つだ。「抗火
     石」は、島の南部にある火山の一つ、「向山(むこうやま)」で採掘されている。
      大島には椿や噴煙を上げる三原山の観光で訪れたことがあるが、新島はおとずれたことが
     ない。

         
             新島と「抗火石」産地                    向山の位置
                             「抗火石」産出位置

 4.2 産状と採掘方法
      上の左の地図を見ていただければ、伊豆諸島が南東方向に弧状に点々と島が連なっている
     のがお解りだろう。伊豆半島と伊豆諸島は北上するフィリピン海プレートの上に乗っている。
     約2,000万年前、本州のはるか南の深海で誕生した火山群がフィリピン海プレートとともに北上
     し、浅い海での火山活動の後、約60万年前に本州に衝突して誕生したのが伊豆半島だ。
      東の方からは太平洋プレートがフィリピン海プレートの下にもぐりこみ、その熱でマグマが発
     生し、それが噴火してできたのが新島などの伊豆諸島で、「西の島」のように、現在も噴火が
     盛んに続いている島もある。

      
               伊豆半島と諸島の地下構造
                 【伊豆ジオめぐりに加筆】

      新島の向山が噴火したのは886年で、藤原氏が権力を誇示し始めた時期だ。1,200年あまり
     前だが、長い地球の歴史から見れば、つい先ほどのできごとだ。
      火口から流れ出た「黒雲母流紋岩」はゆっくりと冷え固まって層をなして堆積した。下の層に
     なるほど、上に積み重なった石の重みで硬く締まった石(見かけの比重が大)になる。

      高橋 源三郎が「抗火石」の採掘を始めたころは、表土のすぐ下の層を採掘したので水に浮
     く「抗火石」もあったようだ。現在までに露天掘りの層やその下の層は掘り尽くし、さらにもう一
     段下の層を重機で採掘しているようだ。
      新島での推定埋蔵量は約10億トンとあり、年間10万トン掘り出しても掘りつくすまで1万年か
     かる計算で、無尽蔵といえるだろう。

      
                      採石風景
                【新島物産(株)HPより引用】

 4.3 「抗火石」サンプル
      新島物産(株)から送っていただいた、4種類の「抗火石」をまとめてみた。甘茶の私にできる
     のは、ルーペや顕微鏡での「表面の観察」と「比重測定」くらいだ。
      比重の測定法は、以前にも紹介したことがある。

      ・鉱物の鑑定法 比重の測定
       ( Classification of Minerals , Mesurement of Specific Gravity , Ibaraki Pref. )

       今回は、一番簡単な方法で、はかりで重さ(W:g)を測り、標本を水に沈めてその増分から
      体積(V:cc)を量り、 比重(S.G)=W/V で計算するやりかただ。

         
          料理用秤で重さ測定          コーヒーポットで体積測定
                       比重の測定

      「抗火石」は多孔質なので、水に漬けると水を吸い体積に誤差が生じるが、水から出した後
     の水の量を確認して体積を補正し、測定誤差が少なくなるようにした。

  種    類  産    地     写     真 比重  特  長
重さ
(g)
体積
(cc)
比重
軟質抗火石 新島物産(株)丁場
(旧採掘地・ズリ山)

40 70 0.57 ・水に浮く
・薄紅色の斑晶は
雲母の成分のせいか(?)
三宅島の灰長石のように
銅を含むためか(?)
中硬質抗火石 新島物産(株)丁場
(旧採掘地・ズリ山)

160 160 1.00 ・黒雲母の六角板状
 自形結晶が観察できる
中硬質抗火石
(コーガ石)
新島村役場丁場
(閉山)

265 185 1.43 ・珪酸が波状になっている
硬質 新島物産(株)丁場
(現在採掘中)

175 125 1.40 ・気泡が小さく、数も少ない

      新島物産(株)の担当者が付けてくれたラベルによると、現在採掘しているのは、下の方の
     層で採れる「硬質抗火石」のようだ。また、同社のHPによれば、”水に浮く抗火石”は現在では
     まとまった量採掘できないため価格も高く、貴重だそうで、これらを送っていただき感謝してい
     る。

5.おわりに

 (1) 『HPの更新継続』
      高橋 源三郎が採掘した「抗火石」を手に入れて調べてみたくなり、新島物産(株)ページを見て
     メールで問い合わせし、サンプルを送っていただいた。お礼のメールを送ると折り返し、「もし、
     『ミネラル・ウオッチング』のお役に立つようならこぶし大程度の原石を各種送ります。します。」
     とのありがたいお言葉をいただき、厚かましくも送付をお願いした。

      特性(比重・硬度など)の違う4種類のサンプルを受け取り、無事到着したお知らせとお礼と
     言えないような当地名産の果物をお送りしたお知らせのメールを差し上げると、次のような身
     に余るお言葉をいただいた。

     『 MH様のサイトを拝見し、石を大切に扱って頂けそうでしたので喜んでお送りさせて頂きまし
      た。御活用頂けましたら幸いです。 』

      HPを見ていただき ”Mineralhunters” のミネラル・ウオッチングにかける思いを多少なりと
     もお伝えできたようで、HPを作成しようとした目的が達成できているようだ。

      そのHPも更新回数が1,050回を超え、アクセス(閲覧)回数も先日、888,888回を越えた。
     早々と古希の祝いを済ませ、一段と筆が遅くなった『天呆穿人』だが、これからも更新を重ねて
     いく所存ですので、ご支援をよろしくお願いする。

      
                       HPアクセス 888,888回

 (2) 風景印に描かれた「抗火石」
      私の趣味の一つ、『郵(便)趣(味)』のジャンルに風景印がある。風景印については、次の
     ページで紹介したことがある。

      ・ 水晶を描く風景印 ― 富士山と宝飾の山梨 ―
       ( Scenic Cancellation drawing QUARTZ
                   - Famous for Mt.Fuji and Jewelery - , Yamanashi Pref. )

      もしかしたら新島郵便局の風景印に「抗火石」が描かれているかも、と思い、「戦前の風景
     スタンプ集」をめくってみると案の定あった。
      制定されたのは、昭和11年(1936年)1月26日で、図案の説明には、『新島海岸風景と軽石
     を運ぶ島の娘に椿』とある。『軽石(かるいし)』、とあるのは、もちろん「抗火石」のことだ。

      
             戦前の新島局風景印
                 初日印

      戦時中に風景印の使用は中止され、ほとんどの局で戦後になって復活したから、新島局の
     風景印もあるはずだと思い、調べてみると、昭和50年(1975年)7月1日に復活していることが
     わかった。
      さらに、平成12年(2001年)8月23日でデザインが変更されていることもわかった。甲府郵趣
     会の例会で会ったM氏が新旧2種類の図案の「風景印」を持っていることを知り、譲ってもらっ
     た。

         
                 旧デザイン                      新デザイン
                 最終日印                        初日印
            【〜平成12年8月22日】                【平成12年8月23日〜】
                           戦後の新島局風景印

      旧デザインの図案説明には、『桟橋から見た地内島、抗火石を運ぶ女性、ツバキ』、とあり、
     「抗火石」の名前がでている。地内島は新島港の西にある島だ。
      ただ、図案をよく見ると、戦前の島娘は頭に載せた大きな「抗火石」を片手で支えて運んで
     いるように見えるが、戦後のは「抗火石」の大きさが1/3くらいに小さくなったにもかかわらず、
     両手で支えていて、戦前の島娘の逞(たくま)しさが失せているような印象だ。

      21世紀を迎えるころから全国的に風景印の図案の見直しが行われた。新島局でも、頭に
     「抗火石」を載せて運ぶ女性の姿などは見られなくなっていたらしく、平成12年に図案が一新
     された。新しい図案は、『サーファーとモヤイ像』だ。

      南洋・イースター島の「モアイ像」は有名だが、「モヤイ像」とは何だろう。調べてみると、島
     特産の「抗火石」を使って作った石像だ。デザインも、イースター島のモアイ像を真似た形だけ
     ではなく、さまざまなものがある。
      「モヤイ」はモアイを真似た名前だが、同時に、日本語の動詞「舫(もや)う」(船を綱で繋ぎ
     留める)、「催合(もや)う、最合(もや)う」(力を合わせる、助け合う、共同作業をする、共同で
     使用する)の意味で、新島では今も使われているという。
      ( 私が暮らしたことがある地域で使われていた、「結(ゆ)い」がこれにあたる言葉だろうか )

      新島は昭和50年代には、盛んに日本各地にモヤイ像を制作して寄贈した。最も有名なもの
     が、東京・渋谷駅南口にある「渋谷モヤイ像」であろう。
      これは、1980年(昭和55年)に、新島の東京都移管100年を記念して、新島から渋谷区に寄
     贈したものらしい。

      こうして、2014年現在、新島局で使われている風景印にも「抗火石」が描かれている。

 (3) 絵葉書に描かれた新島の風俗
      私の趣味の一つに、『絵葉書収集』もある。伊豆諸島関係の絵葉書を探して見ると『夢の国
     島の風俗集』があった。タトウ(袋)には、『乗船記念 菊丸 (昭和)11.10.16』とあり、戦前の
     風景印が制定された時期だ。
      タトウには、頭の上に男性2人を載せた女性と頭に載せた天秤棒で籠に入れたこども二人を
     運ぶ女性が描かれている。絵葉書の中味を見ると、男性2人を載せているのは式根島の女性
     で、こども2人のほうは新島の女性だ。

         
                 伊豆諸島絵葉書タトウ                  頭に載せた天秤棒で
                                                 こどもを運ぶ新島女性

      このように、伊豆諸島では物を頭に載せて運ぶ風習があったので、「抗火石」を運搬する島
     娘の姿が風景印になったのだろう。

6.参考文献

 1) 梁木 毅六編:西沢金山大観,不明 ,大正5年
 2) 抗火石工業株式会社HP:企業の沿革,同社,2006年
 3) 友岡 正孝編:戦前の風景スタンプ集,日本郵趣出版,2011年
 4) 伊豆半島ジオパーク推進協議会編:伊豆半島ジオパーク,同会,2014年
 5) 伊豆半島ジオパーク推進協議会編:伊豆ジオめぐり,同会,2014年
 6) 伊豆半島ジオパーク推進協議会編:伊豆ジオMAP,同会,2014年
 7) 新島物産株式会社HP:抗火石(こうかせき)とは,同社,2014年
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