1891年 福島県に生まれる。
1916年 東北大学理学部岩石鉱物鉱床学科卒業
1923年 東北大学教授
1956-1966年 秋田大学学長
1980年 88歳で逝去
第13章「石油の争奪と小国の運命」に、イラック(イラク)の石油争奪に加わった
列強(2003年のイラク侵攻にも登場する国々)の様子が次のように、記述されている。
『当時(第一次世界大戦開戦前)は既にドイツやアメリカも石油に対する意義を知り
米國の如きは、トルコ王ハミッドに対する借款を好餌に、ペルシャの隣国メソポタミア
即ち現在のイラック油田を獲得しようと狂奔し、ドイツが3B政策の下に、ベルリン
ビザンチン(現在のイスタンブール)、バグダットを連ねる鉄道の建設を企てたのも
この油田のためであった。・・・・・・
第一次世界大戦開戦後、イギリス政府が・・・・メソポタミア遠征軍を上陸させ
たのも、イラック油田の・・・・・・ためであった。当時、トルコはドイツと結んで
・・・。イギリス軍は一度ならず全滅した。
第一次世界大戦が終わると、フランスはイラック油田に対する四分の一の権利を得た
・・・・・だけだあった。
かくて老獪なイギリスは、ペルシャ油田とイラック油田の大部を独占するを得た上
戦後一時はバクー油田をもその手中に収めた。
ここに憤懣に耐えぬのは、米国政府であった。多額の資金をつぎ込んでいたイラック
油田は、そのままイギリスのものとなり、ペルシャ油田も遂にその手に渡ってしまった。
トルコにケマル・パシャが立って、旧領奪還を叫んだとき、まず第一に彼を助け
イラックを占領させたものは、米国の覆面冠者であった。これに対して、あくまでも
老獪なイギリスはギリシャを唆し、トルコに戦端を開かしめた。トルコの蔭には米国が
あり、ギリシャは敗北した。
その後、イラックの新王フェイザルがイギリス兵に擁護せられてバグダット一帯に
臨むに及んで、トルコも手を引き、アメリカも遂に手をあげた。』
この部分を読むと、今回のイラク侵攻の遠因が、100年近く前にあったことが分かります。