同じ技術士で石友の千葉・Tさんから、「栃木県北部、越路銅山で黄銅鉱の大きな
結晶が採れるから案内します」、とのメールをいただいた。渡りに船とばかりに案内し
ていただくことにした。
2008年7月のとある日曜日、千葉県内で落ち合い、私の車で東北道を北に向かい
塩原温泉を抜けて「男鹿高原(おじかこうげん)駅」から林道を進んだ。Tさんの記憶を
頼りに、進むと工事中でそこから先は車を捨て、歩いて産地を目指した。
だが、一向にそれらしい場所は見当たらなかった。しかたなく、車のところに戻り
もう一度橋まで戻り、沢沿いに探索することにした。
戻り道、「この辺りかも?」という場所でTさんが車を降り、附近を探索してくれること
になった。待っている間、私は沢のズリ石らしきものを叩き、「黄鉄鉱」「水晶」など、
シッカリ採集した。
読者の皆さんから、『 肝心の黄銅鉱は銅(どう)した? 』、と突っ込まれそうだが
この後、”大変なこと”が起こり、「黄銅鉱」どころではなくなってしまった。
「2cmの黄銅鉱結晶」には未練があるが、起こったことがことだけに、再訪しようか
迷っているところである。
( Tさんは、絶対2度と行かないと思う )
貴重な体験をさせてくれた石友・Tさんに、厚く御礼申し上げる。
( 2008年7月 採集 )
「黒鉱鉱床」は、わが国の第3紀火山活動が盛んだった時期に、安山岩、石英
粗面岩等の活動と関連して、東北地方内帯、フォッサマグナ地域、山陰北部などに
生成された金・銀・銅・鉛・亜鉛などからなる鉱床である。凝灰岩、頁岩などを交代し
不規則塊状鉱体を主要部とし、種々の鉱物の混合鉱石を産するわが国に特徴的な
鉱床である。
古くからこの種の鉱床として知られているものは、小坂・花岡・発盛・・・(秋田県)
加納(福島県)、越路(栃木県)、・・・・・宝(山梨県)、・・・・鵜峠(島根県)などである。
越路銅山は、
主鉱体5、主鉱体長径50m、短径30m
主要な鉱石は、黄鉄鉱、黄銅鉱、方鉛鉱、閃亜鉛鉱、石膏、重晶石
この本がでた1955年(昭和30年)現在、朝日化学肥料株式会社によって稼行され
主として硫化鉄鉱を採掘していた。品位は、硫黄(S)が25〜26%で、『銅((Cu)品位
低し』、とわざわざ記述してある。
沢の転石は黄褐色鉄錆びに覆われているが、それらを叩くと新鮮な面が現れ
晶洞部分には、黄鉄鉱や水晶が見られる。
坑道やズリも残されているという情報もあるが、探し出せなかった。
(2)水晶/石英【QUART:SiO2】
晶洞に透明、針状〜六角細柱状結晶として産出する。鉄錆で黄褐色に変色し
ているものが多いが、新鮮な晶洞のものは美しい。
針状の結晶は、素手で触ると突き刺さり、後々まで”チクチク”痛むので注意が
必要である。
それは、『硫化水素自殺死体』を発見してしまったのである。
Tさんと手分けして産地を探索して10分ほど経って、Tさんが青白い顔で車に
戻って来た。「MHさん、この上に変なものがある」とデジカメ画像を見せてくれた。
何やら、ビニールに包まったものが写っているが、ハッキリしない。係わり合い
になりたくないし、その場を早く立ち去ろう、という気持ちもあった。が、もし事故
であれば、そのまま見捨てていくわけにも行かない。
私が先頭になって、Tさんが指し示す方に斜面を登った。窪地に来ると、
”プ〜ン”と異臭がした。
「??」、どこかで嗅いだことがある臭いだ。『硫化水素自殺だ!!』、思わず
Tさんに向かって叫ぶ。さらに進むと木立にA4サイズほどの白い紙がガム
テープでとめられてあった。そこには、赤いマジックで次のように書かれた。
『 近くで硫化水素
発生中!
近づくと死ぬ
ケーサツ・消防に
レンラク 』
さらに一段上に進むと平になった場所に、青いシートが敷かれ、その上に
透明ビニールシートをかぶって誰かが寝ているようだ。
「モシ、モ〜シ」と声を掛けたが応答がない。さらに近付くとGパンをはいた
若い男性のようだ。体を揺すろうかとも思ったが、近くにあった木の枝で突っつ
いてみたが”ピクリ”とも動く気配がない。身体が硬直しているような手応えだっ
た。近くには、家庭用の○○剤などがある。
『硫化水素自殺死体』に間違いない。車まで戻って、Tさんが警察に携帯で
連絡を試みたが、「1本しか立っていなくて」繋がってすぐに切れてしまった。
この時、11:08
国道まで出て再度電話しようやく繋がる。待つこと30分以上経った11:45
まず救急車が到着、Tさんが救急車に乗って現場を案内する。
続いて、11:55 消防のポンプ車とレスキュー隊が到着したので林道への
入口を誘導する。
12:15過ぎ、警察のパトカーが来たので私が車で先導する。
『第一発見者を疑え』は、捜査の鉄則らしく、Tさんと、私は警察の事情聴取を
受けることになった。その様子が冒頭の写真である。
われわれが現場を離れたのは15時近くだった。もちろん、昼飯も食べていな
い。
まだ陽は高いのだが、産地探索を継続する意欲はとうに費えていて、帰宅
することにした。
帰宅後、Tさんから、次のようなメールがあった。
『 思わぬ事件に遭遇し、経験し得ないことに出会いお疲れのことと思います。
彼(自殺者)にお願いしたかったのは、裏側にも注意書きを貼って戴きた
また、機会をつくって採集に出掛けましょう。
私は昨夜から今朝にかけて喉の痛みが出てきて、明日咽喉科に出向くつ
もりです。
ネットで調べると当日ではなくその後に脳や気管に障害が出るようですね。
あの時は興奮していて、気をしっかりとしようと思っていたのでつい「大丈夫」
と消防官に言ってしまいました。
かったです。私は当初ガスに気付かず周囲をウロウロしていましたから。
誘って下さい。お待ちしています。
今度はハンマーにルーペと、ガスマスクとボンベを背負って!! 』