(1)金平金山の歴史と産状
「石川縣地質鑛産誌」によれば、「金平金山」は、200有余年前(昭和28年当時)に
発見された当時は、微々たる産出量だったが、安永元年(1772年)、軽海組
(かるみぐみ)25ケ村支配の十村(加賀藩が農村支配のために任命した村方の
最高役人の家柄)、7代・石黒源次なるものが採掘に従事し金産額が増加し
藩主前田侯のお手前山となり、その後、文政10年(1827年)石黒源之丞の
自分稼行山となり、文久3年(1863年)再びお手前山となるなど、めまぐるしく
所有者が移り変わった。
慶応2年1866年)金平村民の願いにより、各村民之を稼行するを許される。
昭和9年から、日本鉱業(株)の所有となり、銅・亜鉛を採掘した。
地質は、第三紀の石英粗面岩及び角蛮(?)岩状凝灰岩層よりなる。鉱床は
含金石英脈で、大略南北に断続し、南より「龍門」「三笠山」「カルザキ」
「玉ノ井」「姥谷」の5つに分けられた。
鉱石は、肉眼でみえる自然金あるいは細粉状金を珪石の中に含み、珪石は
小型の晶洞若しくは裂罅に富み、黄鉄鉱や閃亜鉛鉱を伴う。酸化した鉄錆の
多いところに金は偏在する。三笠山産の上鉱の金含有量3.34%、銀0.007%で
あった。
(2)「金平金山絵巻」
金山開発を進めた石黒家に残る絵巻物で、天明6年(1786年)長谷川派の絵を
学んだ矢田廣實【やた ひろつら:雅号 四如軒(しじょけん)】の手になる。
通常”掘子(ほりこ)”と呼ばれる坑夫が、”宝利子”と美称で呼ばれ
街の中には”傾城”と呼ばれる”赤線地帯”があるなど、金山の産金量が
加賀・前田家にとって重要な位置を占め、賑わっていたことを示しています。
鉱物資料目録
資料番号 | 資 料 名 | 採集地(産地) | 備 考 |
MI32001 | 角閃石 | 白山 | |
MI32002 | 繊維石膏 | 珠洲市若山町中田 | |
MI32003 | 透明石膏 | 珠洲市若山町 | MI32006 | 拓榴石 | 富山県(水晶岳?) |
MI32007 | 鋼玉石 | 岐阜県(河合村?) | |
MI32009 | 人形石 | 人形峠鉱山中津川坑 | |
MI32010 | 重晶石 | 尾小屋 | |
MI32011 | マンガン鉱 | 北海道古平郡稲倉石鉱山 | |
MI32012 | 鶏冠石 | 群馬県西牧山(西牧?)鉱山 | |
MI32015 | 燐灰ウラン石 | 岡山県人形峠夜次坑 | |
MI32018 | 黄鉄鉱 | 小松市尾小屋 | |
MI32021 | 方鉛鉱 | 小松市尾小屋鉱山 | |
MI32022 | 黄銅鉱 | 尾小屋 | |
MI32023 | 水晶 | 尾小屋 | |
MI32024 | 正長石 | 岐阜県 | |
MI32025 | 煙水晶 | 山梨県 | |
MI32034 | 自然金 | 小松市金平鉱山 | |
MI32035 | 水晶 | 山梨県 | |
MI32036 | 水晶 | 山梨県 | |
MI32037 | 紫水晶 | 山梨県 | |
MI32038 | 斜長石 | 岐阜県 | |
MI32088 | 水晶 | 山梨県 | |
MI32089 | 瑪(瑪瑙) | 那谷 | |
MI32090 | 自然銅 | 遊泉寺 | |
MI32091 | 黄玉 | 岐阜県苗木町 | |
MI32092 | 黄玉 | 岐阜県苗木町 | |
MI32093 | 自然砒(金米糖石) | 福井県(赤谷) | |
MI32094 | 蛭石 | 福島県 | |
MI32096 | 蛋白石 | 那谷 | |
MI32123 | 蛋白石(オパール) | 那殿 | |
MI32157 | 玉髄 | 塩屋海岸 | 80019 |
MI32158 | 石英 | 山梨県 | 86086 |
MI32159 | 滑石2 | 愛媛県佐々連鉱山 | 86169 |
MI32161 | 閃亜鉛鉱2 | 愛媛県佐々連鉱山 | 86171 |
MI32162 | 硫化鉱 鉱石標本11 | 愛媛県佐々連鉱山 | 86172 |
MI32163 | キースラーガー 鉱石プレパラート一式 | 愛媛県佐々連鉱山 | 86173 |
MI32164 | 水晶2 | 滝ヶ原町 | 95005 |
しかし、3階の「自然展示」で見られる鉱物は、上記の収蔵リストにない
”菩提産珪化木”だけです。
そこで、博物館の方に「金平鉱山産の自然金を見せて欲しい」とお願いしたが、
収蔵庫に案内してくれましたが、見せていただけたのは、「尾小屋鉱山の重晶石」と
「銅鉱石」だけでした。
重晶石は、「日本の鉱物」にも掲載されていますが、これよりも結晶がシッカリし
光沢もあり、何より一抱えもある大きさには圧倒され、これを見せていただいた
だけでも、満足です。