祝 『古希』 記念銭









                 祝 『古希』 記念銭

1. はじめに

    西沢金山で念願の『マチルダ鉱』を自力採集したことで、長居は無用とばかりに、産地を後にし
   たのは11時を回っていた。もっと早く発つ積りだったが、出立前に産地の状況を写真に収めようと
   右の腰にいつもぶら下げているカメラのケースに手を伸ばしたら、空っぽなのだ。この産地は、
   ”泥だらけ”になるのを覚悟しているので、雨合羽のズボンと長靴をあらかじめ着用していた。ズボ
   ンの裾(すそ)は長靴の中に納まっているので、中で落ちたら長靴の上か中にある筈だが、長靴
   の右足にはない。

    だとすると、小用を足したときに地面に落ちたのかと思い、その跡を探したが落ちていない。しか
   らば、最初に採集した辺りか、ガラス製品などを探した辺りだと思い、それらの跡をトレースしてみ
   たが落ちていない。念のため、もう一度トレースしてみたがやはりない。

    カメラそのものより、家を出てから産地に着いて間もなく写した1枚までの写真がなくなったかと
   思うと惜しい気がするが、これだけ探してなければ諦めるしかない。雨合羽のズボンを腰下まで
   脱いだらやけに左足がもっこりしている。手を差し込んで見るとカメラがあるではないか。どうやら、
   腹ばいになってズリを掘っていた時に、左を下にした拍子にケースから抜け落ちたカメラが左腰→
   左足に移動し、左の長靴の上で止まっていたようだ。あるとすれば右足、と思い込んで左足は探し
   もしなかった。やれやれ、歳は取りたくないものだ。

    西沢金山の後は、2013年10月のミネラル・ウオッチングのときと同じように、足尾の先にある
   骨董店を回って見る事にした。

    ・ 2013年10月 北関東ミネラル・ウオッチング
     ( Mineral Watching in Northern Kanto Area , Oct. 2013 )

    ここの店主は買い出した古銭類を貯めておいてくれるので、ある間隔を置いて訪れると面白い
   ”掘り出し物”があるのだ。この日は、私と同期生が生まれた年の銭を重点に漁ってみた。という
   のは、昭和20年生まれの同期生は、数え年70歳で、『古希』を祝うことになるので、私のように翌
   昭和21年、早生まれの同期生も一緒に祝うべく、同期会のサプライズとして配る記念品を準備して
   きたのだ。それは、『生まれ年発行の硬貨』だ。昭和20年と21年だけ発行された硬貨は、『鳩5銭
   錫貨』なので、それを配ろうという趣向だ。

    私が生まれた昭和21年に発行された代表的な硬貨が「大型50銭黄銅貨」だ。これだけを抜き
   出して、1枚、1枚丹念に見ていくと、”おや!?”、と思うものがあり、ルーペで確認すると何か変
   だ。それらは抜き出して、ほかの銭とあわせて1枚あたり100円で購入した。
    この日、渡良瀬鉄道・水沼駅に併設してある温泉施設で入浴・夕食を摂った後、カタログで調べ
   てみると、『光線入り』、と呼ばれる製造工程の異常で造られ、造幣局の外に流出した『エラー銭』
   らしく、正常なものの50倍のカタログ価格になっている。
    前の年の敗戦で人・モノ不足から日本の鉱工業や農漁業など全産業の生産力・技術力が落ち、
   このような硬貨しか造れなかったのだ。ただ、それ以前の硬貨には、「大日本」とあったものが、
   敗戦を契機に「日本政府」になり、民主的な世に変わったことを知らせてくれる。

    同期生は敗戦とその翌年に生まれ、H製作所に入社し、日本の高度成長を支え、現在はほとん
   どが現役を退き、本人だけでなく子どもや孫らも平和で文化的な生活を享受しているようだ。戦争
   に敗れ、一時連合軍(アメリカ)の占領下に置かれ、新しい日本が生まれたことが幸いだったのか
   もしれない。
    ( 2014年5月 作成 )

2. われわれが生まれたころ

 (1) 昭和20年の出来事
      3月    東京大空襲
      4月    米軍、沖縄上陸(6月 守備隊全滅)
      8月    広島(6日)・長崎(9日)に原爆投下
             大東亜戦争終結(15日)
             マッカーサー厚木到着(30日)
      9月    降伏文書調印
     10月    GHQ 民主化指令(政治犯釈放)
            5大改革指令
             ・治安維持法廃止など
     11月    財閥解体指令
     12月    衆議院議員選挙法改正(婦人参政権)

 (2) 昭和21年の出来事
      1月    天皇人間宣言
             軍国主義者の公職追放令
      2月    第一次農地改革
      3月    憲法改正草案要綱発表
      4月    新選挙法による第22回総選挙
      5月    極東国際軍事裁判開始
             メーデー復活
     11月    日本国憲法公布

    われわれが生まれた頃を一言で言い表すとすれば、大東亜戦争の敗戦を境にした「新しい日本
   の誕生」
ではなかろうか。
    ”歴史に、もしもはない”、と言われるが、仮に戦争に負けなければ、現在の北朝鮮のような国に
   なっていただろう。

3. 『古希』 記念 贈呈品

    I幹事から同期会開催の連絡を頂いてから、その日に何か記念の品を配りたいと考えていた。
   ある日、新聞を読むと、「長寿を祝う 生まれ年の発行貨幣」という広告があった。

     
           「長寿を祝う 生まれ年の発行貨幣」

    新聞広告には、「古希」だけでなく、「喜寿(喜の略字が”七”を3つ並べた:77歳)」、「傘寿(さん
   じゅ/傘は”八”の下に”十”:80歳)」、「米寿(米は”八”と”十”と”八”:88歳)」の人向けの記念の
   貨幣セットが載っている。
    私は、祝い事は”数え年”で行うべきだと思うが、この新聞広告の企画は”満年齢”を基準にして
   いるので、「古希」の該当者は昭和19年生まれになっている。

     
                    「生まれ年の発行貨幣」新聞広告

    これを見くらべてみると、「古希」以外のセットには「50銭銀貨」が入っているのに、「古希」のセッ
   トだけは全部「錫貨」で構成されているのに気づくだろう。
    昭和19年でこれだから、敗色が一段と濃くなり、敗戦になった昭和20年、21年には『銀貨』を発
   行するだけの国力が残っていなかった。昭和20年には、金属がいよいよ不足し、『陶貨』、と呼ぶ
   焼き物の貨幣を試作したほどだ。幸か不幸か、流通する前に敗戦になった。

    同期会のメンバーは昭和20年か21年生まれのはずだ。そこで、昭和20年、21年に発行された
   同じデザインの貨幣にこだわって探しだしたのが、『鳩5銭錫貨』だ。
    戦争が終わった昭和20年と翌21年の2年間だけ発行され、菊の紋章は残っているが、平和の
   象徴の鳩が図案になっているのも私たちが生まれた時代を象徴している。「銭五」、と右から左に
   読む。

     
           『鳩5銭錫貨』(表)

    「錫貨」と呼んでいるが、錫93%、亜鉛7%の合金で、直径17mm、重さは2gだ。昭和20年、21年に
   合わせて1億8千万枚発行された記録があるが、現在、10円、100円、500円硬貨はそれぞれ年間
   2億から4億枚発行されており、経済規模が違っていた。当時、ハガキの料金が5銭だったから、
   現在の50円くらいに相当し、カタログ価格もその程度だ。

    これをコインホルダーに挟んで、ラベルをつけ、皆さんに贈呈した『古希』の記念品が下の写真
   だ。

        
              表                               裏
                      祝 『古希』 記念銭

    硬貨の”おもて(表)”と”うら(裏)”を御存知だろうか。法律による決まりはないようだが、造幣局
   では、年号のあるほうを”うら”と呼んでいる。その反対面は、当然”おもて”だ。

4. 私の生まれ年発行の貨幣

    西沢金山からの帰りに立ち寄った骨董店で私が生まれた年の銭を重点に漁ってみた。私が生
   まれた昭和21年には、錫貨のほかにアルミ貨や黄銅貨が発行されているが、代表的な硬貨が
   「大型50銭黄銅貨」だ。
    表には、菊の紋章と鳳凰そして額面「銭十五」が打ち出され、裏面は、発行した「日本政府」、
   額面「50」を中心に、農水産品の魚・麦と米の束、農具の鍬、工業製品の歯車、工具のツルハシ、
   発行年の「年一十二和昭」などが打ち出されている。

        
                表                     裏
                      「大型50銭黄銅貨」

    これだけを抜き出して、1枚、1枚丹念に見ていくと、”おや!?”、と思うものがあり、ルーペで
   確認すると何か変だ。ルーペを使って確認する辺りは、ミネラル・ウオッチングと同じだ。それらは
   抜き出して、ほかのコインとあわせて、1枚あたり100円で購入した。

    戦争中、金属、特に鉄・銅・アルミなどが不足し、各家庭の鍋・釜、神社仏閣の鐘、はては学校
   の二宮金次郎の像に至るまで、半ば強制的に”供出(きょうしゅつ)”させた。わたしが不思議に
   思ったのは、敗戦と同時に足りなかったはずの銅(黄銅)やアルミの貨幣が市中に出回ったことだ。
    どうやら、金属の原材料はあったのだが、それらを兵器や武器・弾薬に加工する工場が空襲で
   焼かれ、熟練した作業員は兵隊として最前線に送られ、その穴埋めとして『学徒動員』で狩り出さ
   中学生や女学生(現在の高校生)が工場で働いた。

    昭和21年に発行された「大型50銭黄銅貨」は、銅が60〜70%、亜鉛が40〜30%、と現行5円
   黄銅貨と同じ組成だ。なんでも、銃砲弾の薬きょう(弾を発射する火薬をいれる部分)を溶かして
   造ったらしい。

     
       銃弾と薬きょう部

    集められた薬莢は坩堝(ルツボ)で溶かし、型に流し込み、ロールの間に挟んで薄い板に延ばし
   プレスで円形に打ち抜いて硬貨の元になる「円形(えんぎょう)」を造り、これに表裏の模様を圧印
   (プレス)すると硬貨の出来上りだ。
    「大型50銭黄銅貨」には、『光線入り』、と呼ばれる製造工程の異常で造られ、造幣局の外に流
   出した『エラー銭』がある。表の鳳凰の頭や胸と「銭十五」の間に、裏の稲や麦の茎が”陰打ち”状
   になって現われ、あたかも光線のように見えるものをいう。

        
               全体                      光線説明図
                    「光線入り 大型50銭黄銅貨」

    前の年の敗戦で人・モノ不足から日本の鉱工業や農漁業など全産業の生産力・技術力が落ち、
   このような硬貨しか造れなかったのだ。

5. おわりに

 (1) 「古希」に思う
      以前も書いたと思うが、「歴史」は英語で ” History ” だ。これは、” His Story ”で、”彼、
     =勝者 の物語” の意味だ。

      『 織田がつき 羽柴がこねし天下餅 すわりしままに食うは徳川 』

      この江戸時代の狂歌について解釈はいろいろあるようだが、最後まで生き残ったものが勝ち、
     ということだろう。

      戦国武将の生没年と享年を表にまとめてみた。

 名  前 生  年 没  年 享 年
武田 信玄  1521  1573  53
上杉 謙信  1530  1577  47
織田 信長  1534  1582  49
豊臣 秀吉  1536
(1537)
 1598  62
徳川 家康  1542  1617  75

      生年を見てみると信玄は少し早いが、謙信から家康までは1回り(12歳)の中にあり、彼らは
     『戦国時代の団塊世代』だったのだ。
      家康が天下を取ったのは、最後まで生き残った要素が大きいのだろう。

      「古希」は、”古来希(まれ)なり”、ということで長寿を祝う歳とされる。確かに、織田信長の
     ように、「人生50年」だった時代に、70歳まで生きる人は希だったのだろう。

      孔子(前551年−479年)は、73歳で亡くなったが、自らの生涯のポイント年齢での己の姿、
     あるいは人としての理想像(?)を「論語」のなかに次のように書き残している。

      『 十有五にして学に志す。【志学:しがく】
        三十にして立つ。【而立:じりつ】
        四十にして惑わず。【不惑:ふわく】
        五十にして天命を知る。【知命:ちめい】
        六十にして耳順がう。【耳順:じじゅん】
        七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず。【従心:じゅうしん】  』

       「70歳になると やりたいと思ったことをやっても、道徳の規範 (きはん:ルール)から外れる
     ことはなくなった。」、と解釈するのが一般的だ。
      凡人の”Mineralhunters”としては、『心の欲するところに従って行動する』、ありきだと思う。
     今まで以上にアクティブに活動し、” My Story ” を完成させたいと思っている。

 (2) 『月遅れGWミネラル・ウオッチング』
      GWのころミネラル・ウオッチングのシーズンがオープンするのだが、われわれの定宿・長野
     県川上村の湯沼鉱泉の近傍の産地は春の訪れが遅く、例年6月に恒例のミネラル・ウオッチン
     グを開催している。
      ふつうのGWよりも1ケ月遅いことから、『月遅れGWミネラル・ウオッチング』と呼んでいる。

      大雪で倒壊した湯沼鉱泉の風呂場も仮復旧したとのことなので、開催をお知らせしたところ、
     今年も2日後には予定した人数を越え、団体で参加を希望していたS大学の皆さんはお断りせ
     ざるを得なかった。
      山梨県と長野県の皆さんにとって初めての新産地を中心に案内させていただく予定で、大勢
     の石友との出会いを楽しみにしている。

      その前に、『斎家』の第一はMH農園の手入れだ。種類によって苗の植え付け準備、生長待ち、
     収穫間近、といろいろで、あとは大自然に任せるだけだ。

        
            ネギ:植え付け待ち                 トマト、スイカ:生長待ち
            ジャガイモ:生長待ち                ニンニク:収穫間近
                            MH農園近況

6. 参考文献

 1) 山梨中央銀行金融資料館:お金のはなし あれこれ,山梨中央銀行,2013年
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