湯之奥金山博物館企画-こども金山探検隊-

湯之奥金山博物館企画-こども金山探検隊-

1.初めに

山梨県下部町にある湯之奥金山博物館では、小中学生の夏休みに合わせて各種の行事を
企画し、その1つに「こども金山探検隊」があり、唯一の大人として参加した。
「こども金山探検隊」メンバーズカード
この行事の趣旨は、自分の足で歴史の現場に行き、実際に現場を見て、さらに当時の
鉱山道具と同じものを使って、戦国時代産金技術の復元体験をすることです。
今年で2回目を迎え、小中学生40名、引率の学芸員や付添いの父兄など合わせて60名余が
2日間にわたり、茅小屋金山での金鉱石採集〜灰吹き精錬までを体験した。
鉱石を石臼で挽いて粉にした後、汰り分けて、パンニング皿に黄金色の金粒が残ったときは
感激し、知識としてしか知らなかった”灰吹き”作業を目の前で見て、1g近い金粒が
丸まる瞬間には驚いた。
こどもに帰って、楽しい体験をさせて頂き、谷口館長、小松学芸員はじめ湯之奥金山博物館の
関係者に深く感謝いたします。
学芸員(左端)の説明を聞く「こども金山探検隊」
(2002年8月体験)

2.こども金山探検隊

文献上日本ではじめて産金が記録されるのは、748年に宮城県の黄金迫(こがねはざま)で
砂金が発見され、東大寺の大仏の鍍金(メッキ)に使われたことです。
以後、800年余り、日本での産金は川で砂金を採取することでしたが、16世紀になると
人々は山の鉱石から金を採り出す方法を考えついた。これが鉱山の始まりである。
中山、内山、茅小屋という3金山を総称した湯之奥金山は、鉱山作業が始まったばかりの
西暦1500年代初頭に操業を始めた金山であった。
「こども金山探検隊」は、16世紀戦国時代の産金技術を追体験をすることです。
2日間で湯之奥金山の1つであった茅小屋金山での金鉱石採集に始まり、灰吹き精錬した金隗(?)での
オリジナル甲州金を製作するまでを体験するプログラムです。
【第1日目】
@茅小屋金山での金鉱石採集
A金の鉱石を石臼で粉にする”粉成(こなし)”
Bパンニング皿で山金の汰り分け
【第2日目】
@”灰吹き”作業
Aオリジナル甲州金の製作
B終了式

3.第1日目

(1)茅小屋金山での金鉱石採集
茅小屋金山は湯之奥金山の中でも一番アプローチがやさしいと言うことで今回選ばれた
とのことでした。下部川の支流入ノ沢に沿った標高850m前後の位置にあり、林道から歩いて
約1時間ですが、途中沢を何回か横切ったり、厳しいコースです。
茅小屋金山跡は、沢より一段高い、南西向きの場所にテラスと称する平坦部が30ケ所近く
確認されている。江戸時代の古文書には、「茅小屋村」の名がみられ、集落が営まれていたが
17世紀後半には金山の衰退で廃村になったと推定される。その名残のお墓や供養塔などの
石造物が残されている。
ここには、坑道や露天掘りの跡が見られず、違う場所で採掘した金鉱石を豊富な沢の水を使って
粉成(こなし)〜山金の汰り分け作業が行われていたと思われ、膨大な量の”汰り滓”(ゆりかす)が
残っている。
汰り滓は、酸化鉄が主成分で、赤茶色で固結して層をなしている。したがって、茅小屋金山は
中山金山などと同じように、含金黄鉄鉱脈を採掘していたと考えられる。
中山金山産の含金黄鉄鉱脈【一部褐鉄鉱化】
分析の結果、これらの汰り滓1トンには、金が20g近く含まれており、現在でも立派な金鉱脈です。

    左:汰り滓層        右:汰り滓
(2)粉成(こなし)作業
石英を含む金鉱石は固いので、火で焼いたものを熱いうちに水の中に入れて急冷して脆くしてから
ハンマで叩き、大豆〜小豆サイズ以下に砕き、石臼に入れて粉にします。
一度に石臼に入れ過ぎたり、大きな石を入れると、上臼が浮き上がって巧く粉になりません。
石臼【湯之奥型】
(3)汰り分け
水の中でパンニング皿を使った比重選鉱で比重の大きな山金だけを残し、滓(かす)は流し去ります。
金の粒が極めて小さいので、慣れないと肝心な金まで流してしまい、何も残らないということ
にもなり兼ねません。
茅小屋金山産の山金

4.第2日目

(1)灰吹き作業
灰吹きは骨粉を敷き詰めたルツボの上で金と鉛の合金を作り、鉛が骨粉に吸い込まれ、金粒だけが
残る当時として最新技術であった。
今回は、これを現代風にアレンジして再現した。
@骨粉・塩化カルシューム・炭粉をルツボに敷き詰め、灰床を作る。
A金(95%)と不純物の合金粒を鉛のおもり板て包む。
B電気炉(750℃)で鉛を溶かす。
Cガス溶接炎で金と鉛の合金を溶かす。
D完全に溶けたら、酸素だけを吹付けて砒素、硫黄などの不純物をとばす。
E鉛を灰床に吸い込ませる。


     左:灰吹き前           中:灰吹き中        右:灰吹き後
                      灰吹き作業

灰床から金粒を取り出し、水の中で真鍮のブラシで擦ると山吹色の黄金粒が姿を現します。
山吹色の黄金粒
(2)オリジナル甲州金の製作
金は軟らかく展延性に富む(金箔のように薄く広げたり、金線のように長く伸ばせる)ので
金槌で叩いて小判型にして、星型や自分の好きな刻印を打ってオリジナル甲州金を作りましたが
私は金粒のまま持ち帰りました。
(3)終了式
終了式では、谷口館長から一人一人に修了証書と参加賞の蛍石などが手渡されました。
修了証書には、『こども金山衆(かなやましゅう:金山での作業、生活のリーダ的存在)として
認定する』とあります。
金山衆認定の修了証書

5.おわりに

(1)”黄金”は富の象徴で、誰もが憧れるものですが、今回金鉱石の採掘〜灰吹きによる
精錬までの一連の作業を体験し、金を得るのは大変な作業だと実感できました。
1日がかりでパンニング皿に採れた金粒はルーペサイズが2粒です。
これは、2通りに解釈できます。
@少量でもペイする位に金は価値が高い。
Aとても採算が取れると思われず(事実17世紀後半にはギブアップ)、採掘当初は金の品位が
高く、かつ生産性をあげる工夫がもっとなされていた。
(2)その技術の1つが”灰吹き”だったのでしょう。
金と鉛の合金が温度が変わったときにどのような振る舞いをするのか、「金-鉛2元合金状態図」で
理解することができます。
図の横軸は、金と鉛の比率で左端が純金、右端が純鉛になり、真ん中は50%、50%の合金です。
縦軸は温度で、赤い線より上では溶融して液体状態になることを示しています。
純金の融点が1063℃、純鉛の融点が327℃で、鉛が85%の合金は、200℃余りの
低い温度で溶けることが分かります。
灰吹きでは、鉛が灰床に吸われ金の比率(純度)が上がる(精錬が進む)に従って融点が上がり
温度を上げてやる必要から、フイゴで熱風を送ったようです。
金鉛共晶図
(3)この行事は今回が2回目で来年も行われると思いますので、こども連れで参加されては
如何でしょうか。

6.参考文献

1)湯之奥金山博物館:こども金山探検隊 隊員のしおり,湯之奥金山博物館,2002年
2)湯之奥金山博物館:湯之奥金山資料館展示図録,湯之奥金山博物館,1997年
3)湯之奥金山博物館:金山史研究 第1集,湯之奥金山博物館,平成12年
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